〈一〉べネス
最終章第一話。
カサとラシェに最大の試練と冒険が訪れ、そして人生の大きな決断を迫られます。
真の戦士は戦い 砂漠の名誉を手に入れる
世界の真実を掴むために 槍を胸に伴い独り真実の地へ赴く
真実の地で最も巨きし獣と闘い 赤い血を流す
死に怖るる体を奮い起こし 戦士は世界の真実に触るる
討議は冒頭から紛糾した。
討議。
とは言うが検討されるのはカサとラシェの処遇をどうするかであり、より端的に言うと、二人にどれだけの罰を与えるか、という一点のみが議題である。
集まった人数は、男女合わせて二百人以上。
それもみな、各階級の職長以上の人間ばかり。
その事だけ取っても、どれだけこの事件が、邑に大きな波紋を投げかけたかが窺えるというものだ。
「女は、二十叩き、男はサルコリに放逐だ!」
「いや、男も二十叩いてしまえ!」
「それでは甘すぎる。どちらも二十叩きの末、邑からもサルコリからも追い出してしまえ!」
鼻息が荒いのは、邑長の手の者たちである。
普段手出しできぬ戦士階級を、この際一気に叩いてしまえという思惑がある。
ちなみに打ち据える棒は、大人の男がやっともちあげられる代物で、これを二人がかりで力まかせに打つのであるが、罪人に手加減などしない。
十を超えれば、罪人はそのあと一生不具となり、二十打たれれば、よほど体が強くないと死んでしまうという苛烈な刑罰である。
これは、もしもカサが生き延びても、ラシェの命は無いであろうという意味だ。
「無体な。打ち据えれば解決するというものではなかろう」
「カサがどれほどの戦士なのか、判っているのか? カサのように優れた戦士はこの後十年、いや、二十年は出ないのだぞ」
「サルコリの女はかまわん。だがカサはまだ若い。罪を軽くしてやるべきだ」
苦しい言い訳をするのは、戦士階級主体の反邑長の者たちである。
こちらの主張も、ラシェの罪は逃れがたいが、将来を嘱望されているカサは大目に見るべきだ、というものである。
さて各階級の長が集うここは、邑の集会などに利用される事も多い、大巫女、マンテウの大天幕。
カサが、ラシェをかどわかそうとしたラヴォフたちを打ちのめしたそのすぐ後、陽が沈み、二刻ほど経った頃である。
あの後二人は、大勢の手によって引き裂かれ、揃ってこの天幕に引き立てられた。
音頭をとったのは邑長カバリ。
今二人は天幕の端と端にいる。
同じ空気を吸っていても、これほどお互いを遠く感じた事はなかった。
ラシェに対して同情の声一つない彼らに、カサは煮えたぎる憤怒を抑えている。
ラシェの方をに眼をやるが、大声で叫ぶ人波にさえぎられ、その姿は埋もれてしまっている。
今ラシェは、どんな顔をしているのだろう。
不安げに涙を浮かべているのではないか。
カサの姿を求めて、懸命に周りを見回しているのではないか。
ラシェを思うと、カサは居ても立ってもいられなくなる。
だが今、カサの両脇には、片側に二人ずつ計四人の男がカサを押さえ込んでいる。
ラシェも同じような状態にあり、とりあえず今すぐに逃げ出す事はできそうにない。
――ラシェ。ああ、ラシェ。
こうなる事は、目に見えていた。
カサがラシェといる限り、いつかはこうなっただろう。
二人が惹かれあう限り、遅かれ早かれ、こうなる事は避けられぬ運命であった。
――僕がラシェを傷つけてしまった。
しかし、現在カサにできる事はなく、それを止められる者も誰一人いない。
「おい、動くな」
煩悶し、身じろぐカサを、取り押さえる男の一人が言う。
そのままさらに押さえ込まれ、カサは身動きできなくなる。
いや、動こうと思えば動けるのである。
だが今跳び出しても、ラシェの処遇が重くなるだけ。
蛮勇を慎むだけの冷静さを、まだカサは保っている。
それも限界に近づきつつはあったが。
対するラシェは、神妙にしている。
両側から押さえ込まれるがままに、抵抗する様子も見せない。
負けん気の強いラシェの性格からすると、静かすぎる。
ベネスの者に取り囲まれて萎縮しているにしては、表情はやけに淡々としている。
されるがままになりながら、ひるむ様子など、微塵もない。
ガタウもこの場にいる。
当然だ。
問題を起こしたのは、戦士階級の人間で、ガタウはその最高権力者なのだ。
