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砂漠の戦士  作者: ハシバミの花
第三章 砂漠
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〈十四〉ヒルデウールの痕跡

 ゴゴン……。

 三日つづきの雷鳴の勢いが削られ始めた。

――じきにヒルデウールが終わるな。

「おい」

「はい」

 間髪いれずに返事が返ってくる。意識はハッキリしているようだ。

 二度目のヒルデウール以降には、カサが人事不省に陥る事はなくなっていた。

 順応力は、若さゆえだろう。

 ここで嵐を越えるたびに、少年、いやこの若者の逞しい成長を知る。

「どうぞ」

 カサが干し肉を出してくる。それを力まかせに咀嚼しながら、ガタウは先日大巫女に呼ばれた時の事を思い返している。



 巫女の天幕に、先客がいた。

 邑長だ。

 すでに人払いが済んでおり、巫女のセイリカ(大天幕)の中には、巫女と邑長の二人以外誰もいない。

――邑長も同席か。

 キナ臭さを嗅ぎとりつつガタウは焚き火の前に腰を下ろす。

 邑長とガタウが火を挟んで等間隔に大巫女と向きあう。

 邑長は、名をカバリという。

 四十がらみの恰幅のいい男だが、目にしつこい鋭さがある。眼光の重さが、この男の内に秘めた野心を如実に語っている。

 実はこの男、この場に呼ばれていない。

――大戦士長と大巫女、二人で密談なぞさせてなるものか。

 大巫女がガタウを呼びつけたのを察知して、勝手に押しかけたのだ。

 邑の権力構造において、ガタウとカバリの間には剣呑なる風が吹いている。

 邑の職長たちは、邑長の権限を増大させようとするカバリと、頑なに外からの力を拒否するガタウが事あるごと反目してきたのを知っている。

 中央で、火が爆ぜる。

「……来た、か、大戦士、長、ガタウ……」

 マンテウ、大巫女が、砂を踏みにじるような声でつぶやいた。

 歳経た大巫女は、目覚めながら虚ろな状態も多い。

「マンテウ、何用か」

 マンテウの耳に届くよう、語調を強めて言う。

「大戦士長ガタウ。マンテウにそのような言葉遣い、非礼であるぞ」

 横あいから口を挟む、邑長カバリ。

 ガタウはそれに返事もしない。

 邑長という地位に敬意を払わぬ態度が、カバリには忌々しい。

「……大戦士長、ガタウ……」

 マンテウが、感情の読み取りにくい声で言う。

「……あの、少年は……」

 カバリがひどく緊張する。

 あの少年とは、マンテウが横紙破りで戦士階級にねじ込んだ少年である。

 初めての狩りで片腕を失い、一時は戦士階級の復帰すら危ぶまれた。

 だが瀕死の容態から回復するや、ガタウが手塩にかけて育て、以来めきめきと頭角を現しているという。

 ガタウが大戦士長の座を退けば、邑長の権限を広げる事もできると高をくくっていたカバリには、ガタウに後継者がいることは見過ごせぬ事態である。

 無論ガタウはそんな腹芸につきあわない。

 人の足元をすくうことに長けたカバリにガタウは敬意をもって接せず、そんなカバリだからこそガタウを疎ましく思う。

 小さな身体に巌のような力を持つ、最高の戦士ガタウ。

 太った胴体に生臭さを詰め込んだような、邑長カバリ。

 それに齢すら判らぬほど歳老いた、大巫女。

 この三者こそ、今この邑をとりしきる最大の権力者たちである。

 最高権力者はもちろん、大巫女。

 だが大巫女が老いるに従い、政への口出しが減った。

 この空白を機に、あちこちに首を突っ込んで発言力を増したのが、第二の権力者、邑長カバリである。

 これには多くの邑人が渋い顔をしている。

 とくに不快感をあらわにするのは、各職能の長たちである。

 みな職人である。

 気概も誇りも、一筋縄ではない。

 長たちの大反対にあったカバリが取ったのは、からめ手である。

 騒ぎが大きくなってはまずい。集団で大巫女に上訴されれば、邑長の地位とて安泰ではない。

 だからカバリは、人の欲につけこんだ。

 各役職の、第二第三の地位にいる者たちと、秘密裏に会い、耳元でこう囁いたのである。

――権力が欲しくはないか? 美しい妻を新しく娶り、多くの部下に囲まれて暮らしたくはないか?

