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砂漠の戦士  作者: ハシバミの花
第二章 戦士
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〈二十九〉終の槍

第二章最終話です。

投稿時間に混乱がありましたことを、お詫びします。

 その年最後の狩りである。

 一の槍は、ソワク。

 二の槍は、ラハムとジウカ。

 三の槍は、バーツィとセイデとイセテとカフとテクフェとレトとネイド。

 ネイドは以前、ブロナーの部下だった男だ。

 ブロナーの死後、戦士長として五人組を任されるようになった。

 そして終の槍。

 終の槍は、ガタウではなかった。



「オオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 その年最後の狩りの獲物は、牡のコブイェックであった。

 個体としては最大とまでは言わないまでも、かなり大きな獲物である。

 体中に古傷のある、見るからに古強者、といった雰囲気を発散させている。

「ヤアアアアアアアアアアアアアアア!」

 すでに獣の周囲は戦士たちによって三重に取り囲まれ、鬨声とかがり火の円陣は完全な形で獲物を捕らえている。

 いかに強いコブイェックといえど、この中から抜け出るのは容易ではあるまい。

「ハー! ハー! ハッ! ハッ!」

 唱声は最高潮に達しており、後はソワクによる一の槍を待つばかりであった。

「イヤー! アー! ヤヤヤヤヤ!」

 最後の半歩をつめたソワク、生と死を分かつ極限の緊張感の中で、その顔は静かだ。

 この遠征中、一の槍を任されつづけた彼の背中には、今までになく充実している。

 優れた戦士であるという自負、そして自信が彼をいっそう強く変えた。

 いまやソワクがガタウに迫りうる唯一の戦士である事実を疑う者は、いない。

 腰だめに槍をかまえたソワクが、動く。

「エイッ!」

 瞬速。伸びた槍先は狙いたがわず獣の腰、後肢のつけ根に刺さる。

 ズギュリッ。

 肉をうがつ感触が、槍尻を支える右腕に伝わってくる。

 自らの仕事の完璧さに、ソワクは満足を覚える。

 二の槍三の槍が間髪入れず獣を襲う。

 両脇から的確な突きに内臓を破壊され、大きくのけぞるコブイェック。

「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 痛みと怒りと渇望の咆哮。

 ジャリ……。

 そして最後の槍、終の槍が進み出る。

「何?」

「何だと……?」

 戦士たちの間に動揺が広がる。

 誰もがガタウを予想した終の槍、だが獣の背後にまわり、槍をかまえたのは、

ーーカサ!

