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砂漠の戦士  作者: ハシバミの花
第五章 流転
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〈四十〉茫漠の地

 ラシェが祈っている。

 遠い地にあるカサの無事を信じ、祈っている。



 幾日が経ったのであろう。

 カサは自失の体で一人、足をただ前に出す。

 この真実という名のついた土地を、一人、ただ黙々と歩く。

 その首には、ガタウの下げていた、獣の牙を結んだ革の紐が下げられている。

 遺品である。

 あの後、獣の牙をむしり取り、ガタウの亡骸を略式で葬り、カサはその地を離れた。

 心にぽっかりと、穴が開いていた。

 ガタウを失った虚空は、何物にも埋めがたいほど大きなものであった。

 ラシェですら埋める事は不可能だろう。

 それほどカサにとって、ガタウの存在は大きかった。

 ラシェの存在はいうなれば、生きる目的と喜びの象徴である。

 だがガタウの存在は、カサにとってこの世界で生きるための骨格であった。

 ガタウの死。

 カサにとってそれは、ヒルデウールですら及ばぬ天変地異なのである。

 あれから幾日が経ったのであろうか。

 ここに来るまでに、カサは何頭もの獣と遭遇した。

 喪失感を埋めるために、カサは槍を振るいつづけた。

 この少年は、それ以外に悲しみを紛らわせる方法を何も知らない。

 その槍は非情であった。

 いずれの獣も、カサの槍の前に撃ち斃されてゆく。

 カサはただ、そこに獣がいるというだけで獣を殺しつづけた。

 その数はいつの間にか、十を遥かに超えている。

 カサの胸の革紐には、信じられぬほど巨大な獣の牙が、ハリエニシダに纏わりついた朝露のように鈴なりにぶら下がっていた。

 これはガタウの最初の試練の時に狩った数を、はるかに上回っている。

 カサはただ無感動に、狩り場よりもはるかに大きな獣たちを次々と狩り、その牙を抜いて集めた。

 獲った牙を自分の革紐にくくりつけ、ただ歩き、干し肉を食いちぎり岩塩をかじり、疲れきると気絶するように寝た。

 寝込みを教われた事もある。

 間一髪起きたカサは、たった三つ突いただけでその獣を殺した。

 ここにきて、カサの槍はさらに威力を増している。

 その速さ重さ正確さは、死の直前のガタウ、かつてない最高の闘いを見せたあのガタウに迫っていた。

 カサが目的すら失いかけ、煙る大地をさ迷っていたときである。

 首筋にチリチリと、焦げつくような視線を感じる。

――獣か。

 平板に思う。

 手に握ったままの槍は赤黒い血に濡れたままになっており、カサはことさら警戒する様子もない。

――近いか、それともまだ様子見か。

 この地全体に漂う強い獣臭に紛れてまだ知覚できないが、カサは自分を狙う彼の肉食獣が、すでに背後にいると確信している。

 ミシリ。

 前方で地面がきしむ。

 カサが砂でけぶる前方をうかがう。

――僕を、待ち伏せている。

 呼吸十も前には、背後に気配を感じていた。

 いつの間に回りこんだのであろう、今は前方に居る。

 戦士階級でも頭抜けて明敏な感覚を持つカサですら気づかぬうちに、獣はその相対位置を大きく変えていた。

――新手? いや、違う……!

 間違いなく、先ほどからカサをつけ狙っていた奴だ。

――足音が聞こえなかった。ならば小型の獣か。いや……

 そんなはずはない。

 カサの勘が告げている。

 足音を聞き逃すほど小さな固体に、これほどの圧迫感はない。

 違和感は、すぐに警戒に変わる。

 カサの全感覚が危急を告げる。

 今までの敵とは違う。

 こいつはただの獣ではない。

 そして、そいつが風の向こうからゆっくりと姿を現す。

――!

 黒い艶のある毛並み、低く重いうなり、カサを油断なく射抜く、金色の瞳孔。

 ゾワリと、すべての体毛が、戦慄に逆立つ。

「……ァ……」

 悲鳴を上げそうになる。

 そいつは、今まで数々の修羅場をくぐり抜けてきたカサをして、ひと睨みですくみ上がらせた。

 恐怖に絞りあげられた気道が、呼吸を笛のように鳴らす。

 ズルリ。

 獣が、二足で立ち上がり、巨石のごとき胸を膨らませ、唾液の粘つく口に、長く白い牙をぎらつかせ、そして赤茶けた風舞う頭上にうっすらと青く、狭い空を消し飛ばさんばかりに吼える。


「ゴオオオオオオアオアアアアオアアアアアッアアアアアアアアアアアアアアッアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッアアアアアアアアアアアアアアアアッアッアッアアアアアア!!!」


 強烈な咆哮に、カサと世界がビリビリと震える。

 瞬間風が消え、轟音に大地の砂が躍って噴霧する。

 頭部の毛が幾筋も白化し、斑模様になった容貌。

 立てば大きさ十八トルーキ(6メートル)に達しようかという巨体。

 "(マダラ)"。

 それは、ガタウが最後に戦った片目よりも、さらに大きな獣であった。



 祈りつづけるラシェを、多くの邑人が見守っている。

 その清廉な横顔に、誰もが魅入っている。

 ラシェを遠巻きに囲むのはベネスの者ばかりではない。

 最近では、サルコリの者も多く、ラシェを見守るようになっている。

 ラシェが何かを変えつつある。

 邑人たちの中に巣くっていた、暗い部分に光を当てている。

 夕陽が沈み、地平線に一筋のこした光も消えた。

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