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砂漠の戦士  作者: ハシバミの花
第四章 邑衆
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〈十七〉取引

 夏営地に帰り着いたカサが真っ先に向かったのは、もちろんガタウの所である。

 先んじて邑に逗留していた、色とりどりの商隊に目を丸くしながら、その横をすり抜ける。

――いつ見ても凄いな……。

 これだけ大きな商隊は、年に何度も立ち寄らない。

 荷車の形ですぐにどの商人か判った。

 短躯にギョロリとした目、大きすぎる鷲鼻。

 あの小人の商人に違いあるまい。

――またお茶を分けてもらおう。

 これまでに何度か配当された牙などと取引をするうちに、カサはどの商人が何を持ってくるかを、ある程度判るようになっている。

 そしてこの商隊こそ、カサの待っていた豊富に茶を持っている商人だ。

 どの商人も主な取引品は塩であるが、商人はそれ以外にも、いろいろな小さな商売の品々を持ってくる。

 大きな商隊を率いる商人ほど、塩以外の物品を多種取り揃えているので、邑人に歓迎される。

 値を安定させるため、塩の取引は邑長が独占して行なう。

 だがそれ以外の品は、すべて自由に取引してよい、という事になっている。

 とはいえ誰もが取引可能な品物を持っている訳ではないので、実際に商人と取引できるのは、戦士や巫女、邑長、そして財産をもてるほど豊かな各階級の長たちぐらいのものである。

 ヨッカは商人に会った事すらないと言っていた。

 そんなものか、とカサは思っている。

 カサとて、狩りで分配された牙などを商人と交換するが、そういう個人的な取引で手に入れる物はたいてい茶のような贅沢品で、必需の物ではない。


「大戦士長!」

 邑を少しはずれた所で、腰かけていたガタウがゆっくりとふり向く。

 相変わらずの仏頂面に、懐かしさと安堵がこみ上げる。

――自分のいない所で、大戦士長の身に何かあるかもしれない。

 そんな心配が、夏営地を離れて以来ずっと心にあった。

 もちろんガタウの頑健ぶりはよく知っているが、毎日一緒にいたせいで、離れるとどうにも落ち着かない。

――何もなくてよかった……。

 安心して目を輝かせているカサをよそに、

「槍の鍛錬はしていたのか」

 ガタウは何事もなかった様にカサに接する。

「はい」

 そのあたりはカサも慣れたもので、ガタウに過剰な期待はしない。

 カサを見つけて嬉しそうな顔をされても、それはそれで困るのである。

「背中を見せろ」

「はい」

 ガタウはカサの体を検める。

 肩、腕、背中。特に肩甲骨まわりの筋肉を念入りに調べ、それから腰に手をあてがい、やがて腿の内側にまで手が伸びる。

「だ、大戦士長」

「動くな」

 そうは言われても、ガタウの手つきはあまりにも無遠慮である。

 何とか堪え、

「良し」

 解放されると、さすがにホッとする。

 ガタウも納得した面持ちで、槍を拾いあげる。

――怠けてはいないようだ。

 カサの性格か、怠けてははいまいと思ったが、考えていたよりもカサの体は出来上がっている。

――これなら、次の段階に進めるな。

「そいつはもういい」

 砂袋と杭を設置しようとするカサを止め、ガタウは槍を示す。

「今日からは、これだけを使う」

「これ……?」

 よく見ると、いつも使う槍ではない。

 通常槍は槍先をくくり付けるためにどちらか一端が加工されているものだが、ガタウが取った物にはどちらの端にもそういった様子はない。

 いうなれば、槍に加工する前の、ただも棒切れである。

 カサは困惑する。

 これで、いったい何をしようというのか。

 カサの困惑をよそに、ガタウは棒を低く構える。それでどうするのかと思いきや、

「始めるぞ。そちら側を持て」

 カサが先端を握ると、

「違う。いつも構える様にしろ」

「え……」

 なんとなく理解しながらも、やはり訝しげにガタウに従う。

「こうですか?」

 一本の棒ごしに、ガタウと向き合ってかまえるカサ。向こう端を固定された違和感が槍から手に、そして槍尻を押さえた腰に伝わってくる。

「倒れるな」

「え……!」

 ガタウが動く。

 ドウッ。

――空?

