隣のクラスの水上誠がSNSで万バズをした。
隣のクラスの水上誠がSNSで万バズをした。趣味でイラストを描いていて、インフルエンサーの目に入ってリポストされたことがきっかけだったらしい。今まで多くても100くらいの、いいねが最高だったのに、今回の投稿は気がついた時には1万いいねを超えていたそうだ。
バズった絵はクーピーを使って描かれた森の絵。夜なのに暗すぎず、キラキラと煌めく明かりが灯っている。真ん中に白猫のキャラクターが二本足で立っていて、ミスマッチだけど味がある。
「何がバズるかわからないなぁ」なんて、同じクラスの男子が言っていたけど、その通りだと思った。
しかも水上の絵は、朝の情報番組のトレンドを紹介するコーナーでも取り上げられるほどだった。ベテランアナウンサーは、「可愛い絵ですね。水上くんは高校2年生ということで、今後に期待ですね」と爽やかな笑顔を向けながら言った。
この出来事をきっかけに、T高校で水上を知らないものはいなくなった。1学年下の女子が集団になって、水上のクラスを覗きにくるほどだ。
「ねー、あの人じゃない?」
「ちょっとー、私は来たいって言ってないからね」
「あ、こっち見たよ!」
まるでアイドルが側にいるみたいにキャーキャー楽しそう。ちょっとしたお祭り騒ぎ。この前は、数学の気難しい田中先生が水上の背中をバシッと叩いているのを見かけた。水上は笑顔だった。
梅原未央から見た、水上誠の印象は『目立たない人』だった。影が薄くて、今まで意識に上がったことがない。けど、みんなが騒ぎ始めていると、次第に見る目が変わる。『大人しそう』な印象から『優しそう』に。今まであえて隠れていた存在にも思えるほどだった。
偶然か必然か。移動教室で隣のクラスを通る時、自然と水上を目で追うようになった。
水上は厚めの黒髪で、制服を着こなしたりもしない。ただただ真面目な顔をして席に着いている。調子に乗っていないところが、尚更良いなとも思った。
この前は、水上と廊下ですれ違った。まさか同じように、こっちを見ているなんて思わなかったから、目が合った時は条件反射でドキッとした。
えっ、何これ。軽く戸惑いを覚えるほどだった。
水上のイラスト垢をフォローすることにした。本垢ではない、趣味垢でだけど。フォロワーは既に1万人以上いて、素直にすごいと思った。
だって普通の高校生だよ? 芸能人でも何でもないんだよ。私のフォロワーなんて24人しかいない。しかも、半分は『プロフ見て〜』とリプライしてくる業者のようなアカウントだ。
……みんなが良い絵と言っていると、本当に価値があるように思えるから不思議。次に投稿する絵も楽しみかも。
けれども水上はSNSを中々更新しない。そうなると、人となりもわからない。何か新しい情報が無いかなと、リプライなども漁ることにした。
そこで漫画家・山田ニーナとやり取りをしていることを知った。ネット上で四コマ漫画を連載している人で、自作のキャラクターがぬいぐるみやタオルなどのグッズ化もしている。
山田先生は、水上に対して『わぁ〜、幻想的な絵で良いですね。フォローしました! これから、是非応援させてください」と敬語でリプライを送っていた。
水上も『ありがとうございます! よろしくお願いします』と簡潔だけど丁寧に返事をしている。
二人のやりとりを目にした瞬間、うわぁ、羨ましいと嫉妬心が芽生えた。同じ学校の同学年の子が、漫画家からも注目されている事実。それに比べて私は……。あと、もう誰にも見つかって欲しくないという謎の独占欲も湧き上がった。
その日は、毎週見ているドラマが放送されるまで、水上のことが頭から離れなかった。 CM中、モヤモヤした気持ちに戻り、きっかけを振り返ったところ、水上が頭に浮かんだ時は目を閉じた。
◇
やぎっちとは、クラスで一番仲が良い。
八木由花。名字の八木を取ってやぎっちと私は呼んでいる。一つ結びで、ブラウンのメガネをかけている。人懐こくて癒し系。
席が前後ろになったことをきっかけに交流を持つようになった。やぎっちとの会話の中で、水上の話題が出ることもある。
「バズってすごいよね」
