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第十五話 ヒロインのヘンリエッタ

 レインたちが連れてこられたのは、どうやらどこかの貴族の屋敷のようだった。

 眠ってしまったアレンを抱いたまま、屋敷の使用人に、先ほどとまでとは打って変わって丁寧に案内される。それが不気味だ。仮面のような顔をした使用人に話しかけても返事は返ってこない。


 そうして客間のような場所にたどり着いたレインたちを待っていたのは、髪と同じ、薄桃色のドレスで、まるで姫君のように着飾ったヘンリエッタだった。


「コックスさん……」

「あんた、また私のことをそう呼ぶの? コックス様、もしくはヘンリエッタ様、でしょう? 私は王太子妃になるんだから」


 レインの後ろに使用人二人が張り付く。逃げられない。

 ヘンリエッタを刺激するのはよくない、と考えて、レインは口をつぐんだ。

 そうやって、しばしの沈黙の中、ヘンリエッタの様子を観察する。


 少し痩せただろうか。

 大きかった目が今はさらに大きく見え、ぎょろりとしてこちらを向いている。

 肌は青白く、髪はよく見ればぱさついていた。


「どうして……」


 レインは小さく息をして、なるべく落ち着いて見えるように口を開いた。


「……どうして私をここに連れて来たんですか」


 レインが丁寧な言葉を使ったからだろうか。ヘンリエッタが満足そうに唇を歪める。


「そんなの決まってるじゃない。あんたに正式な書面で王位継承権を放棄しました、私はただの奴隷ですって書かせて、最後にあんたを殺すためよ」


 ぞっとするようなことを歌うように言うヘンリエッタに心臓がどくどくと拍動する。それを無理矢理抑え込んで、レインは静かに尋ねた。


「王位継承権……?」


 そう言えば、先ほどヘンリエッタは「王太子妃」と口にしていた。

 まさか、この一連の出来事には、オリバーがかかわっているのだろうか。

 黙ったレインが気おされたと思ったのか、ヘンリエッタは嬉し気に続ける。


「そう、私は王太子妃になって、あんたは死んで、そしてあんたがいなくなるから、ユリウス様は私のものになる」

「ユリウス、が?」

「今は『バグ』なの、『不具合』なの。ゲームの『システム』が少しおかしくなってるだけ。だって本当のゲームではユリウスはヒロインのヘンリエッタを好きになるものなんだもの!」

「ユリウスはものじゃないわ!」


 とっさにレインが口にした言葉に、ヘンリエッタはぎょろついた目をレインに向け、つかつかと近寄ってきた。がし、と前髪を鷲掴まれ、レインは呻く。


「う……ッ」

「なあに? さっきからユリウス、ユリウスって呼び捨てにして……。まるでまるでヘンリエッタと結ばれたあとの、ヒロインからユリウスへの呼び方じゃない。あんたが……悪役令嬢がユリウスと結ばれるはずないでしょ? ふざけてるの?」


 どん、と突飛ばされ、レインはアレンを抱いたままたたらを踏む。

 衝撃に目を覚ましたアレンがぐずりはじめ、ヘンリエッタはそれに片眉を上げた。


「何、モブの第二王子が、どうしてここにいるの?」

 今までアレンの存在に気付かなかった様子で、ヘンリエッタが首を傾げる。

「ふええん……」

「大丈夫よ、アレン王子」

「それ、アレンっていうの? ゲームのシナリオには出てこなかったから、知らないのよね」

「……あなた、何を言ってるの……?」


 レインはぞっと背筋を震わせた。

 アレンを同じ人間だと思っていないようなヘンリエッタの言葉が理解できない。


 けれど、そんなレインの様子を気にもせず、ヘンリエッタは「決まってるじゃない、この世界の話よ」と、あたかもそれが常識的なことであるかのように目を瞬いた。


「この世界……?」

「そう、お義母様が教えてくれたわ。この世界は、異世界人が作ったゲームの世界なの」

「『ゲーム』……?」


「その異世界にはなんでもあって、人は娯楽としていろんなものを作ったわ。そのうちのひとつがこの世界。恋愛シュミレーション、乙女ゲーム『私の陽光』……。私はその世界の主人公で『ヒロイン』。攻略対象に特定の行動をして進んでいけば、相手は『ヘンリエッタ』を好きになるの」


