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砂漠の戦士  作者: ハシバミの花
第五章 流転
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〈九〉裁定

 その夜、熱気冷めやらぬうちに、すべての戦士たちが戦士階級のセイリカ(大天幕)に集められた。

 こちらでも、カサに対する処遇を協議するためである。

 議題はラシェとの事ではない。

 ウハサンたちとの、暴力沙汰の方を対象にしたものだ。

 とはいえ先ほどの騒動で些細は判明しており、カサに非は見当たらず、いまさら重い処罰を望む声はない。

 ラシェの身分は戦士階級内部のいざこざにおいては、何の影響力もない。

 だが、カサの話だけで断ずるというのは、あまりにも一方的である。

 建前で場を設けるも、肝心のウハサンたち六名のうち、出て来れたのはトナゴとキジリの二人のみ。

 そのトナゴはありとあらゆる物におびえを示し、キジリは時折苦しそうに腹を押さえ、血の混じったよだれを吐いててうずくまる。

 ここにいない者のうち三人は、熱を出して立ち上がる事もできず、一人は意識がもどらず、明日の生死さえ判らないという。

 重篤なのは、ラヴォフ。

 戦士階級でさえ持て余していた根腐れ者で、誰一人同情する者はなく、むしろ清々したとすら思われている。

 ラヴォフばかりではない。

 今回問題を起こした六人組は、戦士階級における落ちこぼれ集団、愚連隊であった。

 真面目なカサにあてつけるように鍛錬を怠っていた負債を、支払う時がようやく訪れたのだ。

 中でも最も問題視されたのは、トナゴ。

 直前の遠征で、遭遇した獣に背を見せ狩りをぶち壊しにして犠牲者を出し、そして今日また、集団で女をかどわかすという恥ずべき行為に加担した。

 通常戦士階級では、不始末ふくめ処分は祭りの後、冬営地への移動前もしくは夏営地に戻った後とされている。

 慣例にならい沙汰は保留とされていたが、もはや猶予はならぬとこの場でまとめて処分される事となった。

「つまり、ウハサンがお前に女をかどわかす事を持ちかけたのだな」

 仕切るのは、バーツィ。

 そして証言するのは、シジである。ウハサンに誘われた中で、唯一仲間に加わらなかった男。

「はい」

 シジは淡々としている。

 上座に戦士長たち、下座に戦士たち、その二つに挟まれるように片側にカサ、もう片側にトナゴとキジリが離れて座っている。

 その間に立ったシジが、バーツィの尋問に答えるという形で儀は進む。

「そして、夕刻それをカサに伝えた」

「はい」

 ふうむ。

 バーツィがうなずく。

 対応は遅かったものの、今回の件だけに限っては、シジは重い罪に問えるような行為に手は染めていない。

 関係者ではあるが、これ以上何も訊く事はないだろう。

 そう思っていたら、

「これが初めてではないのです」

 シジははばかりながらつづける。

 これまでの事をすべて吐き出してしまうつもりの様だ。

「初めてではない、と?」

 バーツィはどういう事だという顔をしたが、ソワクには思い当たる節がある。

「カサが狩り場で顔に傷をつくった時の事か?」

 シジが答える。

「はい。それと、その前にも一度」

「莫迦者どもが……!」

 罵倒と憤怒の鼻息が漏れる。

 姑息なやりくちには、同情の余地すらない。

 六人とも即刻戦士階級から放り出してしまうべきだと、誰もが考える。

「ウハサンに誘われ、カサの女だという理由で、六人がかりで女をかどわかそうとした。その前にも、集団でカサを痛めつけた事がある。以上間違いないな?」