「うん」
「将来はイラストレーターかなぁ。夢が広がる〜」
とか、軽く触れる程度だけど。
やぎっちとトイレに行く時、水上のクラスの前を通る。
後輩の女子集団が今日もいる。水上に見つからないようにドアを盾にして隠れている。けど多分、バレバレだ。
やぎっちは女子集団を横目に見て「なんか『推し』って感じだね。どうする、私たちも今のうちにサイン貰っておく?」と楽しそうに言った。
「迷惑だよ」
反射的にピシャリといった言葉だった。イラついていた訳でもないのに、自分でも驚くくらい低い声が出た。
ハッと女子集団を見たところ、一人と目が合った。訝しげな表情をしている。ロングヘアーで、前髪をヘアピンで留めている女の子。目元がキリッとしていて、華やかなオーラがある。
しまった。自分に言われたと思ったかな? うわー、ごめんなさい。そんなつもりはありません。
頭では謝罪の言葉は浮かぶものの、見知らぬ後輩女子に弁解できるほど社交的ではない私は、俯いて早足で通り過ぎることしかできなかった。
やぎっちは、「ってか、北山パンチが投稿した昨日の動画なんだけど……」と、最近の推しについて話題を振ってくれたから、気まずい雰囲気にならずに済んだ。
けど、ずっとヘアピンの子に背中を見られているような視線は感じた。
最近は、水上の話題に入る前、一呼吸置くことがある。決心して「よし話すか!」というような感じ。言うなれば、サラッと話題を出すことができなくなった訳だ。
今日は水上の話題について、やぎっちから振ってくれた。絵のことではなくて、水上の人気事情について。
やぎっちの話によると、後輩女子が調理実習で作ったお菓子を水上にあげたらしい。廊下で渡していて、ただならぬ雰囲気を感じたそう。二人きりで渡していたので本命度も高いという、やぎっちの名推理つき。
「へぇ、そうなんだ」
私は何とも思っていない風に装った。本当は興味があったけど、ダルそうに教室の壁に背中を付けて、ゆっくり間合いを取る。
「うん、女子の方が上目遣いで水上のこと見てて、あっ、好きなんだなーって感じが伝わってきた」
「へー、私も見たかったな」
あっ、これは興味がありそうな感じがする。変な焦りから「そういえば」と次の授業の話題を唐突に振った。やぎっちも、面を食らったような顔をしたけど、すぐに調子を戻して相槌を打ってくれる。
中身がありそうでないような会話をしている最中、頭では水上と後輩女子のことを考えた。相手役は、この前目が合ったヘアピンの子が自然と浮かんだ。二人は向かい合い、言葉数は少ないながら、甘い雰囲気を漂わせる。
……今時の子は積極的だな。水上は、どんな顔をしたのかな。
もっと、やぎっちに聞き込めば良かったな。けど、話題を今さら戻すのは不自然だよね。
案の定、次の授業は頭に入らず、時間が過ぎるのがいつもよりも長く感じた。かろうじてノートは取ったから、後で復習しないと。
10分休みの時には、一人でトイレに行き、個室で意味もなく水上のSNSを見た。今朝、見たときと変わりはなく、最新投稿はイラスト仲間と思わしきユーザーの投稿をリポストしたまま止まっている。お気に入り欄も特に動きはない。
あ。
最後に投稿したイラストに「貰ってくれてありがとう」と新しくリプライが付いている。
アイコンは、ピンク地にリスをモチーフにしたキャラクター。名前は「S」。
私は反射的にアイコンを押し、プロフィール欄をチェックした。
リスとハートマークの絵文字が1文字ずつ描かれているだけのシンプルなプロフィール。フォロー数は24、フォロワー数は2。最新投稿は「頑張る。」だった。
「S」のアカウントを、私はこっそりと鍵リストに入れた。スマホをポケットにしまい、トイレのレバーを押して、ジャーという音が流れたのを確認して個室を出る。教室まで帰る時、自然と小走りになった。
家に帰った後、自分の部屋に行き、ふーっと大きなため息をついた。これで「S」のアカウントを心置きなくチェックできる。私は早速、ポケットからスマホを取り出した。
結論から言うと特定はできなかった。ネットリテラシーが高い子なのかもしれない。
