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砂漠の戦士  作者: ハシバミの花
第五章 流転
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〈十八〉注視する者たち

「あの娘、そんなに綺麗かな」

 ソワクの天幕の中、すねた顔でエルがゼラに問う。

 カサの心を惹きつけるラシェが、気に入らないのだろう。

「さあね、カサにとっては、綺麗に見えるんじゃないの」

 お座なりに答えるゼラだが、カサがラシェのどこに惹きつけられているか、はっきりと分かった。

 二人は同じ寂しさを抱えた人間なのだ。

 同じ感情を共有しながら、だけどラシェはカサにはない強さを持っている。

 その強さこそ、カサのように心が大きく欠落した人間には必要なのだ。

「私あのラシェって娘、あまり好きじゃない」

 カサを取られたという気持ちがあるうちは、好きになれぬであろう。

 だがエルはまだ若いのだし、男はカサ一人ではない。

 ゆっくり選ぶがいいと、ゼラはのんきに構えている。

「そう? まあよく知らないうちから、誰かを悪く言うものじゃないよ」

 やんわりとエルの短慮をたしなめて、ゼラは天幕内の片づけをつづける。



 天幕に戻ったカサにガタウが申し付けたのは、新しい槍身を作る事であった。

 数は、六。

 そんなに多くの槍身を、一体何に使うつもりなのかと訊くと、

「真実の地の獣は大きい。油断すると、すぐに槍を砕かれる」

 戦士が狩り場で槍身を折られる事はままあるが、カサは今まで経験がない。

 たが、ガタウは折られると言う。

 カサはゴクリとつばを飲み、

「それがぜんぶ折られたら?」

 ガタウは事もなげに答える。

「死ぬだけだ」

 戦士たるもの自分の槍身は自分で用意するもの、だから槍身の作り方ならばカサもお手の物だ。

 もはや言うべき事は無いと、

「夜にまた来る。それまでに終わらせておけ」

ガタウは言い置いて出てゆく。

 カサは手元に槍身にする前の真新しい唐杉を引き寄せ、それらの長さを揃える事から始める。

――行かないでよカサ……。

 脳裏にラシェの懇願が(こだま)する。

 もしも立場が逆なら、カサはやはり同じようにラシェを引き止めるだろう。

 それが解っていながら、真実の地へとおもむく以外の道は、もはやカサには残っていない。

 今、カサとラシェは処分保留の状態にある。

 戦士と通じ、そして邑に足を踏み入れて天幕を張りそこに弟と住む。

 ラシェが処分されていないのは、カサが真実の地へと赴き、生死を別つその試練を乗り越えるかもしれないからだ。

 もしも乗り越えればラシェは咎めなしとして、今後二人で人生を歩む事ができよう。

 だがもし、カサが道半ばで斃れてしまえば、ラシェは今までの咎をまとめて受けねばならない。

 ゆえにカサに選択肢はない。

 万人に死が待つという真実の地に、カサが活路を拓かねばならないのだ。

 だが、真実の地とは、一体いかなる場所なのであろう。

 狩り場よりも、さらに大きなコブイェックが、そこに棲むという。

 ガタウの首から下げられた、図抜けて大きな牙を思い出す。

 カサも数多くコブイェックを見てきたが、あれほどの牙を持つ個体は、見た事がない。

 ガタウが見た、一番大きいものは背丈十五トルーキ(約五メートル)を大きく超えていたという。

 ゴクリ。

 口に沸いた唾を、苦労して飲み下す。

 十五トルーキもある獣の姿を想像し、寒気に背筋のうぶ毛が総毛立つ。

 そのように大きな獣を、一人で相手するというのは、一体どういう気持ちなのであろう。

 そしてどのようにすれば、そんな大きな獣を狩る事ができるのだろう。

 たった一本の槍で、単身獣と対峙する。

 それは一の槍よりも、はるかに困難な戦いであろう。

 そしてその狩りで、もしも遅れをとるような事があれば……。

――死ぬだけだ。

 ガタウの言葉が、現実味を帯びてカサの心に鳴り響く。

 カサは一つ身を震わせると、死の手触りを振り払うように、その後は黙々と作業に没頭する。



 その夜も、トカレの天幕にヨッカは来ている。

 二人は普段と同じように、共に食事を摂っている。

 配給すべてが終わるまで時間が取れないため、カラギ(食糧管理階級)の者は、いつも他の邑人よりも遅れて食事を摂る。

「ヨッカ」

「うん」

 トカレが差し出した椀に、ヨッカが二杯目のシダクル(麦粥)をよそう。

 別の椀に、ナコザ(根菜を茹でて潰した物)を盛り、トカレに渡してくれる。

「ありがとう」

 トカレは受け取る。

 年下の優しい恋人に、トカレは満足している。

 初めてヨッカから愛情を示された時、トカレは戸惑った。

 成人して間もないヨッカはまだ子供にしか見えず、トカレに充分な喜びを与えてくれるようには見えなかったからだ。

