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砂漠の戦士  作者: ハシバミの花
第四章 邑衆
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〈十〉監視者

 気配は三日にわたってカサにまとわりつづけた。

 だが所詮一人では、いつまでも徹夜の監視などできるものではない。

 より消耗するのは見張る側で、三日目が過ぎるとウハサンの監視の明らかに集中力を欠くようになり、陽が出ている間であってもたやすく振りきれるようになった。

 夜、ようやく視線から開放されたカサは、はやる心の赴くままに待ちあわせ場所へと急ぐ。

「――カサ……!」

 カサがラシェを見つけるよりも早く、ラシェがカサを見つける。

 勢いこんで胸に飛び込んできたラシェを、カサはよろめきながら受けとめる。

「もうこないかと思った……!」

 こみあげてきた涙を、胸にうずめるラシェ。

 三日の間ふりつもった不安が、一気に解き放たれたのであろう。

「――ごめん」

 カサも、言い訳はしない。ただラシェを強く抱きしめる。

「どうして来てくれなかったの?」

 ラシェが鼻をすする。

 すねると子供のようになるラシェが、カサにはたまらなく愛しい。

「ごめん」

 グリグリと額を押しつけ、

「一人で待ってたのに。寂しかったのに」

 ぽろぽろと涙をこぼす。

「ラシェ、僕らのことに気づいた人間がいるみたいなんだ……」

 ラシェがハッと顔を上げ、周りを確かめてから隠れるようにいつもの場所にかがむ。

 そこは木に囲まれた窪地で、冬営地からはうまい具合に視線が遮られていた。

「誰……?」

 聞いても判らないが、何も聞かずにはいられない。

「ウハサンっていう、僕と一緒に戦士になった男。乱暴じゃないけれど、自分のためなら汚い事も平気でする」

 そういう人間なら、ラシェの方がよく知っている。

 言葉巧みに他人から利益を吸いとる人間は、サルコリにもいるのだ。

「私の事、ばれたのかしら……」

「それは大丈夫だと思う。ラシェが邑の者に知られる事はないはず。だけど、油断はできない」

 ラシェをかき抱きながら、カサは警戒を怠らない。

 ラシェは寂しくなる。

 三日ぶりに逢えたのに、ゆっくり語らう事もできない。

 カサにまわした腕に、力が入る。

「ラシェ?」

「どうしてカサを放っておいてくれないのかしら」

 根本的な疑問である。

「私はただ、カサと一緒にいたいだけなのに」

 それはカサとて同じ気持ちである。

 ラシェといたいと想うただそれだけの事で、どうしてこんな息苦しさを覚えねばならないのであろう。

「うん」

 二人は無言で抱き合いながら、巣の中のひな鳥のように、冷え冷えとした冬の砂漠に震える。



 邑長の娘、コールアは苛立っていた。

 毎日せせこましく働く男たちにも、毎日せせこましく付き従う女たちにも、そして彼らの形づくる狭い邑社会にもうんざりしていた。

 邑長である父親にも苛立っているし、邑長の娘という立場にもそうだ。

 そして、どんな手管を使えど、彼女に期待したほどの興奮すらもたらさない男たちにも苛立っている。

 もちろん、カサも苛立ちの対象である。

 自分の望みどおりにならないもの全てに、コールアは苛立つ。

 鬱屈した感情は昔の恋人を美化し、美化された記憶が、さらに彼女を苛立たせる。

――どいつもこいつもくだらない男ばっかり……!

 この苛立ちは、全て周囲の責任であるとコールアは考える。

――ヤムナがいれば、こんな事はなかったに違いないのに……!

 ヤムナがいても、やはりコールアは苛立っていたであろう。

 そしてそのヤムナも、日に日に人の心から忘れられてゆき、今では誰もその名を口にしない。

 当のコールアですら顔も思い出せないのだから、本来責められまい。

 その原因となったカサ。

――本当に忌々しい奴だわ……。

 普段ヤムナの事など思い出さないくせに、何かにつけ気に入らない事があると、理由をつけて持ち出しては誰かをこき下ろさずにはいられない。

 それがコールアの浅薄さであり、その浅薄な怒りは主にカサに向かう。

 カサの噂は、いまや邑のどこでも聞く事ができる。

 誰かの口の端に、カサの名がのぼらぬ日はないほどである。

「カサって、本当に強い戦士なのかしら」

 グラガウノ、機織り階級の天幕の前を通ったときに、その会話は耳に入ってきた。

「らしいわよ。狩りの時はすごいんだって。なみいる戦士長よりも、鋭い槍使いだっていうわ」

「女の子みたいな顔をしてるのに、とても意外だわね」

 若い女二人が話しこんでいる。

 時々きぬ擦れの音が聞こえるのは、手を動かしながら喋っている為だろう。

 天幕の傍に身を寄せ、コールアは耳をそばだてる。

「誰か想い合う娘がいるのかしら」

「私が連れ添ってあげようかな」

「あなただったら、私が連れ添ってあげた方が、カサも喜ぶわ」

「そんな事ないわよ」

「あるわよ」

 お互い牽制しながらも笑いあう。

 女性が二人いればどこにでも見られる、他愛のないやり取り。

 コールアは顔をしかめる。

 あんなみすぼらしい男のどこが良いというのだろう。

「でも、決めた相手がいるらしいのよ」

「本当なの? 誰かしら」

「エルがね……」

「まさかあの子? ああ、なら本当に私たちでは無理ね。あの子はとても美しいもの」

――エル!

