〈二十四〉出立
カサが集合場所に行くと、すでに何人かの戦士が顔を見せていた。
みな古株の戦士である。その中には、当然のようにガタウも居る。
「おはようございます!」
その場全員に聞こえるように、カサが声を張り上げて挨拶する。
うむ、おう、まばらに返事が返ってくる。
あまり歓迎されていない空気だが、もう気にしない。ガタウがこちらを見ているのに気がついて、傍にゆく。
「お前の割り当てだが」
ガタウはいきなり本題に入る。
「今回お前は、五人組には参加しない」
「え…?」
五人組に属さない戦士など、居て良いものなのだろうか。
ならばカサには、どんな役割が振り分けられるのだろう。
「お前は、俺の後ろに付け」
「え……!」
何となく予想はしていたのだが、それでもカサは驚いた。
どういう形で遠征に参加するのか、見当がつかなかったからだ。
「それは……」
「今は何も聞かなくて良い。この近くに居ろ」
「はい」
やがて戦士たちがちらほらと姿をあらわし、一同が顔をそろえた。
みな怪訝な顔つきでカサに目をやるが、何か言う者はいない。
「行くぞ」
ガタウが号令を出し、先頭が鬨の声をあげ、戦士たちの集団は規律正しく移動し始めた。
十と幾日歩きづめ、ゆく手に緩やかな丘陵が見え出すと、狩り場はもうすぐである。
頻繁に姿を見せるようになった小動物を確認しながら、戦士たちの隊列が砂漠を力強く踏破して行く。
新顔の少年を含むまだ未成熟な戦士たちが息も絶え絶えな状態でいる中、カサには余裕があった。
一年前あれだけ苦しんだこの行程を、いやに呆気なく感じていた。
――これが本当に同じ道なのだろうか。
拍子ぬけに感じている。
一年前には不気味に感じた、砂煙のうえに顔をだす、真実の地のあの巨大な岩肌すらも、妙になつかしい。
そんなカサを、苦しげに腰を曲げ槍に体重を預け、いかにも疲労しきった様子のトナゴやウハサンを筆頭とする若い集団が、忌々しそうな視線を送っている。
峻烈なヒルデウールを乗り越え、一年(300日)を槍の鍛錬にあけくれたカサの肉体は今や、同期の戦士たちと比べ物にならないほど鍛えこまれている。
一見華奢で背も一番低いながらも、背中と胸板は厚みを増し、腕も脚も一回り太くなっている。
よく見れば、少年の面影ばかりだった顔にも、引き締まった精悍さが生まれている。
カサは急速に戦士として育っている。
――アイツ最近、調子づいていやがる。
ウハサンたちには、それが気に入らない。
――大戦士長に可愛がられてるってぐらいで……。
ガタウの元でカサがどれほどの目に遭ったかなど、彼らは想像もしない。
ひと冬をガタウとともに夏営地で過ごしたという話は聞いていても、子供のカサにどうにかできる程度と侮っている。
カサが過酷な試練を乗り越えたなどと、知っても認めないだろう。
その歪んだ認知の裏には、ヤムナの死を受け入れられない弱さがある。
あの場に居ながら何もできず、悲鳴をあげて逃げた自分を認められないのだ。
それら全ての責任をカサになすり付ければ、安寧を手に入れられたのだ。
真実よりも周囲がどう見るか、それのみが彼らの重要な関心事なのである。
ヤムナを含む新顔の戦士三人とブロナーが死んだあの事件で、彼らは厳しい詮議を受けた。
夏営地に戻って二日目の事、一人ずつセイリカ(大天幕)に呼ばれ、鋭い目つきの戦士長たちを前にして皆が同じ事を言った。
――あの狩りが壊れてしまったのは、カサのせいだ。
カサが臆病風に吹かれて逃げだそうとしたからだ、と。
口裏を合わせたを画策したのはウハサン、小ずるそうな目つきをした、賢しい男である。
詮議の行われる直前にあの時の仲間を一人一人呼び出し、こう言い含めたのだ。
――あの時あった事をそのまま言う訳には行かない。手柄は全てカサ一人の物となり、死者の責任は全て俺たちの物とされてしまうぞ。