 だが気をつけて見れば、ヨッカは真面目だし一途で、充分に成熟しているとは言えないが、それほど子供でもない。

 それに、ヨッカの持つつぶらな瞳は、笑うととても綺麗に輝く。

 若さに似合わず辛抱強いヨッカに、やがてトカレもほだされ、惹かれていった。

 そのヨッカが、ここ数日黙り込むようになった。

 今もそうだ。

 食事中しながらの会話が二人の一番親密な時間なのに、今日二人で話した事といえば、さっきのやり取りと、あとは仕事に関する伝達のみ。

――きっと、カサの事に違いない。

 昨日からつづく一連の騒ぎは、トカレも良く知るところだ。

 派閥分けするならば、カラギは邑長派の急先鋒である。

 人数が多く勢力もあり、そして戦士階級ほど閉鎖的でもない。

 だからであろう、カバリはカラギに、多くの人脈を持っていた。

 その人脈も、先の騒ぎで多数の怪我人が出、戦士階級と対立する愚を知った多くの者がカバリに背を向けている。

 それ自体は、ヨッカやトカレにとっては、歓迎すべき状況であった。

 カバリの支配力は、いわゆる腐敗した組織に成り立つもので、取り込まれた長に就く者の多くは今回の騒動でそのあおりを受けた。

 とはいえカバリと手が切れれば、それだけで組織が浄化されるものでもないが。

 そしてヨッカは、黙り込んでいる。

 カサの事を考えているのであろう。

 昨日からずっとこの調子である。

 トカレは他者を尊重する人間だ。

 何かしら本人が考慮の末に得た結論こそ、当人の納得するものであり、無理に話を聞きだして他人が断じた結論を押しつけても、相手は受け入れないと知っている。

 だから今も、黙ってヨッカを見ている。

 ヨッカが、トカレの視線に気づく。

「……何? どうかした?」

 トカレは優しく笑い、

「何か心配事?」

 訊いてみる。

 もう丸一日こうなのだから、どんな形にせよ答えに近いものは出ているだろう。

 言いたければ言うだろうし、そうでなければ言わないだろう。

 話して楽になるのならば、トカレはそれを黙って聞くだけの分別を持ち合わせている。

「別に……」

 ヨッカが難しい顔で言うので、まだ話せる段階には来ていないと判断する。

「そう」

 トカレも深追いする事はない。二人はまた、黙って食事を摂る。

「カサは……」

 ヨッカが頬張ったまま、聞き取りにくい声で話す。

「これから、どうなってしまうんだろう」

 ヨッカは優しい人間だ。

 特にカサとは同じソワニに育てられた事もあり、とても親しくしていて、カサの事になるとヨッカは、まるで自分の事のように喜び、怒り、悲しむ。

「どうなるって?」

 トカレが辛抱強く訊く。ヨッカは首を振り、

「判らない」

 途方にくれて黙り込む。

 カサが真実の地におもむくという話は、冬営地の嵐、サヒンブールのように邑を駆けぬけた。

 今や子供でさえ、この話を知っている。

 そして、カサの想い人だという、サルコリの娘の事も、同じように邑の端々まで伝わっている。

 数日、邑はこの話で持ちきりであった。

 砂漠は厳しい世界だ、カサは死にサルコリの娘は不幸になってしまうに違いない、だとか、いやいやカサなら見事試練にを乗り越え、砂漠の真実を手に入れて帰ってくるに違いないだとか、各々好き勝手を言っている。

 よほど邑長と親しい者以外は、心中でカサの肩を持っている。

 だが、期待すればするほど、裏切られるのは嫌なものである。

 ひねくれた物言いをする者の多くは、傷ついた時の言い訳のように、否定的な未来を語る。

 ヨッカはカサに無事帰ってきてほしい。

 だがその難しさを、感じてもいる。

 だからカサが帰ってこれない未来を想っては、心を痛めているのだ。

 トカレは、そんな恋人を元気づけてやりたかった。

「ヨッカ」

 ヨッカが顔を上げる。

「カサを信じてあげて。帰ってこれるって、信じてあげて」

 トカレは優しく笑って言う。

「ヨッカが信じてあげなきゃ、誰がカサを信じるの?」

 ヨッカはしばらく考え、そして気が抜けたように笑う。

「そうだね。僕が信じてあげなきゃ」

 最後に鍋の底をこそげ取り、二人は食事を終える。

 一つの夜具に寄り添って入り、静かに眠りに落ちてゆくトカレとヨッカ。

 体を交わさずとも、二人でいられるだけで、恋人同士は幸せなのだ。

 カサと、あのサルコリの娘にも、そんな日が来るのであろうか。

 トカレは目を閉じる。

 すべてが終わったら、ヨッカにトカレの秘密を打ち明けよう。

 とびきり幸せな、今はまだトカレ一人の秘密。

 トカレには判っている。きっとヨッカは喜んでくれるだろう。

 ヨッカの腕枕で、その寝息を感じながら、トカレも蕩けるように眠りに落ちてゆく。

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