表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂漠の戦士  作者: ハシバミの花
第五章 流転
165/176

〈四十二〉真実

「………ここは………?」

 カサはしばしの間、呆然と立ち尽くす。

 風が消え、巻き上げられる砂煙も消え、視界が開けた。

 なのにカサの目の前に広がるのは、広い地平線ではなかった。

 壁。

 いや、岩か。

 巨大な一枚岩が、そこにそそり立っている。

 岩肌は夕陽に照らされて、赤く光を放っている。

 それは息を呑むほど、荘厳な光景であった。

――これが…………!

 カサは不意に理解する。

――これこそが、砂漠の真実…………!

 巨石の足元にたどり着く。

 計り知れないほど大きい。

 高さは見当もつかず、両端を見れば地平線までつづきそうに長い。

 岩というより、それは壁である。

 その足元には、緑が多い。

 掌ほどの幅の浅い川が流れ、近づけば岩が見えないほど植物が密生している。

 これだけ植物が生い茂っているというのに、動物の気配がないのはなぜなのだろう。

 動物だけではない、虫すら見あたらない。

 カサは手元の広葉樹に生る、緑の実を一つむしり、口に入れる。

 青く、苦い。

 顔をしかめてそれを無理に飲み干し、手の平ですくって、何度も水を飲む。

 顔を上げて、生い茂る木々の向こうに、不思議なものを見つけた。

 岩肌に大きな穴がある。

 地の底までつづいていそうな、ゆるい傾斜の大きく深い横穴。

 カサは吸い込まれるようにそこに入ってゆく。

 寒い。

 中の気温は、不自然に低い。湿気が多く、カサのたてる微かな物音が反響する。

 通路のように長い洞穴を、カサは迷う事なく奥へ奥へと進む。何者かに呼ばれているように、その足取りには迷いがない。

 進むごとに岩肌は狭く、低くなり、垂れ下がる鍾乳石や石柱が増え、カサの歩みを阻害する。

 足元は粘土。

 これが不透水層となって地質に水分を保っているのであろう。

 外からの光が途切れ、つかの間視界が失われる。

 だがしばらく経つと闇に慣れた眼が、ぼんやりと光る岩肌を拾い出す。

 発光性の苔類や地衣類が壁を照らしている。

 縦横にある光源に照らされ、立体感のない洞窟をさらに進む。

 岩壁はさらに狭まり、やがてカサは這いずらねばならなくなる。

――!

 足元が崩れてカサは大きく落下し、軟らかい地面に叩きつけられる。

 カサを受け止めたのは、肌理の細かな白砂。

 手をつくと、手首までがずぶりと沈む。カ

 サは慎重に身を起こし、

「ああ………!」

 そして、そこに見る。

 巨大な空洞。

 巨大な水源。

 地底湖という言葉を、もちろんカサは知らない。

 だが目の前にある光景がどういったものであるのかは、すぐに理解できた。

 これは砂漠の、いや、世界の中心なのだ。

 世界はここより始まり、ここに終わるのだ。

 天井や壁には一面、発光植物が光を放ち、先ほどよりも明るく、幻想的な空間を形づくっている。

 気がつくと、カサは水の中に歩みを進めている。

 ザブリと足首が水に飲まれ、すぐに膝までが沈む。

 何と澄んだ水であろう。

 汲んでしばらく置いておかねば泥濁の沈殿しない、カサたちの邑の井戸水とは大違いである。

 水はどこまでも透明で、水底の砂は果てしなく白い。

 左手で水をすくい、

 そして、カサは一口、その清水を喉に流す。

 極限にまで達していた疲労が、カサをじわりと飲み込む。

 カサの体がゆっくりと前にのめり、水面が優しく全身を受け止める。

 傷だらけの体が、深い水底へと、静かに沈んでゆく。

 たゆたう意識が、次第に溶けてゆく。



  闇


  光


  青


 ……青?