自分たちが何もできなかった、と言わない所がずる賢い。
――そうなれば、ヤムナが死んだ責任を、俺たちに負わされてしまう。それで良いのか。
未熟な戦士たちとコブイェックが遭遇したのである、何もできなくとも責める者はいまい。
だがウハサンはそれを許さなかった。
――このままではヤムナよりカサの方がいい戦士だったなんて事になってしまう。お前はそれで我慢できるのか。
彼らにとって、ヤムナは特別な存在だった。
ヤムナについて行けば、彼らには輝ける未来が待っているはずだった。
ヤムナは、彼らだけの指導者だったのだ。
最初に飛びついたのはトナゴである。
当然だろう、一の槍直前に餓狂いから逃げ出したのはカサではなく、トナゴである。
――腰紐抜け。
周囲からそう侮られてきたトナゴにとって、戦士に選ばれたのは身に余る僥倖であった。
戦士の証である赤いショオとトジュ、それを身につけるだけで人々から尊敬と羨望の眼差しで見られるのである。
だからトナゴは言いふらした。
あの狩りはカサが壊したのだと、そしてヤムナは、カサに殺されたようなものなのだと。
この変わり身には、持ちかけたウハサンでさえも苦い笑いを漏らした。内心ほくそ笑みながら。
シジは少し嫌な顔をしながらも、ウハサンに従った。
ラヴォフには手を焼いた。もともと他人と上手くやれる男ではない上に、ヤムナに対して強い対抗心を抱いていた。
――何でお前の言う事に従わなきゃならないんだ?
話を持ちかけても、端からケンカ腰である。
それでもその自尊心の強さを逆手に取り、
――カサよりも役に立たない奴だと思われてしまうぞ。
という言葉に押し黙り、
――……いいだろう。
渋々ながらも承知したのである。
そんな経緯で、あの日の出来事は全て子供だったカサのせいとされた。
おかげで彼らは責任を逃れられたのだが、この一連の裏工作によって、ウハサン自身、思いもよらぬ副産物を得た。
周囲をたばかった事によって、秘密を共有した者たちの間に仲間意識が生まれたのだ。
それも、ウハサンを頂点とする連帯感である。
ラヴォフは表面上ウハサンを無視していたが、残忍なだけでは屈強ぞろいの戦士階級で生きてはゆけまい。時間をかければ、からめ取れると踏んでいた。
悪くない気分だった。
表には出さないが、ウハサンはこの状況を楽しみ始めていた。
――ヤムナが死んでよかった。
とさえ思っている節がある。
誤算もある、それもとびきり大きな計算違いである。
ウハサンの考えでは、この件によってカサは戦士階級を追われる筈であった。
サルコリに放逐されてもおかしくない失態にもかかわらず、カサは今もそこに居る。
しかも、大戦士長から特段の待遇を受けて。
――もしもこの企てが、大戦士長に知られてしまったら……。
それが一番の懸念であった。
何とかしてカサの口を封じねばならない。
あの、おぞましき血塗られた夜。
咆哮する餓狂い。
恐怖に震え、動かない手足。
そこに飛び込んできた大戦士長。
――もしかして、大戦士長は一部始終を見ていたのでは無いだろうか。
そんな心配も杞憂に終わり、ウハサンたちは今に至るまで罰を受けてもいない。
――いつか機を見て、カサを追い出してやる。
ウハサンが口許に陰湿な笑いを浮かべる。
もちろんガタウは、知っていた。
全てを判っていた訳ではないが、ヤムナの死が蛮勇の果てである事も、生き残った者たちがあの場所で何もできなかった事も、何よりカサ一人が獣と対峙しえた事も知っていた。
それぞれの武器を検めれば、事実は自明なのだ。
黙っていたのは、その必要がないと判断しただけなのである。
――真の戦士ならば生き残る。臆病者は、おのずと消える。
すべてはこの砂漠が処断するであろう。
戦士たちが練り歩く周りをスェガリ、獣の臭いが混じる風が通り抜けてゆく。
風に血の臭いが、混ざり始める。




