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ナノライト  作者: かざぐるま
第一章 Who defined humans.
1/57

第一話 光の子

 



 『 Who defined humans. 』




 ---




「――六、七。ちょうどだね、いつも助かってるよ。」

「いえ、またよろしくお願いします。」


 妖具屋の店主に一礼し、店を出た。

 時刻は十三時過ぎといったところだろうか。

 春空に昇る太陽は先程よりも少し高度を落としている。

 …この時間なら午後の内に二つは終わらせれるかな。



 ……お腹、空いたな。



 ◆



 数分歩いて辿り着いたのは小さな食堂。

 もう昼下がりの筈だが、店内は思いの外混み合っていた。

 空席はもう数えられるほどしか残っていないようだ。

 制服を着てホールを忙しなく動き回る少女に案内され

 俺は窓側にポツンと配置された独り席に腰を下ろした。


 ――パンを頬張りながら財布の中身を確認してみる。

 午前中の依頼で得た報酬は金貨一枚と銀貨五枚だ。

 計千五百フルク。…既に成人男性の日給くらいは有るか。

 先の旅の経費諸々を差し引いても十分な収入だろう。

 …仕事柄、特に意識しなくともかなりの大金が手に入る。

 十七歳の世間知らずな子供が報酬を受け取ったとて

 大した使い道も無く殆ど全額が貯金に回るだけなのだが。

 在って困る物でも無いし、今は有難く頂いておくべきか。


 机の上に銅貨五枚を置いて席を立つ。


「ご馳走様でした。」

「あいよ! また来てくれぃ!」


 恰幅の良い店主のおっちゃんに声を掛けると

 満面の笑みで見送ってくれた。…次はいつ来れるかな。



 ◆



 裏路地を抜けつつ、再び大通りへと歩き出た。

 幼い子供を連れた主婦。荷物を抱えて忙しなく走る青年。

 手を繋ぎ並んで歩く姉妹。べろんべろんに酔った男性。

 真昼の通りには、懸命に日々を生きる様々な人間が居た。

 そんな彼らを横目に、ある建物目指して俺は足早に歩を進めて行く――。



 到着したのは、木製二階建ての大きな建物。

 大きな扉を開けると、中は多くの人で賑わっていた。

 些細な談笑に(いそ)しむ者達、窓口で対応に追われる者達。

 そして、掲示板に向かい熱心に何かを探している者達。

 よく見ると、巨大な掲示板いっぱいに数多の紙が貼られている事を確認できる。


 …張り紙を吟味する人々の中に、見知った顔があった。


「リエルさん、こんにちは。」

「あ、ヒシさん!久しぶりー!」


 白藍(しらあい)色の髪をポニーテールにした可愛らしい少女だ。

 新品のビー玉のようにキラキラ輝く丸っぽい瞳。

 ほんのりと桃色に色づいた唇。赤子のように綺麗な素肌。

 眉目秀麗(びもくしゅうれい)という言葉が本当によく似合う容姿だと思う。

 首に付けた萩色のペンダントが一層映えて見えた。


 彼女は俺とほぼ同時期に游蕩士(ゆうとうし)になった少女だ。

 具体的な括りは無いが、分かりやすく言うなら"同期"だ。

 その少女――『リエル』は、手に一枚の紙を持っている。


「依頼決まったんですか?」

「うん、これにしようかなって。」


 そう言って彼女は紙を一枚こちらに向けてきた。

 俺は、比較的新しい用紙に書かれた文言を一読する。

 『依頼者の名前』『依頼の内容』『成功時の報酬』などが簡潔に書かれていた。


「薬草の採取で百三十フルク――優良依頼ですね。」

「やっぱ戦闘よりもこっちの方が向いてるんだよねー。」

「良いと思います。頑張ってください。」

「ありがとー、ヒシさんも頑張ってね。」


 リエルは紙を窓口の役員さんに渡しに行った。

 質素で簡素な窓口は、普段よりも少し混んでいるようだ。

 春で新たに游蕩士に就く者達が増えている影響だろうか。

 彼処(あそこ)で本人確認など諸々の手続きを済ますと、晴れて依頼の受注が完了する。


 …まぁいいや。俺も良さげな依頼を探そう。


 ちなみに依頼は同時に複数個受けることが出来る。

