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砂漠の戦士  作者: ハシバミの花
第二章 戦士
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〈五〉コールア

 日没近くになり、ガタウはようやくカサを開放した。

「明日も同じ刻にここに来い」

 その言葉を聞きながら、ああこれが毎日つづくのだと、カサは仰向けに大きく大の字になったまま思う。

 何の感慨もない。

 希望もなく、絶望もない。

 あるのはただ、肉体の軋みだけ。

 ずっと槍を持ち上げていた左腕が水袋のように重い。

 しなやかであった手の平は、血豆ができ、潰れ、皮がめくれて無残に変わり果てている。

 槍尻を押さえ込みつづけた腰も、トジュを脱げば、内出血で青黒く変色しているのが判るだろう。

 痛みを通り越してしびれるような無感覚になった身体を漠然と意識しながら、目の前のはるか天空を見る。

 焦点の合わない目で刻々と色を増す宵の濃紺の天頂を眺めていると、横たわるカサの身体の上をツェズン、乾燥したつむじ風が乗り越えてゆく。

 サリサリと、誰かの足音。

 ジャ。

 耳元で立ち止まる。

――誰だろう……。

 女だ。逆光で表情は読めない。白黒の衣装が風にはためく。

「聞いたわよ」

 声で判った。

――コールア。

 思い出した。狩りを終え、邑に帰ったその日の事を。

 あの暁の空を。



「ヤムナ!」

 戦士たちの集団に割って入るコールア。

「ヤムナ! ヤムナは!?」

 眼を輝かせるコールアと、誰も顔を合わせようとしない。

 弾んだ声が沈む。

「トナゴ。ヤムナは!」

「……え、いや……」

 うろたえるトナゴに、コールアがつめ寄る。

「ヤムナはどこ!」

 トナゴは黙り込む。

 一人の男が出る。

 戦士長ジト。

 ヤムナの隊の、戦士長だ。

「ヤムナは、戦霊になった。ウォナとソナジとブロナーと共に」

 一瞬の沈黙。

「嘘!」

 必死の否定。

 だが誰一人コールアを肯定しない。

 唇をかみ締め、もう一度言う。

「嘘!」

 やはり誰も肯定しない。

「……娘」

 ガタウだ。

「女は戦士達の所に来てはいかん」

「……!」

 一瞬ガタウを睨み、踵を返し、憤然とその場を後にするコールア。

 カサを縛り付けたディクスのそばを通りすぎざま、眼が合った。

「あなたが代わりに死ねばよかったのに」



 その時のコールアの、涙をためた冷たい眼が、ずっとカサの脳裏から離れない。

 きっと今も、そんな顔をしているのだろう、見下ろす顔をじっと見つめると、だんだん判別で来るようになって来た。

 見下ろす眼には、やはりと言うべきか、怒りと蔑み。

「あなたが逃げたから、狩りが上手くいかなかったんだってね」

――ああ、そんな話になっているんだ。

 もちろん逃げたのはカサではないし、狩りが破綻したのもカサのせいではない。

「あなたのせいでヤムナが……」

 声がつまり、持ち直し、

「ヤムナが、死んだのよ」

 カサは眼を閉じた。

 弁明することに意味が見出せなかったし、コールアは自分の話など耳にする気はないだろう。

――そう思いたいなら、そう思われていればいいや。

 投げやりに考える。

 その沈黙を、コールアは別の意味に取った。

「やっぱりね」

 憎しみにゆがんだ眼をカサに落とし、

「あなたが死ねば……」

 その先をつづけることができない。その代わり、

 バシッ!

 耳に激しい痛み。コールアに蹴り上げられたと気づいた時には、彼女は歩み去っていた。包帯がずれ、視界をふさいでいる。

 汗をかきすぎて、包帯の表面に塩が粉を吹いている。顔を覆う包帯をぬぐい取り、カサはもう一度空を見た。

「おおい、カサ!」

 遠くで誰かが呼んでいる。目だけで見ると、数人の男達。

「遊びはもう終わりか! よかったな、大戦士長にかまってもらえて!」

 トナゴだ。という事はその周りに居るのは同期の戦士たちだろう。

「死んじまえばよかったんじゃないのか!」

 別の誰かが言う。

「ハハハ!」

 追従笑いのどこかに懸命さがある。

 彼らもまたヤムナの死を背負いきれないのだ、すべてをカサになすりつけ、自分は楽になりたいのだ。

――コールアにあの狩りのことをいったのは、トナゴにちがいない。

 あれが自分のせいだと知られたくないし、思いたくないのだろう。その姑息さがトナゴらしい。

――なら、それでいい。

 カサはもう一度目を閉じる。

――女は戦士たちの所に来てはいけない。

 ガタウの言葉を思い出す。

 部族では、戦士たちは狩りの前後、女気を断つ。

 女は生を産み、男は死を生む。

 死を身にまとう戦士が女に触れると、よくない事がおきるとされている。

 つまりあのガタウの言葉は、

――ヤムナに死をもたらしたのは、コールアだ。

 という意味を内包している。

 はなから迷信の類だと思っていたのか、それともそれを忘れるほど浮かれていたのか、狩りに出るあの日、コールアは戦士たちの所に押しかけ、そしてヤムナと触れ合った。

 それが原因でヤムナが命を落としたのだと考える者は、迷信深い年寄りを始め、少なくはない。

――ならばすべてを自分のせいにしてしまえばいい。

 体を苛む疲労と、心を苛む誹謗が、今のカサには心地よいのだから。

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