第三話 詰み
「私、エフ森林に入るの初めてだわ…。」
「こういう依頼でもないと入ること無いですしね。」
「とんでもなく強い化物が居るらしい。」
「え、何その情報、聞いてないわよ。」
「あ、もしかしてあの絵本ですか?」
「絵本…?普通の冒険譚だった気がするが。」
「御伽噺じゃない、そんなの信じてどうなるのよ。」
「一応実話を元にした話らしいけどな。」
「そんなの後からなんとでも言えるわよ。」
「ベリーさん、大丈夫です。ここには居ますから。」
「…ビビらせる為に言ってる?」
「兄ちゃんと爺ちゃんが忠告してくれました。
『エフ森林の最深部には絶対に行くな』って。」
「……早く深墨花とやらを見つけて出ましょうか。」
「えぇ、そうしましょう。」
不規則に立ち並ぶ背の高い木々。
平らな地面を覆い隠す名も無き雑草達。
それらを美しく照らし映えさせる天からの陽光。
人生で初めて立ち入るエフ森林は、実に神秘的に見えた。
本来辿り着けぬ神々の大地に迷い込んでしまった気分だ。
ベリーが何処か不安げな表情をしているのにも頷ける。
俺もこの森に入ってみてようやく理解したのだから。
此処の奥に居るナニカは、桁違いにヤバい。
◆
深墨花は、エフ森林に生息する植物だ。
その特徴は、冬になると美しい漆黒の花を咲かすこと。
純白の雪中に咲く漆黒の花は、思わず目を奪われるほど美しいらしい。
しかし今は春目前、花は既に咲き終わっていた。
だが問題はない。今回の目標は花弁では無いのだから。
俺達が求めているのは、深墨花の種だった。
深墨花の花弁は、春前になると灰色に染まる。
灰塵の如き姿になった花からは漆黒の種子が採れるのだ。
それをすり潰すなどして加工すると良質なインクとなる。
そう、今回の依頼主はメーセナリア屈指のインク屋だ。
深墨花の種から作られるインクの流通量は少ない。
それ故に、とても高価なことでも広く知られている。
ここまで需要と供給が釣り合っていない理由は、二つ。
一つは時期の問題。
一年に一度、春前の数週間にしか採取出来ない種子だ。
翌冬に差し掛かる頃には在庫が殆ど残らないらしい。
人工栽培は未だ確立の目処が立っておらず、自然群生地域から採集する他ない。
一つは生息地域の問題。
メーセナリアから此処エフ森林までの道は相当に過酷だ。
徒歩で最低でも片道一週間ほどは掛かる程の遠路。
その上、道中では当然のように化物達の襲撃を受ける。
例え無事に目的地へ到着しても、安全は保障されない。
エフ森林に潜む化物達は多くが危険種に指定されている。
歴戦の猛者でも、下手を打てば敗れかねない強敵が森中を跋扈しているのだ。
森内部の探索度は些かであり、殆どが未知の世界だ。
未開拓地に於ける、化物達の情け容赦の無い奇襲。
並大抵の人間が立ち入れば二度と脱出は叶わないだろう。
商売としては割が良いが、採取には大きなリスクが伴う。
こう言った事情から、インク屋は毎年この依頼を游蕩団に出しているらしい。
…気を抜けば、少し躊躇えば、一瞬で命を落とす。
油断していなくとも、運が悪ければ同じ最期を辿る。
例えば、八大地獄をパルクールで駆け抜けるような。
それを志願して行うような。…そういう仕事が游蕩士だ。
◆
「結構歩いたが、見当たらないな。」
「街から借りて来た以前の記録からしても、
ここら辺に生えている間違いないんですけど…。」
ヴァンの憂うような声に俺は同調した。
近くに在る雑多な植物を注視深く観察しながら、
ヴァンの描いた深墨花の絵に照らし合わせ歩く事数十分。
俺達は未だに目標の植物を見つけられずにいた。
「……これ以上は、危険ですかね。」
「あぁ、そろそろ引き返し時かもな。」
「ここまで来て収穫無しで帰るのも悲しいわね。」
「はい、命には代えられないですしね…。」
「…ヒシ、別に責めてる訳じゃないから。
そんな申し訳無さそうな顔しなくてもいいわよ。」
「少し戻って改めて探してみようぜ。」
「…はい、ありがとうございます。」
二人の気遣いに感謝を述べつつ、踵を返す。
木々の隙間から漏れ出す光は朧気だ。
淡い光だけを頼りに鬱蒼とした森の中を歩いていると
体内から滲むような漠然とした不安に駆られてしまう。
