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第五話 馬鹿だよな、お前(ユリウス視点)


「馬鹿じゃねぇの?」


 侍従であるベンジャミンの率直な感想に、ユリウスは口を引き結んだ。


「おひいさまのことが大事で好きならお前が娶ればいいじゃん。あの第一王子じゃなくてさァ。たぶん、いや絶対、おひいさまもその方が幸せだって」


「ベン、お前が考えなしなのは知っているが、主人にその態度を続けるならこちらにも考えがある」

「はいはい、これでよろしいでしょうか、ユリウス様」

「いや、私が悪かった、お前の敬語は気持ち悪い」

「どっちだよ!」


 ベンジャミンが机から立ち上がる。鮮やかな赤毛をしたベンジャミンはダンの孫だ。騎士の訓練も受けているので、護衛兼秘書兼侍従として雇わないか、とダンが昔に連れて来た。ユリウスにとっては乳兄弟のような存在で、気の置けない間柄だった。

 だからまあ、こういう気安い態度も取るのだが。ずけずけと言い過ぎる物言いは、彼の美点でもあるが、欠点でもある、とユリウスは思っている。


「レインを幸せにするなら、レインが望んだ相手でなくてはいけない」


 ユリウスは書類にサインをしながらつぶやくように落とした。

 書斎の本棚から必要資料を探していたベンジャミンが大きくため息をつくのが聞こえる。


「ユーリはさ、おひいさまのことが好きなの」

「好きじゃない」

「お、意外」

「好きなどでは足りない、この世のすべてをあわせたより愛している」

「お、重すぎ」


 ベンジャミンは重い資料をどさりと執務机に置き、手をひらひらさせて言った。


「そんなに好きならやっぱりそばに置いておけよ。第一王子の嫁なんかじゃなくてさ」

「愛している、だ」

「そう、愛してる。お前はおひいさまを愛してる。ならちゃんと――」

「しかし、レインが好もしいと思ったのはオリバーなんだ」


 ユリウスは目を伏せた。レインが「とても良い方だと思いましたわ」と言った時の、あのどこか後ろめたいような表情は、レインがユリウスに気を使っているときの癖だ。


 顎を引いて、眉を下げて、手をきゅっと握って。

 誰よりも近くで彼女を見ていたからわかる。レインは、ユリウスを慮ってあんな顔をしたのだ。


 オリバーとレインはずいぶん仲良くしていた。その光景を見て、頭に血が上った。その少女は自分の大切な宝なのだと――その手で触れるなと思った。しかもレインに接したあの適当な態度。それはユリウスにとっては許しがたいものだった。


 レインはユリウスの姫君だ。慈しむべき唯一無二の存在。そんなレインに傅くならまだしも、無遠慮に引き寄せようとその手に触れたオリバーを許せなかった。


 ……けれど、オリバーに渡すのが嫌だからと言って、自分ではレインを幸せにできないこともわかっていた。

 そんな自分でなくて、オリバーに好感をもったレインをどうして責められるだろうか。


「……王家に、この書状を送ってくれ。婚約の件、了承した、と」

「……ほんとに送っていいんだな?」

「ああ」

「後悔しないな?」

「ああ」

「……ばかだよな、お前」


 泣き笑いのようなベンジャミンの顔。軽い罵倒の言葉を残し、ベンジャミンは執務室の扉を開けて出ていった。

 残された執務室で、ユリウスはペンを置いた。カーテンを開ける。窓の外には、小雨が降っていた。


■■■


 これはユリウスがまだ七歳のころの話だ。

 ユリウスが、守るべき姫君に出会ったときの話。


 先代の女王がユリウスの一家を城へ呼んだ。王族にのみ入ることが許された私的な庭園。そこには今の国王もいたと思う。少し小雨が降っていたが、先代女王の提案で、傘をさして外に出た。


 まだ皺の一つもない美しい女王は、王配との間に生まれたばかりの一人娘を見せる、という名目で、彼女の弟たちを呼んだのだ。


 この国は長子相続制だ。女王は二人の弟を持つ姉だった。と同時に、そのカリスマ性と、優れた政治の腕によって、民から慕われた、まさしく王と呼べる存在だった。


 そんな彼女が、初めての子供である姫君――イリスレインを抱いたときだけ母の顔になったのを、よく覚えている。


「ほら、ユーリ、ごらん。この子の目にも、私と同じ、王の証である暁の虹が宿っているのよ」

「わあ……」


 暁の虹、とは、王家の人間に受け継がれる特異な虹彩のことだ。普段は赤い色をしているが、陽の光が当たった時だけ虹が浮かぶその不思議な虹彩を、その特徴の通り、暁の虹、と呼んだ。