 感覚も感情も、記憶すらない世界に、カサはいる。

 己の存在を意識すると、拡散していた光が収束し、カサの体と記憶を形づくる。

 違和感。

 とうの昔に失ったはずの物がある。

――右腕が、ある。

 喜びもなければ恐怖もない、この時カサはただ、何かを観測するだけの装置である。

 目の前で、何かが回っている。

 夜のような暗闇の中、まわる何か。

 巨大な球体だ。

 色鮮やかで不規則な模様が、全面に描かれている。

 いや、模様ではなく、絵であろうか。

 多いのは、青。

 空のように真っ青な、青。

 次に、白。生成りの生地のような、純白の白。

 それから、茶と緑。赤色砂岩のような赤茶色と、雨後の新芽のように鮮やかな、緑。

 その時球体の向こうから、もう一回り小さな球体が顔を出す。

 黄味がかった、白。

 表面に、軽石のように無数の窪みがある。

 何かが閃く。首をめぐらせると、そこに強い光源を見つける。眩しくて直視できないほど強い光だ。

 直感が、理解に変わる。

――あの眩しいのが太陽で、そして表面が荒れた白いのが月………。

 そう、そして

――この青い球体が、僕らの大地なのだ。

 だが、それでは何かがおかしい。カサの見慣れたものがない。

――砂漠は? 僕らの砂漠は、どこなんだ?

 ゆっくりと回る球体の側面に近づき、それを見つける。

 そこは今まさに夜になりつつあった。

 水に浮いた、ひと抱えほどの大地の、ほんの一握りの砂地。

 そこが、カサたちの住む砂漠であった。

 人が懸命に生き、そして死んでゆく砂漠。

 世界の全てだと思っていた、赤い大地。

 それが、これほどにもちっぽけな場所だったとは。

 カサが、カサたちの住む砂漠を包み込むように、愛しげに手を当てる。

 この中に、カサに知るすべてがある。

――僕たちは何と儚い存在なのだろう。

 仙人掌も、人間も、獣も、そしてヒルデウールでさえも。

 世界をも揺るがせると思っていたあの峻烈なる嵐が、たったこれだけの場所でしか吹かぬちっぽけな風だとは。

――僕たちは、何と小さく、懸命な生き物なのだろう。

 そして、

――この世界は、何と大きな装置なのだろう。

 カサの心に、何かが広がってゆく。

 すべてを俯瞰した人間だけが持ちえる、とても大切な気持ち。

 心を震わせる感慨に、全存在を浸す。

 カサという器が、力強く重みのある何かに満たされる。

 カサの肉体がとろけて曖昧になり、カサの意識が放散する。


  青


  光


  闇


「……ぅ……」

 自分が漏らしたうなり声で、意識が戻る。

 カサは、突っ伏して倒れていた。

 手をついて、身を起こす。

 右腕はない。

 左手には、しっかりと槍を持っている。

 首をめぐらせると、大きな岩山がそこにある。

 あの洞穴は、どこにも見当たらない。

――夢……。

 ではない事は、カサには解っている。

 あれは、夢ではない。

 あの啓示こそが、砂漠の、いや世界の真実なのだ。

 カサは立ち上がる。

 一体どれほど気を失っていたのであろうか、全身の傷は回復が始まり、皮膚の裂け目からまだ薄朱色の肉芽が、再生を始めている。

 全身にのしかかっていた疲労は、まるで吹き均された様に、掻き消えている。

 最高の状態ではないが、疲労が疲労を生む循環からは、抜け出せた。

 カサが岩山に背を向ける。その先には、あの砂煙の世界。

――"斑"はまだ、そこにいる。

 あの獣は、カサをつけ狙っている。

 奴はこの程度であきらめたりはしない。

 その命が尽き果てるまで、カサを追いつづけるであろう。

 今カサは、食料もなければ水も持ち合わせていない。

 カサの最大の導き手はこの世を去り、残ったのはこの槍一本のみ。

――いや、まだ僕にはラシェがいる。

 愛しいラシェ。彼女のためだけに、僕は生きよう。

 カサが決意と共に足を踏み出す。


 そこがどれほど過酷な世界なのかなんて、嫌と言うほど知っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