それは、遥か遠くから感じるプレッシャーとも決して無縁では無いのだろう。
「ある程度は粘ればいいと思うが
諦めるっていう選択肢も視野に入れていかないとな。」
「えぇ、違約金に関しては気にしなくて大丈夫ですよ。」
「そういうわけにも行かんでしょうが。」
「元々報酬は俺が貰うって話でしたから。
成し遂げられ無かったなら、俺の責任です。」
「失敗しないように最善は尽くしましょう。」
「当たり前だ。」
ふと、ベリーが顔を上げ、固まった。
彼女は一点を凝視し、何かに気付いたのか指を差す。
「……アレ、そうじゃない?」
小さい指が指し示す方向へと視線を向ける。
見飽きた雑草を抜け、凡庸な花々を流し見した先。
…少し遠くに、灰色の花弁を持つ花が一輪咲いていた。
何の前触れも無く、突如現れた目的の品。
蜜に誘われる蜂のように、釣り針に掛かる小魚のように。
手招きされるまま、ベリーは花の方向へと歩みを進めた。
「あれ、っぽいですね。」
「多分合ってると思うが…。」
ヴァンと共に、花の絵と実物を見比べる。
彼の絵は正確で、実際の花の特徴をほとんど捉えていた。
…と思えるならば、あの花は確かに深墨花なのだろう。
だが、この拭いきれない違和感は何処から来ている?
なら、この背筋を舐められたような気色の悪さは何だ?
はて、この脳漿を揺さぶる不気味さは何故消えない?
言葉にして世に放つまででもないこの曖昧な感情。
けれど、何となく見過ごしてはいけない気がした。
…絵の下に書かれたメモにも改めて目を通してみる。
『 冬は漆黒の花弁、春前には灰色へと染まる。 』
『 灰色に染まった花の中心に種子が纏まって生る。 』
『 水気を飛ばし、実が乾燥してから採取する。 』
『 十数輪が群がって生える。 』
「群、生……?」
ベリーが向かう先には、美しく咲く一輪の花。
辺りに、似たような外見を持つ花は見当たらない。
――俺は最悪の状況の訪れを理解し、叫んだ。
「ベリーさん!!!!」
「……え、」 「離れろッ!!!」
『 ――WWOOOSHHAAA!!!!! 』
その深墨花は…否、その擬態花は。
長きに亘る擬態行動を止めて地中から這い出すと
久方ぶりにやって来た獲物へ、自身の根を振り下ろした。
---
それを見た二者の反応は早かった。
ある者は光の如き速度で、潰され掛けた少女を逃がし。
ある者は迅雷の如き動作で剣を抜き、根へと立ち向かう。
彼らの咄嗟の判断が正しかったかは議論の余地があるが…
後から何を言おうが結果論だ。…だからそれを伝えよう。
大剣を掲げた青年は根の打撃で後方へと大きく吹き飛び…
少女を抱えた少年は風圧によって地へと叩きつけられた。
「っ、ベリーさん、無事ですかっ。」
「助かったわ、ありがと、ね。」
倒れ込んだベリーは絞り出すようにそう声を発した。
細い体に幾つかの擦り傷が見えるが、重症では無い。
恐らく彼女は大丈夫。それを確認し、俺は再び靴に『光』の妖力を流し込んだ。
「自分で動けますか!」
「うん、だいじょうぶ。あいつの様子は…、」
「俺が行きます、木に隠れててください!」
そう言い残し、ヴァンが吹き飛ばされた方向へと駆ける。
それは、一般人では捉えることすら出来ないほどの速度。
殆どの化物を一方的に翻弄出来るほどの速力だった。
が、直後、脳の奥に響くような風切り音とともに
激しく巻き上がった土煙の中から大木の如き鞭が現れた。
極大の根っ子を視認すると同時に身を低く屈めると、
数瞬もしない間にその凶器が頭上を通り過ぎて行った。
――同時に、世界を覆い隠していた土埃が晴れる。
見えたのは背丈が二階建ての家屋程有りそうな巨大な花。
絵に描いたような食人植物だが、特徴的なのはその根だ。
ソイツは無数のしなる根っ子を触手のように扱っていた。
今や、深墨花に擬態していた頃の面影は欠片も無い。
在るのは、他者を殺す怪物としての姿形と威厳だけだ。
そして、コイツは『光』の全速力について来られる程に…
もしかしたら俺達を捻じ伏せてしてしまう程に。…強い。
「ヴァンさん!意識があったら返事を下さい!」
返事は帰ってこない。これはマズいかもしれない。
安否不明の人間を庇いながらこいつを退けられるか?
