捜索隊の出発
劉備の故郷の幽州の農村では、200人以上の騎兵隊が駐屯していた。
暗闇の中で松明を灯し、簡易キャンプを作り、そこに兵士たちが寝泊まりしている。
キャンプがあるのは、村から離れた平原だ。
隊長は今、劉備の実家へ向かっている。
この時代、騎馬兵というものは非常に貴重であり、相当訓練を積まなければ馬を操縦することができなかった。
ここ幽州は馬の名産地であり、どれも頑強な名馬が揃っている。
兵士たちの練度も高く、少数ながら優秀である。
しかし、この騎兵部隊は異端だった。
何故かというと、馬が全て『白馬』なのだ。
松明の光に照らされて、その神々しい純白の体が露わになる。
この足の速い白馬のみを選んで結成された精鋭騎兵部隊。
その名を『白馬義従』。
「劉備が、港に?」
『白馬義従』の団長・公孫瓚は信じられない調子でつぶやいた。
彼は長い黒髪を後ろで束ね、毛皮のマントを着て、立派な槍を持った17歳くらいの青年だった。身長は173センチはあり、当時としては異例の高身長と言えた。
公孫瓚は劉備とは兄弟のような仲で、変わり者の劉備の良き理解者であった。
共に盧植の元で兵法や学問を学び、今は自分で編成した騎兵隊を率いて幽州の警備に当たっている。
彼が今いるのは、劉備の実家。
桑の木の前にある簡素な麻屋だ。
公孫瓚の前にいるのは劉備の母だ。
息子が港に行ってから帰ってこないことを心配に思っているのか、その額には冷や汗が浮かんでいた。
その唇は震え、その目は公孫瓚に縋っているかのようにも見えた。
劉備の母は、
「はい、港に行ってから、帰ってきていないの。あの子、また遊び歩いているんじゃないでしょうか」
正史三国志によれば、劉備は青年時代は勉強など二の次で、とにかく遊び呆けていたという。因みに人柄の面では基本的に無口で人に謙る性格だったと記載されている。
劉備は買い物と称してまた女を捕まえに行っているのではないかというのが、母親の予想だった。
それに、公孫瓚は苦笑する。
ありそうでない。
そう思っていたのだ。
彼は顎に手を当てて思考する。
一瞬、公孫瓚の頭の中に、ぽわりと浮かんだビジョンがあった。
黄巾賊。
もしやと直感した。
劉備はおそらく1人。
だとすれば格好の餌食になるではないか。
無意識のうちに奥歯を噛み締める。
(「クソッ・・・・!!ワンチャンありそうで怖えじゃねえかよ!!」)
しかし今優先されるのは村の警備。
劉備の捜索に割ける人数は限られている。
せいぜい50騎が限界。
もしかしたら村と劉備を天秤にかけてしまう時が来るのではないかと恐怖した。
決断で足踏みしている彼がふと顔を上げると、目の前の劉備母の視線が自分の背後を指していることに気づいた。
公孫瓚が振り向くと、そこには劉備とそんなに変わらない年恰好の少年がいた。
公孫瓚と同じく長い髪を後ろで束ねた、精悍な、キリリとした顔つきの、槍を持った少年。
緑を基調とした模様のない漢服に身を包み、やけに長身だった。
なんか、強そうだ。
少年はいう。
「何かお困りで?」
おそらくはずっと前から公孫瓚の様子を見ていたのだろう。
公孫瓚は少年に向き直り、自嘲げに笑った。
「村の警備か人の捜索かで迷っていたんだ。ここら辺、黄巾賊多いだろ?村を守るか、人1人を探すかってな」
すると少年は顎に手を当てて考えるような素振りをしてから、こう切り出してきた。
「その人探し、この私にお任せくださいませんか?」
あまりに突然の提案に、公孫瓚は尻餅をつきそうになった。
「君一人でできるというのか?」
「生憎人探しは得意でありまして」
「黄巾賊もいるんだぞ。流石に正規兵でも無さそうな君には・・・」
「ご心配無く。これでも元々は塩商人の用心棒をやっておりましたゆえ」
妙に信頼できそうな言葉に、公孫瓚は爪を噛んだ。
正直、誰でもいいから探して欲しいのだ。
しかし騎兵部隊の戦力は割けれない。
いっそ、この少年に任して見るかという考えが浮かび、それが消えないでいた。
塩商人というのは、違法に塩を密売することも多い。
故に政府から目を付けられやすく、リスクも高くなるのだ。
そのために、強力な護衛が必要不可欠なのだ。
もし本当にこの少年が塩商人の用心棒をやっていたのならば相当の手練れだし、そこは公孫瓚自身の強者の勘というやつなのだろう。
なぜかこの少年は信じてもいい気がしてきたのだ。
公孫瓚の決断は早いものであった。
「よし、君の言葉を信じ、これから言う人物の捜索を願いたい。護衛は20騎つける!!いいな?」
少年は2歩下がって拳を合わせて礼をし、
「分かり申した。必ずや見つけ出してきましょう」
ー
公孫瓚は早速劉備の人相書を描いて少年に渡し、護衛と少年の馬を引っ張ってきた。
松明を灯し、近くの山へと走っていくというルートらしい。
少年は白馬の頬を撫でながら、弾んだ声で、
「ほう、これは何という剛馬か。毛並みも美しい」
『白馬義従』という部隊は少し見た目重視なところもあるのだ。
自分の馬が褒められて少し嬉しくなったのか、公孫瓚は冗談のように少年に言う。
「もし見つけ出せたのなら、その白馬、くれてやっても良いぞ」
「それはありがたい」
では、と、少年が率いる捜索隊は夜闇に繰り出した。
馬の蹄が地面を蹴る音が連続して響き、ゆっくりと歩み出していく。
その背中は勇気にあふれていた。
白馬の行進に見惚れていた公孫瓚はふと思い出した。
あの少年に一番聞かなければならないことを思い出した。
すぐさま大声で少年を呼んだ。
「少年!!名前は何と申すかあー!!」
その全力の叫びが聞こえたのか、緑色の装束の少年はゆっくりと振り向き、フッと笑った。
「関羽!!字は雲長!!それは私の名でござる!!」