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砂漠の戦士  作者: ハシバミの花
第三章 砂漠
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〈二〉ソワクの訪問

「やあソワク」

 わざわざ断るまでもないと言わんばかりに、声の主はカサを挟んで正面に腰を下ろす。

 戦士長、ソワク。

 いつものような屈託のない笑いをカサに向けている。

 右手にはドエ、内側に釉薬を塗った酒瓶。

――ソワクも好きだな。

 カサは苦笑する。飲む相手を探しているのだろう。

 ソワクの酒豪ぶりは部族でも有名である。

 多い時は、醸造酒を一人で二瓶も空けるという。

 物怖じせず、偉ぶった所のないソワクは、老若問わず人気がある。

 酒の席ではいつも周囲から取り立てられている。

 場を和ませるのが巧い。

 これは、よく似ていたと言われるヤムナにはない性質である。

 そのソワクには、差し向かいで飲む何人かの親しい戦士がいる。

 同期の友人で、最も親しい大男のバス。

 そしてソワクの師にあたる五人長ローイと二十五人長バーツィ。

 そして、カサだ。

「熱心だな。槍の手入れか?」

 薬液の入った壺と、槍を交互に見てソワク。

 隠し事を見られたように照れるカサ。

 隠す必要はもちろんないのだが、普段より周囲から

「お前は真面目すぎる」

 とため息混じりにいさめられているカサにとって、

「真面目を実践している所」

 を見られる事は、どうにも気恥ずかしい。

 若くしてモークオーフ、戦士階級を代表する一人となりつつあるというのに、内向的な性格は直らない。

 だがそんなカサの内気を、ソワクは気に入っている。

 相変わらず気真面目で他人と関わる事を避けるが、話してみれば可愛げのある奴だと知っているのである。

「まあ飲め」

 差し出された瓶からの酒を、坩堝代わりの小さな皿で受け止める。

「そんな物じゃ酔えんぞ。もっと戦士らしい器を使え!」

 ソワクの突き出す大きな椀を、カサは笑って辞退する。

 以前ソワクの飲む勢いにつき合って、ひどい二日酔いに悩まされた。

「今度の狩りは」

 最初の杯を干してソワクがいう。

「拙い狩りだったな」

 カサはうなずく。ソワクの言わんとするところは、カサも理解している。

「レトは、残念だったね」

「ああ」

 それから苦しそうな顔になり、

「あの狩りには、俺も居た」

 知っている。カサは参加しなかったが、人づてに聞いていた。

「ラハムが終の槍だって聞いた」

 ソワクは答えない。

 酒を張った杯の中をにらんだままだ。

 だからカサも、黙った。

 ラハムが、終の槍を違えた。

 熟練の二十五人長。数多くの獣にとどめを刺してきた彼が、槍を違えた。

 槍先は心の臓を貫かず、激痛に獣が暴れ狂ったのだという。

 それだけならば珍しい話ではない。

 問題は、左右二の槍三の槍の六人に、熟練の者がほとんどいなかった事だ。

 獣の剛力に耐えられず、レトが倒された。

 そして獣がその鋭い爪で、レトの内腑を引き裂いたのだ。

 獣はすぐに取り囲んでいた戦士たちから槍ぶすまに突かれたが、その時にもホダイという老いた戦士が足に深手を負った。

 その狩りで二人の犠牲者が出た。

 ソワクは一の槍で、全てを間近で見た。

 獣が息絶えるのとほぼ同じくして、レトも死んだ。

 彼の骸は槍先と共に埋められ、彼の魂は戦霊として戦士たちを守るだろう。

 そして獣は解体された。肉は燻製にされ、牙は槍先や装飾品に用いられる。

 だが、毛皮の穴だらけになった部分は、内臓の使えない部位と共に捨てられた。

 商人が引き取らない物を、持ち帰っても仕方がないからだ。

 狩りの地においてこの程度の犠牲は珍しくもなく、ラハムが責任を問われる事はなかった。

 なのに落ち度のないソワクは、責任を感じている。

 使命感の強い男である、仲間の死を背負うのは、二十五人長として当たり前だと思っているのだろう。

「大戦士長なら、こんな気分にはならないだろうが」

 ソワクは漏らす。いつまでも落ち込んでいる自分に嫌気がさしているのだろう。

「大戦士長も、ソワクと同じ気分になると思うよ」

 カサの言葉に、ソワクは少し意外そうにする。

「大戦士長は、色んな事に気を配っているよ。誰にも言わないから、そういう風には見えないだろうけど」

 意外とガタウは、周囲よくを見ている。

 いつも傍にいるカサは知っている。

 無口で動じないガタウだが、独りよがりではない。

 いざとなれば、率先して仲間を救い出すためなのだと、カサは身をもって知っている。

「……そうか」

 カサは、中身のない励ましを口にするような人間ではない。

 だからソワクは、少し楽になったようだ。

「そうだな、大戦士長でもこういうのは嫌だろうな」

「うん」

 カサが同意すると、ソワクも表情を和らげる。

 ソワクがガタウに心酔している事を、カサは知っている。

 ガタウの真似をしたりはしないが、その一挙一動に注目しているのを、知っている。

――だから、僕と仲良くするんだろう。

 そこで嫉妬してしまわないあたりが、ソワクの心意気である。

 人を責めないから皆から信頼される。

 カサも、ソワクのあけっぴろげな率直さに幾度も心を救われた。

「まあホダイが無事で良かったよ。あの爺さん、そろそろ耄碌しはじめていたからな」

「またそんな事をいう」

 怪我人相手にひどい言いようである。二人で笑い、酒を干す。