 ここはそういう世界なのよ、とヘンリエッタは自慢げに言う。


「あなたのお義理母様は異世界人なの……?」

「違うわ。『転生者』よ」


 とっさに話を合わせたレインに、ヘンリエッタは嬉しそうだ。

 彼女の目には、おびえてぐずぐずと泣くアレンが見えないらしい。


「お義母様は私のためになんでもしてくれた。悪役令嬢……悪役王女?イリスレインを攫って、奴隷に堕とす手引きだってしてくれたの。全部全部、『ヘンリエッタ』のために」


 ヘンリエッタはくるりと回る。『ヒロイン』の正装を見せつけるように。


「『ヒロイン』は優しくていい子なの。かわいくて、慈愛にあふれてて、悲しんでいるひとを見かけると放っておけない。手を差し伸べてしまう。だから、みんなに愛されるの」


 夢見るような顔で続けるヘンリエッタ。

 レインは――レインは、ぐっと奥歯を噛みしめた。痛いくらいの力で。

 そうした理由の感情に名前をつけるなら――……。


「それは」


 ――怒り、だ。


「あなたのことではないわね、ヘンリエッタ」


「……え?」

「悲しんでいるひとに手を差し伸べるのが『ヒロイン』なら、あなたは真逆だと言ったのよ。だってあなたは、今泣いているアレン王子を無視している」

「…………え」


 ヘンリエッタの顔が強張る。レインはアレンの頭を守るように抱きなおして、続けた。


「あなたは異世界人ではなく、義母が元異世界人だというのなら、聞きかじった情報しか持っていない。本当の『ヒロイン』、ヘンリエッタを知らないのではなくて? あなたは――あなたは、本当に、自分が『ヒロイン』の『ヘンリエッタ』だと思っているの?」


 レインの言葉がその場に落ちた瞬間、ヘンリエッタの顔が仮面にのようになって、表情が消えた。

 震える声でヘンリエッタが呟く。


「だって、お義母様は、私が『ヘンリエッタ』だって」

「ええ、そうだったのでしょう、きっと、もとはそうだった。私はそれを否定しません。でも、あなたの話を聞いていると、なんだか違和感があるの。……大丈夫よ、アレン王子」

「おねえたま……」


 レインはアレンににっこりと笑いかけ、ヘンリエッタに向き直る。


「私はあなたに嫉妬を感じないの。ユリウスをもの扱いして、手に入れる、と言ったことに怒りを感じても。それはどうしてか、考えたの」


 レインの後ろを囲む使用人たちは、何も反応しない。まるで薬物中毒のような様子と、うつろな目。まるでよくできたお人形のようだ。


「――あなたは、ユリウスのことも、オリバーのことも……ほかの人のことも、好きではないのね」

「――……ッ!」


 ひゅ、と息を呑む音がした。ヘンリエッタの目が驚いたように見開かれる。

 震える唇が紡ぐ。


「わ、私、は、だって、ヒロインのヘンリエッタは、みんなが好きで……」

「ねえ、それは『ヒロイン』の話でしょう? 私はあなたと話しているのよ」

「――あ、ああああああ!」


 突然、ヘンリエッタが悲鳴のような声をあげた。

 頭を押さえてしゃがみこむヘンリエッタが、髪を掻きむしりながら叫ぶ。


「だって、お義母様がそう言ったの! ヘンリエッタは愛されるって! 私が失敗するとお義母様は怒った! ヘンリエッタはニンジンが嫌い、だから残しなさいって! 『私』はおかあさんの作ってくれるニンジンのスープが好きだったのに!」


 ヘンリエッタの髪がぶちぶちと抜ける。桃色の髪が指に絡み、血がついている。


「おかあさんが、あなたは大丈夫だからって私をお義母様に渡したの! 口止めに、たくさんの金貨を渡されて! 毒を飲まされて、あんなにぼろぼろの体で、おかあさんが殺されちゃうから……子爵家に行きたいって私が言ったから! だから私は大丈夫じゃなきゃいけないの! 幸せにならなきゃいけないの! ヘンリエッタじゃないとお義母様は間違えたって思っちゃう! 私とヘンリエッタを間違えたって! ……おかあさんが殺されちゃう!」


 半狂乱になってわめくヘンリエッタを、誰も助けない。使用人も、ぼんやりと突っ立っているだけだ。


「いや、いやぁ……! 私はヘンリエッタなの! ヒロインなの! そうじゃないと、そうじゃないと……!」


 レインはヘンリエッタに手を伸ばした。アレンを抱いているのとは逆の手でヘンリエッタを抱きしめる。

 おねえたま、と言って、アレンがレインを案じるように声をあげるから、それには大丈夫、と返す。


 我を失ったヘンリエッタが暴れて、レインの腕を、首を、爪でひっかくけれど、レインは彼女を離さなかった。


「いやあ、いや……!」

「……助けるわ、あなたも、あなたの、本当のお母様も」

「無理よ! お義母様はいつだっておかあさんを殺せるの! そうやっていつも笑って……だから、できるわけない!」


「……それでも――助けるわ。必ず」


 強く、強く、レインは言った。

 やっと、ヘンリエッタの姿が見えた気がした。

 ヘンリエッタも、レインが守るべき人間のひとりだった。


 泣いていたヘンリエッタが顔を上げる。青い目に、レインの赤い瞳が映る。


「本当に……?」

「ええ、あなたのもとに、あなたのお母様を、返すわ」


 レインが頷くと、ヘンリエッタはその子リスのような顔をくしゃくしゃにして涙をこぼした。


「おかあさんに、会える……?」

「ええ」

「おかあさんを、助けてくれる……?」

「必ず」


「う、うう……おかあさん、おかあさん……!」


 ヘンリエッタが大声を上げて泣きじゃくり、レインにしがみつく。レインはほっと息をついた。

 ヘンリエッタを安心させるように撫でてやって――その時だった。


「――この、役立たずが」


 部屋の扉が開き、重苦しい、憎々し気な色を孕んだ声が、その場に落ちたのは。




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