〈二〉戦士階級
戦士たちが砂漠を行く。
眼に焼きつく黄褐色の大地、緑色のうすい植物、そして赤茶けた彼ら。色彩の単調な世界の中、空だけがいやに蒼い。
その空を見上げながら、カサは、戦士たちの隊列の中ほどを歩いている。
若く、経験の浅い戦士たちはみな、隊列からこぼれないたようカサのいるあたりに固められる。
部族の拠点、天幕の並ぶ夏営地から離れるにしたがって、砂が細かくなり、地面がゆるくなってゆく。砂漠、と一口に言えどその地質は一様ではない。砂礫の転がる所や地盤のしっかりとした所、そして今彼らが歩くような、いかにも砂漠という、足を運ぶたびにくるぶしまで埋まってしまうような粒子の細かい軟砂、それらを一くくりに「砂漠」と呼ぶ。
ブオッ、音をたてて風が巻く。
砂をくらった幾人かが、体勢をくずす。
「あっ」
体の小さいカサは、そのまま転んでしまう。
星状砂丘の稜線からすべり落ち、裾野で砂にまみれて止まる。
長すぎる槍と水袋が、そちらこちらに散らばる。
うつ伏せでぺっぺと砂を吐くその肩口が華奢で痛々しい。
「立てるか」
すかさず降りてきたブロナーが、カサに手を貸す。
「カサ、戦士の行進の邪魔するなって言ったろ」
「許してやれよ、まだ子供だ」
「そうさ、間違ってこんなところに迷い込んだんだ」
ハハハ、悪意まじりの笑い声がひびく。最後のせりふを引き取ったヤムナは大得意顔だ。
「戦士長、そんなやつ置いていきましょう」
ブロナーがにらみつけるが、調子づいた彼らは知らん顔でいる。
「どうした」
低い声。若者たちがそろって身をふるわせた。
大戦士長、ガタウである。
先頭から様子を見に来たようだ。ひざまずくカサのもとに滑りおりながら近づいてくる。
「カサが……」
「転んだのか」
ブロナーに叱りつけるように、ガタウが言う。その声が怖くて、カサは身を硬くしている。
たて皺の深い眉間。首から下げられた三本の牙は、異様に黒く太い。
鋭い眼光でしばらく、疲労の体のカサを見つめ、ガタウは告げる。
「よし」
みながガタウに注目する。
「休憩だ」
「ああ……!」
若い集団から安堵の息がもれる。
彼らも限界だったのだ。
槍やら食料やらの荷物を地面におろし、一人用寝具のケレを日よけにかぶり、戦士たちがくつろいでいる。
砂麒麟というサボテンから突き出た手足のような、子吹き、と呼ばれる部分をもぎり、しぼってあふれる水を急くように口に流し込んでいるのは、まだ若い戦士たちだ。
カサは、膝を抱えかかとあたりの砂をじっと見下ろしている。
「お前のせいで、こんなところで休憩だ。わかってるのか?」
ヤムナが言う。新人戦士の中で、彼だけがまだ余裕を見せている。
カサはもう消えてしまいたかった。
――どうして自分はこんなところに来てしまったのだろう。
――どうしてこんな事になってしまったのだろう。
――もう、帰りたい。
カサの心は、完全に折れてしまっている。
もとより、負けん気の強い性質ではない。
やがて
「行くぞ」
というガタウの地鳴りのような声が聞こえ、
「はい」
と返す長たちの声とともに、戦士たちが立ち上がった。
歩き出したカサの前に、ブロナーが立つ。
「貸せ」
そう言って、カサから重い水袋をひったくる。
「良かったなカサ、荷物を持ってもらえて」
からかう声が少年の背を刺すが、カサは足元だけを見つめて歩く。
空は、もう見ない。
夜になり、戦士たちは野営地で休息をとる。
砂漠の夜はきびしい。
昼間の苛烈な熱さは気配もみせず、凍えんばかりの寒さが世界を支配する。
みなが外気から逃れようと、身を寄せあって寝ている。
横向けにきれいにならんだ腰から胸までを、三人一組で一枚の分厚い布をかけている。
マレ、と呼ばれているその寝具は、他者と肌を寄せあい、砂漠をわたる夜の風をふせいで体温を保つ砂漠の民の知恵の産物である。
獣に襲われた際に生地に足を取られぬため、凍えようと手足を少し出し隠してしまわない。
そんな中、カサはマレから抜け出して、野営地から外れた場所で、また膝を抱えている。
近づいてみると、その肩が震えているのが分かる。
耳を澄ませてみれば、ひくっ、ひくっ、としゃくりあげるのが聞こえるだろう。
夜闇の中、涙にぬれた頬が、かすかな星の光を照りかえす。
――こんなところまで、来てしまった。
――もう、帰れない。
――どうして、明るいうちに逃げ出してしまわなかったのだろう。
邑が、家族が、友達が恋しかった。
――ヨッカたちは今ごろ、何をしているだろうか。
――安らかに寝ているのだろうか。
――それとも、遅い食事を、友人や家族たちと楽しんでいるのだろうか。
――陽気な大人にからかわれて、苦い仙人掌酒なんかを飲まされたり、甘い赤花の干した実なんかを食べたり、それから……、それから……。
「泣いてるのか?」
いつの間に来たのだろう、ブロナーが、カサのすぐそばで言った。
慌てて涙目をこするカサ。
いつから居たのだろう、カサは恥じた。
――自分を、弱いやつと思っただろう。もうどうでもいい。
どうせここからは逃げ出せないのだそんな投げやりな気持ちにもなる。
――自分なんか、そのまま死んでしまえばいいんだ。
ポタポタと涙が、細い鼻梁を伝って砂に落ちる。
ブロナーは、そんなカサの首を、いたわるように揉んだ。
「俺もよく泣いたよ」
カサは、ならんで座るブロナーを見た。
「帰してほしい、邑に帰りたいって、今のお前みたいに一人で」
ふ、とそして笑うブロナーは、昼間、戦士たちの中にいる時にはなかった柔和な顔をしている。
「だって……みんなが……」
カサの声は、もう言葉にはならなかった。
細い細い泣き声をあげて、もう一度泣きはじめるカサ。その首を、ブロナーの無骨な手が揉んでいる。 まだ少年の首、まだ少年の頭だ。
大人に成長するしるしさえないこの体で、邑長や戦士長たちはいったい何をさせようというのか。
「もう大丈夫だカサ」
ブロナーは言った。
「明日からは俺がお前のそばについてやろう」
慈しむような声に、カサは涙でくしゃくしゃにした顔をあげる。
「荷物が重ければ、半分持ってやろう」
「倒れたらまた、支えてやろう」
「ヤムナたちがうるさければ、しかって黙らせてやろう」
そしてブロナーは、優しい父の顔で言った。
「それでよいか?」
カサは答えなかった。ただ涙顔で、くり返しうなずいた。