 隻腕の、最も若く、最も小柄な戦士。

「どういう事だ……」



 周囲に広がる動揺とは裏腹に、槍を持つ戦士長たちは冷静だ。

 カサによる終の槍を、事前にガタウから聞かされていたのである。

――余りにも早すぎる。

 当然、皆が反対した。

 二十歳(十六・七歳)にもならない内の、コブイェックへの槍、それも一の槍に次いで重要な終の槍をいきなり任せるなど、前代未聞である。

 だがガタウは彼らの意見など聞き入れなかった。

――終の槍は、この少年が行う。

 そう繰り返すだけで、彼らを押し切ってしまった。

 失敗した時はすぐに自分が槍を撃つという約束で。

 釈然としない者は多かった。

 いや、狩りの只中に槍を受けもつ戦士長たちは、誰も納得などしていないだろう。

 比較的カサを買っているソワクでさえ、そうである。

――余りにも早すぎる。

 ソワクすら、二十歳になって初めて獣への槍を任されたのである。

 ましてや終の槍など、突かせて貰えるようになったのは、つい数年前だ。

 カサに先を越されたのが口惜しいのではない、単純にカサの膂力で獣の太い背筋を破き、心の臓をつらぬけるとは思えないのである。

 それも、遠征最初の狩りに次いで危険とされる、最後の狩りなのである。

 ガタウの正気を疑う者すらいたほどだ。

 反面、カサによる終の槍を見たいと思う者もまた、いた。

――大戦士長が一年手がけたあの少年が、一体どのような狩りを見せるのか。

 上手くはゆくまい。

 だが、どこまでやれるのか確かめずにはおれない。

 槍を任された若い戦士長であるほどその思いは強い。

 筆頭はソワク。

 狩りの難しさは、身をもって知っている。

 生まれて始めての三の槍、ソワクは獣の肋骨を打ってしまい、槍先を損じてしまった。

 二の槍は何とか無難にこなすも、終の槍を任されたとき、上手く心臓を貫けず獣が暴れて何人かの槍身が折られるという不始末もしでかした。

 ソワクでさえ、失敗したのだ。

 言うまでもないが、ソワクは努力していた。

 他の戦士長たちの話を聞き、一人でその場面を頭に描き、狩りの時の精妙な槍の使い方を覚えた。

 その甲斐あってここまで、最も困難といわれる一の槍を違えた事は無い。

 それが評価されて、この遠征最初の狩りにて一の槍を任されたのだと自負しているし、それに異を唱える者はいない。

 そのソワクよりも、もっと早くに槍を任される。

 それがカサというこの小さな戦士なのだと考えるだけで、ソワクの心の中には、喜びにも怒りにも似た興奮が、沸々わきあがる。

 槍を下ろしたガタウの傍らから進み出たカサが、槍を低くとる。

 ソワクが突き込んだままの一の槍を支えながら、正面からその様子を見ている。

――さあ見せろ。大戦士長自ら鍛えたというその槍を。

 左の半身になり、獣に届く距離にまで歩を詰めるカサ。

 だが、前進するその魂を脅迫するかごとく圧する存在がある。

――餓狂い。

 カサの胸の内の、殺戮に満ちた血の記憶。

 胸の内部から鼓を打つような心臓の音が、こめかみを脈拍の拍子で疼かせる。

 低く呼吸して、恐怖に暴れだす心を抑えつける。

――突けるのか……?

 逡巡に、カサの呼吸がわずかに乱れる。

 膝が意思とは関係なく震え始める。

――僕に、突けるのか……?!

 終の槍を任されると知って、一番うろたえたのは、カサ自身である。

――お前が、やるのだ。

 ガタウはそう言って、あとは突き放した。

「思い出せ」

 ガタウが背後から、カサにだけ聞こえるように声をかける。

「繰り返し突いた、あの槍を」

 カサの心に、あの鍛錬の日々がよみがえって来る。

 陽射し。

 空。

 砂漠。

 杭と、砂袋と、石輪。

 そして、汗と槍。

 露出した肌を凪いだ風が冷ます。

 心を曇らせる血の臭いを、拭い去ってゆく。

 厳しい冬の間育てた殺意が、恐怖の記憶を押し返してゆく。

 そして心には、ガタウが突いた、あの一撃だけが残る。

――いける。

 カサは己にいい聞かせる。

――ゆく……っ!

 集中し、世界を自分と獣だけにする。

「フッ」

 風と砂煙が、踏み込んだ少年の足元を旋回する。

 乾燥した空気を切り裂き、槍先が伸びてゆく。

 ズキュッ。

 狙い通りの軌跡を描いた槍先が、艶やかな毛皮を破り、獣の背面、肋骨のすぐ下にもぐりこむ。

 そこは、獣の最大の急所、荒ぶる暴虐の血潮を脈動させる、心の臓の位置だ。

 重い抵抗。

 カサの手の中にはね返ってくる、砂袋とは全く違う、命の感触。

 ビクン!