めずらしく追い詰められる立場のガタウ。
だがその顔はいつもと変わらず、厳しいばかりで感情は読み取れない。
ガタウにつづく戦士たちも、顔を連ねている。
ソワク、バーツィ、アウニ、リドー。
四人の二十五人長につづき、二十人の戦士長すべてが揃っている。
長の末席カサは今や罪人として晒されており、代わりにラハムが列席している。
彼らの顔は一様に、苛立ちを押し殺した険しいものである。
時折り強い調子でカサを擁護し、罪の軽減を訴えている者もいる。
その急先鋒はもちろん、二十五人長であり、戦士階級でもカサの最大の理解者ソワクである。
彼らを冷たく見つめるのは、邑長カバリ。
満足を覚えながらも、この議論の流れを冷静に追っている。
仕切りの好きなこの男が、ここまで進行以外に何の発言もしていない。
黙っている方が得策と踏んだのだろう、ただ泰然と場を観察している。
言葉の押しあいの中で、いかなる結論に導けば、自分にとってもっとも利があるかを、ずっと計算している。
それはカバリが最も得意で、知悉している戦いであった。
ゆえに討議の流れは、カバリにとって満足すべきものであった。
議論は白熱し、戦士階級が押されている。
後は程よいところで、弾ける寸前の戦士階級から一歩ゆずった結論を下せば、すべてカバリの描いたとおりになるだろう。
後ほどカサを呼び出し、ゆっくりと恩を売りつけてやればいい。
その際、娘のコールアを嫁に与えても良い。
放蕩が過ぎた娘も、ここの所ようやく落ち着きを見せだした。
そろそろ決まった男と家庭を持たせる頃合いだろう。
反対など許さぬ。
甘い顔を見せるのもおしまいだ。
すべてはカバリの思う方向に進んでいる。
突発的な事態にしては、出来過ぎに思えるぐらいだ。
そのカバリにも、苦々しい思いはあった。
カバリが手玉に取ったあの戦士。
ウハサンとかいったか、あの後何度か二人きりで会い、ガタウを引きずりおろすための策略を色々と練ったのだが、自らそれを反故にしてしまった。
――もう少し慎重な男だと思っていたのだがな。
そのウハサンが、カサに関しての大きな秘密をつかんだと、もったいぶって言っていたのを思い出す。
あのみすぼらしいサルコリの小娘が、その秘密とやらなのだろう。
それで揺さぶるつもりがあのざまである。
全く、愚か者を配下に持つと、面倒ばかり増やす。
これからは、もっと人選を厳しくせねばなるまい。
例えばそう、あのカサとかいう有能な若者を。
さてそのウハサン率いる六人のうち、五人までがカサに叩きのめされ、今は床に伏せている。
中には、生死の境を彷徨っている者もいるという。
あの細い体のどこにそんな力があるのか、カサを知らぬ者には到底信じられまい。
その一人が、かろうじてこの天幕に顔を出せる程度の傷に治まっている。
太った卑屈な表情の男。トナゴである。
腰紐抜けのトナゴ。
そのトナゴが、まさに腰の引けた姿勢で、天幕の端で丸まっている。
たえず何かにおびえた態度で、誰かが発言するごとに、肥えた腹を震わせて恐怖の色を見せている。
トナゴを見る者すべてが、この戦士の服を着た臆病者に不快にさせられている。
そして、そのトナゴを含むウハサンたちを駆りたてた張本人コールアも、邑長の権威をかさにこの場に姿を見せている。
今コールアの興味を引いているのは、カサと離れた所で組み伏せられている一人の女。
カサの恋人だという、サルコリの女である。
爪を咬み、強い視線を送る。
――こんな小娘が……!
内腑を焦がす嫉妬に、コールアの害意が燃え上がる。
今ここにいいる人間たちの中で、もっともラシェにきつい罰を望んでいるのは、他ならぬこのコールアであろう。
そのコールアも、ウハサンたちの槍先落としぶりには、呆れている。
――何てだらしない奴ら……!
聞けば、六人がかりでサルコリ女一人好きにする事ができず、カサにいいように打ち据えられてしまったと言うではないか。
もっとも、その六人に打ち負かされるようであれば、コールアもカサを見限ったであろう。
そのすべてを、マンテウが見ている。
だがこの老いた大巫女は、いまや多くの邑人に、ただ邑の飾り物としか考えられていない。
老いと長い沈黙が、彼女から発言力を奪っていた。