終幕
これにて砂漠の民の物語、一巻のお終いとさせていただきます。
さて此れを書いて居る今、私は大陸に居る。幸運に恵まれて友人の発掘調査に帯同出来たのだ。無論正式な研究員では無いので全体自腹で在る。
「乗員一人分なら捻じ込めぬでも無いが、どうするかね?」
そう友人が言うので、此れ幸い資金を掻き集め勇んで参加させて貰った。生受けて初めての異国行き汽船に乗し、我が町我が住居の愛くるしい程の細やかさや、展望デッキから見下ろす大地水平が丸く見える程の海の広さや大陸の大きさには、甚だ感銘を受けたと云わざるを得まい。
無論最も感銘を受けたのは、此の天幕の外に広がる赤い砂漠で或る。
広大で在った。そして剣呑でも或る。
「余り地平を眺めてばかりだと、其の内仙人掌に化けて根付いて仕舞うぞ」
飽きずに眺め続ける私を友人が幾度も揶揄ったが、其れでも私は此の風景を見飽きる事は無かった。其れは手慰みの中で幾年月も冒険した、我が心に長年燻り続けた情景で在った。
剣呑の方には参らされた。蠍や百足と云った毒虫は私が思うより遥かに多く毒も強く、無遠慮に寝床に侵入しては背中から首筋に過たず張り付くのである。更に昼は酷暑で夜は極寒の気温差に神経を遣られてしまい、完全なる回復には十日以上も費やしてしまった。
出会いも有った。友人が歌の翻訳を勤めて暮れた件の青年と引き会わせて暮れたのだ。成る程言語堪能にして思考明晰、小柄乍も調査隊で一番能く働く頑健な肉体の持ち主で在った。只酒精に頗る耐性が有り、毎晩彼の酒席に付き合わされた事も、私の不調が長引いた理由の一つで在ろう。
唄も聞かせて貰った。周囲に反響する物が無い環境に住む民族独特の唱法は、発声に独特の伸びと張りが有り母音が豊富で、砂漠で濁酒片手に鑑賞する私の旅心を大いに満足させてくれた。持ち込んだ記録機械類の操縦などを担当して居た私で在るが、録音を願い出ると快諾してくれた。
「必要なら、楽器、用意しますよ」
そんな約束もしてくれた。物語に出て来た打鼓等も見せてくれると言う。彼の細君は唄と踊りの名手で、録音に合わせて呼ぶとの事、実に楽しみで或る。
「其れにしても、名前がカサとは」
左様に仕切りと笑われて仕舞ったが、此れは仕様が無い。
最早是までと観念して白状するが、カサとは彼らの言葉で“少年”の意味で在る。
夕暮れ消え行く地平を見詰めて居ると、友人が隣に立つ。
「何が見える?」
槍を掲げた赤い装束の少年が、と答えてみたかったが止めて置いた。前方左手には発掘隊が未だ労働して居る。埋葬されたと思しき白骨と、副葬品に槍先が出たと言って、発光機等を用意して設置して居る。戦士の墓なのだろう、夜を徹して発掘するのだと言う。心持を表明出来るなら、戦士の魂を暴かずそっとしてやって欲しかったがそうも行くまい。現地政府の発掘許可の期日も迫って居た。
「奢り高ぶった西の帝国が、東原征伐で砂漠を渡ろうとした逸話でも思い出して居るのかい?」
彼女の悪趣味には苦笑いさせられる。
古代と中世の狭間、然る帝国が五拾萬の兵員を以ってこの地を蹂躙した。皇帝の命令を賜った帝国兵は女子供容赦なく殺戮し、其の様相は酸鼻を極めたと云う。丁度戦士達が居住区を離れる、狩りの月を狙っての侵攻で、其れは易々と成功した事だろう。彼らが躓いたのは其の直後、戦士達に依る抵抗活動が本格化してからである。夜目が利き死を厭わぬ彼らは、頭数僅か壱千五百の寡兵乍ら、夜毎猛烈為る勢いで帝国兵を殺戮した。砂漠を抜ける迄に帝国兵は其の数四拾萬を切り、兵站物資を奪われ、疲弊し怯えた兵は最早戦争の役に立たず、目的地の東原にて少数に打ち破られた。平坦な砂漠を迂回して、峻険な北部より帝国領に戻らんとする兵を待ち受けて居たのは、本文中の山岳民族と共闘する砂漠の戦士達だった。ほうほうの体で自国領に戻った時、皇帝の手勢は五百に満たぬ有様だったと云う。帝都に戻った皇帝は其の儘病床に伏し、翌年死んだ。死の前日迄ずっと黒き槍の部族を恐れ、彼の地に踏み込んだ愚を悔やんだと言う。
「夜に成ると闇より黒き槍が顕れるのだ。黒き槍の男達が、獣の声で唄い乍我らを取り囲み、一人また一人と殺すのだ」
其れが書記の記録した、皇帝最後の言葉であった。威厳を失った帝国は内部諸侯や周辺諸国に領地を食い千切られ内紛し、其の年を跨がず滅んだ。
砂漠の戦士の勇猛を伝える人気の英雄譚で在ったが、私が専ら好むのはもっと細やかな、彼らの暮らし振りや唄の様な身近な事柄で在った。
「戦士達の狩って居たとされる獣の痕跡は牙だけらしいが、一体如何なる怪物で、全体どんな生態だったのだろう」
戦士と其の唄、そして美術品足る牙は数多く残されて居るのだが、肝心の獣の牙以外はと云うと、てんで出土せぬ。あんな物は架空だ、伝説だけの生き物だと言う怪しからぬ者まで居る。
我が恥と知りつ、もう一つ告白してしまうと、コブイェック為る生物に付いての描写は、なので全体私の想像の産物である。小物の名や料理と云った身近な物品の名称なぞはどうにか調べられた物の、獣に付いては存在其の物が神格化されて居り、其の姿から生態迄丸切り不明で在った。其方に付いても友人から散々揶揄を受けたが、遣り取りの細部に付いては差し控えさせて頂く。
「君が唐突に物語を書き創めたと知って思うのだ。例えばだぞ君。あの冊子の唄や牙の様な物を媒介に、人は過去と会話出来るのでは無いか。君が戯れに書いたと思って居る物語、それは、実際生きた人物たちと、魂で会話をしたのでは無いかと、こんな風景を見て居ると、ふと其の様な莫迦莫迦しき考えに囚われて仕舞うのだ」
友人の独白に、私は感想を差し挟まなかった。長年の付き合いの中でも親密な接触の無かった我々であったが、常より近く感じた彼女の肩を私は自然に抱いた。彼女も自然私の背に手を廻した。私達は其の様にして、ずっと夕日を眺めた。
完全に日が沈むまで、我々はじっと赤き地平を見詰めた。戦士、獣、唄、巫女、砂漠は其の全てを飲み込み、今尚人類に己が荒々しさを突き付けて居る。
眼前の冷厳足る雄大を前に、此の地にて幾千年の年月を生きた人間全てが、同じく畏怖したに違い或るまい。
以上で、すべての内容が無事投稿と相なりました。
一年あまりにわたる連載におつきあいいただきまして、誠にありがとうございました。
読んでいただいた方々はいうに及ばず、「いいね」や感想の投稿、ことに閲覧者を一気に増やしてくれたイチオシレビューを投稿してくれた方には、感謝の念がたえません。
つづけて別作品の投稿を行いますが、またおつきあいいただければ、これ以上の喜びはありません。
ありがとうございました。