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砂漠の戦士  作者: ハシバミの花
第五章 流転
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〈二十五〉衝突

 ラシェが食料を受け取りに行った、ある昼である。

 その日に出る食料の余り、根菜や燻製肉の歯切れなどをサルコリに与える場所があり、ラシェもそこにお世話になっている。

 ソワクに頼めば、邑人たちと同じようにカラギの世話になる事もできたであろうが、それをよしとしないのがラシェである。

「こんにちは」

 挨拶をすれども、誰も返事をしない。

 特別扱いをされているラシェと目を合わせるサルコリはいない。

 ここでもラシェは孤立無援である。

 だがこうなるとラシェは気丈だ。

 ふて腐れてしまえば誰かの思う壺、ラシェは返事がない事を知りながらも、挨拶を欠かさない。

 いまだ返事は返ってこないが、ソツキなどはそれでも人目のない時は話しかけてくれたりする。

 それはラシェにとっても、数少ない元気づけられる材料である。

 この日ソツキには会えなかったが、ラシェは気にした様子を見せず自分の天幕に帰ってゆく。

 その際、カラギの作業が行われている天幕が並ぶ間を通るのだが、そこでラシェは初めてコールアと出会った、それは次のようであった。

 ラシェが天幕のそばを通るときに、ヨッカと目が合った。

 カサの一番の友人だというヨッカは、カサに聞いていた通り、とても親切にしてくれている。

 毎日のようにラシェたちの元を訪ねては、何か食べ物を置いていってくれる。

 そしていつも、

「何か足りない物はないか。困っている事はないか」

 そう訊いて、事あるごとに手を貸してくれようとする。

 カサが帰ってくるその日まで、ラシェたちを守ってくれようというのであろう。

 もちろん親切はありがたい。

――できるだけ誰の手も借りずに生きよう。でなければ、サルコリはいつまでも無駄飯食らいのままだ。

 ラシェにはラシェの矜持がある。

 それに従って生きる事で、ラシェは自分に誇りをもてる。

 だからラシェのヨッカに対する返答は、いつもこのようであった。

「ありがとう。でも、物は足りています。気は遣わないでください」

 ヨッカはもどかしかったであろう。

 今この時に、命を危険にさらしているかもしれないカサ。

 ラシェはヨッカに目礼だけで通りすぎる。

 目障りなサルコリの娘と親しくしているという話が伝われば、ヨッカにも迷惑がかかってしまう。

 ヨッカは少し何か言いたげな顔をするが、委細承知してラシェをそのまま行かせる。

 そしてラシェが、カラギの天幕を通り抜けようとしたその時である。

「みすぼらしいわ」

 ラシェの前方をさえぎる影。

 白と黒の衣装に、派手な刺繍の入った太い帯。

 背はカサより少し高く、ラシェよりも高い所にある目が、傲岸にこちらを見下ろす。

 ラシェはピンと来る。

――これが邑長の一人娘なんだわ。

 多数の男をとっかえひっかえしているという、邑で噂の放蕩娘。

――確かに顔立ちは、美しいけれど。

 だが、その裏にある荒んだ空気が、ラシェには良い印象を与えなかった。

 邑長の権力と生来の派手さ。

 そういった薄っぺらな物にしがみついている中身の無さが、透けて見える。

 こういう手合いは相手にしても仕方がない。

 ちょうど仕事の忙しい時間で周りには人目が多く、揉めていい事は何一つ無い。

 ラシェが無視して脇を通り抜けようとした時である。

「どこへ行くの? 穢れたサルコリの娘」

 ラシェの歩く前をふさぐ。

 こちらを逃がさない構えだ。

 皆の前でサルコリをいたぶろうというのである。

 ラシェは莫迦莫迦しくなり、

「……どいてくれない」

 ラシェがコールアを真正面から見たその時である。

 パンッ。

 乾いた音が鳴る。

 そしてバラバラと、抱えた荷物が地に落ちる音。

 頬を押さえたラシェが、地に伏している。

 苛立ったコールアが、生意気なサルコリ娘を叩き、それから突き倒したのである。

「サルコリは、サルコリの中で生きるがいいわ。穢れた者は、穢れた中で生きるべきなのだから」

 動かないラシェに、勝ち誇ったようにコールア。