 今回は素材収集系依頼を二つ同時に受注した。

 目標自体は共通だし、すぐに終わるはず。

 ヘマしなければの話だけど…。



 ◆



 北の外壁付近まで来ると、壁上に人の影が見えた。

 その人物は座りながら暇そうに大きく欠伸をしている。

 香色の髪をそよ風に揺らす男性、――俺の兄ちゃんだ。

 北門を潜り抜け、壁の外から斜め上へ声を張り上げる。


「兄ちゃん、行ってきます。」

「ん、気つけてな、危なくなったら逃げるんだぞ~。」


 兄ちゃん――『テロス』は、笑顔で手を振っている。

 寝癖の付き方を見るに、直近数時間は寝ていたのだろう。

 それを確認し、俺は街を守る壁に背を向けて歩き出した。


「晩飯までには帰るんだぞ~。」

「はい。」


 目的地までは、歩いて一時間もすれば着くかな。

 何回か近くに寄ったことはあるし、迷子にはならないか。


「無理はすんなよ~~。」

「はーい。」


 普段よりは時間掛からないと思うけど。

 あんまり遅くなって心配かけたくないし少し急ごう。


「生きて帰って来いよ~~!」 

「はーーい。」


 やっぱり長距離移動用に眷属(けんぞく)は必要なのかな。

 責任問題とか大変そうだけど、便利ではあるしな。


「怪我もすんなよ~~~!!」


 いやしつこいわ。もうだいぶ距離離れてるだろ。

 周りの人の『なんだこいつら』みたいな視線が痛い。



 ◆



 小一時間ほど歩いただろうか。

 辺りには見渡す限りの草原が広がっている。

 ここら辺一帯はなだらかな起伏が続く丘陵(きゅうりょう)地帯だ。

 若葉色の雑草を明るく照らす明瞭な太陽の光と、

 肌を優しく撫でるようなそよ風がとても気持ち良かった。


 地面にしゃがみ込み、目を凝らす。

 目撃情報的には確かにここら辺のはずなのだが…、


「……見っけた。」


 前方百メートルほど先に、ある生き物の群れが居た。

 俺には気が付いていない。…もう少しだけ観察するか。


 頭部には誇るように掲げられた二本の立派な角。

 体毛は薄い茶色で、腹から下は白く染まっている。

 逞しい後脚は、環境に合わせて発達した物だろう。

 陸上生物ならではの、凛とした佇まいをしていた。


 羚羊(ガゼル)は、十~十五体程度の群れで行動する"化物"だ。

 最も大きな特徴は、先にも述べたその後脚にある。

 臆病な性格の彼らは、敵対生物の存在を察知した瞬間

 人間では到底追い切れないほどの速度で走り逃げる為、

 生半可な準備で挑むと討伐が非常に難しくなるんだとか。

 周囲に他の肉食動物などが居た場合は運の尽きらしいが…

 ――どうやら今日は気にしなくても大丈夫なようだ。


 彼らが持つ最大の欠点は、危機察知能力の低さ。

 相手を視認するまでは逃走行動を起こさないらしい。

 『大概の生物なら普通そうだろ』とは思ったが、

 情報元があの兄なので感覚がズレているのかもしれない。

 ただ、情報の信憑性が高いことも確かだ。


 今回、仕留める必要があるのは一匹だけ。

 狙うべきは群れの中でも特に育っている個体。

 …アレかな。一回り体格がいい個体に狙いを定める。


 討伐経験は無し。逃がせば残業は確定。

 チャンスは一度切り。正真正銘の一発勝負だ。


「頑張ろ。」


 足に…正確には履いている靴に"妖力"を流していくと

 古びれた靴全体が、淡い黄色にぼんやりと輝きだした。

 続いて腰に下げていた剣を手に取り、同様の妖力を流す。

 …数秒と経たず片手剣の刀身も同系色の光を纏い始めた。


「…ふー……。」


 重要なのはタイミング。

 獲物をよく視ろ。感覚を研ぎ澄ませ。

 ほんの一秒、羚羊(ガゼル)の気が逸れれば……


『 ――myuu…, 』


 目標の羚羊(ガゼル)が草を食もうと頭を下げた。

 その瞬間を見逃さず、思いっきり地面を蹴り――



 ――二間の距離およそ百メートルを、()()()()()()



 刹那、多数の羚羊(ガゼル)が全力で逃走を始めた。


 一足遅れてようやく異変に気が付いた一匹の羚羊(ガゼル)


