〈九〉裁定
その夜、熱気冷めやらぬうちに、すべての戦士たちが戦士階級のセイリカ(大天幕)に集められた。
こちらでも、カサに対する処遇を協議するためである。
議題はラシェとの事ではない。
ウハサンたちとの、暴力沙汰の方を対象にしたものだ。
とはいえ先ほどの騒動で些細は判明しており、カサに非は見当たらず、いまさら重い処罰を望む声はない。
ラシェの身分は戦士階級内部のいざこざにおいては、何の影響力もない。
だが、カサの話だけで断ずるというのは、あまりにも一方的である。
建前で場を設けるも、肝心のウハサンたち六名のうち、出て来れたのはトナゴとキジリの二人のみ。
そのトナゴはありとあらゆる物におびえを示し、キジリは時折苦しそうに腹を押さえ、血の混じったよだれを吐いててうずくまる。
ここにいない者のうち三人は、熱を出して立ち上がる事もできず、一人は意識がもどらず、明日の生死さえ判らないという。
重篤なのは、ラヴォフ。
戦士階級でさえ持て余していた根腐れ者で、誰一人同情する者はなく、むしろ清々したとすら思われている。
ラヴォフばかりではない。
今回問題を起こした六人組は、戦士階級における落ちこぼれ集団、愚連隊であった。
真面目なカサにあてつけるように鍛錬を怠っていた負債を、支払う時がようやく訪れたのだ。
中でも最も問題視されたのは、トナゴ。
直前の遠征で、遭遇した獣に背を見せ狩りをぶち壊しにして犠牲者を出し、そして今日また、集団で女をかどわかすという恥ずべき行為に加担した。
通常戦士階級では、不始末ふくめ処分は祭りの後、冬営地への移動前もしくは夏営地に戻った後とされている。
慣例にならい沙汰は保留とされていたが、もはや猶予はならぬとこの場でまとめて処分される事となった。
「つまり、ウハサンがお前に女をかどわかす事を持ちかけたのだな」
仕切るのは、バーツィ。
そして証言するのは、シジである。ウハサンに誘われた中で、唯一仲間に加わらなかった男。
「はい」
シジは淡々としている。
上座に戦士長たち、下座に戦士たち、その二つに挟まれるように片側にカサ、もう片側にトナゴとキジリが離れて座っている。
その間に立ったシジが、バーツィの尋問に答えるという形で儀は進む。
「そして、夕刻それをカサに伝えた」
「はい」
ふうむ。
バーツィがうなずく。
対応は遅かったものの、今回の件だけに限っては、シジは重い罪に問えるような行為に手は染めていない。
関係者ではあるが、これ以上何も訊く事はないだろう。
そう思っていたら、
「これが初めてではないのです」
シジははばかりながらつづける。
これまでの事をすべて吐き出してしまうつもりの様だ。
「初めてではない、と?」
バーツィはどういう事だという顔をしたが、ソワクには思い当たる節がある。
「カサが狩り場で顔に傷をつくった時の事か?」
シジが答える。
「はい。それと、その前にも一度」
「莫迦者どもが……!」
罵倒と憤怒の鼻息が漏れる。
姑息なやりくちには、同情の余地すらない。
六人とも即刻戦士階級から放り出してしまうべきだと、誰もが考える。
「ウハサンに誘われ、カサの女だという理由で、六人がかりで女をかどわかそうとした。その前にも、集団でカサを痛めつけた事がある。以上間違いないな?」
キジリは黙ったままうつむいていたが、トナゴが騒ぎだす。
このままでは糾弾が全て自分に向くと焦ったのだ。
「何もかも、そいつが悪いんだ! ヤムナを殺したくせに、大戦士長に可愛がられたってだけで戦士長なんかになりやがって!」
腰紐抜けトナゴの身勝手な弁明。
そしてその姑息さから、言わなくても良い事まで口走ってしまう。
「最初の狩りで、死人が出たのはあいつのせいじゃないか! あいつが逃げ出したから、ヤムナが死んだんだ! なのにどうして俺だけが罰を受けねばならないんだ!」
カサは無表情にトナゴを見る。
この期に及んでもまだ己の弱さを直視せず、カサにありもしない罪をなすり付けまくしたてる。
