第25話 「期待」という感情
三人でのダンジョン探索も終盤。
夜香は、ついに事を起こさなかった。
今回のダンジョンは薄暗く、岩石や瓦礫が散乱した、古代の戦争跡地のようなフィールド。
彼女が事故を装うには最も得意としそうな条件ではあるが、手は動かない。
「……」
「……くっ」
それは自分をじーっと見つめてくるユヅネのせいでもあり、夜香自身の問題でもあった。
彼女が、優希との探索を純粋に楽しんでしまっていたのだ。
「この素材が中々良いんだよ。剣との相性も抜群で……」
「……そう」
夜香の返事は冷たい。
それでも優希が話しかけてこなくなる、なんてことはない。
彼が話しかけてくれる度に、彼女の心には温かい何かが芽生えた。
優希と距離を保ちながらも会話をし、淡々と魔物を倒して行く中で、優希の嬉しそうな顔を横目にする度、頬が熱くなるのを夜香は感じた。
不思議な感覚ではあったが、不快ではない。
そんな心地よさから、序盤で、いやもしかすると、初めからすでに事故を起こす気持ちはなくなっていたのかもしれない。
なぜなら、彼女にとって最近の一番の喜びは、優希と会えること自体だったのだから。
「オオオオァァァ!」
ボスすらも、今の優希には何の問題もない。
ユヅネの力なくして簡単に倒してしまうほど、今の優希は強かった。
「オ、オ、ア……」
何が起きるでもなく、優希はほぼ単独でボスを討伐。
「本当に、強いのね……」
「照れるなあ」
そう言葉をかけながら優希に近づく夜香の目は、決意を持った目。
(これで、終わりにしよう)
最後だから、と夜香は初めてその名を口にした。
「優希」
下の名前で呼んだ後、優希が自分の方を向いたのを確認してから、ゆっくりとナイフを突き出す。
「!」
そうして、初めて優希自身が夜香の手を止めた。
正確には手首を掴んだのだ。
今までは妙なタイミングで躱すか、ユヅネが裏で受け止めるしかなかった夜香の武器を、初めて優希自身が止めた。
そのことに驚くも、夜香はやろうとしたことを止めない。
「ふっ」
バラバラバラ、と彼女の全身が出てきたのは数々の仕込み武器。
仕込みナイフにまきびし、毒系のアイテムなど、まさに暗殺に打ってつけのものばかり。
「これでわかった? 私、悪い奴なんだよ」
「……」
優希は口を開かない。
まるで何かを待っているように、夜香の手首を握ったままじっと夜香を見つめる。
「今まで、騙してきてごめんなさい。けど、私はもう、あなたに嘘はつけない」
これが夜香の本心だった。
彼女はもう、自身の手が優希を傷つけていることを想像出来なかったのだ。
対して優希の回答は、
「知ってたよ」
「!」
ようやく開いた優希の言葉に、目を逸らしていた夜香は目を合わせる。
「気づいて……いたの?」
「うん」
「い、いつから……?」
「うーん……。一回目の探索から、なんとなくね?」
「じゃあ私の凶器を避けていたのは、たまたまじゃなくて……」
「分かってて、避けたね」
それならば、なおさらおかしい。
その疑問は、怒りへと変わって口から飛び出す。
「じゃあ、あなたは何が狙いだって言うの!?」
その問いに対して、一度目を閉じた優希は、ゆっくりと下から目線を上げて夜香と合わせた。
「何か、困ってることがあるんじゃない?」
「な、なにを言っているの……?」
夜香は、彼の言っている意味が理解できない。
ここで、ようやく口を開いたのはユヅネだ。
「だからー! 優希様は困っている者の味方なのです! わたしも嫉妬してしまいますが、今回はあなたが困っている者だと優希様は思ったのです!」
「私が……困ってる?」
困っていること、内心その答えは出ている。
だが、それが口から表に出ようとしない。
その様子に、「むうう」と頬を膨らませたユヅネは声を張った。
「助けて欲しいなら、素直に頼ってください!」
おしゃべりなユヅネが黙っているには、少々長いやり取りだったよう。