 承和(そが)色に輝く刃が、透き通った瞳に投影された直後。


 一つの小さな頭部が、草原の上をふわりと舞った。




---




 今回目的としていた品は二つ。


 一つは羚羊(ガゼル)の双角。

 古くから生薬の原料として使われてきたらしい。

 転がった頭部から二本の角を丁寧に切り落とし、包んだ布ごと鞄に詰め込んだ。


 一つは羚羊(ガゼル)の"妖石"。

 化物が絶命する時に出現する謎の石を指す言葉だ。

 今回入手したのは半透明の物で、緑色の光を放っている。

 剣で一筋傷を入れ、淡い光の消滅を確認してから、こちらも鞄の中に仕舞った。


「………。」


 地面に残ったのは羚羊(ガゼル)の死体。

 既に心臓は止まっている。妖石にも処理をした。

 つい先程、この化物は本当の意味で死に至ったのだ。


 このまま放置すれば死体は無惨に荒らされるだろう。

 かと云って、今この場で調理して食べる準備は無かった。

 ……零から百まで自分のエゴだ。――けれど。 


「……よし。」


 再び剣に『光』の妖力を流し、刃を死体に突き立てる。

 今度は剣の刃先に全ての妖力を集中させるイメージ。


「……、……。」


 その状態で"妖術"を発動。――眩い光が弾けた。

 次に小さな火種が生じ、亡骸を包む炎と成って。

 やがて、立ち昇った大火が此の場の全てを灰に変えた。


 既に羚羊(ガゼル)の群れを視認することは出来ない。

 逃げ遅れた個体を諦め、新天地を探しに行ったのだろう。


 風に乗って散りゆく灰に向かい、数秒目を閉じる。

 今日の風向きは、彼の群れが去って行った方角の様だ。



「……俺も帰ろ。」



 ◆



 街に着く頃には日が沈みかけていた。

 窓口が閉まるのは何時だったか、多分そろそろだろう。

 明日の朝一は面倒だし、早めに納品しに行かないとな。


 依頼達成の報酬を受け取る方法は二つある。

 一つは、依頼書と達成の証拠品を持って"游蕩団"の窓口に行くこと。そこで簡単な手続きを済ますと、晴れて依頼達成となりその場で報酬を得られる。化物討伐の依頼でよく採用される方式、という印象がある。


 もう一つは、自らの足で直接依頼者の元へ赴き、依頼達成の報告を行う方式。こちらは山菜などの採取依頼、人などの捜索依頼、特定人物の護衛依頼などで幅広く採用されている。依頼者側のメリットは、自身の求める素材などを迅速に受け取ることが出来ること。游蕩士側のメリットは、依頼者の直接的な信頼を得られることだろうか。


 今回受けた依頼は両方とも前者だった。

 特別急を要する依頼では無かったのだろう。


「――はい。確認しました! こちらが報酬ですね~。」

「あ、俺の口座に直接入れておいていただければ。」

「ではそのように手続きしておきますね、」

「よろしくお願いします。」

「はい、お疲れ様でした!」


 游蕩団事務所の窓口で素材を引き渡し、

 軽い本人確認と依頼報酬の受け取りを済ます。

 受け取った報酬を自分の口座に流すのはいつものことだ。

 担当の係員もそれが分かっているのか、振込書類を手早く取り出している。


 游蕩士に就いて早四カ月半。

 窓口の職員にもそれなりに顔を覚えられたようで、

 依頼達成手続きの最中に話しかけられることが増えた。

 游蕩士という職業を通して、少しずつ交流が広がっているのを顕著に感じる。


「……………。」


 事務所を出て空を見上げてみる。

 時刻は六時過ぎ。…良い時間帯かな。

 今日はこれで切り上げよう。



 ◆



 数分歩いた後、古ぼけた一軒家の戸を開く。

 何の変哲もなく、豪邸とも貧相とも言えない、凡庸(ぼんよう)な家。

 木を基調(きちょう)にした、温かみのある、大好きな我が家だった。


「ただいま、爺ちゃん。」

「―――ヒシか、お帰り。

 疲れただろう、先に風呂入って来なさい。」


 出迎えてくれたのは、俺の祖父であるザウロスだった。

 右目に付けた眼帯と顔に深く刻まれた無数の(しわ)

