1 覚醒と困惑
前作より少々時間が空きましたが、第二作になります。
傾向は違いますがお楽しみいただけると嬉しいです。
その日、あたしは珍しく朝早くから教室に居た。
六月の最初の月曜日。
一年生の教室が有る三階の見晴らしのいい窓際の席から、夏の始まりを告げる入道雲がまだ蒼く染まりきっていない空に浮かんでいるのがよく見えた。
春先とは違った強い日差しが白い校舎を照らしているからか、陰になった教室の中は実際より暗く感じる。
その中に数人の生徒が白く浮かんでる。
今日から夏服に衣替え、入学式で袖を通したばかりの重たい紺のセーラーも、黒い学生服も二ヶ月でクローゼットに仕舞い込まれて、秋になるまでもう出番が無い。
男子は定番の白い半袖カッターシャツと黒い学生ズボン。女子はこちらも定番と言えば定番の白の半袖セーラーに紺のプリーツスカート。
白いセーラーカラーと半袖の袖口を縁取るように走るラインとスカーフはそれぞれの学年で違って、今年の一年は薄紅色。胸元のクラス章に上履きのゴム、ジャージや体操服の襟元から水着のラインまで同じ色。一年早ければこれが黄色になってて、遅ければ三年生の使っている若草色になってた筈。
白いセーラーに蒼い空、いよいよ夏はもう間近。
窓からは夏にはまだ早い六月の青空が広がって見える。さっきまで見えていた入道雲もいつのまにかどこかに消え去って雨雲の気配も無い上天気。
始業時間まではまだ時間があるからか、生徒の姿は疎らにしか見えない。
それがいつもの風景なのか、それとも特別に人が少ないのか。もしかすると逆に普段よりも多いのかもしれない。
けど、この時間帯の普段の教室の様子を知らないあたしにはどれが正解なのかわからない。
和ちゃんみたいにギリギリに登校する訳じゃ無いけど、それでも始業時間まで一時間近く有るこんな時間に教室に居たことないもの。
特に委員会やクラブ活動に参加している訳でもなければ、クラスで示し合わせて何かしようって事でもない。
じゃあ、どうしてこんなに早くから登校しているのか、実はあたしにも良く判んない。
気が付いたら教室でぼんやりとしていた。
それがたぶんほんの数分前。ボーっとしていた時間がどのくらいなのかは判らないけど、誰も居ない真っ暗な教室に居たような気もする。
それが本当なら一晩中ここに座って居たのかもしれない。
まさか
あり得ない。早朝に登校する以上に考えられない。
極普通の中学生で家族との関係も良好だし、無断外泊なんてした事も無い。
朝起きてから教室までの記憶が曖昧で、朝ご飯が何だったかも覚えていないけど、―って何だか祥ちゃんみたい。
今朝の記憶と同じように、教室の風景もぼんやりと曖昧。
外との強烈なコントラストに暗く色を失った教室は、ユラユラと陽炎のように揺れて、何だか白昼夢を見てるみたい。
日影で風通しの良い窓際に座ってるのに、日差しに当てられたみたいに酩酊感
友達との雑談もしないで窓際最後部の席に座ったままぼんやりと教室を眺めてる。
どうしてなのか自分でもわからない。
別に体調が悪い訳でもないんだけど、ほんの数メートル先の文ちゃんと敏恵ちゃんの雑談に加わるために移動するのも、めんどうで仕方が無い。
二人は相変わらずなにやらちらちらと後ろを気にしながら噂話に熱中してる。時々心配そうな表情を浮かべてるけど、まああんまり深刻な問題じゃあ無いんだろう。
じゃれるような囀りと、かるく小突き合う仕草を見ながらあたしはぼんやりとそんな事を思う。
深刻な心配事や悩みが有るのなら相談に乗ってもいいんだけど、別に求められてるわけでもないしそのまま放って置く。
いつもなら『何々?』って身軽に訊きに行くか、そうでなければ大きな声で訊ねてる処なんだけど、なんだか今朝はそんな気分じゃ無い。
ホント、どうしたんだろう。