投稿数は453。内容は「あのカフェ気になる」「眠い」など日常の呟きが多い。水上をフォローしているけど、私と同じくフォローは返されていない。他にフォローしているのは、飲食店などの企業アカウントや芸能人。お気に入り欄は水上の投稿に限らず、インフルエンサーやコスメ関連が目立つ。
「S」は、水上に会いに来ている後輩女子の一人だったりするのかな。「貰ってくれてありがとう」なんてリプライも意味深だもん。調理実習のお菓子について言ってるなら辻褄が合う。
ってか、何で私はモヤついているんだろう。彼女でも、友達ですらないのに。変なの。
いいや、やぎっちがおすすめしてた北山パンチの焼きそば大食い動画見ようっと。
私はSNSを閉じて動画アプリをタップした。
◇
私が水上と初めて話したのは、それから一週間後の掃除の時間だった。
ゴミ袋を捨てに行く途中、段差につまずき、誤って周囲にゴミを散らかしてしまう。私は「ついてない」と思いながら、一つ目のゴミを拾おうとした時「……大丈夫?」と水上が声をかけてくれたのだ。
えっ。
急な水上の出現と、まさか声をかけられるとは思わなかったダブルパンチから「あっ」と変な声が出る。
「大丈夫。ありがとう……」
変な汗をかきながら、急いでゴミを全部拾った。
一部始終を見ていた水上は
「ついでだから一緒に捨ててくるよ」と言ってくれたのだ。
手元を見ると確かに同じようなゴミ袋を持っていた。
「……いいの? じゃあ、お願いしようかな」
自分の分のゴミ袋を水上の方に差し出す。目を伏せて、前髪を触りながらお礼を言った。
うわっ、今、ゴミ触ったばっかなのに。私、何やってんだ。
「いいよ。じゃ」
水上は颯爽とその場を去った。夢みたいな出来事だった。
数秒突っ立っていた私は、ハッと正気に戻った後、くるっとひるがえし足取り軽く教室へと戻る。
その日の夜、夢を見た。はっきりとは覚えてはないけど水上が出て来た。
幸せな目覚めだったので、普通にやばいと思った。今度、水上を見た時、自覚した上で心臓が跳ねるかもしれない。
とりあえず水上のSNSをチェックする。あっ、新たなイラストが投稿されてある。
クーピーを使って描かれた海の絵で、羊のキャラクターが泳いでいる。雰囲気が今までとはガラリと変わっていてポップ調だった。
いいね数は既に1,000を超している。
趣味アカでだけど、私もいいねを押した。ハートマークが付く。思えば初めてのいいねだった。
少し悩んだ後、水上のイラストをスマホに保存した。
昨日のゴミ捨てのことを思い出して「声をかけてくれてありがとう」なんて、リプライを送ってみようかと一瞬だけ思った。だけど、普通にやめた。恥ずかしいから。「S」にマウントを取っているみたいになっちゃうし。
そういえば、あれから「S」に動きはあっただろうか。流れついでにアカウントをチェックする。こちらは、目立った動きはなし。
ふーっと大きな息を吐く。この日から、水上のアカウントを見る時、同時に「S」のページもチェックする癖がついた。
教室の窓から隣のクラスが体育をしている場面が見える。自然と水上のことを目で追う。
同じクラスの子は、水上にキャーキャー言ったりしてないのかな。観察しても、別に取り巻きがいたりする様子はない。
水上はメガネの男友達と一緒に行動している。みんなの輪から少し離れて二人でポツンといる。
あっ、もうハードルの授業なんだ。手分けして、みんなでハードルを運んでいる様子が見える。動きが遅いので、何となくダルそうな様子が伝わる。
そういえば、水上って運動得意なのかな。予想では苦手だと思うけど……。
数学の授業中、チラチラと水上の動向を目で追った。ところどころ見失うことはあるけど。
結論から言うと、水上は運動がそれほど得意ではない。けど、下手すぎるという訳でもない。普通より、やや下くらいかな。
幻滅なんてしなかった。むしろ、人間らしくて良いなと思った。心の中で「がんばれ」なんて柄にもないエールを水上に送った。
数学の課題が多くて苦戦している夜。1問が中々解けなくて、集中力が切れた私は、勉強机にべたっと顔をつける。
