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砂漠の戦士  作者: ハシバミの花
第五章 流転
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〈二十六〉戦果

「しかしお前も、思い切った事をするな」

 呆れ顔でいるのはソワク。

 そのソワクの天幕での事である。

「だって、あの人食べ物を踏みつけにしたのよ? そんなの許せない」

 ふくれっ面のラシェ。その一本気なところに潔さを感じ、痛快で仕方ないのはソワクである。

「まああの娘も、いつかは痛い思いをせねばならん人間ではあったが、まさかお前とは」

 肩をゆすって笑う。そこに割って入ったのは、エルである。

「だけど、この後コールアが何をしてくるか、判らないわよ?」

 ずっとラシェを毛嫌いして来たこの娘が、今日は積極的に会話に参加している。

「気をつけたほうが良いわ。本当にあの人、何するか判らない女なのだから」

 どういう心境の変化なのであろう。

「俺も見ていたけど、でもちょっとすっとしたな。だってコールアといえば、カサに酷い言葉をぶつけていたし、皆から疎まれていたから」

 今度はヨッカである。

 その隣には、トカレまでいる。一体この天幕の中に、何人の人間がいるのであろうか。

「およしなさい、そういう風に言うのは。誰かを軽んじると、それは我が身に返ってくるものなのよ」

 やんわりとたしなめたのはゼラ。

「そうよヨッカ。調子に乗ってはだめ」

 トカレもたしなめ、ヨッカが首をすくめる。

 夜も更け始めているが、この天幕の中には大人ばかり。子らは皆すぐ隣に建つラシェの天幕で、手遊びの最中である。

 大人たちの前には料理があり、酒がある。

 騒動を聞いてソワクがヨッカを呼びつけ、持ってこさせたのである。

 恋人のトカレも荷物運びについてきたのだが、エルは偶然居合わせ、その流れでここにいる。

「だってあの人、以前カサに言い寄ってたのよ? それであんな事したんだわ。許せない!」

 ラシェだけは酒を飲んでないが、興奮して頬を高潮させている。ソワクが怪訝な顔をし、

「そうなのか?」

 驚いたのはソワクだけではない。

 ヨッカもトカレもゼラもである。とりわけエルは、大げさに見えるぐらい、大きく顔をしかめる。

――コールアが、カサに想いを寄せていただなんて!