 後は時間の問題である。

 最初渋った者たちも、一人また一人となびいて来る。

 権威の者たちが退き、カバリの息がかかった者たちがその座に着くと、邑長の権勢は邑全体をおおうほど大きくなった。

――今度の邑長、カバリという男は危険だ。

 そんな声が上がり始めた頃にはもう遅い、膨れ上がったカバリの権力は、組せぬ長たちの上訴ごときで揺らぐ物ではなくなっていた。

 こうしてカバリは、歴代の邑長の中でも破格の権力を手に入れた。

 その前に立ちはだかる格好になったのが、ガタウである。

 ガタウと言えば邑の中だけではない、周辺の部族にもその名が鳴り響く戦士だ。

 その圧倒的な威光は、邑長といえど正面から対立する事を許さなかった。

 カバリの手の者たちも皆、しり込みするしかなく、現時点で多数派を占めているといえど、所詮カバリの軍門にくだってしまう程度の人間であり、周囲の評判には逆らえない。

 ガタウと対立したと噂になれば、今度は己が今の座を追われてしまう。

 つまる所カバリの手の者は、職能集団を統率する才覚がないのだ。

――たかが戦士の分際で。

 そんな思いが、カバリの中にある。

 大戦士長といえど、階級的には他の職長たちと同じ立場、邑長の一つ下に位置するはずなのである。それが、邑長よりも大きな顔をするとは何事か、という気持ちである。

 かくて二人は衝突し、邑は今大きく二つに分かれている。

 話を戻す。

 カサである。

 本来ならば今年ようやく成人したばかりの少年が、あろう事か戦士階級において類のないほどの重要な役割を任されているという事実が、カバリにとって問題なのである。

「順調に育ちつつある。まだ一人前には遠いが、やがては良き戦士になるだろう」

 現在のカサを、ガタウがそう評価する。

「それはその少年が、次の大戦士長たりうる人材、という事か」

 口を挟むカバリの声には、詰問の響きがある。

「それは判らん。次の狩りで死んでしまうかもしれん」

 カバリに目を向けずに、ガタウが言う。邑長はそれを、大戦士長の侮蔑と受け取る。

「フン」

 鼻を鳴らすのは、精一杯の抗議である。

「……大戦士長、ガタウ……」

 大巫女が口を開く。ガタウとカバリが大巫女を見る。

「……あの少年を、大切に育てよ……」

 パチパチと、火が爆ぜる。


「……やがては、邑を、率いる男に、なろう……」


 衝撃的な言葉であったろう。

 ガタウは眉一つ動かさず受け流したが、カバリのうろたえぶりは大仰であった。額にひび割れのような皺を寄せ、鼻に脂汗が浮く。

――何たる事だ……!