 キジリは黙ったままうつむいていたが、トナゴが騒ぎだす。

 このままでは糾弾が全て自分に向くと焦ったのだ。

「何もかも、そいつが悪いんだ! ヤムナを殺したくせに、大戦士長に可愛がられたってだけで戦士長なんかになりやがって!」

 腰紐抜けトナゴの身勝手な弁明。

 そしてその姑息さから、言わなくても良い事まで口走ってしまう。

「最初の狩りで、死人が出たのはあいつのせいじゃないか! あいつが逃げ出したから、ヤムナが死んだんだ! なのにどうして俺だけが罰を受けねばならないんだ!」

 カサは無表情にトナゴを見る。

 この期に及んでもまだ己の弱さを直視せず、カサにありもしない罪をなすり付けまくしたてる。

「あいつが逃げたせいで、全部が反故だ! ヤムナはあいつなんかよりもずっと有望な戦士だったのに、それが悔しくて、あいつが殺したんだ! そうに決まってる!」

喚きたてるトナゴに、シジが怒りを込めてにらみつけ、

「あの時、あの狩りで、獣に背を向けたのは……っ」

 トナゴを指差す。指されたトナゴが、目に見えてうろたえる。

「トナゴ、お前じゃないか……!」

「ヒィッ……!」

 シジに指をさされ腰が砕けたトナゴは、うめくばかりで意味のある言葉は何も話せなくなる。

――やはりか……。

とか、

――成る程な……。

そう言いたげな蔑みの目が集まる。

「あの時、戦士長ブロナーが一の槍を突こうとしたその直前……っ」

 シジもまた、この事で苦しんでいたのだ。

 両拳を力の限り握りしめ、怒りに歯を食いしばらせながら、ついに吐き捨てる。

「お前が逃げ出したのだぞ!」

 もう一度大きく指をさす。

「ち、違う……!」

「違うものか……!」

 肩を怒らせ、シジはあらん限りの声で叫ぶ。

 興奮しすぎて息が荒い。

 その背中を見つめながらカサは、覇気が感じられないと言われがちなこの男が、あの夜の惨劇でいかに鬱屈していたのかを知る。

――苦しんでいたのは、僕だけじゃないんだ。

 少しだけ気が楽になる。

 最近はウハサンたちとは行動を共にする事のなかったシジだが、今までこの男に対して持っていた不信が、子供が作った砂山がスィエガロ、砂を巻き上げる強い風に吹き散らされるように、平らに均されてゆく。

「――それは、真か」

 シジは肩で息をし、苦労してつばを飲み込み、

「……はい」

 それだけ、何とか言う。これを受けてバーツィが、

「大戦士長に問う」

 ガタウに発言の承諾を求める。

「何だ」

 即座に応ずる。これまでの証言を聞いてなお、頬ひとつ動かす事のなかった男である。

「大戦士長は、もしや、この事を知っていたのでは?」

 百人の戦士すべてが、一斉にガタウを見る。

「あの時、大戦士長だけが何も話さなかった。カサの責任を問う声も多かったのに、カサを戦士として残したのは、この事を知っていたからではないのか」

 カサを戦士階級から追い出そうという声は大きかったのだが、ガタウ一人がカサを戦士として残すと譲らなかったのだ。

「見ては、おらん」

 ガタウは、前方を見ずとも見て言う。

「だが、判ってはいた」

「何をもって?」

 どのような材料で、そう判断したのか、そうバーツィは聞いている。

「その男の槍だけが、放り出されてあった。それと、倒れた者達や落ちていた槍を検め、それらの配置から判別した」

 その男とはトナゴ。

 もはや戦士ですらないという意味も込めてそう呼んだ

「背を見せたせいであろう、戦士ブロナーの一の槍はわずかに外に逸れていた。故に獣を足止めできなかった。その後の新顔戦士二人は万全の位置から槍を突いたが、毛皮すら貫いていなかった。そして、獣に対して、唯一手傷を与えていたのが――」