 巨体が大きく痙攣する。

「ゴワアアアッアッ………! ゴワッ……!ッ…!」

 断末魔の吼え声。

 痙攣を残しつつ、獣の体から生気が抜けて行く。

 そして。

「オオ………ッ!」

 感嘆のため息が漏れる。

 獣の生命の火が、しぼんでゆく。

 眼の利く戦士であるほど、眼前に見たカサの槍の錬度を理解しただろう。

 完璧な、終の槍であった。

 カサの一撃は、獣の心臓を違わずに貫き、槍先をほんの少しだけ、胸から覗かせていた。

 ズン。

 絶命したコブイェックが、膝を突く。

 凶暴な牙のむき出た口は力なく開き、端から血がたれていて、目の生気は失せている。

「よし」

 ガタウがいつもの口調で頷く。

 当然といった表情。だがカサはその裏に、かすかな満足を見つける。

 そしてソワクもまた、感嘆の表情でカサを見る。

 カサの突いた終の槍は、それはまるで、

――あれは、大戦士長の終の槍だ。

 ソワクが会心の笑みを浮かべる。

 内から湧きいずる感情が、抑えきれない。

 皆が槍を抜く。

「あっ」

 カサが遅れた。前のめりに倒れる獣につられて、槍ごと持っていかれる。

 ズズウンッ。

 地響き。

 一緒になってカサも転ぶ。

 仕事の見事さと、子供っぽい失敗に滑稽さを感じて、辺りから失笑が起こる。

 二人の戦士長が、その両脇を抱えて引き起こした。

 倒れている獣を信じられぬように見るカサ。

 槍の興奮が去り、今は気が抜けてただ呆然としている。

 ガタウが歩み寄る。

「何故槍を抜かん」

 その眼に責める色がある。

「獣が生きていれば、お前は死んでいた」

 カサは赤くなってうつむいた。

 ガタウの言うとおりだ。

 槍を決めたと安堵し、獣は死んだと油断してしまった。

「すみません」

 肩を落としたまま、砂を払う。

 カサを起こしたイセテとテクフェが顔を見合わせる。

 この上ない狩りであったと、二人は考えている。

 ところが褒めるどころか、ガタウはカサの油断を戒めた。

 きっと終始この状態なのだろう。

 ガタウの後につづいてトボトボと歩くカサを見て二人は含み笑いを漏らす。

 コブイェックの死を確かめてから、槍を引き抜く。

 ところが筋肉が硬直して、カサの力では中々抜けない。

「うう、ふんっ!」

 長い格闘の後、ようやく槍が抜ける。

 破損した槍先を見て、カサは落ち込んだ。

 もしやとは思ったが、地面に押し付けられた白い先端が、爪ほどではあるが欠けている。

――また削り直さないと。

 ため息をつく。

 ガックリしてガタウに見せたが、返事はない。

 自ら処置せよと言うのだろう。

 獣の骸が仰向けに返され、解体が始まる。

「おい、こっちに来い」

 ソワクがカサを呼ぶ。

「は、はい!」

 カサが急いて駆けよる。

「解体の指示は一の槍と終の槍の戦士が出すと知っているだろう」

「は、はい! でも……!」

「どうした。やり方は聞いているか?」

「いえ……知りません」

 ソワクは苦笑いする。

 あれだけの槍使いを叩き込まれておきながら、そんな事も知らないのだ。

「教えてやる……どうした? 嬉しくないのか? お前は初めての終の槍をこなしたんだぞ?」

 消沈したカサの顔を、ソワクが怪訝そうにのぞく。

「い、いえ」

「何だ? 言ってみろ」

 ソワクの屈託のなさにつられ、カサはこっそりと打ち明ける。

「槍が……」

 破損した自分の槍を見せる。

「やっちまったか。俺も最初の狩りでやったもんだ。よくやるんだよ。気にするな」

 そう言って肩を叩く。

 カサの顔が赤くなる。ソワクの気安さが心地よかった。

「ソワク。甘やかすな。獣が死ぬまでが狩りだ」

 ガタウがこちらに来て言う。

「はい」

 ソワクが肩をすくめる。

 自分のせいでソワクが叱られてしまったと、カサは身の縮む思いだ。

 だがソワクは気にした様子もなく、解体する手を休めずにカサに話しかける。

「お前は大戦士長に可愛がられてるな」

「そんなことは……」

 ないとカサは思うが、実際はどうであろうか。

「お前はよくやったさ。その歳で狩りを成功させた奴なんて聞いた事がない。さあ斃した獣の牙を獲って、背筋を伸ばせ」

 ソワクがカサの頭を抱えて褒めちぎるので、カサは恥ずかしくなり、もっと真っ赤になってうつむく。

 そして小さく微笑んだ。



 一年前、戦士の狩りを血で汚したと責められたカサが、この年最後の狩りを、己が槍で飾った。

 この事は、戦士達の集団社会の中で、大きな意味を持った。



 この遠征で、狩ったコブイェックは二十と三頭。

 小動物は百と五十と五頭。

 ケガをした戦士は六人。

 死者は無し。

 三年ぶりに犠牲者のない狩りとなった。

 よき遠征であった。

 ガタウは最後まで一の槍を突かず、終の槍に徹しつづけ、自らについての様々な意見を黙殺した。

 そしてカサは最後の狩りで終の槍を任され、見事にその役割を果たした。

 皆がカサを見る目が、更に変わりつつある。

 未熟な戦士たちは、妬みの目を向けるようになった。

 中堅の戦士たちは、驚異の目を向けるようになった。

 錬達の戦士たちは、感嘆の目を向けるようになった。

 当のカサは何も気づいていない。

 ただ初めて自分の足で帰途を歩きながら、この先強い風が吹かなければいいのにと、それだけを願っている。

 砂漠に風が吹く。

 次に彼ら戦士を待ち受けるのは、如何なる風なのだろうか。

次回幕間、明後日15日、午前8時の投稿です。

正午に投稿の第三章。


砂漠に二年の時が流れます。

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