 訳が判らない。

 どうして自分が大地に寝そべって、空を見上げているのだろうか。

「――立て」

 立ち上がる。

 どうやらガタウに槍越しに引き倒されたようだ。

 初めての感覚に、理解が追いつかない。

「構えろ」

 先ほどと同じように、ぐっと腰を落とす。

 今度は引き倒されまいと、余分に力を入れている。

 ドウッ。

 今度は後に押し倒される。

 いや、ガタウはほとんど動いていない。

 まるでカサがひとりでに倒れたかのように、最初の姿勢を維持している。

「構えろ」

 カサはさらに力を入れる。

 視界が転回し、またも呆気なく倒されている。

 今度は横だ。

 真っ赤な戦士装束を砂だらけにしながら、カサは膝立ちでガタウを見る。

 ガタウは槍を低く構えたまま、微動だにしていない。

「立て」

 カサはまたガタウの差し出す棒を取る。

 どのように自分が倒されたのか、皆目見当がつかず、カサは混乱する。

――大戦士長の動きを、よく見よう。

 無駄な力を抜き、槍に感覚を集中する。

 いったいどのような力が加わったのか、まずは吟味しようというのだろう。

 グッ。

 カサの構えを押し返す力がかかる。

――倒される……!

 反射的にその力に対抗した途端、カサはまた倒された。

 カサは愕然とする。

 ガタウはほとんど動いていない。今も、ほんの少し突きこんだだけである。

――それで、こんなに飛ばされるなんて……!