 白く染まった髪に年老いてなお衰えない腕の筋肉。

 頑固で剛情な老父という印象を与える風貌をしているが

 その顔には無事に帰宅した孫を(いつく)しむような穏やかな笑みが浮かべられている。


「はい、そうさせてもらいます。」


 台所から御馳走の匂いが香ってきた。

 …思わず風呂場に向かう足取りが軽くなってしまう。



 ◇



 風呂から上がり、体を拭きつつ居間に行くと

 床に座って体を左右に揺らすテロスの姿が在った。

 元気なのはいつもだが、今は特に機嫌が良いらしい。


「兄ちゃん、お帰りなさい。

 何か良いことでもあったんですか?」

「おぉヒシ! 聞いて驚け!!」


 兄ちゃんはそう言ってビシッとキッチンを指差し…


「シチューだ!!!!」

「……あ、晩ご飯の話ですか?」


 俺の返事がお気に召したのか、親指をグッと立てた。

 少し遅れてキッチンからひょっこり顔を出した爺ちゃん。

 六十代中盤の老人は、お茶目にも同じポーズを取った。

 気分上々な二人を見て、思わず俺も口元が緩んでしまう。


「じゃあ、兄ちゃんが風呂から上がったら食べましょう。」

「任せとけ、三分で上がる。」

「体はしっかり洗ってください。」


 兄ちゃんはダッシュで風呂場へと向かった。

 丸一日働いた後とはとても思えない活気だ。


「何ならこの後も夜勤じゃ…?」

「どうせ寝るだけだから問題なぁし!」

「問題発言では?」


 俺の呟きに対し、風呂場から返答が届いた。

 街から給料を貰う公務員としてはアウトな回答だったが。

 まぁ、黙認されている部分も否めないから大丈夫か。



 その十数分後、家族三人揃っての夕食が始まった。


 十年の時を経てすっかり慣れ親しんだ部屋の中で。

 各々の一日についての雑談に花を咲かせながら。

 優しい老人の愛情が籠った温かいご飯を口に運ぶ。


 文字起こせばたったこれだけの行為。

 でも、今の俺にはこれだけで充分だった。



 ここに居るのは紛うことなき『家族』だから。




 ---




 生い茂る緑を抜けると、見慣れた家が在った。


 木製のドアを開くと、笑顔の母が出迎えてくれた。


 ご飯を食べて、本を読んでもらって、眠りについて。


 母の温もりに包まれながら、幸せな夢を見て、


 眼が覚めたときには、既にもう――。




 ---




 眼前には木の床があった。

 痛む体をなんとか起き上がらせる。

 どうやら寝ているうちにベッドから落ちたらしい。

 辺りはすっかり闇と静寂に包まれていた。

 何故か少し湿った目を手で擦り、静かに部屋を出た。



 ◆



 日中に歩いた石畳の上を出来る限り音を殺して歩く。

 空を見上げると数えきれないほどの星達が見えた。

 くっきりとした形の満月が街をぼんやりと照らしている。

 幾度(いくど)となく見た夢だけど、慣れることは無いのだろう。

 慣れてしまったら、何もかもを失ってしまうのだろう。

 胸が締め付けられるこの感覚が、唯一の手掛かりだから。


 気が付けば、昼過ぎと同じ北門に辿り着いていた。

 外壁に備え付けられた階段を登って顔を覗かせてみる。


「ぐごぉぉぉ…、」

「…………………。」


 盛大にいびきをかいて寝ている男が居た。

 誰あろう。――決まってる、兄のテロスである。

 見張り仕事中の彼は、大層気持ちよさそうに寝ていた。

 確かに、見る人によっては職務怠慢にも見えるだろう。

 化物が蔓延(はびこ)るこの世界、いつ襲撃が来るかも分からない。

 市民の安全を守る為の見張り役が居眠りなど、強く批判されて然るべきだ。


 ――彼でなければ…の話だが。


 体からずり落ちてしまっている毛布を慎重に掛け直し

 起こしてしまわないよう、静かにその場を離れた――。



 ◆



 ある地点を目指して草原の上を歩き続ける。

 季節は春目前という具合で、肌に当たる風が少し冷たい。

 毛布で得た温もりが夜空に吸われていく感覚を覚えた。

 頭を冷やすという意味では好都合でもあったのだが。


 (しばら)くして見えたのは小高い丘とその上に生えた一本の木。


