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砂漠の戦士  作者: ハシバミの花
第四章 邑衆
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〈十二〉甘噛み

 カサが息せき切って駆け込んできたので、ラシェは驚いた。

「――どうしたの?」

 くずおれるカサを抱きとめ、いつもの場所に、並んで座らせる。

 昇り始めた半分の月が、いつもは影になるその場所を照らしているために、月が東の地平線に近いその時間だけは、そこはあまりいい隠れ場所とはいえなかった。

 カサの傍らで、気遣わしい顔のラシェ。

 乱れたトジュの隙間からのぞく、カサのたくましい脇腹を意識して、ラシェはどぎまぎと視点が定まらない。

 また酒の匂いがする。

 酒と、それとは別物の、甘ったるい匂い。

「どうしたの?」

 カサがおちついた頃を見計らい、もう一度聞く。

 脱力したまま動かないカサであったが、ラシェが辛抱強く待つうちに、少しづつ口を開く。

「コールアが……」

「誰?」

「邑長の、一人娘……。ヤムナの、昔の恋人……」

 ラシェも、その名を思い出す。

 話に聞く、邑長の放蕩娘。

 何人もの男たちとよからぬ噂が流れていると、サルコリたちの口にも上がっていた。

 サルコリにも、幾人もの男たちと関係を結ぶ女がいる。床を一つにする事によって、男たちから食料などを得ている女である。

 それらの女たちと話す事もある。みな人に気遣いのできる女たちであった。

 そしてみな、同じ弱さを持っていると、ラシェは感じていた。

 その誰もが、自分は独りで生きてゆけないと言わんばかりに、常に誰かに頼ろうとするしぐさを、言動の端々に見せているのである。

――サルコリは全てそうだけれど……。

 サルコリは、ベネスから食料などの恩恵を受けて生きている。

 そして体をひさぐ彼女たちは、そのサルコリたちからさらに恩を受ける事で、生をつないでいる。

 女を抱くのは、サルコリの男ばかりではない、ベネスの男たちも、隠れて彼女たちと関係を持つ。

 中には誰かの夫もいるという。

 そういう男たちの卑しさに、ラシェは苦い感想を持っている。

 そんなラシェにとって、日々の糧を手に入れるためでもないのに複数の男と関係を持つというコールアのような存在は、理解出来ないものであった。

「コールアが、僕を呼んで……」

「カサを? なぜ?」

 何故? なぜコールアがカサを呼ぶのか? なぜカサは呼ばれるままになっているのか?

「違うんだ、コールアが、ラシェの事を知っているって言って……」

 ラシェの疑念に気づいたカサが、あわてて弁解する。

「私の事?」

「うん。僕の恋人が、どうとか……」

 恋人、という言葉に頬を熱くしながらも、カサはコールアの言葉を思い出す。

――可愛い恋人がいたものね。

 言葉の曖昧さに、その時は気がつかなかった。

「……やられた。嘘で僕を吊りあげたんだ」

 戦士がコブイェックの鼻先に槍をつけ、立ち上がらせる様に、カサをまんまと寝所に誘き寄せた。

 口惜しさがこみあげる。

 コールアは何も知らなかったに違いない。

 それなのにカサは無様にうろたえ、手の内をさらしてしまった。

――やられた。

 悔やんでも遅い。

 コールアはラシェの存在を確信してしまったであろう。

 今後、二人が逢うのはさらに困難になるだろう。

「カサ?」

 ラシェがカサを見上げる。

 その視線を正面から受け止め、カサはラシェを抱きしめる。

「……カサ……?」

 愛しいラシェ。

 誰にも彼女に触れさせるものか。

「……カサ……痛いよ……」

 知らず力が込もっていたようだ、カサはラシェにまわした腕を弛める。

 だがその腕が、ラシェを離す事はない。

「どうしたの?」

 カサの答えが断片的で、ラシェはカサに、充分な質問ができない。

「何があったの? 言って」

 ラシェがカサの背に両腕をまわし、その胸に身をゆだねる。

「コールアが、」

 カサは何とか頭の中身をまとめて話す。

「コールアが、言ったんだ。可愛い恋人がいるのねって。それで僕は、ラシェの事、知られたんだと思って……それで、コールアの所に呼ばれていったら、天幕には誰もいないって」