いや、ただでさえ敵は格上。そんな余裕は無い。
「…っ。」
戦況は絶望的。未来には立ち込めるのは暗雲だ。
一つ選択を誤れば皆殺しになるのは火を見るより明らか。
『 WHHOOOSSSHHHOOOSHH!! 』
擬態花は空気が漏れるような不快な音を発しながら
己の誇りだとでも言いたげに無数の触手を振るって来る。
「……ん…!!」
俺は前後左右に駆け回りながらそれらを間一髪で回避。
こんなもの、まともに食らえば身体が弾け飛ぶだろう。
回避後、試しに根の一本に剣を突き立ててみるが…
…やはり刃は通らなかった。思わず舌打ちが零れる。
いや、大丈夫。これは想定通り。焦ることは無い。
心を冷やせ、怒りを抑えろ。でなければ勝てない相手だ。
「……………。」
根を回避しながら少しずつ位置調整を行う。
目指すべきはヴァンの墜落地点とちょうど対角の場所だ。
…手札を整理し、現状打破の最適解を求め、指示を出す。
「ベリーさん! 返事は要りません!
俺が時間を稼ぎます! ヴァンさんの容態の確認を!!」
自身の獲物が声を発したのが不快だったのだろうか。
擬態花の攻撃はさっきにも増して激しくなっている。
木々が崩れ、大地が抉れ、草花は毒霧に呑まれ死した。
俺は、舞い上がる粉塵に身を隠しながらそれら躱す。
ヴァンの方はベリーに任せるしかない。
今の俺に出来るのは些細な時間稼ぎのみだ。
---
擬態花はヒシへ夢中になっている。
その隙に、私は指示通りヴァンの元へと駆け始めた。
『返事が要らない』というのは、私を気遣ってのことだ。
擬態花の意識を此方へ向けさせない為なのだろう。
もし私の位置があの化物にバレれば、アイツは間違いなく私を殺しに来るから。
――一番弱い敵から狙うのは、賢い戦略だろうから。
そもそも私があの罠に近づかなければ良かった。
私がアイツの攻撃を避けれるくらい強ければ良かった。
私は彼一人に、いや、彼ら二人に重い負担を掛けている。
余計な理屈は無しで端的に言うならば、…足手纏いだ。
「―――!!」
「……クソ……。」
悪態を吐くヴァンの姿を見つけた。
彼の腕は傷だらけで、頭からは血を流していて…
今まで見たことの無いような苦悶の表情を浮かべている。
地面の抉れ具合と、身体が倒れている位置から見るに
彼は後方にあった木に思い切り叩きつけられたのだろう。
「あんた!無事なの!?」
「悪い、どれくらい気を失っていた?」
「分かんない、そんな長い時間では無いわよ。
…とにかく、頭の出血が酷いわね。すぐに手当を、」
伸ばしかけた私の手を振り払ったヴァン。
いつもなら恨み言の一つでも口にする場面だが…。
――彼の鋭い眼光が、私の喉を射止めてしまった。
「必要無え。状況は、どうなってる。」
「そんな訳にも…、……、今、ヒシが時間を稼いでるわ。」
「なるほどな、…俺は戦いに行く。ここに隠れてろ。」
ヴァンは出血を止めることすらせずに走って行った。
「………。」
止めた方が良かったのだろうか。
医学的観点から見れば、止めるべきなのだろう。
頭部からの出血は、最悪で死に至りかねない大怪我だ。
本人がそれを良しとしても、実情は分からないのだから。
安静にするのが常識。戦いに出るなど以ての外だ。
…けれど、私にそれを強制させる権利は有ったのか。
ベリーという少女に、彼の意志は止められたのだろうか。
「私は……。」
---
根を避け続けて五分ほど経っただろうか。
自分のことだから分かる、…体の限界が近い。
辺りは擬態花の攻撃で殆ど更地になっていて
奴の猛攻を凌ぐ為の盾となってくれる木々も残り少ない。
時間が経つに連れ調子が上がる擬態花とは違い
俺の体力と妖力は現時点でかなり消耗してしまっていた。
――なるべく息を吸わないように。
――森の奥に逃げ込み過ぎないように。
――ヴァンとベリーに意識を向けさせないように。