「だから、私は悪い奴だって……」
「俺にはそう見えなかったよ」
「!?」
「最初に会った時から、俺を見る目はどこか寂しかった。理由を考えるうちに、段々と分かってきたんだ。気づくのが遅れてごめん」
(あとは、似ていたから……かな)
優希は一瞬考えを巡らすが、言葉に出すことはない。
そして当の夜香は、逆に謝られてしまった。
「だから、君が来るだろうなーってダンジョンを選んでた。二度目以降ユヅネに手出しさせなかったのも、俺が裏で言ってたからだよ」
「そんな……」
アホだと思っていた男に、こちらを見透かされていたことに驚く夜香。
それでも、やはりおかしいと思ってしまう。
「それだけで……? 見る目が寂しかったっていう何の確証もない推測だけで、いつ殺されるか分からない人と探索を続けていたっていうの?」
「ダメかな?」
「ダメというか……本当にバカなのね」
「よく言われる」
ぺたん、とその場に座り込んだ夜香は、もう気持ちを抑え込むことが出来なかった。
心の底から押し寄せてくる感情に、自然と開いた口に全てを任せた。
「助けて……ください」
「任せて」
優希は二つ返事で了承した。
夜香は、優希にとってはすでに仲間だったのだ。
そして意外にも、彼女に手を差し伸べたのはユヅネ。
「こうやって、誰でも助けてしまう困った人なんです。うちの優希様は」
“うちの”と強調されたことに、どこか胸がズキッとする思いがあったが、ユヅネの手を取った夜香。
もう片方の、とっくにナイフを手放した手は優希が伸ばした手を取る。
「あなたたちは……どうかしてるわ」
「かもな」
「かもしれませんね」
そう言いながらも笑顔を見せた二人に、夜香は事情を話す。
「私の家族を、助けてください」
ダンジョンを脱出し、その言葉から始まる夜香の話を二人はじっくりと聞いた。
夜香の話は父の事をはじめ、優希を殺そうとした経緯、そしてオーナーを憎んでいること等々。
二人は、夜香を疑う様子も一切なく、自然と作戦を話し始める。
「ユヅネ、どうしようか」
「うーん、そうですね。ぶっ潰しましょう」
にこっとした満面の笑みで、ユヅネが答える。
「ユヅネってたまに怖いよなー」
「そんなことありません! ちょっと“ピー”して“ピー”するだけです!」
「大丈夫、もう聞きたくない」
放送禁止用語を強引に遮った優希は、夜香の方を向いた。
「それで、覚悟は出来てる? 夜香」
「……はい。どうか、この体制を終わらせてください」
今の夜香の心の中には、一つ嫌う感情があった。
“期待”だ。
とっくの昔に捨てたその感情だったが、今は不思議と持っていて悪い気がしない。
むしろ、心地よいくらいだ。
彼女が周りから悪に染められても、決して人を殺さなかったのは、どこかで「期待」していたからかもしれない。
自分なんかを軽く超えて、助けの手を伸ばしてくれるそんな存在を。
そうして、ようやく巡り合えたのだ。
明星優希という男に。
★
ここは暗部。
夜香のオーナーの男が居座る事務所だ。
「ちっ、全くあの小娘が。一体何をやって――」
どがああん!
「……は?」
突然、暗部の事務所の扉が吹っ飛び、目ん玉が飛び出そうになる夜香のオーナー。
あまりの驚きから、偉そうに座っていた椅子からは崩れ落ち、高いサングラスは目元からずり落ちている。
「やべ、ちょっと強く蹴りすぎたか」
もはや“蹴り”の威力ではないのは、誰がどう見ても明らかだ。
「わたしの方がもっとすごいですよ。それ!」
ばっきゃあああん!
「……はああ!?」
事務所の壁がわずか数秒の間に全壊した事実に、気を失いたくなるオーナー。
だが、生憎目の前の光景からは目を離せない。
「こんにちはー。夜香に紹介されて来ましたー」
「どうもはじめまして。ユヅネと申します」
そこには凸凹コンビ。
派手な登場とはまったく逆、呑気な挨拶で優希とユヅネが姿を現した。