うわー、難しいよ。やぎっちも今頃やってるのかなー。
面倒なものに直面すると、横道に逸れたくなる。課題の余白に「水」という文字を無意識に書いていた。
「ふっ」
思わず吹き出した。
その続きも、私は書くつもりだったのだろうか。
机から顔を上げて、ううーんと背伸びをした時、ピンとひらめいた。水上ってXの他に、インスタはしていないのかなぁ。
インスタは、写真や動画を投稿することができるSNSサービスだ。キラキラしたみんなの日常投稿を見ることができる。また、LINEを交換しなくても、DMで個人的なやり取りができるのが特徴的。
もしかしたら、水上とも……。
私は課題と向き合いたくなくて、現実逃避ができる理由が欲しかったのかもしれない。
善は急げ。ベッドに置いてたスマホを取り、早速インスタのアプリを開いた。それから10分間、クラスメートのアカウントから、いろいろなページに飛んでみたけど、水上らしきアカウントは見当たらなかった。
「何だ、つまんないの」
最後にやぎっちのストーリーを見て、リアクションを残した後、逃げられない現実と向き合うためにスマホをベッドに置いた。
◇
次の日、眠たい目をこすりなが学校に向かう。自分のクラスを目指しながら、長い廊下を歩く途中で水上を見つけた。
しかし、一人ではない。いつか見た、ロングヘアーで前髪をピンで留めている女の子と一緒だった。他の取り巻きなどはいない。
教室前の廊下で二人は静かに向き合っている。ただならぬ雰囲気を感じて、眠気が一瞬で覚めた。
無意識のうちに歩く速度を緩め、耳を澄ます。「あの……」と、声も可愛い後輩女子は、さり気なく水上に手を伸ばし、ボディタッチをする。やり手な子だ。
反射的に水上の顔を見ると、満更ではなさそう。少し焦った顔をしつつも、後輩女子から距離を置こうとはしない。
そのまま聞き耳を立てたかったけど、急に足を止めるのは恥ずかしいので、二人の横を通り過ぎて、自分のクラスに入る。
席に座った後も、意識は隣に向いていた。教室を一度出て確認するのもダサい気がして、大人しくそのままでいた。
水上はモテる。万バズしたんだから。
モヤモヤとした感情が渦巻き、後から来たやぎっちに「今日、機嫌悪い?」と聞かれるほどだった。
授業の合間の休憩時間。やぎっちと一緒にトイレに向かう。個室に入るや否や、ポケットからスマホを取り出して、SNSの「S」のアカウントをチェックした。
あっ、最新投稿がある。「myakuarikamo」だって。日本語で読むと「脈アリかも」だ。
やっぱり、「S」は水上のファンの子かもしれない。さっきのロングヘアーの女の子っぽいなぁ……。えっ、てか、このアカウントで水上にリプライ送ってるんだよね? 意味深な投稿も、水上に見られてるかもしれないんだよね? すごい。勇気ある。
……あっ、そっか。
恋してることを認めていて、バレても良いと思っているからこそ、積極的になれるんだ。
その点、私はどうだろう。万バズした水上をすごいと思っているけど、恋かどうかはわからない。偶然関わり、優しくされて、嬉しくなって舞い上がっているだけだ。……けど、楽しい妄想に浸れなくなる女の子の存在は正直、邪魔に思う。
数秒間、私は「S」のアカウントを睨んだままでいた。どこかの個室からジャーと水を流す音が聞こえて、ハッとする。スマホをポケットにしまい、私も一応、水を流して個室を出た。
放課後。やぎっちはバイトがあるそうだから、今日も一人で帰る。教室から出た後、反射的に隣のクラスを見る。
いない。残念そうに、ゆったりとした足取りで昇降口に降りる。自分の下駄箱から靴を出そうとした瞬間、水上の姿が目に入った。
いた。
一瞬、私の動きは止まる。けど、すぐに靴の出し入れを再開させる。
……水上も一人で帰るみたいだ。周りには、人影もまばらだ。
私は反射的に、下駄箱の前に置いてある、すのこにわざと足をぶつけて激しい音を立てた。
ガタン。
「痛……」
あ、水上がこっちを見た。目が合う。顔をしかめた私を見て、首を二、三度横に振った後、決心したように、そろりそろりと近寄ってくる。
水上は「……大丈夫?」と優しく私に声をかけてくれた。
