〈三十八〉真の獣
都合により、今日明日明後日と三日間連続で投稿します。
ご了承ください。
訓練を終えると、そこにカリムが待っていた。
他の子供は帰ってしまったようだ。
人影は、カリムのみである。
また照れくさそうに笑っていて、ずっとモジモジとカサを見つめているので、仕方なくという事にしてラシェのもとに送ってやる事にする。
「帰ろうか。お姉ちゃんの所に」
「うん」
手に手を取る二人。
遠目にその姿は、仲の良い兄弟にも、親子にも見える。
そのカリムの手を引いている時に、シジとばったり会った。
この子と一緒にいる所を見られたくなかったカサは、気まずそうにする。
シジも何か言いたげだが、何もいわない。
あの最初の狩りの遠征以降、シジはカサに敵意を見せる事はなかったが、話しかける事もなくなっている。
目礼のみでカサはシジの横を通り過ぎた。
自分から話す事など何もないし、それはシジも同じだろう。
だが、シジにはカサに話す事があった。
シジが呼び止める。
「……カサ……」
カサはふり向く。
シジが深刻な表情で何かを言いたげにうつむいている。
何も聞きたくはないと、カサはそのまま行き過ぎようとするが、
「昼間、ウハサンが来た」
シジは何を言いたいのだろうか。カサは、ウハサンという名に、心を騒がされる。
「……お前の、女をさらって、どうこうすると言っていたんだが……」
――女!
カサの反応は、激烈であった。
「いつ!」
「ひ、昼間だ。仲間を集めてると、言っていた。ラヴォフたちにも声をかけるって……!」
カサは走る。カリムを肩に抱え上げ、
「カリム! 君の天幕を教えて!」
あまりの剣幕に、カリムがおびえる。
カサは走る。ひたすらに走る。
あっという間にサルコリの集落にたどり着き、
「どこ?」
「あそこ……」
カリムの指差す天幕、粗末なウォギの戸布を跳ね上げる。
中には誰もいない。
ただ虚しく、夕食の用意が整えられている。
「ラシェはどこに行ったんですか?!」
傍にいたサルコリ女は、まずカサの剣幕に驚き、そしてその男が戦士である事にもう一度驚く。
「さ、さっき、カリムを探しに行ったきりだよ……」
カサは歯噛みする。自分がもう少し急いでいれば。
「この子をお願いします!」
サルコリの女にカリムを預け、カサは走る。
「ラシェ!」
名を呼べど、答えはない。
「ラシェ!」
みな驚いている。サルコリの集落に、よりによって戦士がいるのである。それも女の名を叫びながら。もはや椿事と言うより重大事件である。
「誰か! 誰かラシェを見なかったか!」
みなおびえて首を振るばかり。そこに、ほうほうの体で走ってきた二人の男の姿がある。
「ヒィ! ヒィ!」
ヨレヨレになった二人が、カサを認めてビクリと身を震わせる。
カサが直感する。
「ラシェはどこだ」
「ヒイエ! たす、助けてくれ!」
逃げ惑う二人を引っつかみ、投げ倒す。
ゾーカの手先のこの二人は、集落でも疎まれている。
たとえ相手がカサでなくとも、二人を助ける者など、いようはずがない。
「ラシェはどこだ!」
片手でいっぺんに二人の胸ぐらをつかみ、もの凄い剣幕のカサに、グディとラゼネーが揃って自分たちが駆けてきた方向を指す。
「クッ!」
カサが風よりも早く走る。残されたサルコリの集落は、嵐の後のように静かだ。
――間に合ってくれ……!
カサが走る。
――ラシェ!
ラシェが傷つけられるやもしれぬ、という恐怖に心が叫ぶ。
だがどこにもラシェの姿など見えない。荒涼とした砂漠が、ただ沈黙しているだけだ。風が吹き、耳もとで舞う。
砂漠は何も答えない。
その時、風を悲鳴が引き裂いた。
鼓動が鳴る。
ラシェの悲鳴だ。
間違いない。
ラシェの悲鳴なのだ。
聞き間違うはずがない。
カサの全身に轟然、殺意が満ちる。
「ラシェ――――――――!」
走りながら、絶叫する。
そして、集落からは死角になっていた枯れ谷を見下ろした時、カサは聞いた。
「カサ!」
ラシェの声。
服を裂かれ、裸にされたラシェと、それを押さえつける、六人の戦士たち。
頬が赤らんで少し腫れ、鼻から血が滴っている。
そしてあの涼しげな目からは、大粒の涙が。
カサが一瞬で沸騰する。
「……何を、している……!」
己の喉から出たとはとは思えぬ、低く太い声。
全員が、身を縮める。
カサが絞り出した言葉、声、そして怒りに激る穴の如き目。
その姿は、ガタウそのものであった。
次回、四章最終話です。