 何かが擦れ合う音が風に乗って耳へと届いた。

 足元に注意しつつ丘を登り、木の陰に身を隠す。

 木の幹から顔だけ覗かせてみると、二人の人間が視えた。



 大剣を両手で持った男が、相対する少年に向かって走る。

 男は剣先を自身の斜め後ろに置くように剣を構えていた。

 助走で得た勢いをそのまま上乗せするかのように…

 石柱の如き凶器が、右下から左上へと切り上げられた。


 右手に短剣を持つ少年はバックステップで斬撃を交わすと

 緩急の付いた身のこなしを以て、素早く反撃へと移った。

 少年が目を付けたのは、敵手のがら空きになった右脇。

 回り込むような形で男の懐に潜った少年は、刃を構えた。


 窮地に立たされた男は、…防御を捨てた。

 少年の剣が届くのならば、男の剣も当然届く。

 後は、どちらの刃が先に相手を切り伏せるかの戦いだ。

 突き上げられる少年の短剣と、振り下ろされる男の大剣。

 ――直後、空間を割るような轟音(ごうおん)が鼓膜を揺らした。


 風塵が晴れた末、俺の眼に映ったのは()()()()()だった。

 大剣の持つ圧倒的な質量が、それを為し遂げたのだろう。

 両者は未だ無傷だ。…しかし、既に優劣は付いている。


 極めて冷静に退却を試みるのは、武器を喪失した少年。

 大剣を掲げる男は、歴戦の闘牛の如き気迫で追撃に出た。

 …しかし、丸腰の少年は驚くほど身軽だった。

 斬撃の嵐を躱しつつ相手の射程圏内から逃れた少年は、

 腰に提げていた新品の短剣を抜き取り、ゆっくり構えた。


 ――これで戦況は五分五分に復帰した訳だ。


 男は再び距離を詰め、大木にも似た剣を何度も振るうが…

 少年は小柄な体躯を存分に活かし、全てを躱して見せた。

 痺れを切らした様子の男が、剣を横に大きく()ぎ払った。

 が、少年は勢い良く地面を蹴り、刃を空中で回避した。

 大剣を限界まで振り切った男に生まれたのは、数瞬の隙。

 守りに徹していた少年はそれを見逃さず、攻勢に出る。


 少年の短剣が、男の脳天目掛けて即座に振り下ろされた。

 大剣による防御は不可能。男の体勢的に、回避も難しい。

 客観的に見ても、男の死は確定したように感じられた。


 ――だが次の瞬間、その短剣は宙高くへと舞っていた。


 視線を動かして視えたのは、地上へと降りていく男の足。

 鋭く息を吐き出した男の手に、大剣は握られていない。

 どうやら、()()()()()()で短剣を叩き落としたらしい。

 大剣から手を離して、己の体術に勝負を賭けたのだろう。


 これで少年は二本目の武器を失った。

 体術戦になればガタイの良い男が有利なのは明白だ。

 成長途中な少年の手元に、対抗手段は残されていない。


「――俺の負け、か。」


 だって彼は、()()()のナイフを既に投げていたから。

 それは少年の脚に付いた刃物入れから取り出されていた。

 回し蹴りをしている最中に投擲された短剣は、精確に男の心臓を穿(うが)った。


 訪れる静寂、鳴り響くのは呼吸音だけだ。

 敗者である男も、勝者である少年も、声を発さない。

 短い沈黙の後、木製の短剣は地面にポトリと落ちて…


「あざっしタァ!」

「あざし。」


 ――この模擬戦は少年の勝利で幕を閉じた。



 ◇



「いやぁ、三本目も警戒してたんだけどなぁ。」

「にほんめは、すててた。」

「握る手、先に離してただろ。あの瞬間悟ったわ。」

「どうせ、けりとばされるとおもったから。」

「避けれる体勢では無かったしな。」

「スキみせすぎたね。」

「薙ぎ払いがな~、そこの選択ミス。」

「てか、おれのことけりとばせばよかったのに。」

「六歳下相手にソレやるの絵面ヤバくね?」

「十メートルはふっとぶね。」


 試合を終え、反省会を始める二人。

 その様子を木の影から見守っていると…


 ――不意に、ゴトッという音が突然辺りに木霊(こだま)した。


 それは、一つの刃が木の幹に深く突き刺さる音。

 何処に在る木か、…俺が身を隠している物に決まってる。


「………………。」


 恐る恐る首を横に動かし、その短剣を観察する。

 長さは人間の顔程度。刀身には美しい刃文が見える。

