〈二十九〉イサテの戦士
ノエズィップナヒングルィ、死の匂いが漂う地。
いわゆる狩り場と呼ばれるその土地では、カサたちの集落だけが狩りをする訳ではない。
彼らを含む、砂漠の部族を構成するいくつもの邑、その各々が戦士たちをこの狩り場へと送り込み、獣を狩る。
カサたちの邑もその一つで、数ある集落の中でも有数の大きさを誇る部落だ。
そしてそのカサの邑の戦士たちは、大戦士長ガタウを筆頭とした、部族でも最も精強で知られる集団なのだと、カサはこの夏初めて知る事となった。
狩り場で、他の邑に属する戦士たちと鉢合わせたのだ。
それはカサにとって、初めての経験であった。
「大戦士ガタウ。またこうして見えた事、この上なき喜びだ」
パデスと名乗る、カサたちとは別の集落に属するという大戦士長が、ガタウに敬意を表す。
パデス率いる男たちもそれにならい、うやうやしく頭を垂れる。
彼らの邑の風習なのだろう、みな豊かな口髭をたくわえている。
槍をかかげ持ち、居並ぶ彼らはいずれ劣らぬ屈強な男ばかり。
――これが、他の邑の戦士たちなのか……。
カサは気圧される。
そしてカサを仰け反らせんとするその存在感こそ、戦士たちがまとう雰囲気だと、カサは初めて気づく。
――僕たちも、こんな風に見えているんだろうか。
砂漠とその周辺に勇猛さを鳴り響かせる部族の戦士。
命を賭して、人よりも強き存在を打ち倒す彼らこそ、真の勇者だと称える声は少なくない。
「頭を上げられよ、イサテのパデス」
ガタウが手でそれを制す。
持ち上げられて舞いあがる男ではない。
「イサテのパデス。良き戦士になられた」
「何の、ベネスのガタウには遠く及びませぬ」
ラシェがよく使うベネス、という言葉は、邑を示す代名詞ではない。彼らの邑の固有名詞なのである。
そしてベネスのガタウといえば、部族どころか砂漠では知らぬ者のいないほどの、まさに部族を代表する英雄であった。
「名高い我らが戦士、ガタウよ。三度見える事が出来、何と言葉にすればよいのか……」
パデスは感動のあまり言葉が出てこないようだった。
パデスだけではない、彼が引き連れる五十人を越える戦士たちも、そしてカサを含むベネスの戦士たちも、みな一様に輝く瞳で誇らしげにガタウを見つめている。
屈強の男たちから畏敬の念を送られるガタウを、カサは新鮮な気持ちで見直す。
――本当に、凄い人なんだ……。
眉ひとつ動かさず彼らの視線を受け止めるガタウ。
近くにいすぎてその感覚が麻痺しているカサにとって、それは改めてこのガタウという傑出した人物を、考えさせる材料になった。
「我らは十と一日前からここにいる。食料は充分にある。もし受けとって貰えるのなら、これをあなたたちに分けてもいい」
パデスが遠まわしに提案する。
「もしよければ、だが、戦士ガタウ。あなたの狩りを、我々に見せてはくれないだろうか」
オウ……、どよめきが漏れる。
ガタウの槍。
それは、カサが槍を持つようになってからはめっきり減り、最近では全くなくなってしまったものでも有る。
だからガタウが、
「今はもう、槍を突いていない。若い者たちに、全てを任せている」
そう辞退するのを、
「いいじゃないか大戦士ガタウ」
「槍を見せてください、大戦士長」
大戦士長どうか、と仲間たちが口々にガタウに請う。
こちらからは見えない肩越しの表情。その頑なさが見ずとも判る。
――断るつもりだろうか。
カサは思う。
ガタウがそのつもりならば、何人の男が取り囲もうが、首を縦には振らないだろう。その岩山のような意志の固さを、カサは嫌というほど知っている。
――大戦士長の槍を、僕もまた見てみたい。
皆が抱いているその思いは、カサとて同じである。
長きにわたり狩りから遠ざかっていたガタウの腕前が、風砂に朽ちていないとも限らない、そんな声はベネスの戦士たちにも根強い。
だがカサはそう思わない。ガタウの槍は、いまだ研ぎ澄まされたままであると信じている。
――大戦士長ガタウも、老いた。
そう公言する者までいる。
だからカサは、耳を惑わせる周囲の風を、衰えを知らぬ一撃で静めて欲しいと思っているのだ。
ガタウが、周りから強く請われている。
だが周りの声に耳を貸すガタウではない。
カサは半ばあきらめ気味に、真っ赤なトジュの余り布を垂らしたその背中を見る。
一瞬その背が膨らんだように見えた。
「――いいだろう」
ウオオォッ!!
