青年
ーー177年・中華最北の地・幽州ーー
中国の最北の地であり、日本で言うところの北海道か。
時は後漢王朝末期。
ここ幽州には黄河が通っており、田舎にも関わらず数々の商人や物資が入ってくるのが特徴で、幽州の北の地方は何百年もの間異民族の侵攻にさらされている。
「遅えなあ」
幽州・黄河流域の港で、青年は呟く。
港の行商人に紛れて、黄河の濁流をじっと眺める。
青年は黒髪で灰色のボロボロの模様の入っていないローブを着ており、無気力な茶色い目をした、腰に剣を差した16歳くらいの見た目をした若人だった。
彼に一人の行商人が歩み寄ってきた。
刀屋の中年男性は、青年の横にどっかりと座り、
「よお坊主。何を買いに来たんだ?」
これ見よがしに刀をチラ見せしてくる行商人に、青年はニコリと笑って答える。
「母への贈り物として、茶を買おうと思いまして。ほら」
青年は銭を行商人へ見せつける。銭が50枚くらい連なっている。
大金だ。
現代の価値にして200000円くらいといったところか。
行商人はあっけに取られた様な顔をした後に、青年に問い詰める。
「これくらいの大金、どこで集めたんだよ」
「馬や野菜を転売しまくればこれくらいはチョチョイですよ」
「それにしても母親のためにバカ高え茶葉を買うたあ感心なこった」
青年は銭を金貨袋にしまうと、
「遅いですね。洛陽船」とつぶやいた。
洛陽船とは、都から来る物資を大量に乗せた船のことである。
金銀などの貴重な資源から日用品や食料・茶葉まで運んで来る。
青年は茶葉目当てで洛陽船を待っていた。
すると行商人は少し困った様な表情で、唸るように言った。
「近頃は黄巾賊共が嫌に活発になってよ、それでなんじゃねえか?」
黄巾賊。
新興宗教・『太平道』の信徒が暴徒化し、各地で反乱を起こしている組織だ。
太平道の教祖である『張角』は後漢王朝の高官とも癒着しており、政府もまともに手が出せない上に、その黄巾賊の数は60万人を越している。
彼らは村や街のみならず、輸送船までも手を出す様になったのだ。
それから十数分くらい経った時、ようやく船が来た。
三十五メートルくらいの木造の帆船で、大量の荷物が積んである。
まず降りてくるのは護衛の騎士たちだ。
いつもより数が多い。厳戒態勢を敷いているのだろうか。
次に降りてきたのは荷物を背負った行商人たちで、青年は待ってましたと言わんばかりにそちらに駆け寄る。
青年は船から降りてくる行商人から、茶を売る商人を探す。
「すまねえ、茶商人はどこにいる?」
そこらへんの中年の行商人に聞いてみる。
「俺だよ。なんだい坊主、茶が欲しいのかい?」
行商人は青年の姿を見て思った。
みずぼらしいローブ姿の覇気のない青年。
歴戦の承認はすぐに分かった。このガキは金なんて持っちゃいないと。
茶葉なんて高価なもの到底手に入れられないと。
行商人はあしらうように手を仰いで、
「だめだよ帰んな」
大抵のやつはこれで折れると思っていた彼は、次の瞬間、青年の行動と言動に驚くこととなる。
青年はニヤリと笑い、ローブの内側から金貨袋を取り出して銭を出し手のひらに乗せる。
日本円にして200000の大金が姿を現した。
「これ見てそのセリフもう一回吐いてみろよ」
「なん・・・」
行商人は感嘆した。そしてこの生意気なガキに対して何故か魅力の様なものを感じた。
そんな感情の表れか彼は荷物を下ろしてその全てを青年に差し出した。
「全部持ってけ坊主。おめえすげえよ。大抵のやつは最初の一言で折れちまうのによ」
そんな言葉と荷物の量に青年は少したじろぐと、手のひらの銭を見る。
最初は申し訳なさそうにしていたが、すぐに儲けた儲けたという嬉しさが顔に出た。