…格上の相手と戦うにはあまりにも縛りが多く、
たった五分の戦闘と言えども、状況は常に極限だった。
「――っ!!」
そして、ピンチというものは前兆無く現れる物だ。
俺は足元に転がっていた石ころに躓き、体勢を崩した。
誰も意図せぬ天然の罠。だが奴はその好機を見逃さない。
『 WWWSSHHUUAAA!!!!! 』
俺の両隣から迫り来るのは二本の巨大な根っ子だ。
それらは擬態花が持つ中でも主要な根なのだろう。
他の雑多な根とは違い、慣熟された扱いのように見えた。
両手でハエを叩き潰すかのような、容赦の無い一撃だ。
この場合、ハエに当たるのは間違いなく俺なのだが。
挟み込まれれば肉片すら残らないだろう。
唯一の逃げ道は上空か。そう考え、跳び上がった俺は…
「ぁ…」
――無防備な身体を、荒れ狂う凶器の前に曝け出した。
擬態花は己の根に絶対的な自信を持っている。
その触手に対し、俺が回避しか出来ない事を知っている。
挟み込み攻撃で、奴は敢えて上空に逃げ道を残していた。
…敵手を誘き出して、確実に息の根を止める為に。
上空に飛び上がった先で待ち構えていたのは
数えることすら億劫になるほどの根っ子群だった。
俺は空中での回避手段など持ち合わせていない。
差異在れど、所詮は地を這いずるだけの生物なのだから。
―――即ち、"詰み"だ。
『 GYAAAA!? 』
その時、突然擬態花が悲鳴を上げた。
宙に張り巡らされていた根は力無く主の元へ戻っていく。
奴の全身を電撃が駆け抜けたかのような挙動だった。
『雷』の妖術だ。…それを使えるのはこの場で一人だけ。
「っ、ヴァンさん!!」
「悪い、遅くなった。」
「いえ、いいタイミングです!」
気づくと全身傷だらけのヴァンが俺を見上げていた。
彼の持つ大剣は『雷』の影響で少し帯電しているようだ。
俺は空中で身を捩り、彼の真横にゆっくりと着地した。
「容態は。」
「一瞬だけ気を失ってた。」
「意識のほうは。」
「はっきりしている。」
「他の擦り傷は。」
「問題ねぇ。」
「了解です。あまり無茶はしないでください。」
淡々とヴァンから情報を引き出す。
聞く限り、命に関わる怪我では無かったようだ。
普段ならもう少し気遣うが、…今は時間が無い。
慰労も手当も後回しだ。残された猶予を効率的に使え。
「擬態花について情報の共有しときましょう。」
「二本の太い根と無数の細い根を持つ特定危険種。
擬態能力持ち。茎が弱点。周囲に毒ガスを撒き散らす。
性格は狡猾で、頭も回る。…こんぐらいしか知らねぇ。」
「充分です。付け加えると、『火』は効き目が薄いです。
そして、花托が格段に脆いので。…狙うならそこを。」
素早い情報共有の内に、擬態花は体勢を立て直した。
奴が発する空気が漏れる音――毒ガスを噴出する音は
先程よりも明らかに激しくなっている。怒っているのか。
効果は如実で、重い毒霧は周囲の植物達を死滅させた。
吸い続ければ、俺達も無事では居られないだろう。
「…脳が侵されそうな霧だな。」
「『風』で持続的な空気の入れ替えをお願いします。」
「あぁ、俺が太い根を止めたタイミングで攻めろ。」
「はい、任されました。」
ヴァンは剣を『雷』から『風』に切り替えた。
さぁ、勝てるだろうか。…いや、勝てはするだろう。
問題は勝ち方だ。如何に穏便で完璧な勝利を収めるか。
「―――殺りましょう。」
---
擬態花の根を見て悟った。
私がアイツに勝つことは叶わないのだと。
私はアイツと張り合えるほど強くは無いのだと。
ヒシのように根の速度についていけるわけでもなく。
ヴァンのように根の一撃を耐えきれるわけでもない。
旅の道中でも、ずっとそうだった。
自分で同行した癖に、出来ることは料理だけだ。
戦闘になると、私はずっとあの二人の後ろに隠れてた。
他の游蕩士達は皆、私の泣き言を笑って許してくれる。