「ありがとう、ちょっとつまずいただけ」
嬉しい反面、罪悪感にも見舞われた。しかし、水上と話すことでいっぱいいっぱいで、気にしていられなかった。というか、足を見たら本当に擦り傷がついていた。
水上も私の擦り傷に気付いたようで「保健室行く?」と気遣ってくれた。
「いや、いいよ! 絆創膏あるし」
しまった。ここは素直に「うん」と言って、一緒に来てもらうべきだったかな。
今さら訂正するのもおかしいので、私は大人しくカバンの中から絆創膏を取り出した。周りの邪魔にならないように外に出て、植木のすぐ側に腰を下ろした。
水上はというと、私の動きを見た上で少し迷いながらも、同じようについてきた。そして、私の隣に座る。
まさかの展開。絆創膏の袋を開ける手が少し震えた。
何か話さなきゃと思った直後に、水上が「前もゴミ出しの時、一緒になったよね」と話題を振ってくれた。
「覚えていてくれたんだ」
考えるより先に言葉に出ていた。
「そりゃあね」
意味深な水上。嬉しい。認知されていたんだ。頬が緩むのを我慢しながら、絆創膏を足に貼った。しばしの沈黙。
沈黙が気になる私は「そういえば、絵、万バズしたよね。あれ、本当にすごい」と、謎の上から目線で言った。やばい、テンパっている。
「あー、あれね、うん」
水上は喜ぶかと思いきや、少し苦い顔をした。逸らした瞳を見て、反応に困っているんだと気付いた。
「ごめん。あんまり触れちゃいけなかった?」
「ううん、そんなことはないよ」
「良かった」
「ってかさ」
水上が息を吸う。
「クラスで俺の話って結構、出てくる?」
「えっ?」
「いや、何でもない」
びっくり。まさか、そんなこと聞いてくるとは思わなかった。何でもないやり取りだけど、モヤっとした違和感を感じた。
ピコン。その時、水上のスマホから、メッセージアプリの通知が鳴った。
サッと画面を見た後、「……ごめん。俺、そろそろ行くね。ケガ、お大事に」と言って、軽く会釈した後、小走りでかけて行った。まるで嵐のような出来事だった。
たった数分のことだったけど、どっと疲れた。けど、嬉しさの方が勝っている。私って咄嗟に、すのこにつまずくような行動できるんだ。あれは、水上に気付いてもらうための、一種の賭けみたいなものだ。上手くいって、本当に良かった。
けど、水上が他人を気にしているような話題を出したのは嫌だった。あの瞬間だけ、心がスッと冷たくなった気がする。まっ、いいか。
さて、私も帰るかと腰を上げた時、一人の女の子と目が合った。ロングヘアーで、前髪をヘアピンで留めている、廊下で水上にボディタッチをしていた後輩女子だ。
やばい。今の見られていたかな。女の子がこちらに向かって、スタスタと歩いてくる。
「あの」
可愛い声だった。
「先輩って、誠さんの彼女ですか?」
え? 何? というか、誠さん呼び? 疑問に思うところは、いくつかあったけど「違うよ」と、早急に否定だけした。
「じゃあ、誠さんを好きな人ですか?」
いちいち癪に触る言い方をするなぁ。イラついたから「違うよ」と否定する言葉が嫌な感じになった。
というか、名前も名乗らずに失礼じゃないか。
「私、2年の梅原未央。あなたは?」
「あ、すいません。1年の佐々木彩綾です。」
ささきさあや。「S」のアカウントの人かもしれない。点と点がつながったような気がした。
「私、最近誠さんと仲良くしていて……」
「2年の廊下で見たことあるよ」
「あっ、そうですか。誠さんってあんまり自分のこと話さないじゃないですか? 彼女いるとかもわからなくて……。ごめんなさい。親しげにしてる女の子がいたから、つい話しかけちゃいました」
「あー、そうだったんだ。ずっと見てたの?」
「はい。あの、誠さんって彼女いますか?」
「わからないけど、いないんじゃないかな。多分」
「本当ですか! 仲良い女の子とか同級生ではいないですか?」
「私が知る限りでは、いないと思う」
佐々木彩綾は、みるみるうちに表情が明るくなった。私は興味本位で「好きなの?」と聞いた。
『はい』という返事が来ると思っていたから「いえ、そういう訳ではないです」とズバリと言われた時は、体が傾いた。
