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砂漠の戦士  作者: ハシバミの花
第一章 少年
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〈七〉狩り場

 翌朝、夜明け前。

 ひんやり水気をおびた風、ツェランが戦士たちの赤銅色の肌をなぜてゆく。

 狩り場周辺特有の朝露にしめった地面を踏みしめ、そちらこちらで欠伸をするものがいる。

「ふぉ……」

 カサもつられて、顔いっぱいに大きく口を開け、小さな歯並びを覗かせる。眠たげな瞳は、やや充血しているようだ。

「ん……はっ」

 ぐっと背中に伸ばした両腕を、ぶらりと前にもどす。勢い余って

「とぉっと!」

 前につんのめる。まるきり子供のあどけなさである。

 カサは土の上に置いた、まだ真新しい槍と水袋をつかみ上げると、パタパタと足裏の音を立ててブロナーのいる方に駆けてゆく。

 カサの足音と、槍の柄を引きずる音が近づいて来るのを背中で聞きながら、ブロナーは口元をほころばせた。

「戦士長!」

 肩ごしに見れば、浅く呼吸を切らせ、頬を赤く染めている少年。

 黒い瞳が、朝陽をキラキラとはじいている。

「ああ」

 眠っている間にこわばった背筋を屈伸させて、ブロナーは小さく笑った。

「いい朝だな」

「はい!」

「こういう日は、魂が強くなる。今日の狩りは良い狩りになるだろう」

 気軽に言って、めずらしく笑顔を見せる。

「はっ……はい!」

 狩り、と聞いて、カサはわずかに緊張するが、ブロナーの力強い言葉に、声は明るい。

 興奮に輝くまなざしで、ぐるりと見わたす。

 年配の戦士ほど、きびきびと出立の支度をしている。

 いっぽう新顔の若き戦士たちはみな憂鬱そうで、手足の動きも重い。

 年下であるはずのカサが今しがた見せた、吹っ切れた表情とは対照的である。

 ただし、カサが明るくしていられるのはブロナーの庇護があるからで、他の新顔戦士たちにはそんな特別あつかいはない。

 戦士は、戦士になった時から、部族の中でも最も誇り高い男として生きてゆかなければならないのだ。

 カサがまだきょろきょろと辺りを見回していると、ヤムナと目が合う。

 ジロリ、精悍な目許がすがめられる。

 取り巻きの者はみな顔色蒼白であっても、ヤムナ一人は余裕を保っている。

 虚勢もあろうが、己への信頼が強い。

 自分はヘマなどしないから決して死なないし、よしんば誰かが失敗しても、それで自分が死ぬなどありえないと信じている。

 ヤムナの鋭い視線に、カサはあわてて目をそらし、ブロナーのもとへ戻ってゆく。

「ふん!」

 ヤムナは、莫迦にしきった目でコソコソと逃げてゆくカサを睨んでいる。

――アイツ、死んじまえばいいのに。

 その心中は物騒だ。

 早いうちから戦士の、それもゆくゆくは大戦士長の器だと、周りから誉めそやされ、羨ましがられてきたヤムナにとって、若すぎる戦士カサは、目障りで仕方がなかった。

 一体どんな理由でカサが選ばれたのかが判然とせぬ事も、いっそう脅威に思えるのだ。

――特別扱いされたぐらいで浮かれやがって……。

 自然視線も冷たく、鋭くなる。

――もしもアイツが俺より先に戦士長に選ばれるなんて事になったら……。

 ミシリ、親指の爪をかむ。身を焦がす苛立ちに、ヤムナのカサを見る目は、更にきつくなる。

 そしてそんな彼らの様子を、他の戦士たちのあいだから、射るような視線でガタウが観ている。

 表情は読みとれない。もとより感情や考えを顔に出す男ではない。

 強い意思の表れた目、深い眼窩に、かぶせるような濃い眉、一直線に引きしぼられた広い口。

 戦士長たちすら、彼を畏怖し距離をおく。

 みな、その人並みはずれた、戦士としての力量を怖れているのだ。

「ふん」

 ガタウは、カサとヤムナたちから視線をはずした。

――さほど怯えてはいないようだな。

 そんな事を考えている。

 若い者たちの鞘当て自体には、さしたる興味もないようだ。

「ゆくぞ、準備は済ませて置け」

 張りつめた声で、戦士長たちに声をかける。

「はい」

「こちらは終わらせました」

 口々に答をかえす屈強の戦士長たち。

 もうこんな緊張感には身体がなじんでしまっていて、彼らに気負いはない。

「よし」

 彼らに心を許しているとは言いがたいが、それでもガタウは、仲間の頼もしさに満足した。

 どんな手練れの戦士でも、一人で狩りはできない。

 そのことを誰よりも身にしみて知っているのは、彼自身だろう。

「行くぞ」

 大戦士長のかけ声に、隊列の先頭から力強い鬨の声が上がる。

「アイーイイイーイーッ」

 狩りが始まる。



 狩り場は奇妙な土地だった。

 空はどこも地平線との境が明瞭な砂漠で、その一角のみ砂が舞い、滲んだように砂色が空を侵している。

「戦士長、上にでている、あれは……」

 カサがその異様な巨塊を指差す。

「あれは、真実の地だ」

「真実の地……」

 もちろんその名は知っている。

 そこには砂漠の真実があり、あのいかめしい大戦士長は単身そこへ行き、片腕をなくして帰ってきた。

――赤い、岩……なのかな?

