壁を作るつもりは無いけれど
あらすじにも書きましたが シリーズ名良いの考え付いたら、「騙すつもりはないけれど」とシリーズ統合します。
ゆるーいゲームの世界での交流話です。
宍倉香純、それが彼女の名前だ。
彼女は最近余暇をゲームに費やしている。
今一番ログインしているゲームでは戦闘も無い緩やかなスローライフを送ることを中心にしたもので、自分の分身アバターを通じて気の合う者たちと交流を楽しんでいる。
彼女は二年ほど前に結婚に失敗したのを機に、転職をして今はデータ入力専門の事務員をしている。
結婚に失敗、まさしく結婚が失敗だった。
会社の上司の紹介で取引先の営業マンと交際一年で結婚を決め籍を入れた。緩やかな、情熱的では無いが、情は湧きつつあったと思っていたが、それは自分だけで、向こうは長年の不倫隠しのための結婚だった。
新婚三ヶ月で気がついた夫の現在進行形の不倫。何故に関係無い人間の人生を巻き込むんだと怒りがわいてしまう彼女は、人間関係も全てリセットして会社も住居も変え、携帯電話も番号を変更して今に至る。
以前嵌っていたゲームではフレンドを大量に作り、時間を合わせて戦闘もしたし、課金もして装備も充実していたが、今のゲームは殆どしていない。
毎日ログインして、家の周辺を掃除するだけでログインボーナスが貰えてゲーム内通貨を得る。毎日のクエストとして散歩中出会う住民と挨拶をしたり、公共スペースを訪ねてイベント閲覧しても通貨を得られるので贅沢をしなければ十分に過ごせるのだ。
彼女は住民が開いている雑貨店や喫茶店などを訪ねるのも好きだった。
最近良く行く喫茶店を訪ねると、店主達夫妻が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、シシィ」
「こんにちは、今日は紅茶の気分なんだけどお勧めをお願い」
飲み物担当のアズという名の男性アバターがにこやかに頷いて奥へ向かった。
空いているテーブルに着くとアズの妻である女性アバター、ランがおしぼりとお水を出してくれる。
暖かいおしぼりに表情を緩め、こんな事も感じるバーチャルの世界によく出来たものだと彼女は感心もする。
ふと見ると斜め向かいのテーブルで静かに読書をしている美女がいて、何となく眺めてしまう。確かフレーバーという名の物静かな美女だ。
シシィの隣の家に住む少年アバター、ライスが仄かに恋心を抱いているようで、フレーバーは気が付いていないらしいが周辺はさてどうなることかと見守っている。
シシィとしては騒ぎにならなければ良いなと言う感想ではあるが、感触としてライスと彼女では望み薄では無いかとも感じていた。
しょうもない男のせいで戸籍にバツがついてしまった事が、正直言って悔しくて彼女の精神はまだ穏やかになりきれていなかったのである。
「何か?」
問いかけられて、ぼぅっとフレーバーを見つめていた事に気がついたシシィは慌てて手を振った。
「ごめんなさい、ちょっとぼうっとしていて、用があるわけでは無いんです」
少し恥ずかしく思ったシシィだったが、アバターの表情はほんのり羞恥を覚えた程度では赤面をしない事が救いだと感じていた。
「読書の邪魔をしてしまってすみません」
「いいえ、丁度区切りがついたので、読書は一休みしようと思っていたので」
気にしないでくださいと笑うフレーバーは優しい内面がアバターに表れているとシシィは思う。
「どうせなら隣のテーブルに移動しますか?」
トレイを手にしたアズが尋ねるのでシシィがフレーバーに視線を送ると、にっこりと微笑まれる。
「隣でも、同席でもどうぞ」
「ありがとうございます」
シシィはそう言って隣のテーブルに移動して会釈をした。
アズは木目調のテーブルの上に、シシィの好みのストレートティを置く。
「今日はアップルティだよ、錬金術師のアーガイルが作った最新作」
「アーガイルって、隣町のお婆さんよね?」
「それがさ、この間オフ会で会ったらお婆さんじゃなくてまだ若い女性だったんだよービックリ」
入り口近くのテーブルの上を片付けていたランがそう声を上げるので、シシィはへぇと目を丸くした。
シシィは余りアバターを弄る方では無いので年齢や体型を余り変更させてはいない。少しだけ背を高くして髪型を現実では出来ないだろうスタイルにしている程度だ。髪はシンメトリーで、右は耳下あたりから、左は肩甲骨辺りまでの長さにして紺色のストレートヘアーを選択している。
現実では焦茶の癖毛を肩口で切っているが、アバターでは思い切った髪型にできるので楽しいものだとシシィは気に入っている。
「どうしてお婆さんにしてるの?って聞いたらね、あ、大丈夫この話、アーガイルは別に秘密じゃなくて喋って良いよーって言ってくれたから。
でね、恋愛に疲れてるからゲームの中でごちゃごちゃしたく無いので選択できる最大限の高齢者にしたんだって」
「へえ、そうなんだ」
怒涛の様に喋り始めたランに相槌を打つと更にランは喋り始める。
「でもアーガイル、弟子にしてーってピョンタに纏わりつかれてたでしょ?