 金属特有の光沢が浮かぶ洗練された刃は、月光が反射してギラりと輝いていた。


 紛うことなく、真剣(ガチ)だった。

 模擬剣とは違う。対象を確実に殺す為の刃だ。


「――すみません覗き見してました、命だけは…。」

「お、ヒシじゃん! おひさー。」

「…あ、ひしか。ばけものかと思った。」

「…数センチずれてたら死んでましたよ?」

「そのつもりで、なげたからね。」


 平然とそう言う少年――『ロット』にダガ―を手渡す。

 目に掛かる程長い紺色の髪を邪魔そうに弄りながら、

 猫のように光る瞳で、彼はまじまじと俺を見上げて来た。

 その純真な仕草からか、歳に似合わず幼くも見えるが

 右耳の青色のピアスが些さかの大人ぽさを主張していた。


「未成年が夜遊びかぁ?関心しないなぁ。」

「未成年連れまわして遊んでた人がよく言えましたね。」

「俺はロットの保護者みたいなもんだから。…な!」

「な、じゃない。ほんとにやだ。」

「…嫌われてません?」


 男――『ベイド』はめげずにダル絡みを続けている。

 爽やかに刈り上げられた茶髪はロットと対照的で、

 清々しい笑みを浮かべる彼の顔によく似合っていた。

 筋肉で盛り上がる胸の辺りに付いた赤色のブローチは、

 成人男性としての逞しさと落ち着きを際立たせていた。


「ほんで?最近見なかったが、また遠出か?」

「えぇ、手頃な依頼があったもので。」

「ヒシの手ごろは、いみちがう。」

「あんまり親父さんに心配かけたらダメだぜ?」

「程々にするんで大丈夫ですよ。」

「まぁ、いいが…体は壊すなよ。」

「肝に銘じておきます。」

「…ほんとに分かってるか?」

「はい。」


 ベイドに向かってニコリと微笑んで見せると、

 彼も少し落ち着いたように安堵の表情を浮かべた。


「あ、ところで相談があるんですけど。

 褐礫(あかれき)の方に長期系依頼来てたりしないですか?

 出来れば採集か討伐で、遠征が条件ならベストで…」

「なぁ、お前俺の話聞いてなかっただろ。」

「大丈夫です。程々ですよね。」

「はぁ…、ちなみに来てないぞ。残念だったな!」


 勝ち誇ったように声を張り上げたベイド。

 これは嘘だろうな。彼のギルドは相当に大きいはずだ。

 街や組合から絶え間無く依頼が届くと聞いたことがある。

 それらを掘り出せば、好条件の依頼書を一つ二つは発掘出来ることだろう。


「おれのほうに何個かあるよ?」

「ロットくん?少しは意図汲み取って欲しいけどな~。」


 恨めし気にロットの口を塞いだベイド。

 だが、もう遅い。俺は情報を得たのだから。


「少し譲ってもらえたりは。」

「…ぷはっ。べつにいいよー。」

「ほらこうなるんだって。有るとか言ったらダメなの。」

「べつにいいじゃん、ケチ。」

「そうですよ、ケチ。」

「俺が悪者みたいじゃん!」


 勿論分かっている。理解している。

 どちらかが悪者とか、そういう話では無いと。

 ベイドが自身の善心に従っているんだということも。


 ――でも、今必要なのは()()じゃなかった。


「…ったくもう! とりあえず死ぬな!それだけ!」

「はい、ありがとうございます。」

「お前に死なれると俺も困るからな!」


 ロットを放したベイドは困ったような顔をしながらも、

 俺を気遣う言葉を掛けるだけに留め、すぐに口を噤んだ。

 まるで、それ以上の口出しは禁忌(タブー)だとでも云うように。


「さ、休憩終わりにして体動かそうぜ!」

「うごかそー。おー。」


 神妙な空気を入れ替えるように、手を叩いたベイド。

 呼応するように、ロットが模擬剣を右手で握り直した。


「俺も混ざっていいですか?」



 ◆



 早死(はやじに)してはいけない。体を壊してはいけない。


 大切に育ててくれた恩を、仇で返してはいけない。


 そんなこと、言われなくたって全部分かってる。


 それでも、俺は探さなければならなかった。


 自分を知る為に。十二年前の、真実を知る為に――。




 ---




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