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砂漠の戦士  作者: ハシバミの花
第五章 流転
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〈四十八〉友喰い

 ラシェが祈りをささげる後ろに、同じく祈りを捧げる集団ができている。

 皆が、心を一つにして、夕陽に頭を垂れている。

 ラシェはひたむきにカサの無事を念じている。

 その手の中には、カサに貰った赤い木片。

 背後を固めるその集団には、ベネスの邑人も、サルコリもいる。

 誰が最初に、ラシェと共に祈りだしたのか、今では判然とせず、気がつくとこうだった。

 ラシェも、自分の背で祈る人たちに気づいているが、なぜそんな事をしているのかは知らない。

 ただ、祭りの時に、素晴らしい唄と踊りを見せたあの巫女が、一心に祈る姿に心を動かされたのである。

 祈る人影は、一人また一人と増え、その数今や、百に迫る。

 そしてその数は、今なお増えつづけているのである。

 エルが遠くからそれを眺める。

 あの日から、エルはラシェと一言も話していない。

 強くなじった事を悔やみながらも、聞き分けのないラシェに対する苛立ちも消えない。

――謝ろうか。

 刻を置いて素直になると、自分の言葉が過ぎたことも理解できる。

 だがラシェの姿を見つけると、エルは逃げるようにその姿を隠してしまう。

 ラシェの言うとおりだった。

 サルコリの仕事は、日がな終わる事がない。

 よく邑の者が言うような、寝ているだけの怠け者の集団ではなかった。

 ラシェはグラガウノ(機織階級)の一番下に属するエルなどよりも、よっぽど働いている。

 ラシェもまた、寂しい思いをしている。

 だが自分が謝るべきだとは、思っていない。

 何度かエルを見かけた時、逃げるように避けられてとても悲しかった。

――友達だと、思ってたのに。

 ちょっと拗ねている。

 いつか捕まえて、無理やり挨拶してやろうなどとも、考えている。

 エルがいないと、ラシェには一人も味方がいなくなる。

 ソワクもゼラもヨッカもセテも同じ目線で語り合ってはくれず、心休まる相手ではない。

 ラシェに祈りを捧げる人間たちが、ラシェをさらに孤独にしている事に、エルは気づいている。

 珍しく、この夕はコールアも姿を見せている。

 目が合い、エルが胡乱にその顔を見つめ続けると、コールアが狼狽えて目を逸らした。

 エルがコールアからラシェに目を戻す。

 今日も陽が沈む。

 寂しさが際立つ背中に、エルはどうしても声をかけられない。



 カサと斑の息づかいが混じりあう。

 いつの間にか陽が暮れている。

 辺りには闇が満ち、やがて月が昇り始めるであろう。

「ゴアアアアアアアアアアアアアアア!」

「オオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 斑が吼え、カサも負けじと吼える。どちらも消耗が激しい。激突し、交錯し、絡みあい、けん制しあう。どちらにも、決定的な一撃を得られぬまま、朝に始まった闘いは、いつしか夜までつづいていた。斑は飽く事なくカサを追い回し、そして好機と見るや一気に距離をつめとどめを刺しにくる。カサの心臓を食らうまでは、その背を追う事をやめぬだろう。

 だが、カサの攻撃も峻烈さを増していた。命を捨てて踏み込み紙一重で獣の爪をかわし、隙と見るや懐深くに槍を突きこむ。抜群の運動能力で攻撃範囲を出入りし翻弄する。その動きはもはやガタウを超え、更なる高みに達している。

 そんなカサでも、斑を斃すのは至難であった。

 槍が短いのも災いし、幾ら突けど急所の破壊には至らない。

 斑は体中から出血し、そしてカサも同様に、体の各所で傷が開いている。

 両者は最早、互いの姿以外何も見ておらず、恐怖も怒りも忘れ、ひたすら相手の攻撃をかわし、隙を見て強烈な攻撃を加える事だけを考えている。

 これだけの長きにわたる闘いをつづけながら、どちらの眼も昇り始めた月よりも強く輝き、互いの命を求める。

 獣の凶暴性に引きずられるように、カサは己の奥深くに秘めた獣性を引きずり出し、叫ばせる。

 その姿はすでに人間ではなく、一頭の獣であった。

 カサは獣のごとく狂気を放散している。

 もはやカサには言葉も理性も必要ない。

 ひたすら獲物の血肉を欲するだけの肉食獣になりきっている。

 危険を楽しむ壊れた喜び、痛みを喜ぶ狂った衝動。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 カサが吼え、斑も吼える。

 互いの血肉を貪り食わんと、歯をむき出しにして闘いつづける。たっぷりと血を含んだ本能をいきり立たせ、自ら狂気を解き放つ。凶暴な牙をむき出しにして、両者は際限なく絡みあう。


 そしてまた、陽が昇る。


 気が狂いそうなほど、緩慢で急激な時間の流れ。

 戦いつづける忘我の二頭の獣は、もはや限界など遥かに超えている。疲労に血を吐き失血に意識を分断されながら、砂袋のように重たい己の四肢を酷使し振りあげ、果てしなく遠くにある獲物めがけて、己が武器を叩きつける。