歓声が上がる。
生ける伝説と謳われ、砂漠の隅々にまでその名を轟かせるガタウの槍を見られるのだ。
老いた大戦士長の腕前を疑問視する者たちも、これには興奮する。
上気した顔でお互いを見る屈強な男たち。
だがカサはその中で、ともすれば周囲に埋もれそうな短躯のガタウが、一瞬誰よりも大きく見えた事に驚いている。
――いいだろう。
答えた瞬間、ガタウの背にみなぎった生命力。目の錯覚だろうかと辺りを見回すが、様子に気づいた者はいない。
いや、ソワクが気づいている。
顎を引き、ガタウを見つめながら凄絶な笑いを浮かべている。
自分よりも強い存在を前にした時、この男はとてつもない悦びをおぼえてこんな表情をする。
そしてもう一人、ガタウの底知れぬ力を感じ取った者がいる。
イサテの邑から戦士を率いてきたという、大戦士長パデス。
髭を伸ばす風習のイサテの者たちの中でも、ひときわ濃く硬い髭をたくわえている、体の大きな男である。
眉が濃く眼光鋭い、豪胆の気質が顔に表れている。
ソワクを荒々しくしたら、こんな男ができるのではないだろうか。
五十人か、の戦士を統べるだけあって、力感が全身より沸き立つようだ。
――前にも一度顔を合わせたが……。
そのパデスが、ガタウに慄いている。
――これ程の男とは……!
目が肥えた今なおその印象は、強まれど薄れはしない。
小柄な老戦士の外見を裏切る、この力のほとばしりはどうだ。
「過ぎたる願い聞き入れていただき、感謝したい、ベネスのガタウよ」
「さほどの事ではない、イサテの大戦士長パデスよ」
ガタウとパデスが狩りの算段を始める。
二人の周りを二つの邑の戦士長たちが囲み、人員配置の相談をする。
「申し出たのは我々だ。幾らでも人は出す。よろしく願う」
力量を知らない戦士に槍は任せられないと申し出は断り、槍はベネスの者だけと決まった。
一番槍はもちろんガタウ。
二番槍にソワク、バーツィの二人の二十五人長に四人の戦士長を加えた六人。
三番槍にラハム、リドーの二人の二十五人長に、イセテとテクフェとあと二人の戦士長、こちらも六人。
ここまでは、磐石の人事であろう。
そして終の槍には、カサが呼ばれる。
「はい」
よばれて進み出たカサに、イサテの男たちが懸念の声をあげる。
このような戦士になりたての子供が、大戦士ガタウの狩りの終の槍を?
当然であろう。背も低く、貧弱なカサが、ガタウに次ぐ槍を担うのだ。それに何よりカサは若すぎ、そして隻腕だ。
――戦士ガタウは、どういうつもりだ?
――我々を、軽んじているのか?
イサテの男たちに動揺が広がる。そんな中、パデスがソワクに話しかける。
「戦士ソワク。終の槍はお前だと思っていた」
以前イサテの戦士団とあった時、ソワクはまだ二十五人長ではなかったが、類まれな戦士の資質は、パデスの記憶に強く刻まれていた。
それから長い時が経ったが、今日ひと目見てそれがソワクであると、パデスには判った。
あの時よりもはるかに逞しく成長し、戦士としての力をつけたソワク。
そのソワクが不敵に笑う。
「カサでは不満か?」
パデスは厳しい顔をする。
「体躯が細い。それに……」
「それに、どうされた」
ソワクは楽しそうにつづきを待つ。
「あの少年は、片腕だ」
「うちの大戦士長も片腕だ」
パデスはため息をつく。
「あの少年は、戦士ガタウではない」
伝説の隻腕の大戦士ガタウ。その真似は、誰にでもできる事ではない。
片腕を失った戦士など珍しくもない。だが、まず彼らは皆腕を失う前から優れた戦士であり、そして四肢を損じてのちは著しく狩りの能力を欠いた。
「カサは、カサだ」
ソワクは気負った様子もなくパデスにそう答える。
――大きい男だ。
己に劣らぬ体躯のパデス。ガタウに似た威厳をまとっている。
音に聞くイサテのパデスである。狩りの腕も相当なものであろう。
――俺とどちらが上か。
ソワクの身内に、打ち震えるような喜びがある。この男と槍を比べてみたいという衝動が湧き上がる。
「見れば、イサテのパデスにも判るだろう。カサに終の槍を任せるのは、カサにその力があるからだ。決してイサテの戦士たちを軽く見ている訳ではない」
ソワクの自信に満ちた態度にパデスは、
「ならば、よい」
引き下がる。それからもう一度カサを見、
――あの少年が、この戦士ソワクよりも優れているというのか。
他のベネスの戦士たちも、カサという少年が槍を取る事に、何の疑問を感じていないようである。
一方、パデスの視線に気づいたカサは、居心地悪そうにガタウの陰に身を隠す。
戦士たちを夜が覆う。
狩りの時が訪れる。