 裸の首筋に、熱い息がかかる。カサが首をすくめる。

「それで、酒を飲めって言われて、それから、上に乗られて……」

 ラシェが、カサの胸に顔をうずめたまま、薄く汗の吹いた皮膚を軽く噛む。

「痛いっ……痛いよラシェ……!」

「うるさい」

 妬いているのだ。

 カサはうろたえる。

「ち、違うよ。それで逃げてきたんだから……」

「知ってるわ」

 カサにまわした腕に力を入れ、体を押しつける。

――カサを誰にも取られたくない。

 そんな感情が起こさせた行動である。女としての自分を、カサに感じてもらいたいのだ。不意にラシェの身体に覚える肉感に、カサが狼狽する。

 コールアの時とは違い、カサの体はすぐに反応してしまう。

「ラ、ラシェ?」

 恥ずかしくなって身をよじり逃れようとするが、ラシェはそれを許さない。

 カサを求めるように体を絡め、胸元に高潮した頬を押しつけたまま、カサを見上げる。その真摯な瞳にカサはまごつく。

「カサは、」

 切ない声。

「どうして私を抱かないの?」

 見上げてくる瞳は、カサにとって何よりも美しい、一対の宝石である。

――……ラシェ!

 カサの中の欲望が、一気に燃えあがる。ラシェを抱きよせ、その肩に唇を寄せる。

 だが、すぐに手が止まる。

 それ以上の事は何もしない。いや、できないのだ。

「カサ?」

 胸に手をつき、身を離す。

 その顔に表れる苦悩。

 抱きたくとも抱けない。

 抱けば、呼吸ひとつも離れてはいられない。

 内腑が焼けそうなほどカサが葛藤している様子が伝わって、ラシェの胸は熱くなる。

 カサはどこまでも真剣なのだ。

 相手がラシェのようなサルコリであっても、それは変わらない。

「私は、良いのよ。カサになら……」

 抱かれてもいい、とはさすがに恥ずかしくて言えない。だがカサが苦しげに、

「……ごめん」

 そう謝ると、カサの額に自分の額を当て、

「……いいの、カサが私を大切に思ってくれていること、知ってる……」

 ラシェは優しく言う。それから

「ありがとう」

 カサだけに聞こえる声で、囁く。

 それから身を起こし、

「――カサ!」

 輝く眼でカサを見つめる。

 暗い話題のあとだというのに、後ろ暗い様子は微塵もない。

「な、何?」

「私、カサの住んでいる所、見たい」

「エ!」

「お願い!」

 上目づかいのラシェに、甘えるように頼まれては、カサにはもう抵抗できない。

「で、でも見つかっちゃうかもしれないし……」

「もう見つかっちゃったじゃない」

 身も蓋もないが、まだ確実な話ではない。

 用心するに越した事はないのではないか。

「ね?」

 子供みたいな顔。

 時々ラシェは、こういう幼さをかいま見せる。

「駄目?」

 ラシェがたまらなく愛しい。

 そしてカサはついに降参し、

「……わ、解った……いいよ……」

うつむいて、それだけを言う。

――まあ、いいか。

 ラシェが嬉しそうにするので、カサも何となく流されてしまう。

 コールアが手管を用いてなお開かないカサの心を、ラシェは造作なく開けてしまう。

 いくらコールアが色気を見せても逃げてしまうカサだが、ラシェにだけは、この上なく甘いのだ。

 二人以外で、その事を知っているのは、昇りゆく半分の月だけである。

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