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砂漠の戦士  作者: ハシバミの花
第四章 邑衆
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〈十六〉商談

 ガタウが約束したまさにその日に、邑人たちは帰ってきた。

 エラゴステスは胸をなでおろす。

 これで商売ができる。

 ここで毛皮と牙を仕入れねば、大きな損失が出てしまうのだ。


 まずエラゴステスは、あいさつとして邑長の元に足を運び、井戸水の礼にと飾り箱に納めた宝飾品を贈る。

「おお、これはこれは、商人エラゴステス」

 邑長は、油断のない笑顔を見せる。エラゴステスも同じように返す。

 ベネスの邑長は曲者である。こんな辺境の地の長とは思えぬほど、目端が利く。

――この手の笑いを見せる男は、侮れぬ。

 海千山千の商人である。人を見る目がなければ、商隊を持てるほどの商人にはなれなかった。

「お久しぶりにございます。ベネスの邑長カバリ。お元気そうで何より」

「何の、そちらこそ壮健で何より」

「この度は井戸より命の水を少しいただいた。そのお礼としてこれを収めて欲しい」

「おお、東国の装飾品とは素晴らしい!」

 カバリは喜色満面だが、その目は笑っておらず、中身を用心深く値踏みしている。

 挨拶も済み、商談に進みたいのは両者一致している。

 エラゴステスが扱う、砂漠で売れる最大の商品は、塩である。

――必ず売れる物は、安売りせぬ。

 これは商売の掟である。

「入り給え。中で酒でも飲もう」

 エラゴステスの背に手を回し、中に案内する。そこに、中から出てきた邑長の娘と二人が鉢合わせる。

「これは邑長カバリの娘コールア。また美しくなられた」

 エラゴステスの世辞を黙殺し、汚い物でも見るように見下げてどこかへゆく。

「コールア! 挨拶をせぬか! まったく……」

 父親の叱責にも聞く耳を持たない。

 実際エラゴステスは醜い男である。

 背はせむしのように低く、鷲鼻で目が大きく、異相である。

 美の基準は国ごとにあるが、彼を見て美しいと言う者はいまい。

 もっとも当人こんな事には慣れてしまっている。

――あの娘が、この邑長の弱みだな。

 この抜け目ない邑長が没落するというのならば、原因は自らの強欲かあの娘だろう。

――だが、美しい……。

 このような僻地にあれど、コールアの美しさは群を抜いている。

 生まれの高貴さが、肌から匂うような色気となっている。

――どこぞの王なら、軍を率いてでも手に入れたいと思うであろうな。

 とんでもない事に思えるが、実際に美女を手に入れるために数千の軍を率いた王を、エラゴステスは知っている。

――売るとなれば、どの国であろう。

 そんな事まで値踏みしている。この節操のなさが商人である。

 砂漠の外では中世と呼ばれたこの時代、奴隷制度は整備洗練されている。

 女などは、なまじ野卑な蛮盗に奪われるよりも、奴隷商人に預けたほうがまともな扱いを受けられる。

 買う方にもそれなりの品格が必要で、奴隷が逃げてしまうような主には、商人も奴隷を売らない。

 そういう話はどこからか伝わるもので、売買の前後に奴隷が逃げてしまうのである。

「跳ね返りでな。まあ気にせんでくれ」

 エラゴステスの思惑も知らず、カバリは商人を丁重に天幕に招きいれる。

 敷き布をひいて座らせ、椀ではなく、青い硝子の器に、半透明の酒をそそぐ。

 邑で醸す野趣あふれる酒ではない、東の商人から手に入れた、30年物の口当たり滑らかな酒である。

「それでは」

「砂漠に」

 一気に杯を干す。また酒を注ぎ、また干す。そんな事を何度かつづけ、やがて商人は本題に入る。

「今年は塩が高値でな」

 来たか、カバリは身構える。

 高値という商人の常套句を、うのみにするほど純朴ではない。

「塩は、毎年高値だな」

 鋭くやり返す。

 ベネスに塩が大量にあるという話は、これまで聞いた事がない。

 あっても漏らさぬだろうが、そういう話もきちんと、どこからともなく伝わってくる。

「今年は本当だ」

「もちろん信じている。塩は、高級品だ」

 さや当てはつづく。

「南の国境が、閉ざされた。塩湖まで足が伸ばせないのだ、邑長カバリ」

 本当の話である。それで、今回の旅が長引く破目になったのだ。

 何としてもここで高く売りたいエラゴステスだが、カバリはなかなか頷かない。

「これを逃せば、次はいつ来れるか判らないのだ」

 エラゴステスは説くが、カバリの反応は固い。それどころか、

「回りこんで、西の海に出れば、安全に塩が手に入ると聞いたが?」

 などと言いだす。

――知っておったか。

 エラゴステスは、歯噛みする。

 カバリはこの邑を、正確には冬営地と夏営地、そしてその二つをつなぐ道程を、一歩たりとも外れた事はないだろう。海がどんな物かも知らぬはずだ。

 そのカバリが、西の海などという言葉を口にする。

 いずれもらした商人でもいるのだろう、いらぬ入れ知恵をしてくれたものだ。

 それにしても、このカバリという男、こんな閉鎖された砂漠の部族の長にして、恐ろしい情報収集力である。

「だが、我々の持ってきた塩は、そんな安物ではない」

「いくつか買い入れてみたが、砂漠の我らには西の海の塩で十分だった」

 そう前置きして、カバリはこたびの交換比率を持ちかける。

「邑長カバリ、そのように買い叩かれると、我らは来年ベネスに来られなくなる」

 持ち帰るだけでも金がかかる砂漠の荷である。

 売らないという選択肢はない。

 もちろんその値でも利益は出るが、商売は連鎖を要するもの、これを資金にまた買い入れなければならない品物があるのだ。

「商人エラゴステス、ここから西へ行くにも北へ行くにも、もう大きな邑はないぞ」

 虚しくねばるが、足元を見るカバリの提示した値を崩す事はできず、エラゴステスの塩はかなり安く買い叩かれてしまった

 邑長カバリは、塩を安く手に入れる事によって、また私腹を肥やすであろう。

 そしてその新たな財力を用いて、カバリはさらに己の基盤を確固とするのだ。

 天幕に戻るなか、エラゴステスは苦い思いを抱いていた。

――全く侮れん。

 その手強さには、世慣れたエラゴステスでさえ舌を巻いた。

――だが、あまり調子に乗らぬほうがよいぞ。

 エラゴステスもただでは起きない。

 どの邑長もたやすくはないが、あまり商売上手な邑長は、商人に歓迎されない。

 やがてこの邑に、塩を持ってくる商人は減るだろう。

――その時こそ、狙い目だ。

 エラゴステスは、一人ごちる。

 辛酸をなめつくした男の、嫌らしいまでのしたたかさが、その顔に浮かんでいる。

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