 砂煙の上から、何かとてつもなく巨大なものがのぞいている。

 近づけばちかづくほどその全容は茫洋とし、やがてせり上がる砂煙にのまれて見えなくなる。

「ここが狩り場――獣たちの生息地だ」

 そして戦士たちが、狩り場に到着した。



 カサの見た最初の獲物は、甲皮におおわれた四足獣、コウクヅというアリクイによく似た胴体の丸い動物である。長い鼻面で土を掘り返して、植物の根や、昆虫などを食べる。

 短い足に長い尾、体も太く鈍重に見えるが、動きだせば思っている以上に俊敏である。

 そのオスが一頭、斜面のくぼみに頭をすりつけている。甲虫か木の根といったエサを探しているのだろう、時々首をめぐらせて、天敵の存在を警戒している。

 その様子を、稜線ごしに戦士たちが見ている。上体を伏せ、獲物から見つからないようにして。

 首を上げて、木製の槍を低く逆手に持っているのは、いつでも飛び出せるようにしているのだろう。

 ブルルッ、四足獣の尾がふるえ、さっきまでより高いところで波うつ。

「見たか? コウクヅがエサを食い始める時には、必ずああやって尻尾をふるんだ。コウクヅは用心深いしすばしっこいが、エサを食い始めると一心に食う。周りを見なくなる。憶えておけ」

 同じ5人組のやや年配の戦士が、カサにささやく。

 ブロナーより少し年下の、ノイレルという男だ。体は小さく、膂力もさほどでは無いが、堅実で、狩りの経験十分の、古強者の一人である。

「ハ、ハイ……!」

 息をつめていたカサも、興奮した面持ちでうなずく。

 本物の狩りを見るのは、これが初めてなのだ。

「よし、こっちに尻を向けた。一番槍はネイドだ」

 ゴクリ、息を飲むカサ。

 ネイドは、ブロナーの隊でも最も背のたかい戦士だ。

 体格はやや痩せぎみで、ブロナーのような力強さはないが、足の速さは部族内でも五本指に入ると言われている。

 ネイドが片膝を立て、いつでも走りこめるよう、身を起こした。それからブロナーと目配せを交わす。

「ホッ!」

 おさえた掛け声とともに、ネイドがとび出す。

 蹴った地面が小さく砂けむりをあげ、大きな歩幅であっという間にコウクヅまでの数十歩の距離をうめた。

「ィヤアアア!」

 裂ぱくの気合い。獣牙の槍先が、ガシャッと音を立てて、角質化した厚い表皮を割る。

「ヤッ」

「イヤア!」

 つづく別の稜線からの二番槍、三番槍が、次々と獣をおそう。

 キイイッ、四足獣がほそい声をあげた。四肢をのたうって、突きたてられた槍から逃れようともがくが、たくましい男たちにグイグイと押さえつけられ、やがてグッタリと力尽きた。

 ズチュル、ぬれた音を立てて血まみれの槍先をぬく戦士たち。

 ここまで、ほんの一瞬のこと。

 この地の生物の生命力を知るものならば、この狩りがいかに鮮やかであったのかが判るだろう。

 身長の倍ほどの手作りの槍、彼らはこの粗末な武器ひとつでこの過酷な砂漠と戦う。

 息絶えたコウクヅが外皮を剥ぎ取られ、解体されてゆく様子を見つめながら、カサは狩りという極めて血なまぐさい行為に、すくみ上がってしまっている。

「大丈夫か」

 声をかけて来たのはもちろん、ブロナーだ。

「だい……大丈夫です……」

 青い顔でカサは答えたが、そこでコウクヅの破れた消化器官からはみ出した、未消化物のすっぱい臭いをかいでしまい、一気に嘔吐した。

「あうっえああうっ!」

 背中をふるわせて、胃の中身をはき出しつづけるカサ。

 その様子をそばで見ていた、カサと同じ五人組の、同じく新人のトナゴは、目をしかめた。

「おい! あっちに行ってやれ! これだからガキと同じ隊になんて、なりたくなかったんだ」

 ヤムナの取りまきの中でも、“腰紐抜け”と軽んじられている彼だが、自分より弱者には容赦がない。

 性根のいやしい男なのだろう。

「ああ臭え。こんな程度でで参ってんじゃ無えぞ。だいたい……」

 やけになめらかな悪態は、自身のおびえを隠すためだろう。

 ブロナーがカサの背をさすりながら一瞥してトナゴを黙らせる。

「はっ……はっ……はっ……」

 喘鳴するカサ。口の中の粘り気を、ぷっと吐きだす。吐く事に忙しく、トナゴの言葉など耳に届いていないようだ。

「落ちついたか」

「……はい」

「よし」

 ブロナーは、戦士たちの獲物の解体に加わりにいった。

 一人のこされたカサ。

 ブロナーの手が離れた背すじが寒々しく頼りない。

 ゴシゴシと、涙ににじんだ目もとをこする。

 その様子を、少し離れた所から、トナゴがねばっこい目で見つめていた。



 その昼の猟で、砂ギツネを一頭、コウクヅを三頭、そして槍や天幕の梁になりそうな木を十本ほど、彼らは集めた。木はヒノキ科、もしくはスギ科だろう、まっすぐ上に伸びた、木目の整った物ばかりである。森林を住居の近くにもたない彼らにとって、狩り場の木材は貴重な資源だ。

 やがてゆるやかに日が傾き、チリチリと肌を焦がすように緊張が高まってくる。

 まだ狩りは終わっていない。

 否、日が暮れてから本当の狩りが始まるのだ。

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