断り続けてたらさ、ピョンタってば弟子が駄目なら結婚どう?とか言い出したんだって!お婆さんにした意味がないってぼやいてた」
ふ、とフレーバーが軽く吹き出すように笑って、シシィは笑い方までエレガントだとフレーバーを眺める。
紅茶を一口飲んで暖かい液体が食道を通る感触を楽しむシシィは、バーチャルの世界は凄いなぁとただただ感心する。
「せっかく恋愛したく無いと選択したのに駄目だったのは残念でしょうね」
フレーバーが静かに呟く
「全くだわね、緩やかな関係を楽しみたい側からすれば良い迷惑。アーガイルもピョンタをブロックすれば解決するのにね」
「うわー、シシィ辛辣ーっ」
ランの突っ込みにそうだろうかと小首を傾げるシシィだった。
「ブロックは極論すぎないかなぁ、ちゃんと話をして興味ない、恋愛したく無いって言えば良く無い?ピョンタ、悪い子じゃ無いと思うなぁ。
まだオフ会で会った事無いけど、話を聞くと本州じゃ無いんだって、住所。オフ会参加は大学生だから難しい、お金ないって嘆いてた。現実でアーガイルに会いたいって言ってたわー」
「ラン、貴方まさか二人をセッティングしようなんてしてないでしょうね」
「シシィどうしたの?怒ってる?別段二人を無理矢理逢わせようなんて思ってないよーやだなー」
「日頃の行いだろ」
「何よーフレーバーに対しては私よりアズの方が食いついてたじゃない」
ふんだ、と軽く怒りながらランが空いたグラスをトレイに乗せて奥へ入っていく。
それを見送りながらシシィはため息をついた。
「恋愛モードじゃ無いならしなくても良いし、迫ってくる人をブロックしたって良いと思うわ、私はね。だってブロック機能が搭載されているんですもん」
「そうですね」
シシィの呟きにフレーバーが静かに頷く。でも、と彼女は続ける
「アーガイルさんも、ピョンタさんとの縁を切るのは嫌なのかもしれません。……こうしてランさんに恋愛モードでは無いと公言して広めても良いと言ったと云う事は、ピョンタさんに選択権を委ねたのかも」
「選択権?」
「恋愛する気の無い自分に迫ってくるのは迷惑だけど、その気持ちを忘れるなり別に向けてくれるなら貴方を拒絶しませんがどうしますか?って」
想像ですけどとフレーバーが言葉を添える。
「なるほど」
そんな考えかたもあるのねとシシィは頷いた。
「私なら即断だなぁ、このゲームの中でだって何万って人口居るんだし、合わないなって思える人とは即バイバイしたい」
「もしかして、サクラの事ブロックした?」
奥から出てきたランがシシィと同じテーブルの椅子を引き腰掛ける。シシィは少し考えて、"サクラ"に思い至り頷く。
「彼女、何回か断ったのに合コンメンバーに私を引き込もうとするから最終通告して翌日ブロックしたわ、もうしないって言うなら考えたけど。それなりに仲良くしてるつもりあったからね。彼女に対しては即断じゃ無かったわよ」
「サクラ、悲しんでたよー」
「そう?私も悲しいわ、せっかくゲームで癒されたいのに、止めてって頼んでも聞き入れてもらえなくて。あー、恋愛お断りってマーカーでもあれば頭にぴょこんと出したい所よ」
「ゲームに対するポジションを明確にして線引き出来ると、より平和で良いですねぇ」
頭の上に手を翳し手首で返してマーカーがある真似をするシシィにフレーバーが同意を示して笑顔を向ける。
「あー、シシィもフレーバーも、もっと人生楽しもうよー」
「恋愛だけが人生の楽しみでは無いでしょう?」
「そうよ、取り敢えず今はしたく無いってモードなんだから、私は私を守るために断固として恋愛至上主義者たちと戦うわ」
握り拳を作って断言するシシィに、フレーバーはパチパチと拍手を送る。
「恋愛至上主義、言い得てますね。恋愛だけが人生の楽しみではありません、本当にそうですよね、私はここにスローライフを求めているのですから、平穏を守りたいものです」
「そうそう。勿論気が合う人と出会って恋愛に至ったって良いけど、それってお互いが、そう云うモードじゃないとねー」
「もー、二人ともーじゃあ私は断固として恋愛っていいよー主義を訴えますぅー」
アズの事を大好きだと日頃から主張するランとしては、本当に恋愛は人生の大切な要素なのだろう。シシィもそれは否定しないので苦笑を零して残りの紅茶を飲み干した。
「そうね、誰かと恋愛してみたいなぁって時には相談するから、それまで放っておいて。余計なお世話はしないでね、そして、万が一私のこと気になるって人がいても仲立ちはしないで」
肩をすくめてランがハイハイと軽くいなす。
すると、アズがランの頭を軽く叩いて忠告をした。
「きちんと受け止めとけよ、お前次第でシシィはこの店に二度と来ないし、お前をブロックだぞ」
「えっ」
ランが慌ててシシィを見つめる
シシィはニッコリと微笑んで支払いをすべく立ち上がった。
「嘘でしょ?シシィーっ」
レジ前に立つシシィの腕に軽く手をかけランが見つめてくるのをシシィは笑顔を向ける。
「お店気に入っているし、そんなつもりは無いわよ、今は。でも私のしてほしく無いことは伝えたわ、その上で私の意思を無視するなら仕方無いわ、ご縁が無かったって事よね」
「やだやだ、反省するーごめんなさい」
ランの賑やかな見送りに手を上げてシシィは店を出て散歩に戻る。
夕暮れの空が視界に入り、現実時間では夜中であることを思い出す。
もっと散歩を楽しみたいのどかな風景だったが、明日の仕事を考えるとそろそろログアウトの時間だと香純は思ったのだった。