1話 あの頃は良かった①
「...旅ってのは碌なものじゃない。間違っても、人生を棒に振るようなことはするなよ?」
先程、あのクソジジイにそんなことを言われました。
その発言にむかっ腹が立った私、「シルエ・リベルタ」は、現在家出をしているところです。
...そこに至った経緯というと。
私はその時、暇つぶしに旅行情報誌を読んでいました。
2週間前に図書館で借りたものです。そういえばこんなの借りてたなぁ〜と思い出したので読み始めた次第です。
そして、旅行雑誌に載っていた"とある場所"があまりにも絶景でしたので、
「ここ、良くない!!?」
なんてことをエルおばあちゃんに言ってしまいました。
そう、これが、ことの発端です。
なので、7割は私のせいだといえるのかもしれません。
...いえ、それは違います。7割、あのジジイが悪いです。
エルおばあちゃんは、私が心から尊敬している人です。
表情は常に柔かくブロンドの髪を一本に束ねて肩まで下ろしている姿は、「落ち着きのある大人の女性」という印象で親しみやすさがあります。
しかしながら今年60歳を迎えるにしてはとても若々しく見えるので、容姿に気を遣ってたりするのかもしれません。
エルおばあちゃんは、私が生まれるずっと前から薬局を経営しています。
その別け隔てなく人に優しい性格から、街のみんなには慕われています。
なので、薬師を目指す私にとって、エルおばあちゃんはそれはそれは憧れの存在なのです。
「ここは...キッカイニ峠かしら...?」
「えっ、知ってるの!?」
私が指差した写真を見てなにやら知ってるような様子です。
そうです。言い忘れていましたがエルばあちゃんは物知りでもあります。
「ええ。一度だけ、行ったことがあるわ。
そうね、あそこは磯の香りと海の風がとても心地いいところだったわ。
あとは、飛行船が飛んでいてね───」
「え~~~!!!いいなあ〜〜!!!私も飛行船見てみたいな〜!!」
エルおばあちゃんの言葉を遮ってしまいます。
それにしても、まさか行ったことがあるとは。
思いも寄らなかったので、つい嬉しさがそのまま声音に出てしまいます。
それに、
(飛行船ですって!素敵すぎますわ〜!)
興奮しすぎて口調がエルおばあちゃんに寄ってしまいます。
これでも学校では優等生で通っていますので、もう少し慎ましくいたいのですが。
しかしそれも仕方ありません。
雑誌に載っているものには文字による説明が一切なく、一枚の写真が貼られているだけなのです。
そのため、ここがどこにあるのか、ここにはどんな風が流れているのか、気温は寒いのか暑いのか、どんな匂いがする場所なのか、
写真通りの場所なのか、それ以上に綺麗な所なのか...。
興味は付きません。
そして、これらの情報をおばあちゃんは全て知っているというのです!
鼻息が荒くなっても誰にも文句は言われないでしょう!
実際にそこに行けなくても、です。
そうやって浮かれていましたら、
「行こうなんて思ってないよな?シルエ。」
後ろで会話を聞いていた老人...ノルム・ミネシアが横槍をさしてきました。
深く椅子に腰掛けたジジイは、机に広げた新聞に視線を落としたまま言をこちらに飛ばしていました。
ジジイは、エルおばあちゃんとは対極的で「猛々しく粗暴そうな男性」といった印象を抱かせる見た目をしています。
実際に印象のままで、何に関してもこと煩く、とにかく喧嘩っ早い人です。
2ヶ月前も数人組の若者と喧嘩して、その内の1人に軽い怪我をさせてました。
そんなことを昔から繰り返してるため、街の人からは
とても怖がられています。
曰く、「暴力の化身」だとか。
随分と格好が良く聞こえる通り名ですが、2ヶ月前の喧嘩では若者よりジジイの方がひどい怪我を負ってたりします。
治療するのはエルおばあちゃんと私なので勘弁願いたいところです。
ちなみに、この街には医療機関がウチしかありません。
ちゃんとした治療をしたい場合には隣町にまで行く必要があります。
「そう言うのはやめなさいと言ってるでしょう、あなた。ただの世間話でしょう?」
「...ならいいがな。いいか、シルエ。
戦争が終わったとはいえ、魔物ってのはないつ、どこに現れて襲ってくるのか分かんねえんだぞ。
いや、魔物に限らず人間もだ。
この街はまだ安全な方だが、外には移民や旅人を狙った盗賊がゴロゴロいてだな───」
「もういいでしょう。そのあたりにしなさい。」
堰を切ったように説教を始めたジジイを、エルおばあちゃんは必死に宥めようとします。
これはいつもの光景なので私も流そうとしたですが、今回はいつもと違い、ここで終わりませんでした。
「いいや、ダメだ。
年々、この子は外への関心が強くなっていってる。
だからこの際に、はっきり言っておかないといけない。
変な夢を見て、間違って出て行ってしまわないようにな。」
「いいか─────」
そうして、冒頭の言葉に至ります。
私はそれを聞いていられなくなって、家を飛び出したというわけです。
そう、飛び出してみたのはいいのですが...。
「さ、寒すぎる...」
この街は年がら年中雪が降っている地域です。
今日の外気温が氷点下を下回っていなかったのが不幸中の幸いでした。
歩いて30分くらいの距離にある空き地に来てみたはいいものの、凍てつくような寒さに震えてしまいます。
6月だというのにあんまりです。
このままだと、何時間も居座ってはいられないですね...。