 どのような作用で、このように簡単に倒されるのだろう。

 カサは立ち上がり、槍を取り、またかまえ直す。

 その目には強い好奇の輝きがある。

――戦士の目になってきたな。

 ガタウは満足する。

 この新しい訓練を、カサは楽しみ始めている。

 困難を前に闘志をむきだしにする、それは優れた戦士には必須の素質である。

 この粘り強さこそ、カサの何物にも代えがたい長所であるとガタウは考えている。

 ドッ。

 また倒される。

 すぐに立ち上がる。

 かまえ直す。

 一本の棒を挟み、言葉を介さず語り合う師弟の姿は、日没まで邑人たちの控えめな注目を引いていた。



 夜である。

 エラゴステスが、ティグルと二人で差し向かいに飲んでいると、訪問者があった。

「今、良いですか?」

 真っ赤な衣装。

 少年といっていいほど若い戦士である。

 右腕が欠けている。

 見覚えがある。

 何度か茶を所望してエラゴステスを訪れた。

 今夜も毛皮をひと塊と、牙を二本持っている。

「また茶を?」

 招きよせ、売り物を掘り出しながらエラゴステス。

「ハイ、それと……」

「他に何を?」

 言い難そうな戦士を促す。

「何か、身につけて飾るものを、交換してもらえないかと……」

 エラゴステスがふり返ると、戦士は恥ずかしそうに目を伏せる。

――ふむ、女だな。

 下世話ながら商売人らしい読みである。

「こんな物はどうか?」

 大きな首飾りを持ち上げてみる。

 飾り石のたくさん付いた、豪華な代物である。

 戦士の持ってきた品ではまったく手の届かない品である事は十分に承知しながら、エラゴステスは見せてみたのである。

 飛びついてくるようであれば絞り取れるし、貸しを作っておけば、また色々と利用できよう。

「いえ、そういうのは……」

 戦士が若者らしくしりごみする。

 ではどういう物が欲しいのだろうかと戦士をじっくり見た。

 そこでようやくエラゴステスは、この戦士が第一印象よりも、いや今まで持っていた印象よりもはるかに逞しい男であるのに気づく。

――ほう。これはしたり。

 己の不明を恥じる。

 一目で相手を看破できないというのは、商才が無いという事だ。

 ジロジロと全身をなめるエラゴステスの、爬虫類に似た大きな目を向けられ、戦士が居心地悪そうにする。

――若いな。若すぎる位だが……。

 それにしては、戦士の財産ともいえる、牙や毛皮をたくさん持っている。態度は控えめながら、なかなかの戦士と見る。

――堅実な男だな。身に余る取引をするような人間ではないか。

「茶はどれほど必要か」

 それに応じて、見せる品を考えようというのである。

「お茶は、まだ少し残っているので、この毛皮の分だけでいいです」

 ならば牙二本分の装飾品という事か。一般に毛皮よりも牙のほうが貴重とされている。

 それなりに高価な品物が用意できるだろう。

「ならば、こんな物ではどうか?」

 手首を飾る金属製の環である。職人が鉄ノミで仕上げた唐草模様が、蜀台の炎を受け小さく揺らいでいる。良い品である。だが戦士は、

「いえ……そういう、目に付くものは……」

 装飾品とは、身を飾るためのものである。

 目に付く事こそが存在意義といっていい。

 なのに、目に付かない物を、この戦士は求める。

「女性で目につかぬ物ならば、これ等どうかな?」

 エラゴステスの目に、会心の笑いがある。

 差し出された物を見て、戦士は絶句する。

 小さな薄絹を、銀の鎖が飾っている。

 身を飾るためにどのように着用すればよいのか、悩むような複雑さ。

 女の下着である。

 その艶やかで微妙な色使い。それを恋人が着けるところを想像して、若い戦士は首まで赤くなる。

――やはりな。

 人目を忍ぶ仲だと見たエラゴステスの予想が的中した。

 戦士は、渡された下着があまりに大胆すぎて、とまどっている。

――やりすぎたか。

 からかいが過ぎたと、エラゴステスは含み笑う。

「エラゴステス、若者をあまり虐めるな。その男は戦士ぞ」

「人気の物を見せているだけで、そんな積もりはないのだが」

 嘘である。目の前の青年があまりに純朴なので、つい冷やかしてしまった。

 エラゴステスは別の品を引っぱり出し、

「こちらではどうか?」

 先ほどの物よりも、かなり大人しい、こちらも女物の薄着である。

 肩紐が、胸元から滑り落ちるような短い布を保持している。

 胸元と背が大きく開いていて、こちらも大胆といえば大胆である。

「こ、こっちでいいです」

 これ以上は居たたまれなくなり、戦士は茶と布地を受け取ると、あわてて退出する。

「悪趣味な事だな。エラゴステス」

 一部始終をうかがっていたティグルが、苦笑いをしている。

「だから値を負けておいた。あの品は、先に出した物よりも高価な品だ」

「お前がそのように言うとは、珍しい」

 間違っても、元の取れぬ親切などしない男である。

「なあに、あの若者が気に入ったのだ」

 笑って杯を傾ける。

「あながち損とは言えぬかも知れんぞ」

「ほう、つまり?」

「あの若者、知っている」

 エラゴステスは、ティグルの話に聞き入る。

「有望な戦士らしい。いつかこの邑の戦士を率いる男になるやもしれぬと、もっぱらの噂だ」

「片腕だぞ?」

「そう、戦士ガタウと同じ片腕だ」

 そのガタウと会って、晴れ晴れとした顔で戻ったティグル。

「あの戦士は、戦士ガタウの秘蔵っ子だそうだ」

「ほう。して、名は?」

「――カサ、と言ったか?」

 エラゴステスがにやりと笑う。

 それほどの男とは思わなかった。

――もう少しゆっくりと、話を聞いてみても良かったかもしれんな。入れ知恵ひとつで、あの邑長を追い落とせるやも知れぬ。

 また算段している。

 エラゴステスは、骨の髄まで商人なのである。

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