「カサ、だと?」

 ガタウの言葉を引き継いだのは、ソワク。成る程、カサならばできたかも知れぬと、一人納得する。

「ならば何故、その時に伝えなかったのか?」

 バーツィは問い詰めるが、

「信じたか」

「――む」

「十四の子供が、唯一獣に手傷を与えたなど、貴様には信じられたか」

 確かに今のカサならばともかく、当時では容易に信ずる事などできなかっただろう。

 もっともな話ではあると、バーツィは引き下がる。

 一連の詮議を他人事のように眺めながらも、カサは不思議な面持ちでいる。

 あの夜生じた齟齬は、カサの欠けた腕と同じく、一生このまま砂漠に残ると思っていた。

 それが今、目の前ですべてがつまびらかにされ、あの惨劇についての誤りが正されてゆく。

 カサの戦士の経歴において、唯一の汚点とされていた事件が修正され、歳若くして才能の片鱗を見せた、成長の一部と認識されるようになる。

 どちらにしろ当のカサには興味がない。

――いまさらそれで、何がどうなるものでもあるまい。

 評価が正されたというのに、カサに解消された感覚はない。

 すでにあの事件はカサの心の一部、欠けた腕での生活と同じく心身の一部だった。

 回りの認識など、カサにとってはどうでもよかったのだ。

「これより、大戦士長から処分が下される」

 四人の二十五人長とガタウが、一言二言交わし、バーツィは判決をガタウに託す。

「六人は皆、戦士階級からの追放を命ずる」

 トナゴが悲鳴のような声を上げる。

「俺じゃない! あいつなんだ! 本当にあいつなんだよ!」

 引き際を知らぬ醜さ。

 何ゆえこの男が、今日までこの誉れある戦士階級に属していたのだろう。

 わめくトナゴが、キジリと共に戦士たちに引き立てられ、天幕から引きずり出される。

「もう一方の戦士には、三日の謹慎を命ずる」

 こちらはカサへの処罰。

 非は無いとはいえ、戦士階級において暴力沙汰は掟破りには違いない。

 何の咎も無いというのであれば、後々憂いを残そう。

「はい」

 カサも諾々と頭をたれる。

「そしてもう一人、こたび証言した戦士」

 シジだ。

「その処分はこの後追って決める。戦士長とともに、顔を出すよう」

「はい」

 シジは諾々とこれに従う。

 全てをつまびらかにしたからには、もはや観念しているのであろう。

「それではこれにて解散。各自、天幕に戻れ。戦士としての誇りを努々忘れぬよう」

 ガタウのこの言葉をもって、集会はお開きとなった。空気が緩み、人々が緩慢に散ってゆく。カサはシジに声をかける。

「――シジ」

 シジがカサをふり向き、膝をついて謝罪する。

「……すまん」

 カサの顔には、怒りも憎しみも無い。

 ただ穏やかな、いつもの表情を浮かべている。

「いいよ」

 そして、カサはシジを許す言葉を与えた。

「――ありがとう」

 シジの目に、己を恥じる涙がにじむ。

 傍を通りすぎる戦士たちは、そんな二人を見てみぬふりする。

 シジが戦士長に伴われ、ガタウやソワクのいる所に向かう。

 彼への罰が、重いものでなければよいとカサは願う。

「待て。まだ終わっていない議題がある」

 場内ほっとした空気をかもす中、剣呑な声で詮議の継続を望むものがいた。

 二十五人長、ソワクだ。

「カサは戦士階級において、どでかい過ちを犯した。それを正さぬ限り、この手の問題は繰り返し起こる」

 皆、ソワクが何を言いたいのかわからず困惑する。

「言ってみろ」

 ガタウが促す。

「カサは俺たちに嘘をついた」

 シンとする。

「カサがあの夜の事を語らなかったせいで、今日まで間違いが放置された。それ故戦士階級はあんなバカどもを抱える事になったのだ。よって、カサへの沙汰が三日の謹慎程度では、納得できない」

 誰もが――あ、という顔をする。

「お前のせいで、戦士階級は今夜大恥をかいた。なぜあの夜の事を語らなかった!」

 ソワクの目には涙が滲んでいる。

――そうか、僕は長い間、ソワクを騙していたんだ。

 どうなるものでもない、等と独りごちていた自分の勝手さを思い知らされ、カサがうなだれて恥じいる。

「よかろう」

 ガタウが言う。

「二十五人長ソワク、一発思いきり殴れ」

 ソワクはその通りにした。

 そして涙混じりに吠えた。

「カサ! 貴様は戦士なのだ! 狩りにおいて、二度と嘘をつくな!」

 倒れたカサに拳を見せつけ、重ねて言う。

「俺がお前の事をわかってやれぬなどと、二度と思うんじゃない!」

 殴られた頬よりも、ソワクの言葉のほうが痛かった。

「――ごめん、ソワク」

「もう罰は受けた。お前は罪人ではない」

 ソワクはカサを助けおこし、カサは素直に従った。

 あっさりしたものだった。

 それからソワクはガタウに向かって、

「大戦士長ガタウ、黙っていたのはあんたもだ。俺たちを見くびるな」

 そして付け加える。

「俺があんたの言葉を信じぬなどと、二度と思わないでくれ」

 ガタウは何か言おうとしたが、考え直したように

「そうだな」

とだけ答える。

 ソワクの言葉は、この長い夜で何よりも正しかった。



 全ての儀を終え天幕を出ると、夜空の星はいつもより目映く見えた。

 清廉な夜気を胸いっぱいに吸い込み、カサはこの長い一日を振り返る。


――疲れたな……。


 カサらしい、なんとものん気な感想だった。

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