 王家に出る特徴、とは言っても、全員に出るわけではない。ある王の子全員に出た記録もあれば、三世代わたって一人も現れなかった記録もある。王籍をはずれたものの子孫には現れないことも有名な話だ。その虹彩を宿したものは名君であることが多く、それをもって王家の証、ではなく王の証、と呼んでいる。


 先代女王の目にも、暁の虹が宿っていた。


「かわいい……」

「だろう? 私とあの人の子だからね。世界一かわいいお姫様だよ」


 こわごわと触れた頬は柔らかく、ふくふくと赤くて、まるでリンゴのようだった。

 そしてまつ毛は長く、薄青い髪は柔らかでつやつやしていて、先代女王の言葉通り、ずば抜けて美しく、かわいらしい赤子だった。


「きゃうー!」

「わ……!」


 イリスレインは、ユリウスを見ると笑ってその指を掴んだ。

 その力は強いのに、びっくりするほど頼りない、小さな手に、ユリウスはくぎ付けになった。

 ユリウスは、一目ぼれした体の弱い令嬢――ユリウスの母を娶りたいがために、若いうちに臣籍降下した王弟の子だった。愛情をこめて育てられたが、その出自ゆえ、守られてばかりで、同年代の子供も体を鍛えたベンジャミンくらいで、ユリウスは、こんなに愛くるしく、ふわふわの存在がいるのかと驚いた。


 それは、ユリウスが人生で初めて抱いた庇護欲だった。


「僕、この子が幸せになれるよう、絶対に守ります!」

「ふふ、それは頼もしいなあ」


 先代女王はきゃっきゃ、と笑うイリスレインと、そんなイリスレインをいとおしく見つめるユリウスに微笑んだ。ふと顔をあげると、雨が止んでいる。

 空には虹が浮かんでいた。


「雨が上がると、虹が出るだろう? これが見たかったんだ」


 先代女王は笑って言った。虹は王家の証なのだ、と。

 こんな幸せが永遠に続くと、その時のユリウスは疑いもしなかった。


■■■


 それは、それから三年後。ユリウスが十歳になり、アンダーサン公爵に伴われて城に行ったときのことだった。

 イリスレインが何者かに攫われたのだ。


 手引きをしたのは城の侍女だった。当時十歳だったユリウスはイリスレインと、王配である彼女の父と過ごしていた庭園に、暴漢が入ってくるのを止めることができなかった。剣術を習って間もない少年だ。それは、他者から見れば仕方のない結果だった。


 イリスレインを奪われまいと暴漢に立ち向かっていったユリウスは返り討ちにあい、瞼に深い打撲を負った。

 目が開けられず、まともに動けなくなったユリウスは、けれど必死でその目を開ける。そうして、ようやっと目が明いたとき、ユリウスはユリウスをかばい、暴漢の剣に貫かれる王配を見た。


「イリスレイン……!」

「ああん、ああん!」


 イリスレインの泣き声と、彼女を守ろうとした青年の声が庭園に響く。助けはまだ来ない。

 メイドの手により、周囲から使用人が離れていたのだった。


「イリス、レイン、殿下……!」


 這いつくばるようにして王配のもとへ向かう。イリスレインを呼んだのを最後に、彼はこと切れていた。

 美しいだけと揶揄されていた青年だった。子爵家の次男だった。先代女王の希望のみで王配になった男だった彼は、城での立場は弱く、よく陰口をたたかれていた。その美貌で女王に取り入ったのだと。


 けれど、彼は勇敢だった。優しい男で、ユリウスにも親切だった。こころから女王と娘を愛していた。

 そして、イリスレインを救おうとし、ユリウスを守って死んだのだ。


「ああ、ああああ……!」


 ユリウスは、最初、その煩わしい声が自分のものだと気付かなかった。

 絶叫に近い慟哭、それを聞きつけて護衛兵がやって来た時には、もう暴漢の姿も、イリスレインの姿もありはしなかった。


 立て続けに愛するものを失った先代女王は心を病み、床に臥せて間もなく儚くなった。

 王位は平凡だった末の王弟が継いだ。その日から、あの雨の日、イリスレインを――レインを見つけるまで、ユリウスの心は死んだままだった。


 あの時自分が死ねばよかったと何度も思った。そうしなかったのは、イリスレインを探して、必ず幸せにせねばと思ったからだった。


 ユリウスには、それしかなかった。


 ――だから、レインが第一王子を望むなら、そうしてやる以外、ユリウスには考えのつかないことだったのだ。





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