〈十六〉成長
「まだヒルデウールが終わった訳ではない」
翌日、流されてきた木切れを拾いながら、ガタウが言う。
すでに雨雲は去り、空は一面深い青だ。
「え……」
カサは絶句する。ではカサが耐えていたあれは何なのか。
「一つで終わらない冬もある」
つまり、ガタウはこう言うのだ。
「もう一度、来るかもしれないってことですか?」
ガタウが頷く。カサは途方にくれる。
再び、あのヒルデウールを乗り越える自信はない。
「そんな……もう一度なんて、僕はだめです……」
ガタウはカサをにらむ。
「一度耐えてしまえば、次からは何とかなる」
そして足元の小枝を拾い上げ、
「何事も無理と言うな。言えば本当に出来無くなる」
叱責される。どうやらカサの弱気がガタウの神経にさわったようだ。
「は、はい……」
カサは小さくなって答える。
幸い次のヒルデウールが夏営地を訪れる事はなかった。
風は乾き、空は取りもどした蒼穹を手離さなかった。
枯れ谷を河へと変えた流れも、翌日には砂の大地を取りもどす。愛しげな若芽は、いつしか太い茎を地に張り巡らし、強い生命力を支える根を大地深くにもぐりこませている。
カサとガタウも、日常を取りもどしつつあった。
固く打ち込んだ杭に縛りつけた砂袋を、来る日も来る日も打ち込みつづける日々だ。
ドシンッ。
祭りの大打鼓のように、幾拍子かおいて響く低い音は、カサが砂袋を突く音だ。
それを、何も言わずにガタウが見守る。
ただ傍らに立ち、カサを見ているだけ。
最近では日がな何も注意せずにいるという事も多い。
カサの打ち込む動作に完璧に満足している訳ではない。
ガタウの眼から見れば、いまだ粗削りである。
技を磨く作業というのは,膨大な繰り返しである。
その中で、精神と肉体が勁く鍛えられ、運動神経が動きの無駄を削ぎ落とし、一つ技として結晶してゆく。
まだ幼いが、戦士として着実に進化しつつあるカサに、ことさら雑念を吹き込む必要はない。
ドシンッ。
石の槍先が、目印となる石輪の中央を強くたたく。
――良い突きだ。伸びがある。
腰のひねりも踏み込みも申し分ない。
まだ全体的に筋力が足りないが、そちらは時間の問題であろう。カサはまだ十五歳(十二・三歳)にもならないのだから。
――後はこれと同じ事が、実際の狩りで出来れば良いのだが。
コブイェックにひどい手傷を負わされたカサが、次に獣と対峙した時に、怯んでしまわないとは限らない。
カサが懸命に獣に対する敵愾心を引き出そうとするのは、おのれの奥底に怯える心が見えてしまうからだろう。
だからそれを否定しようと、必死になる。
――実際に獣を前にしてそれが出来るかどうかは、その時になって見なければ判らん。
カサの厳しい未来を予見しながらも、ガタウは助言を与えない。
カサならその壁を乗り越えるかどうかは、備わった資質によるのだ。
獣に襲われ、新顔の戦士三人と錬達の戦士一人を失ったあの夜、獣に唯一の痛手を与えたのは他ならぬこのカサだ。
それも今よりもさらに細い身体で。
死の淵にありながら、カサの選んだ戦い方を後に検分しながら、ガタウは驚きを禁じえなかった。
――よくぞコブイェックの気迫に飲み込まれなかったものだ。
実質獣との一騎打ちでありながら、犠牲が腕一本で済んだというのは、熟練の戦士でもできる事ではない。
運が良いと言うだけでは足りない、絶望の中での決死の選択が、カサを救ったのだろう。
そこにガタウは、可能性を見た。
生と死の狭間で、生きるために足掻ける心こそ、戦士として最も必要な資質なのだ。
「フッ」
ドシンッ。
カサの肌にうっすらと浮いた粒の細かい汗がはじける。
ガタウが、そのカサを鋭い眼差しで見つめつづける。