 転がる燻製肉のかけらを踏みつけ、

「カサはあなたなんかが想いを寄せても良い人間ではないの。だってカサは、誉れある戦士なのだから」

 ラシェがゆっくりと立ち上がり、体についた砂を払う。

「分ったら」

 コールアが肉片を踏みにじる

「早くここから消えなさい」

 完全に貶めの言葉。

 これまでラシェの存在がずっと気に入らなかった。

 これでこのサルコリ娘も身の程を知り、自分の住処へ逃げ帰るだろう、満悦顔のコールアも、見物していた邑人も同じように思った。

「フン」

 コールアが鼻であざ笑う。

 だが、見下したラシェの目に、強い光が宿っている事に、コールアは気づかなかった。

 パァン!

 さっきよりもはるかに大きな音。

 悲鳴。

 コールアが倒れる。

 皆、愕然としている。

 コールアは言わずもがな、燻製作業の半ばのカラギたちも、機を織っているグラガウノたちも、駆け回る子供や、それを追いかけるソワニたちも、たまたま通りかかったザンゼといった者たちも、みな動きを止めて騒ぎの中心の二人を見ている。

 頬を押さえ、驚愕の目で相手を見つめている豪奢な邑長の娘と、それを受け止めなお悠然と立つ、汚い服をまとったサルコリの娘。

 ラシェが、コールアを力の限り張り飛ばしたのだ。

 ありえない光景である。皆が目を見張るのも無理のない話であろう。

「……な、にを……!」

 屈辱に打ち震えながらコールアがラシェの狼藉を言いたてようとするが、ラシェの気迫に呑まれてか細い声は言葉にならない。

 背も体格もコールアの方が豊かで逞しいのに、今ここに立つラシェは、それを凌駕して余りある威圧感がある。

 赤い大地を踏みしめる両の足、伸びた背筋とぴしりと張られた胸、そして凛とした表情にその瞳、向けられた者が涼しさを感じるような切れ長の目に宿る黒い瞳が、物理的な力を持ったようにコールアを圧倒している。

「……あなたが今踏んだその肉は、」

 ラシェの声も震えている。

 だがそれは怒りによるものだ。

「カサが命を賭けて狩った肉よ……!」

 ラシェがこぼした食料を拾い上げる。

 コールアが怯えてビクリと身を震わせる。

 踏みつけにされた肉から砂を払い、ラシェがコールアを見下ろす。

「カサや、カサの物を踏みつけにするなんて、許さない。もしもまだあなたがこの肉を踏みつけにしようとするのならば……」

 そこで言葉を切り、怒りをにじませた声で、

「……私はあなたを、殺すわ」

――私が、殺される?

 傷つけられる意味を思い知り、そしてその先に死があるという実感が、コールアをさらに怯ませる。

 だがラシェは、それ以上の事は何もせず、無言で自分の天幕へと去っていった。

 一部始終を見ていた邑人たちの中に、コールアと同じ歳の娘の姿がある。

 エルである。

 エルはグラガウノ(機織階級)に属しており、今起こった二人の衝突を、すぐ目の前で目撃してしまったのだ。

 当然、二人の会話も聞いている。

 聞いてはいるが、信じられない内容であった。

――サルコリが、邑長の娘を叩くなんて。その上脅すような言葉を吐くだなんて。

 それはあってはならない事なのである。

 コールアといえば、邑では誰もが恐れていた女なのだ。

 邑長の力が弱まったとはいえ、あのコールアが打たれたままでいるはずがないのに、

――なのに、あの子はどうしてあんな事ができたのかしら。

 コールアが怖くないのであろうか。

 サルコリだから、邑長の怖さを知らないのであろうか。

 それともサルコリだからこそ、人を平気で打つのだろうか。

 コールアがよろけつつ立ちあがり、やがて呆然とした顔でどこかへ消える。

 それを見て、人々はホッとしたようにざわめきを取り戻す。

「驚いた。まさかあのサルコリの娘が、やり返すとはな」

「まったく、サルコリというのは礼儀も知らぬ。だがあの鼻持ちならない邑長の娘も、これで少しは静かになるやも知れぬ」

「しっ。そのような放言は後が怖いぞ。衰えたとはいえカバリの娘、何をしてくるやも知れんからな」

 無粋な笑い声が上がる。

 エルは黙々と機を織りつつ何かを考えている。

 この一件により、エルの中でラシェの存在が変化した。

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