「あいつが逃げたせいで、全部が反故だ! ヤムナはあいつなんかよりもずっと有望な戦士だったのに、それが悔しくて、あいつが殺したんだ! そうに決まってる!」
喚きたてるトナゴに、シジが怒りを込めてにらみつけ、
「あの時、あの狩りで、獣に背を向けたのは……っ」
トナゴを指差す。指されたトナゴが、目に見えてうろたえる。
「トナゴ、お前じゃないか……!」
「ヒィッ……!」
シジに指をさされ腰が砕けたトナゴは、うめくばかりで意味のある言葉は何も話せなくなる。
――やはりか……。
とか、
――成る程な……。
そう言いたげな蔑みの目が集まる。
「あの時、戦士長ブロナーが一の槍を突こうとしたその直前……っ」
シジもまた、この事で苦しんでいたのだ。
両拳を力の限り握りしめ、怒りに歯を食いしばらせながら、ついに吐き捨てる。
「お前が逃げ出したのだぞ!」
もう一度大きく指をさす。
「ち、違う……!」
「違うものか……!」
肩を怒らせ、シジはあらん限りの声で叫ぶ。
興奮しすぎて息が荒い。
その背中を見つめながらカサは、覇気が感じられないと言われがちなこの男が、あの夜の惨劇でいかに鬱屈していたのかを知る。
――苦しんでいたのは、僕だけじゃないんだ。
少しだけ気が楽になる。
最近はウハサンたちとは行動を共にする事のなかったシジだが、今までこの男に対して持っていた不信が、子供が作った砂山がスィエガロ、砂を巻き上げる強い風に吹き散らされるように、平らに均されてゆく。
「――それは、真か」
シジは肩で息をし、苦労してつばを飲み込み、
「……はい」
それだけ、何とか言う。これを受けてバーツィが、
「大戦士長に問う」
ガタウに発言の承諾を求める。
「何だ」
即座に応ずる。これまでの証言を聞いてなお、頬ひとつ動かす事のなかった男である。
「大戦士長は、もしや、この事を知っていたのでは?」
百人の戦士すべてが、一斉にガタウを見る。
「あの時、大戦士長だけが何も話さなかった。カサの責任を問う声も多かったのに、カサを戦士として残したのは、この事を知っていたからではないのか」
カサを戦士階級から追い出そうという声は大きかったのだが、ガタウ一人がカサを戦士として残すと譲らなかったのだ。
「見ては、おらん」
ガタウは、前方を見ずとも見て言う。
「だが、判ってはいた」
「何をもって?」
どのような材料で、そう判断したのか、そうバーツィは聞いている。
「その男の槍だけが、放り出されてあった。それと、倒れた者達や落ちていた槍を検め、それらの配置から判別した」
その男とはトナゴ。
もはや戦士ですらないという意味も込めてそう呼んだ
「背を見せたせいであろう、戦士ブロナーの一の槍はわずかに外に逸れていた。故に獣を足止めできなかった。その後の新顔戦士二人は万全の位置から槍を突いたが、毛皮すら貫いていなかった。そして、獣に対して、唯一手傷を与えていたのが――」
「カサ、だと?」
ガタウの言葉を引き継いだのは、ソワク。成る程、カサならばできたかも知れぬと、一人納得する。
「ならば何故、その時に伝えなかったのか?」
バーツィは問い詰めるが、
「信じたか」
「――む」
「十四の子供が、唯一獣に手傷を与えたなど、貴様には信じられたか」
確かに今のカサならばともかく、当時では容易に信ずる事などできなかっただろう。
もっともな話ではあると、バーツィは引き下がる。
一連の詮議を他人事のように眺めながらも、カサは不思議な面持ちでいる。
あの夜生じた齟齬は、カサの欠けた腕と同じく、一生このまま砂漠に残ると思っていた。
それが今、目の前ですべてがつまびらかにされ、あの惨劇についての誤りが正されてゆく。
カサの戦士の経歴において、唯一の汚点とされていた事件が修正され、歳若くして才能の片鱗を見せた、成長の一部と認識されるようになる。
どちらにしろ当のカサには興味がない。
――いまさらそれで、何がどうなるものでもあるまい。
評価が正されたというのに、カサに解消された感覚はない。
すでにあの事件はカサの心の一部、欠けた腕での生活と同じく心身の一部だった。