 そういう思いが強い。

 よりによって、最悪の相手である。

 もしもカサがコールアになびいていたらと思うと、ゾッとする。

 あの自意識の強い高慢な女がカサを手に入れたら、カサはカサではなくなるであろう。

 エルがもっとも惹かれた無垢な部分は、見る影なく穢れてしまうであろう。

「そうよ! カサが、トジュが半分脱げたまま走ってきたんだから! それで聞いたら、あの邑長の娘に押し倒されたって言うのよ!」

 その姿を想像して、ヨッカだけは心からカサに同情し、他のみんなは忍び笑う。

「そりゃ災難だ。いや、案外カサも満更じゃなかったかも知れんぞ」

 面白がるソワクだが、

「そんな訳ないじゃない!」

「カサはそんな男じゃないわ!」

ラシェとエルから挟み撃ちにされ、面食らう。

 それからまた可笑しそうに笑い、

「そういえば俺も、邑長からあの娘を嫁に貰えと迫られた事があったな」

 みな意外そうな顔をする。

 ソワクは心底参ったという顔をして、

「ありゃ確か、カサが普通だったら成人する歳だ。だから今から、三年ほど前か」

 エルは驚く。初耳である。

 ゼラは事情を聞いているが、取り立てて騒ぐ話でもないと考えているので、この話を知っている者は、ほとんどいない。

「天幕に呼び出されて、何かと思えば、うちの娘を嫁に取れ、だ。一体何を考えていたんだか」

「それで、どうしたんだって?」

 エルは詰問口調である。

「今こうしているだろう。断ったよ。俺にはゼラも、子供たちもいるしな」

「別に頼んじゃいないよ」

「そう言うな。お前に惚れてるんだ」

 妻の憎まれ口に、滑らかに夫の声がかぶさる。

 こなれたやり取りに、夫婦のみが持つ強い信頼と深い愛情が垣間見えた。

 ソワクのような夫が欲しいと思ったことはないが、エルの求めるぼんやりした男女の形は、仲の良い姉夫婦である。

 トカレが誰にも気づかれぬようそっとヨッカの手を取る。ヨッカがちらりとトカレを見たので、正面にいるラシェにだけがそれに気づく。

「あの人も、哀れな人だわ。これから先はもう特別扱いされる事はないでしょうね」

 トカレが寂しそうに言う。

 トカレとエル、そしてコールアは同じ歳である。

 三人はこれまで、互いにほとんど口を利く事もなかったが、ラシェとカサの騒動で、不思議な根のつながりができてしまった。

 だがコールアが今後どうなってしまうのか、そんな心配をしているのはトカレだけであろう。

 トカレもまた、ラシェほどではないが、あまり恵まれた育ちの人間ではない。

 父親がサルコリに放逐されており、それが理由で幼少期に育てのソワニ(育児階級)からひどい虐待を受けた。

 ゆえに転落する人間に対して、トカレは同情を禁じえない。

 そんなトカレの過去を知るのは、ヨッカくらいのものだが。

「コールアは、今後つらい思いをするでしょうね」

 それが自業自得なのだと判っていても、トカレはそういう人間を、見たくはない。

 消沈するトカレの手を、ヨッカが優しく取って包む。

 言葉は要らない。

 それが、深い関係を持つ男と女なのである。

 そんな二人をソワクとゼラは微笑ましく、そしてラシェとエルは眩しげに見ている。

「しかしお前も、危うい所にいるんだぞ。もしもカサとの間に子供でも出来ていれば、言い逃れはできなかったからな」

 ソワクが話を変える。言わんとする所は、こうである。

「子供がなかったから、お前たちはまだ通じていないかも知れぬと、皆が思える。だがもしも通じているのが皆の知る所になれば、処分を引き伸ばす事などできないからな」

 反発したのはラシェである。

「子どもなんて出来る訳ないじゃない! だって、私とカサは、まだ、その……」

 契りを結んでいない、と宣言するのはさすがにはばかられ、ラシェは言葉を濁す。

「何だと? じゃあもしかしてお前とカサは、まだ通じてもいないのか?」

「当たり前じゃない」

 呆れるソワクに、ラシェが気まずげに返す。

 話題が話題なので、頬がやけに赤い。

「なぜだ」

「どうして?」

「まだなの?」

「まだなんだ……」

 ソワクとゼラとトカレとエルが、ひと繋がりに言う。

 なぜ? ときかれても、困る。

「な、何でって、だって……」

 カサがしようとしなかったのだから仕方がない。言うのもはばかられる内容である。

 ラシェは関係を望んでいたのだが、カサが自制するので、無理強いする事でもないと幾度も引き下がったのだ。

 意外ではあったが、納得しているのはヨッカである。

――カサらしい。

 おおかた、ラシェのあれこれを考えすぎて積極的になれなかったのだろう。

 その姿が目に浮かぶようで、

「カサは、そういう事を簡単にできる人間じゃないから」

自然擁護する立場になる。

「それだけ、ラシェを大切に想っていたんだよ」

 ヨッカがにっこり笑う。

 幼馴染が言うのだから、きっとそうなのだろう。

 ラシェは気恥ずかしそうに身をよじり、エルがムッと唇を突き出す。

「しかしなあ、」

 呆れるやら感心するやら、ソワクはどういう顔をすればいいのか困っている。

「そんなあやふやな関係で、よくもまあこれだけの騒ぎを起こせたもんだ」

 二人にはもっと確固とした繋がりがあるのだとソワクは思っていた。

 だからカサは、ラシェのためにあれほど懸命になったのだと。

「あやふやじゃない」

 ラシェがぴしゃりと言う。

 ラシェにとって、カサとの関係はいまや、確固としている。

 体のつながりなど無くても、それが崩れる事などありえないのだ。



 やがて酒が尽き、寝てしまった子供たちを引き渡し、ラシェたちはソワクの天幕を出る。

「ねえ」

 ラシェを呼び止めたのはエルである。

 すでにヨッカとトカレは帰っており、恋敵同士二人っきり。

 ラシェは身構える。

 エルといえば、昨日までラシェにな堅い態度をとりつづけていた娘だ。

 理由も何となく判っているので、ラシェはエルに対して引け目を感じている。

「私もカサが好き」

 それだけ言うと、エルはさっさと行ってしまう。

 ラシェは呆然と残される。

 空には、満ちゆく月。


 祭り囃子が迫っている。

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