「爺さんももう、戦士としては限界に来ていたし、やめたがっていた。これはいい機会だろう」

「うん」

 命を落とさずに戦士としての役割を終える者は少ない。

 だからカサも、素直に賛成する。

 そこからは、いつも通りの会話である。

 戦士同士だから、話題は戦士の事だ。

 一人一人名前を挙げて、アイツはこうだコイツはこうだと、ほとんどソワクが一人で喋る。

 カサは所々、控えめな相槌を打つだけだ。

 この二人の会話は、いつもこんな調子である。

 やがて一段落がつき、カサは気になっていた事をソワクにたずねる。

「ソワク、邑長に呼ばれたんだって」

 ソワクが面食らった顔を見せる。

「ああ、お前まで知っていたのか」

 苦手な食い物を口に入れたような、モグモグと歯切れの悪い答えだ。

「戯けた話だった。前置きなしに、娘と結婚しろ、だ」

 やはり、噂どおりである。

「するの?」

「する訳がない! 俺には妻も子も居る! それにああいうやり方は気にいらない」

 ああいうやり方? とカサが質問する前に、ソワクは答える。

「大戦士長に知らせずに、俺に直接言ったんだよ。邑長はあの人が嫌いらしいからな」

「そうなの?」

「ああ。今の邑長は強引な男だ。思い通りにならない戦士たちとマンテウを目の敵にしてる」

 カサは判らなくなる。

「目の敵にしてるのに、戦士を娘の婿にしようとするの?」

「俺が次の大戦士長だって話を信じ込んでるのさ。敵として立つよりも、味方に付けておこうって魂胆だ。小賢しい」

――そんなものか……。

 釈然としないのは、カサが結婚もせず、そのような煩わしさの外に居るからだろう。

「例えば大戦士長に娘が居たとする。いいか?」

「うん」

「ある日呼ばれて、こう言われるんだ。俺の娘と結婚しろ」

 どうも話の趣旨が読めない。

 何より結婚という言葉が、まだ十七歳(約十四歳)のカサには居心地が悪い。

「うん」

「結婚してさあ子供が出来た、そうなるとなんだか嫁さんも可愛く思えてくる。で、大戦士長はお前の義理の父親だ」

 可愛い、という言葉に照れながらもなんとなく飲み込めて来た。

「うん」

「ある日、大戦士長が言うんだ。これから戦士階級を世襲制にする。戦士階級の子は戦士に、戦士長の子は戦士長になる」

「そんな事、できる訳がないよ」

「なぜだ?」

「だって、戦士の子だからと言って、戦士に向いてるとは限らないじゃないか」

「所がそうしろと言うんだ。俺も莫迦莫迦しいと思ってるんだから、まあ黙って聞けよ。で、お前にも手伝えと言う」

 ガタウはそんな勝手を言わない、という言葉を飲み込む。

 ソワクだってそんな事は判っている。

「……うん」

「それをお前、断れるか? 嫁は自分の子供を戦士にしたがっているとする。嫁とその親父、世話になった二人が背中を押し来る中で、嫌だと言えるか?」

――言えない、だろうか。

 言えないかもしれないと、ようやくカサは思いはじめた。

「もちろん大戦士長はそんな事言わないよ。だから皆から尊敬を集めてる」

「うん」

「強い男しか戦士にはなれないし、その中でもよほど強い男じゃないと生き残れない。それに比べりゃ邑長なんて、邑長の家に生まれりゃ誰にでもなれる」

 なるほど、それでカサにも話題の趣旨がつかめた。

「邑長の娘って、コールアだよね」

 カサが問う。

「名前は知らんが、あの鼻持ちならない小娘だ。知ってるのか?」

 カサはためらいつつ、

「うん。僕の年の一人が、仲良かったから」

 僕の年、とは、カサの同期の戦士の事を指す。

「ああ、そういや一度狩りに行く前に騒いだ事があったな! あれの事か?」

「うん」

「そうか」

 ソワク。

「そうか、あれはお前の年だったんだな」

 感慨深そうに言う。

 カサにとってあの年は、まさに悪夢だったが、ソワクには代わりばえのない一年だったようである。

「邑長の娘、か。お前と俺は変な縁で結ばれているな」

 そして笑う。

「そうだね」

 カサも、力ないながら笑う。

「あの娘も良い話は聞かん。いろんな若い者と噂されている」

 コールアの男遊びは、いまや邑で知らぬ者がいないほどである。

 連日別の男と、二人きりでいるのを誰かに見られている。

 本人も隠すつもりがないのだろう。

 だがカサにとってそれはまるで、自分がこうなったのはカサのせいだと、あてつけられているような気がして心苦しい。

「だから断ったの?」

 だがカサが問うと、ソワクは満面の笑みで返す。

「何を言っている! この砂漠にゼラよりもいい女がいるもんか! 俺がアイツを落とすのに、どれだけ贈り物をし、通いつめたか!」

 カサは苦笑いする。

「その話はもういいよ」

 ソワクの愛妻ぶりは有名で、親しい者は皆、同じ話を何度となく聞かされていた。

「何を言うか。まだ話してない事が有ったんだ。よし! 今日はそれを最後まで聞いてもらうぞ!」

 ソワクはとうとうと話しはじめる。

 初めてゼラを女として見たときから、結婚を申し込むまで、嫌と言うほど聞かされた話だ。

 カサは、ソワクの話を聞くのが嫌いではなかった。

 ソワクの幸せそうな顔を見ているだけでカサも幸せになれるし、何よりその話を聞いている時には、カサもソワクの幸せな家族の一員になれるような気がしていた。

 それは、カサがとうの昔に諦めた幸せでもあったのだ。


「居るか」

 ソワクが酒を干して去ったあとに、また訪問者だ。

 忙しい夜である。

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