 そしてまた、陽が沈む。


 カサは、肩で息をしている。

 斑も、肩で息をしている。

 疲れが明らかになっているというのに、どちらの眼も、更に光が増している。

 闘いに、終わりが迫っていた。

 どちらも動きに鈍りが明らかで、避ける事が出来なくなってきた。

 程なく勝負は決まる。

 凄惨な消耗戦に、ようやく幕切れが訪れようとしているのだ。

 カサの槍は、もう槍ではない。

 割れ、砕け、削れて短くなり、握った先はひとつかみほどの長さしかない。

 獣の爪もまた、爪として機能していなかった。

 両前肢の爪、すべてが、折れ、割れ、剥がれ、根元から血を流している。

 どちらの手の武器も、もはや一撃で相手を必殺する得物足り得ない。

 だが斑にはまだ、牙があった。

 口からはみ出す、信じられぬほど長い牙。

 その左、緩く弧を描く外側に赤い筋の通った、ひときわ長い牙。

 この砂漠で、どんな獣より多くの血を吸った、もっとも強き武器。

 そこに斑は最後の力を溜める。

 最後に残ったひと噛みに、すべてを賭けようというのである。

 この上なく漆黒で、この上なく純粋な殺意。

 獣の顔はもうすでに、カサを食らう喜びに奮えている。

 全身の栄養が、この一撃のために必要な部位に集められる。

 斑が距離をつめ、カサを仕留めにくる。

 短くなった槍は、もはや素手と変わりあるまい。

 絶体絶命。


  ヒッ。


 カサが、凶暴に嗤う。

 状態は最悪、状況も最悪、なのにカサは嗤っている。

 確かに、手にある槍は、もはや武器として形を成していない。

 握った両手の爪も、武器代わりに使って剥がれ、血が滲んで指先は真っ赤になっている。


  だが、カサにもまだ、武器があったのである。


「ゴワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 立てば高さ十八トルーキを超える巨体の突進。

 眼前に突き出されたカサの槍は、このニ昼夜絶え間なく斑の全身を引きちぎりつづけた物だ。カサはそれを駆使し、あらん限りの技法で斑の四肢を、皮膚を、筋肉を、爪を、骨を砕きつづけた。それは斑の生涯で、最も斑の肉体を傷つけた恐るべき牙だった。それがコブイェックの幼体の牙はどの長さしかなくとも、その先端は常に斑を痛めつけてきた脅威の牙なのだ。

 だから斑は、カサがその槍を手放したのに気づくのが遅れた。

 怒り狂う斑の鼻先に、カサはその槍を投げおいた。

 槍の先端に集中して意識のおざなりになった前肢での打撃をかわし、大きく顎を広げて迫る牙も紙一重でかわし、身を丸めて地を転がり、獣の後肢の付け根、前腰の上部腸骨窩を砕いて刺さったままになっている槍をつかみ取り、両足で胴体を蹴ってねじるように引き抜き、また地に転がって体勢を立て直し、

 カサの目的を知った斑が、

 急いて追撃を加えるべく

 ふり向こうとしたその瞬間


 首筋に


 鍛えこんだ褐色の槍先


 己の体の一部を用いて作った


 この砂漠でもっとも硬い先端を


 爆発的な勢いでねじりこむ。


 ベキリ。

 頚椎を砕く、おぞましき破砕音。

 カサの槍先が、斑の太い首を貫き、串刺しにする。

「――――――――――!!」

「――――――――――!!」

 斑が痙攣して吠え、カサが狂喜して吠える。

 カサが槍を引き抜き、再び首に刺しこむ。

 斑が暴れる。

 生え根のみ残ったその爪が、カサの顔を浅く切り裂く。

 カサが槍を抜き、更に獣を突く。

 首を捻っても届かぬその牙が、空しく噛み合わされる。

 カサが槍を抜き、突く。

 頸動脈が切断され、血筋が二本真っ直ぐに噴く。

 斑が絶命の雄叫びを上げ、斃れる。

 カサが、突く。

 太い喉が破れ、空気が漏れて笛のように甲高く鳴る。

 斑の肉体が、死を目前にした、最期の痙攣を始める。

 倒れた巨体に跳び乗り、カサが、突く。

 斑の目が恐怖に見開き、この砂漠で一番強かったその顎を、その巨大なる牙を剥く。

 カサが、突く。

 カサが、突く。

 斑の全ての生命活動が停止する。

 カサが突く。

 カサが突く。カサが突く。カサが突く。カサが突く。カサが突く。カサが突く。カサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突くカサが突く。薄汚れた銀の髪を振り乱し、その瞳は、狂気に彩られている。斑の体は、とっくに動く事をやめている。剛毛に覆われた皮がめくれ、筋肉の切断面が見え、腹圧で背や腹から紅くぬめる内臓が飛び出し、血と黄色い脂肪と消化液とリンパ液が噴き出し、ついにそれが止まっても、カサは突くのをやめない。


 また、朝陽が昇る。


 獣を屠り、一人残されたカサが哭く。

 それは誰にも届かぬ、孤独な獣の咆哮。

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