 権への欲心にまみれた男にとって、看過できぬ言葉であった。

 邑人の噂話ではない、大巫女の言葉なのである。

 巫女の言葉は予言だ。

 邑を守る精霊たちが、巫女に預ける大切な言葉なのである。

 それは、カサが精霊に守られた存在である事を意味する。

 そしてそれはカバリにとって、やがて己が失墜するという、大巫女の宣託でもあるのだ。

――させてなるものか。

 暗い情念がわきたつ。

 死にかけた大巫女ごときの言葉で怯むようなら、はなから野心など抱かぬ。

 あの少年が我が道を遮るというのなら、仲間につければいい。人の心を操るのは、カバリの長技だ。

――抱き込めぬならば、潰してしまうまでだ。

 腹に決める。

 いつしか大巫女は、眠りについていた。

 それがそのまま、この密会の終わりの合図になる。

「マンテウがお休みだ!」

 邑長が手を叩き、従者の巫女たちを呼ぶ。

 並んでセイリカを出る時に、カバリがガタウに話しかける。

「あの少年と同じ頃に戦士になった、ヤムナという若者を知っているか」

 ガタウは少し考え、

「覚えている」

「当初、あの少年などよりもはるかに期待されていたと聞いたが」

 娘が仲良くしていた、とは言わない。

 ヤムナが成人する直前、呼びつけて少し話をした。

 野心の強い目の光に、己と同じ熱を見た。有望視されているとは聞こえていて、それならば自分の手駒にできるだろうと思ったのである。

 感触はよかった。

 なんとしても戦士階級に影響力が欲しかったカバリは、これが突破口になるかもしれないと期待したものである。

 問われたガタウは素っ気ない。

「死ぬ者は死に、生きる者は永らえる。それが砂漠の掟だ」

「……ふん」

――格好をつけおって。

 やがては娘の婿に、とすら考えていた青年だったのだ。

 いまだにその死は、カバリの中でも尾をひいていた。

 思えばあれがケチの付き始めだったやもしれぬ。

 あの青年が死んで以後、娘は放蕩三昧で、いまだに嫁ごうととしない。

 それどころか邑の若い男たちと、良からぬ噂ばかり立てている始末。

――まさかガタウめ、こやつが陰で手を下したのではあるまいな。

 とまで疑っている。

 狩りの実態を知らぬがゆえの、そして謀を好む者だからこその疑念である。

――だが、いつまでも動かせぬ万年岩でいられるとは思うな。

 振り返りもせず立ち去るガタウの背をねめつけながら、カバリは決意を新たにする。

――とまれ、無理やりにでもあの場に居座ってよかった。

 捨ておけぬ大巫女の予言を反芻しながら、満面苦々しい顔で自分の大天幕にもどった。



「止んできましたね」

 カサに声をかけられ、ガタウは我に返る。気がつけばヒルデウールはその勢いを弱め、三日にわたって降りつづいた雨も、疎らになっている。

――随分と長く物思いに耽っていたものだ。

 寝ていたと思われたのかもしれない。カサの呼びかける口調に、話しかける以上の強さを感じた。

――実際に、寝ていたのかもしれん……。

 夢とうつつを行き来する、大巫女を思い出す。

 このまま邑にいれば、自分もあのような老人になってしまうのだろう。

 だがそれは、ガタウの望む所ではない。

 死ぬのならば、狩りの荒野で。

 戦士たちの戦いつづける、広い大地で。

 それがガタウの本懐なのである。

 邑などという共同体の、せせこましい権力争いなど、もとより眼中にない。

「まだ気を抜くな」

 ガタウの声に、寝惚けた色はない。それでホッとしたのか、

「はい」

 答えるカサの声にも、微かに満足が混じる。

 雨はやがて、風よりも密度が薄くなり、やがて砂漠に光が差し始める。空が青を取りもどし始め、師弟は杭と身体をくくりつけた縄を、三日ぶりに外す。

 ヒルデウールの開けた、色彩に満ちた、豊穣なる世界。

 その眼前に広がる世界が、試練を乗り越えた二人を祝福しているようでもあった。



 その冬、ヒルデウールが二度到来した。二度目のヒルデウールは最初の物ほど激烈ではなく、一晩程度でその勢いを弱め始めた。

 だが雨季が完全に過ぎ去った後で、ガタウが不穏な予言を口にする。

「この夏は、不作になるやもしれん」

 カサが探るような目を向けると、

「二度目の雨で、新芽が流されてしまう。前の時もそうだった」

 そういえば、二度目の嵐の後は、目に映る緑が色あせて見えた。

 新鮮さがなくなった所為かとも思っていたが、確かに新芽の活力が弱かったようにも思う。

 流されてきた木々を集めながら、カサは厳しい夏を覚悟する。

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