青年は行商人に金を渡すと、荷物を重そうに担いで会釈をし、さっさと港から立ち去った。
ふと空を見れば、もう夕暮れ時だ。
どこかに泊めてもらうか、それとも野宿か。遠く離れた実家には1日くらいかかる。
しょうがない。野宿にしようと適当に結論付けて、彼は歩き出した。
ー
青年は気づいたら森の奥まできていた。
鬱蒼とした薄暗い森。てゆーか暗い。
フクロウの鳴き声が恐怖心を煽り、茂みのガサガサ音や枝の揺れる音が心臓を高鳴らせる。
「やばいな・・・」
青年はそう呟いてから松明に火を灯し、獣道を歩きながら、野宿に最適な場所を探す。
幽州は高い山が多く、平坦な土地が少ないのが難点である。
しかも中国の最北に位置するこの地域は、なんといっても夜が寒い。
今の季節は春だから多少はいいものの、冬の空気もまだまだ残っている。
少し肌寒い。
冬眠から覚めたクマが出る可能性も考慮して洞窟や川の近くはやめておく。
そして黄巾賊の事も考慮しないといけないので、余計ハードルが高くなり、条件も限られてくる。
おまけにこの大荷物では体力の消費も早い。
このまま寝ずに夜を越すか?
そんなことを考えながら、川で水を飲んでいた。
もし襲われても、剣で多少なりとも戦うことができる。剣はあまり得意ではない方だが、持っていて損はないはずだ。
一通り飲んで袖で口元を拭い、岸辺に置いておいた荷物を背負い込もうとした時だった。
風切り音がした。
その、直後。
バジュン!!
「!?」
目の前の地面に刺さった矢から慌てて飛び退き、放たれた方向を見た。
向こう岸の薄暗い森の奥から、人が一人出てきた。
月光に照らされて、その容貌が露わになる。
サラサラのピンク色の髪に、女の子っぽい顔立ち、薄い胸、細い体、女物の戦闘服とマントを身につけた背の低い少女が、そこにいた。
年は青年よりも一つ下くらいで、身長は少し低い。
手には弓を持っていた。
青年は剣を抜いて、その少女を睨みつける。荷物を庇う様に立ち、向こう岸に向かって叫ぶ。
「おい!!誰だアンタ!!黄巾賊か?!」
すると少女は怒った様な表情で、次の矢を装填して、
「僕はそんな暴れるしか能のない連中ではない。お前、なんだよその荷物。どっかの村から盗んできたのか?」
人聞きの悪いと青年は思う。これは善意でもらったものだ。決して盗んではいない。
青年は必死で弁明する。
「ちげえよ!ちゃんと金払って買ったわ!」
そういうと、少女はあっさりと弓を下ろした。あっ、話せばわかるこの人!
青年もまた剣を納めて、胸を撫で下ろしてから、
「なあ、分かったら謝ってくんねえかな?」
やや強めにいってしまった気もするが、先にやってきたのはあっちの方だ。謝罪を要求して何が悪い。
少女はウッとバツの悪そうな顔をした後に、しかし気に食わなそうな顔で近づいてきて頭を下げた。
「すまない。うっかりこの辺の村を荒らしている黄巾賊かと。許して欲しい」
「こちらこそ。ところで、あなたはここで何を?」
青年がそう聞くと、少女は森の奥を指差して、
「村の警備をやっている。そちらは?」
青年は後方の荷物を顎で指し、
「港で茶葉を買って、それを運んでいたところです。でも村が遠くて」
「それなら、ウチの村でゆっくりするといい。歓迎してくれるさ」
これはありがたい。
怪しい少女に襲われたと思ったら最終的には村に止めてもらえる。
危険な山の中で夜を過ごすよりもよっぽどマシだ。
あっ、一つ聞き忘れていたことがあった。
青年はニコニコしながら少女に聞いた。
「ありがとうございます。貴方、お名前は?」
「張飛。字を益徳。そっちは?」
青年はにかっと笑うと、自分の名前を口にした。
「俺は劉備。字を玄徳。よろしくな」