それに甘え、大した覚悟も無く此処まで来てしまった。
然したる腕前も身に付けず、私はずっと縮こまっていた。
旅中の料理人気取りで、游蕩士としての誇りを何処かに落としてしまった。
――戦場に立つ権利が、果たして私に有るのだろうか。
游蕩士という職に就く者は、皆何かしらの目的を持つ。
だが、一部の者達は己が目標に対する執着度が異常だ。
彼らは命を投げ出してでも、それを為し遂げようとする。
如何なる犠牲も厭わない者達。…だから彼らは強いのだ。
ヒシとヴァンはそれに該当する游蕩士だが、…私は違う。
私には戦う理由が無い。目指す未来が無い。
是が非でも辿り着きたい目標地点が存在しないのだ。
ダラダラと走り続けて、疲れたら辞めるだけの人生だ。
今だって、結局は遠のいていく背中を眺めているだけで。
追い付こうともせず、独りで常識人を気取ってるだけで。
――本当にそれで良いのか。…問い掛けられた気がした。
---
二人で根の猛攻撃を凌ぎ続けること約十分。
長い戦闘を経て、戦いの局面は大きく動こうとしていた。
『 WWSSHUUUU…, 』
ひたすらに攻撃を避ける俺に嫌気が差したのか。
低く唸る擬態花がヴァンを集中的に狙い始めたのだ。
核心的なダメージを入れられず仕舞いの相手を諦め
既に負傷済みの相手から殺すことを決意したらしい。
――片方を落とせば、もう片方を落とすのは容易い。
そんな思惑がありありと表れていた。
実際、その判断は最善だったと言えるだろう。
奴を殺し得る決定打を持つのは、ヴァンの方だったから。
俺の存在を放置しても問題は無いと腹を括ったのだろう。
ただし、擬態花は未だに気が付いていなかった。
…自身の戦略が俺達に誘導された物であるということに。
『 WWWSSSHUUAAAA!!!!! 』
振り下ろされたのは擬態花の太い二本の根だ。
鞭の如くしなる触手は、一直線にヴァンへ向かって行く。
つい十数分前、彼はこれを受け止められずに気絶した。
根っ子が持つ絶大な威力は誰よりも分かっているだろう。
だからヴァンは受け止めることを諦めた。
彼は振り下ろしの予備動作を確認すると同時に
靴へ『雷』を纏わせると、超人的な速度で根を躱した。
「―――ハッ!!!」
その直後、彼は手で固く握った大剣を根に突き立てた。
見る限り、根には数センチ程度しか刃が通っていない。
実際、擬態花も然したる痛みを感じていない様子だ。
…しかし、根が凍り付くと擬態花の表情が変わった。
それを為し遂げたのは、根に突き刺さった大剣だ。
剣の刀身は『水』特有の爽やかな光で輝いている。
防御すら叶わぬ強力な武器を、纏めて地面に固定する事。
それは、この局面でヴァンが取れる最善の選択だった。
…擬態花は、未だ焦らない。
『 WSHYUuuu……, 』
――子供騙しの氷だ、十秒もあれば剥がすことが出来る。
そんな挑発をするように奴は余裕綽々と体をくねらせた。
パキパキと、軽快な音と共に氷の留め具に亀裂が走る。
さぁ、気張れ。与えられたチャンスは十秒のみだ。
「…やれ、ヒシ!!!!」
俺には、十秒もあれば充分だった。
間髪入れず擬態花との距離を詰める。
奴に残されたのは、星の数ほどある繊細な根っ子達だ。
幾度となく回避した、見慣れた根っ子しか残っていない。
この程度の凶器相手に、今更遅れは取らなかった。
土壌が剥き出しになった大地を全速力で駆けながら
右手に握った片手剣へ更に大量の妖力を注ぎ込んでいく。
「………スゥ……、」
迫り来る根っ子を見切り、躱し、受け流し、断ち切り…
花托目前まで辿り着いた俺は、剣を頭の斜め上に構えた。
莫大な妖力を含む刀身が、太陽の如き閃光を放ち始める。
『 …………, 』
それを見た擬態花は…
『 ――KYAHA. 』
――嬉しそうに声を出した。