ふと、そんな事を思うけど、あたしが思うほどの違和感は無いのか、クラスメイトの誰もそんなあたしを不審に思いはしないらしい。
皆それぞれに普段通りの朝を過ごしていて、あたしに注目する視線も無い。
だからあたしも皆の普段通りの邪魔をしないように、大人しくみんなから離れて窓際最後列の自分の席に座ってぼんやりとすることにした。
何もする事の無い時間は思ったよりもゆっくりと流れていくように感じる。ずいぶんと長い時間座っていたような気がするけど、教室の正面に掛けられた丸い飾り気の無い時計の針はようやく八時を指そうとしてた。
普段なら、ようやく自宅を出る頃。
教室は先刻までと少し様子が変わっていた。
人の増えた教室は普段あたしが登校する頃に近づいた感じ。
それでもまだあたしにとっては早い時間。
入学からもう二ヶ月を過ぎてクラス全員が顔見知り。
小学校からの持ち上がりの友達や幼稚園以来久しぶりに机を並べる幼なじみ、一番多いのは中学で初めて出会った人だったけど。
それぞれに交わす言葉の量は違うけど、大抵の女子とは毎日なにかしら話をする。
男子でも数人はそんな感じだし、それ以外の人とも週に一度は言葉を交わしてる。
だから話し相手に不自由はしないし、朝の挨拶や大して意味の無い雑談なら何時間だって続けられる自信は有る。
え、八方美人?そんなとんでもない、ぜんぜん美人じゃないし。美人ってのはそう、祥ちゃんみたいなのを言うんだ。
祥ちゃん―津村祥子ちゃんはさっきの区分で言うと小学校からの持ち上がりの友達、て言うか大親友。
きれいでスマートで頭がよくって、実はぼーじゃくぶじんな正義の人。自分の正義を貫くためなら平気で周り中敵に回す。
普通、正義の人って「弱きを助け、強きを挫く」っていうじゃない、でも祥ちゃんは時々弱きも挫いちゃう。
祥ちゃんにとっての「正しい事」が優先して周りが見えなくなっちゃう事も多い。
八方美人ってより八方敵だらけ。でも変な贔屓はしない、しっかり公正だからまあ今はそんなに敵だらけってことも無いけどね。
孤高の人って感じだけど、実は人見知りで人付き合いが下手なだけ。で実は低血圧だから朝は苦手で、目覚めてから一時間はぼーっとしている。
普段は早起きして学校に来ているので教室ではそんな風に見えないのだけれど、朝起きてから学校に来るまでの事をあんまりちゃんと覚えていなかったりする。
多分クラスで話をしたことの有るのは半分にも満たない。毎日話すのはあたしと和ちゃんぐらいかな、でも昔と違ってちゃんとクラスにとけ込んでいる。
和ちゃん―本多和美ちゃんは近所に住む幼馴染み。
同じ幼稚園に通ったけど、学区の関係で小学校は別々に分かれてしまった。家が近所だし小学校の頃も会ってたけどね。
で、中学に入って三人同じクラスになって祥ちゃんと和ちゃんも仲良くなった。
まあ、もし二人があたしと知り合いじゃなかったらどうだったか判んないけど。
和ちゃんは元気で楽しい。体育会系なのに実は情報通で策略好き。勉強は嫌いなのに何だか妙な事はよく知ってる。
祥ちゃんも和ちゃんもあたしとは全然違う。
あたしは自分で言っちゃうのも情けないけど、何のとりえも無い普通の中学生。
祥ちゃんみたいに成績は良くないし、和ちゃんみたくスポーツ万能でもない、あ、でも水泳だけはちょっと自信がある―って言っても選手とかって訳じゃ無いけど。
だから、夏は割と得意な季節。夏休みはまだ遠いけど、いつもの通り祥ちゃんを引き摺って市民プールに通う毎日になるんだろう。部活が無きゃ和ちゃんも誘って。
開け放たれた窓と扉を抜けて心地好い風が抜けていく。
あたしは、腕を揚げて軽く伸びをする。
一人で居るのも後わずか。
だって、もうじき、祥ちゃんがやって来る。
初回いかがでしたでしょうか、切りの良いところまで連投していますので引続きご覧ください。
感想お待ちしています。