「えっ?」
「まぁ、好きっちゃ好きですけど、ちょっとした有名人なので? 気になる存在ではあります」
「……なるほど」
「まぁ、誠さんが私のこと好きなら付き合いますけど。別に私からは告白したいとは思わないです。なので、大好きって訳ではないです」
「そうなんだ……」
面白い。私寄りの思考をしている子かもしれない。有名人になった水上に興味があるけど、自分から告白するほど好きという訳ではない。むしろ、人気が出た後で好きになることを恥と感じているほどだ。だけど、水上から告白されたら、OKしても良いというプライドだけはある。積極的に見えて、誰よりも傷つくことを恐れている女の子だ。
というか、前にSNSで「myakuarikamo(脈アリかも)」って呟いてたよね? ……あれも、計算が入ってるのかな。
それとも、全部本当の気持ちだったりするのかな。考え方が変わることはよくある。そもそも、反射で呟くことに、明確な意味なんてないのかもしれない。
「もし、良かったらLINE交換しませんか?」
佐々木彩綾は真っ直ぐに見つめてきた。
「いいよ」
断る理由もなく、一つ返事でOKした。
「あっ、私、駅前で買い物して行きたいので。じゃあ、これで」
「うん。またね」
ぺこりと、お辞儀をしてから立ち去った。水上と一緒だ。
ーーーー本当に、嵐のような出来事だった。
思考がこんがらかっていたけど、一人になって、しばらくしたら落ち着いた。
佐々木彩綾は水上に興味があるけど、自分から告白したいほど好きではないらしい。仮に告白したら、可愛い子だから、普通に付き合えていることだろう。
水上も佐々木彩綾の好意は読み取っているかもしれない。けど、自分から何か行動を起こすタイプでもなさそうだ。多分、受け身男子。
ふーっとため息をつく。私はどうしたいんだろう。
その日の夜、お風呂に入った私は、ベッドに寝転びながら、ネットサーフィンをした。
毎週見ているドラマの考察を、ああでもないこうでもないと、名前も知らないユーザーが呟いているのを、ただただ見させてもらうだけ。
『へぇ、こういう見方もあったんだ』と、夢中になる。SNSをしていて思ったのは、人の数だけいろんな意見があること。私は見る専門で、ただただ吸収するだけだけど。
ドラマの考察も数十分も見たら満足して、おすすめ欄から何か面白そうな投稿がないか、チェックすることにした。
ふと「晒しあげbot」の投稿が目に止まる。その名の通り、気に食わないユーザーを晒しあげてるbotだ。こういうのって、見たくないけどつい目に入って、タップしちゃうんだよなぁ。なになに『万バズ効果。調子に乗ってる』だって。
一文と共に、インスタのスクショが載せられていて、現時点で1,000件を超えるいいねが付いている。
ーーーー私は何気なくタップしたことを激しく後悔することになる。画像にあったのは、男女のやり取りだ。
女の子側が
『同じ学校の3年の■■だよー。知ってる? ファンになっちゃった』
『もし良かったらデートしてくれないかな?』
と二通続けて、積極的なやり取りから始まっている。■■は、黒塗りになっていて読めない。
男の子側は
『どうも。知ってますよ。えっ、俺? まぁ、良いですよー笑』と返事。
そこから、たわいも無いやり取りが続く。
女の子側は、最初こそ積極的だったけど、だんだんと勢いがなくなってくる。
男の子側は、最初こそ興味が無いそぶりをしていたけど、段々とヒートアップしていく様子がわかる。
『ってか、デートするの初めてw』
『■■さん、美人で全学年の男子、好きっすよw』
『俺のどこが好きなん?』
『確認だけど俺ら今、付き合ってんの?笑』
『元カレ何人いる?笑』
『何カップ?笑』
後半からは男の子側の下心が隠しきれていない。
あはは。初めてアプローチを受けて、舞い上がっている男子中学生みたい。
やり取りにひと通り目を通した後、アイコンに意識が向き、思わず二度見した。えっ。
拡大する。
これ、水上が描いたイラストのアイコンだ。どういうこと? えっ。もしかして、水上本人?
