〈二十二〉域外
カサとガタウが真実の地に向かって以来、邑に浮ついた空気が流れるようになった。
歴史的な事件の中にいる、その興奮がウズウズと心を刺激するのであろう。
実際この冒険行は、主に商人を通じて邑から邑へとあっという間に砂漠全土へと広がった。
新たに生まれ得ようとする英雄譚に、心踊るのは当然であろう。
いい顔をしない者もいる。
筆頭は、邑長カバリ。
あの夜戦士が決起して以来、邑長の地位は地に落ち、カバリの権威はまさしく砂にまみれてしまった。
鼻薬に頼ったカバリの権力と、組する者たちの能力の脆弱さが、実力行使の前に露呈したのである。
カバリの勢いを錯覚し欲望に負けた者たちと共に、ついに悪事を清算する時が来た。
変化は顕著であった。
まずカバリが呼びつけても、誰も顔を出さなくなった。
カバリの天幕に二人っきりでいると、周囲からあらぬ目で見られるというのがその理由である。
中には実際に良からぬ企みをしていた者も多数いるのだが、カサがウハサンの名を口走った事もあり、カバリ周辺の胡散臭さがさらに印象づけられてしまった。
ついで、カバリに手を貸したとされる職長たちが、各階級で次々とその地位を失いつつあるのだ。
カバリに組するという事は、下のものを抑圧するという事である。
社会が機能的でなければ、砂漠の厳しい環境変動には対応できない。
この部族は機能性が求められる社会であり、それを十分に構築できぬ者には皆の支持は得られない。
かくてカバリとそれに寄り添う者たちは、大幅に力を殺がれる事と相成った。
大巫女が年老いたのを好機と見たカバリが、過ぎたる野望を目論んだのがそもそもの原因なのだが、今さらカバリがしおらしく省みる筈もない。
――この凋落のすべての元凶は、傲慢な大戦士長と鼻持ちならぬ若い戦士だ。
その言葉に理がなかろうと、そう主張せねばならなかった。
だがいくら吠え立てようと、人心の離れたカバリの言葉には何の力もない。
邑長の仕事である各階級間の折衝も、これまでなら互いの長を呼びつけてカバリが断ずればそれまでであった。
だが、今ではその二つの長の元をカバリがわざわざ訪ね、その間を駆け回らねばならない。
しかも誰もがカバリを、あからさまに侮蔑する。
気位の高いカバリには、それが腸煮えくり返るほど腹立たしい。
――おのれ、見ておれ。
心で毒づくも、カバリの邑長の地位も今や手のひらの砂山の如し。
一人娘のコールアには長たる器量も意欲もなく、次なる機会に祖父から三代つづいた邑長の座を追われる事は、誰の目にも明らかだった。
本来なら厚かましくも邑の中に留まっているカサの恋人のサルコリ娘とやらを、この手で打ち据えて追い出しているのだが、娘はガタウに変わって新たに戦士階級を率いる大戦士長ソワクの庇護にある。
その上カサとの関係が切なく語られ、邑の中で若者中心にサルコリ娘に同情する者まで出てくる有様。
もはやカバリにできる事といえば、ガタウとカサと、ラシェの未来を呪う事だけであった。
コールアもまた、侮りを受けた。
放蕩を繰り返していたこの娘も、周囲からの尊重が目減りしている現状に、苛立っている。
以前ならば視線すら合わせられなかった地位の低い男に、野卑な声をかけられるようになった。
カバリの力がなくなった今、誰もコールアなど恐れなくなった。
気の強いコールアである、大声で侮辱し、時には殴りつけるが、どいつも薄ら笑いを浮かべるだけでコールアに従おうとしない。
自由気ままに生きてきたコールアは、それでも邑の若い男女たちの間で、ある種の地位を築き上げていた。
カバリとは違うやり方で、主導権を握っていた。
恐れはされなくなったが、コールアはいまだに腫れ物のように扱われている。
そのコールアの苛立ちの種のラシェ。
あのカサがすべてを投げ打って守ろうとした女。
カサはその女のために命まで捨てようとしている。
そして女も、カサのためならば命を捨ててもいいというほど一途であるという。
――たかだかサルコリに……。
今日までサルコリなど、動物の糞の如く考えていたコールアである、そのサルコリに自分の頭を踏みつけにされるとは、ついぞ思ってもなかった。
遠目で見た女はやはりみすぼらしかった。
そんな女のどこが良いのであろう。
自分のどこがあのサルコリ娘に劣っているというのであろう。
コールアには理解できなかった。
女とは美しい者が一番優れているのだと、美しくない女などは何の意味もないのだと、そう信じてきた。
なのにあのカサの選んだのはコールアではなく、あのみすぼらしく穢れたサルコリ女なのである。