だからといって帰るわけにもいきません。
なので、
「仕方ないかぁ...」
私は家を出るついでに買っておいた缶飲料を一気に飲み干して、小枝を敷き詰めます。
そこに掌をかざして、
「...よし。...【スパークル】」
詠唱を唱えると、掌から30センチほど離れた位置に小さな火花が散ります。
それを火種にして、なんとか空き缶の小枝に燃え移らせることに成功しました。
良かった。これで暖を取ることができます。
しかし、問題が一つ。
「痛っ...」
この魔法を使うと掌に火傷を負ってしまうのです。
今回は少し赤みがかかる程度で済みましたが、痛いものは痛いです。
それでも、ちょっと水に冷やせば治まるもの。
水ならそこら中に積もっている雪を服の袖越しにあてるだけです。
あとは念のためにも、いつも持ち歩いてる軟膏と包帯を手に巻いておきます。
うーん、困りました。
...これで両手共に、包帯で塞がれてしまいました。
先週も、魔法の練習をして今日と同じように失敗したのです。
その時は、利き手ではない左手を使ったため、制御が利かずに皮膚が変色してしまう程の火傷を負ってしまいました。
おばあちゃんが特製の魔法の軟膏を塗ってくれたため、跡にはならないみたいですが
それでも、この包帯を外すのは二週間は先になりそうです。
利き手で練習しなかったのは、万が一の時に備えてでしたが、まさかこんなことに使うはめになるとは...。
ジジイ曰く、私は「魔法の方向操作が下手」らしいです。
癪ですがその通りです。
そのせいで、掌から放出した魔法が、そのまま掌に返ってくるといったことが度々起きてしまっています。
...しかし、この【スパークル】という魔法も勝手が悪いように思うのです。
この魔法は私が唯一使える低級魔法なのですが、発現させるのが「火花」であるため、ベクトル操作がどうにも難しいのです。
まあ、そんな言い訳もあっさりと「なら、手から離した位置で火花を発生させればいいだけだろ」と言いくるめられたのですが。
それでも、小さいなりにも火を起こすことに成功しました。
火事になるといけないので、空き缶サイズの焚き火になってしまいましたが無いよりはマシでしょう。
今は、大人しく暖まるとしましょう。
...20分くらい、経ったでしょうか。
暇です....。
そりゃそうでしょう。
やることといえば空き缶に薪を入れることくらいですからね。
こんなことなら家を飛び出す前に魔術の教本か、薬剤師資格の参考書でも手にすれば良かったのに、と後悔が募ります。
衝動的に飛び出してきたのでそんな発想に至りませんでした。
それに、これ、大して暖かくないです。
「はぁ、ばかばかしい...」
すっかり冷静になってしまいました。
家出した理由と、利き手を火傷したにも関わらず結局凍えたままの現状を秤に乗せてみたら、全然釣り合いが取れていないです。
この行動に意味なんてなかったのでしょうか。
まぁ、家を飛び出した時から、薄々気付いていたので今更感はあります。
そうして若干の自己嫌悪に陥っていると、
「君、こんなところで何してるんだい?」
随分と背丈の高い男性に声を掛けられたのでした。
視点はミネシア家に移ります。
エル・ミネシアは困った表情を浮かべていました。
それに対して、ノルム・ミネシアは依然変わった様子もなく、新聞に目を落としています。
「ねえ、流石に言い過ぎなんじゃない?」
「...忠告しただけだろ。あんなんで凹んでちゃあ、外に出ていっても生きていけねえ。」
エルの詰問に対して、ノルムの意見は変わりません。
しかし、エルも食い下がります。
「そうかもしれないけど...いい加減、過保護だと思うわよ。戦争が終わってから5年は経つというのに、それを理由に家に閉じ込めておくのは可哀想じゃない?」
「...」
痛い所を突かれたのかノルムは黙り込みました。
そうして、ため息をついてから、
気だるそうに重い腰を上げます。
「わかった、わかったよ。あいつを連れ戻して、...そんで謝ればいいんだろ。」
エルはその姿を見て少し目を丸くします。
しかしすぐに表情はいつもの優しいものへと戻します。
彼女自身責め立ててみたものの、『きっとこの人ならそうするだろう』と信じていました。
エルとノルムは35年の付き合いです。
互いに悪い部分を知っていれば良い部分も知っています。
なので、エルはノルムのことをただの傍若無人ではないことを知っています。
そして、エルにもただ優しいだけではなく、"悪い部分"があります。
それは、
「あ、そうだ。出ていくついでに明日の朝食を買ってきてくれないかしら。」
そんな図々しい注文を平気で言ってみせるところです。
ノルムは狐につままれたような顔をしながらも、コートの袖に腕を通します。
「へいへい」
嫌嫌ながら一言返事。
しかしながら玄関口から出ていくその後ろ姿はなんだか少し愉快そうに見えるのでした。
「えっと、あなたは....?」
突如現れた人影に警戒してしまいました。
人の顔を覚えるのは結構得意な方ですので、知り合いという訳でもなさそうですが...。
そうすると「そうだったそうだった」とそれまで深くまで被っていたフードをとって、
「私の名前はレグザ。3日前からこの街で滞在している、所謂、旅人さ。」
気さくに、そして思いもよらない自己紹介をしてみせたのでした。
そして、その男との出会いは少女の運命を大きく変えることになります。