直後、俺の眼前に溢れんばかりの根が張り巡らされる。
何処から?言うまでもない。擬態花の真下、地中だ。
この時機で確実に俺を仕留める為、切り札として隠し持っていたのだろう。
…誘き出し作戦を用いるのは、お互い様らしい。
このまま突っ込めば根に体を絡め捕られ八つ裂きの刑だ。
かと云って、空中での方向転換は物理的に不可能…。
ならどうするか。…俺は一つだけ解決策を思い付いた。
俺は手に持つ片手剣を細い根の塊へと突き立てると…
「……燃えろ。」
――『光』で膨大な熱エネルギーを生み出した。
確かに擬態花は熱への耐性を持っている。
でもそれは、熱を無効化しているわけではない。
耐性があるなら、許容範囲を超えた攻撃をすればいい。
…結果的に根が黒く焦げたのだから、成功なのだろう。
『 GYAA!? 』
擬態花が大きく怯み、根も少し弛緩した。
俺は緩くなった根を蹴り飛ばすと、地上へと降り立つ。
…確かに体は無事だが、振り出しに戻されてしまった。
ヴァンの形成した氷もそろそろ壊れる頃合いだろうか。
とすると、むしろ状況は悪化の一途を辿っているのかも…
…その時、俺は一つの勝機を見出した。
チャンスが視界に飛び込んで来たと言う方が適当か。
俺は捉えただけで、足を踏み出したのは彼女自身だから。
俺がすべきは彼女の小さな背中に手を添えることだけだ。
地に足を付けた状態で、もう一度『光』を剣へと注ぎ…
「……ふっ…!!!!」
――眼前にあった茎を思い切り殴りつけた。
本来の用途とはかけ離れた片手剣の扱いだ。
爺ちゃんから説教を貰いかねない力任せな打撃だが…
『 GYUUYAAA!?!? 』
苦し気に呻いた擬態花は全身を大きく揺らした。
こんな粗雑な攻撃でも、相当なダメージが入った。
やはり、根以外の箇所は総じて弱点となるらしい。
しかし、今の一撃は決して致命傷と成り得ない。
「花の付け根です! ――ベリーさん!!」
…それでも、致命傷へと繋がる攻撃にはなったようだ。
「―――ありがとう。」
跳び上がったのは、白菫色の髪を揺らす小柄な少女だ。
ベリーは独り呟くように感謝の言葉を口にしながら――
緑色に輝く細剣を以て、擬態花の花托を貫いた。
彼女の顔に、もう迷いは無い。
---
擬態花の死骸が力なく大地に崩れていく。
絵になる派手な光景が、激戦の幕引きを告げていた。
鞘に剣を仕舞った俺は、静かに佇むベリーへ駆け寄る。
「ベリーさん、本当に助かりました。」
「…ふぅ…。よく、私が居るって分かったわね。」
「視力は良い方なんです。」
「……あんた、怪我は?」
「大丈夫です、どこも怪我していませんよ。」
「………そう。」
擬態花の妖石を手にしたヴァンが近づいて来た。
彼は暫しベリーの顔を見つめると、彼女の頭を撫でる。
「……それ、あんまり女子にしないほうがいいわよ。」
「あぁ、助けに来てくれてありがとな。」
「ベリーさんこそ、怪我は?」
「…………私は、だい、じょう…、ぶ……?」
直後、ベリーが崩れるようにして地面へ倒れ込んだ。
ヴァンが彼女の体を抱えられたのは幸運だっただろう。
支えが無ければ、ベリーは身体を強く打っていたはずだ。
「っ…!!!???」
「!? おい! どうした!」
「あ、れ…? からだ、が。」
人形のようなベリーの身体を地面に下ろしたヴァン。
俺はすぐさま駆け寄ると、彼女の容態を診察した。
ただの疲労か? いや違う。不自然な倒れ方だった。
外傷は?目に入るのは有り触れた掠り傷だけだが…
「…ベリーさん!腕に痛みを感じますか!?」
「さっき、ちくっとした、気がする…、」
ベリーの右腕に、紫色の不自然な傷跡があった。
ほくろにも似た小さな斑点だが、無視は出来ない。
俺も、昔似たような痕を脚に作ったことがある。
五歳にも満たぬ幼少期。…毒蛇に噛まれたときだ。
「ヴァンさん!俺の鞄があそこにあります!