思考停止になりそうなところ、画像に載っていたIDをインスタで検索した。アカウントには、見慣れたイラストが複数枚並んでいる。
あっ、これ水上だ。絵専用のアカウント、インスタにもあったんだ。
万バズした水上を気に入った先輩が、DM送ったってことだよね。美人と評判の先輩は……多分、山下先輩のことだと思う。というか、水上も本能剥き出しのDMって送るんだ。
うわぁ……。
あらためて晒されているスクショを隅から隅まで見た。私の知らない水上がいる。
一文ずつ読む度に、気持ちがスーッと冷めるのがわかった。
気持ち悪い。理想像が崩れていく音がした。水上との素敵な思い出に、傷を付けられたような気がした。
女子に『何カップ?笑』って聞くんだ。しかも先輩に。まるで変態みたい。人は調子に乗ると本当に良くないな。
その時、ピコンとメッセージアプリの通知が鳴った。相手は佐々木彩綾だった。
『これ見ましたか?』の返信の後に、晒しあげbotに載せられていた、水上のスクショ画像を送ってきた。
『クールなふりしてサイテー!』
初やり取りが、この話題になるのか。佐々木彩綾も夢が壊れたみたいだった。おそらく今は水上から頼まれても、付き合いたいとは思わないだろう。
私は適当に返信した後、SNSの水上のフォローを外した。
次の日学校に行くと、水上は普段通りだった。特に、狼狽えるそぶりはないように思える。でも、机に向かって一人読書している姿は、あまり見たことがなかった。スマホを触っていることが多かったから。なんとなく、教室の空気も冷たい気がした。
やぎっちは、水上のスクショ騒動のことは知らなかった。吐き出すところがなかったから、つい一連の流れと共に、話を聞いてもらった。「なんか、がっかりしたかも」と、私の感想付きで。
「マジかー、うわ、本当に晒されてるね」
やぎっちが、スマホを見ながら驚く。
「うん。そういう色恋? にはなびかない人だと思ってたから」
「けど、私はむしろ好感度上がったかも」
「えっ?」
咄嗟にやぎっちを見た。まっすぐな目。嘘をついているようには思えなかった。
「なんか、同じ人間なんだなって思えて親近感湧いたかも。むしろここから、どう挽回するのか気になる。まぁ、私はそこまでファンじゃないから思えるのかもしれないけど」
屈託もなく笑った。
正直、私は水上に対して前のような淡い気持ちを持つことはできない。けど、こういう時こそ、そこまでファンじゃなかった層が支えてくれるのかもしれない。
絶望的な気分になった時こそ、私と遠い関係の人が、知らないところで良く思っていてくれることも、もしかしたらあるのかもしれない。そんなことを思って、ふふっと笑った。
良かった。なんとかなるかもしれない。
「ってか、北山パンチが投稿した動画がさー、炎上してさー」
今度はやぎっちが愚痴るのを、私が聞く番だった。私もまた推しができたら良いな。