 エルの名前に、コールアはまたも苛立つ。

 邑で一番美しいのはもちろん自分だろう。

 だが男たちの中に、エルのほうが断然美しいと言う者がいるのを聞くようになった。

 確かにエルは最近、がぜん美しくなったと評判である。

 だが女としてコールアと比べられるようになったのは、明るい人あたりも含めてだ。

 傲慢で私生活の乱れているコールアと、誰にでも愛想よく活発で健康的なエル。

 保守的な男性ならば、奔放なコールアでなく、身持ちのあるエルを選ぶだろう。

――私に相手にしてもらえない男が、やっかみで言っているだけよ。

 くやしまぎれに吐き捨てても苛立ちは晴れない。

「違うのよ。聞きなさい。エルはね、カサに相手にしてもらえなかったらしいのよ」

 コールアは、聞き耳を立てる。

――エルを、相手にしなかったですって?

「どうして?」

 娘がもう一方の娘に訊ねる。

「知らないわ。だけど祭りの時、エルが踊りに誘ったのに、カサは帰っちゃったんだって」

「本当に? 誰が言ってたの?」

「一緒に祭りに出てた子が言ってたわ。だから本当の話だと思う。それにね……」

「まだあるの? 何?」

「カサがね、夜ごとに天幕を出てゆくんだって」

「本当なの? それ、やっぱり女に会いに行くんでしょう?」

「多分、ね」

 二人の話題に、コールアが割りこむ。

「その話、本当?」

 ひいっ。娘たちが息を飲み、膝の上の織り器を抱えて恐ろしげに口をつぐむ。

「詳しく聞かせなさい」

 コールアの笑みは凄絶で、たかがグラガウノの娘たちごときに、拒否できるものではなかった。



 カサはいつものように砂袋に向かっていた。

 修練に集中し、槍と標的しか見えない状態。

 この時間だけ、カサは全ての憂いから開放される。

 その集中力こそが、槍をもてばガタウに迫るといわれるほどの、カサの強さの根源だ。

 二刻もの間その状態がつづき、ひと息ついた時である。

「熱心ね」

 すぐ傍で、声。

 そこに、コールアがいた。

 白と黒の鮮やかな衣装。腰の高い位置で刺繍入りの帯を固く結んだ姿は、邑の人々の着物に比べて明らかに華美で、生まれの高貴さをかもし出している。

「もう終わり?」

 カサは何も答えない。

 ただコールアの狙いを推し量るように、黙って相手を見つめている。

「何か答えなさい」

 無視を決め込もうというのだろう、カサはコールアに背を向け、また槍の鍛錬に戻る。

「待ちなさい」

 コールアが苛立つ。どうしてこの男は、自分に対してこれほど無礼に振る舞えるのだろう。

 そんな事は許せないとばかりに、精一杯おちついた声音を作り、コールアがカサに言い放つ。

「あなたなんかに、可愛い恋人がいたものね」

――可愛い、恋人?

 とっさにラシェの姿が脳裏に浮かび、カサに警戒がはしる。

 寸時コールアは、優位に立った喜びに浸る。

 だがその直後、そのカサから突き殺さんばかりの視線を向けられ、嗜虐的な歓びは、一気に腹の底まで冷え込むような恐怖に変質する。

 頭上の空のように青い目。

 その青が、射抜くようにコールアを刺す。

「な、何よ」

 装束の下で、膝が震えるのが判る。

 生まれて初めて、コールアは死の恐怖に接した。

 カサの内部に蠢く暴力性に初めて触れ、その手に下げられた槍が、今にも自分を貫くのではないかという恐怖にとらわれる。

 逃げ出したい衝動を抑えたのは、コールア自身の強い自意識。

 そんな無様な姿は、自分自身が許さない。

――私は、全ての男に美しいと崇められるべき女なのだ。

「この話、みんなに知られたくないんでしょ?」

 カサの殺意がつかの間揺らぎ、それから槍先の先端のごとく鋭くなる。

 だが、もうコールアはひるまない。しかとその視線をとらえ、

「黙っていて欲しかったら、今晩私の天幕に来なさい」

 それだけ言うと、さっさと踵を返して立ち去る。

 その背を、なす術なくにらむカサ。

 一方のコールアも、怒り狂ったカサが背後から襲ってきやしまいかと、心中穏やかではない。

 カサから充分に離れたと判断し、人目の多いカラギ(食糧管理階級)のセイリカ(大天幕)の隙間で、コールアはようやく胸をなで下ろす。

――上手くいったようね。

 どっと冷や汗が背筋を濡らす。

 結局グラガウノの娘たちからは大した話を引き出せず、色々訊いてまわったものの、カサの逢引相手どころか、毎夜外出しているのかどうかすら判らなかった。

 だが、今は確信している。

――あいつには。絶対に女がいる。

 あの様子では間違いあるまい。

 それもどうやら、道義に反した関係のようだ。

 だからこそ隠れて逢うのであろう。

――これは、姦通ね。

 すぐさまそう考えたのは、コールア自身が妻帯者との情事を好むからだ。

 それにしても、コールアはまた身震いする。

――あんなに恐ろしい奴だったなんて。

 いつもおとなしく見せておいて、激した時のあの鋭利な目。

 ずっとまとわりついていた退屈などどこへやら、コールアは思い出して興奮する。

――つまらない奴だと思っていたけれど。

 カサへの欲求が、彼女の中で飢えたな獣のように膨らんでゆく。

 久しぶりに、夜が待ち遠しいとコールアは感じている。

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