回りの認識など、カサにとってはどうでもよかったのだ。
「これより、大戦士長から処分が下される」
四人の二十五人長とガタウが、一言二言交わし、バーツィは判決をガタウに託す。
「六人は皆、戦士階級からの追放を命ずる」
トナゴが悲鳴のような声を上げる。
「俺じゃない! あいつなんだ! 本当にあいつなんだよ!」
引き際を知らぬ醜さ。
何ゆえこの男が、今日までこの誉れある戦士階級に属していたのだろう。
わめくトナゴが、キジリと共に戦士たちに引き立てられ、天幕から引きずり出される。
「もう一方の戦士には、三日の謹慎を命ずる」
こちらはカサへの処罰。
非は無いとはいえ、戦士階級において暴力沙汰は掟破りには違いない。
何の咎も無いというのであれば、後々憂いを残そう。
「はい」
カサも諾々と頭をたれる。
「そしてもう一人、こたび証言した戦士」
シジだ。
「その処分はこの後追って決める。戦士長とともに、顔を出すよう」
「はい」
シジは諾々とこれに従う。
全てをつまびらかにしたからには、もはや観念しているのであろう。
「それではこれにて解散。各自、天幕に戻れ。戦士としての誇りを努々忘れぬよう」
ガタウのこの言葉をもって、集会はお開きとなった。空気が緩み、人々が緩慢に散ってゆく。カサはシジに声をかける。
「――シジ」
シジがカサをふり向き、膝をついて謝罪する。
「……すまん」
カサの顔には、怒りも憎しみも無い。
ただ穏やかな、いつもの表情を浮かべている。
「いいよ」
そして、カサはシジを許す言葉を与えた。
「――ありがとう」
シジの目に、己を恥じる涙がにじむ。
傍を通りすぎる戦士たちは、そんな二人を見てみぬふりする。
シジが戦士長に伴われ、ガタウやソワクのいる所に向かう。
彼への罰が、重いものでなければよいとカサは願う。
「待て。まだ終わっていない議題がある」
場内ほっとした空気をかもす中、剣呑な声で詮議の継続を望むものがいた。
二十五人長、ソワクだ。
「カサは戦士階級において、どでかい過ちを犯した。それを正さぬ限り、この手の問題は繰り返し起こる」
皆、ソワクが何を言いたいのかわからず困惑する。
「言ってみろ」
ガタウが促す。
「カサは俺たちに嘘をついた」
シンとする。
「カサがあの夜の事を語らなかったせいで、今日まで間違いが放置された。それ故戦士階級はあんなバカどもを抱える事になったのだ。よって、カサへの沙汰が三日の謹慎程度では、納得できない」
誰もが――あ、という顔をする。
「お前のせいで、戦士階級は今夜大恥をかいた。なぜあの夜の事を語らなかった!」
ソワクの目には涙が滲んでいる。
――そうか、僕は長い間、ソワクを騙していたんだ。
どうなるものでもない、等と独りごちていた自分の勝手さを思い知らされ、カサがうなだれて恥じいる。
「よかろう」
ガタウが言う。
「二十五人長ソワク、一発思いきり殴れ」
ソワクはその通りにした。
そして涙混じりに吠えた。
「カサ! 貴様は戦士なのだ! 狩りにおいて、二度と嘘をつくな!」
倒れたカサに拳を見せつけ、重ねて言う。
「俺がお前の事をわかってやれぬなどと、二度と思うんじゃない!」
殴られた頬よりも、ソワクの言葉のほうが痛かった。
「――ごめん、ソワク」
「もう罰は受けた。お前は罪人ではない」
ソワクはカサを助けおこし、カサは素直に従った。
あっさりしたものだった。
それからソワクはガタウに向かって、
「大戦士長ガタウ、黙っていたのはあんたもだ。俺たちを見くびるな」
そして付け加える。
「俺があんたの言葉を信じぬなどと、二度と思わないでくれ」
ガタウは何か言おうとしたが、考え直したように
「そうだな」
とだけ答える。
ソワクの言葉は、この長い夜で何よりも正しかった。
全ての儀を終え天幕を出ると、夜空の星はいつもより目映く見えた。
清廉な夜気を胸いっぱいに吸い込み、カサはこの長い一日を振り返る。
――疲れたな……。
カサらしい、なんとものん気な感想だった。