中から『水』の妖具と清潔な布をお願いします!」
ヴァンの行動は早い。そして、頭の回転も。
即座に状況を理解し必要なものを取りに行ってくれた。
その間に俺はベリーの症状を詳しく聞いた。
頭痛は無し。眩暈は有り。腕の痛みは少しだけ。
擬態花を倒す瞬間に腕の痛みを感じたらしい。
ならば原因はアイツの妖術だろう。厄介な置き土産だ。
「ヒシ、使え。」
「ありがとうございます、」
ヴァンが取ってきた布で傷口より少し上腕部を縛った。
これで毒が全身に広がるという事態は防げるはずだ。
『毒』を受けた場合、応急手当が患者の生死を分ける。
…焦るなよ。冷静になれ。絶対にベリーを死なせるな。
「毒の対処は!」
「少しは出来る、」
「とにかく毒を出しましょ――」
――ふざけるな。そう叫びたくなった。
俺が何をしたと言うのか。何が神の気に障ったのか。
俺は、人間として、ただ普通に生きたいだけなのに。
何故、"化物"という存在は俺に付き纏うのだろうか…。
『 ROOOAAAAR…, 』
宝石の如き美しい金色の毛並みを誇示するその化物は
ギラギラとした猫目を輝かせ、此方の様子を眺めていた。
"百獣の王"という肩書きに恥じぬ堂々としたその佇まい。
覇者として生まれ付いたが故の、傲慢なまでの厳かさ。
相対した生物が否が応でも受け取る、圧倒的な実力者。
「……っ…、」
怯えからか、背筋に冷たいものが走った。
奴は今まで対峙した化物の中でもかなりの上位個体だ。
いや、間違いなく最強格。とても俺が叶う相手では無い。
此方の戦力は、半死半生の一人と疲労困憊の二人。
勝算など無に等しい。勝ち筋が視える気がしない。
…そもそも、コイツに遭遇した時点で俺達の負けだ。
この敗北は、避けようの無い運命として決まっていた。
俺は深く息を吐き、――剣を持って立ち上がった。
「…ベリーさんの応急処置、お願いしてもいいですか。」
「いや、俺が行く。こっちはお前に任せ――」
次いで立とうとしたヴァンの肩を押さえつける。
驚いた様子のヴァンは、半ば睨むように俺の顔を見た。
「ダメです。怪我の処置はヴァンさんの方が適任です。
大丈夫です。――パパっと倒して戻って来ますから。」
「……っ…。悪い、ヒシ。頼んだ…。」
「えぇ、また後で。」
出来る限りの笑顔を顔に貼り付ける。
どうだろ、…うまく笑えていたら良いけどな。
――剣を腰に携えて、獅子に正面から対峙する。
ヴァンは相当に頭が良い人だ。
旅の途中でも、地頭の良さが節々から感じられた。
きっと、弛まぬ努力の末に得た思考能力なんだと思う。
だから、獅子と戦うということが何を意味するか理解しているだろう。
ヴァンは外見に拠らず優しい人だ。
ぶっきらぼうな人だと思われがちであるが
その実、表でも裏でも他人を細やかに気遣っている。
だから、自分がこの化物と戦うと名乗り出たのだろう。
「出来る限り、ここを離れます。」
この素晴らしい人材を此処で死なせるつもりは無い。
勿論、ベリー含めだ。二人とも大切な友人なのだから。
彼らの為ならば、俺は命を投げ出しても良いと思えた。
「どうか、ご無事で。」
―――死ぬのは、俺独りだけで充分だ。
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