38話 僕は故郷へと帰還する4
いま、なんて……?
ぼくがここにいた??
そんな風に聞こえたけど?
「伝えるのが遅くなって悪かった。タイミングを見計らっていたんだが、お前が村を出てしまってその機会を失っていたんだ」
「あの、ここにいたとはどういうことでしょうか」
「どこから説明したものか。長くなるが構わないな」
僕とアマネは黙って頷く。
正直、驚いた。
ここまで驚いたのは初めてだろう。
突然、なんの前触れもなく、こんな事実を知らされたんだ。
急速に現実味がなくなって足が僅かに震える。
僕を支えていた足下がいきなり崩れたのだから。
「あれは子供ができずに悩んでいる夏の日だった――」
◆
俺は妻と同時に溜め息を吐いた。
憂鬱になる原因ははっきりしている。
一向に子供に恵まれないせいだ。
お隣さんは先日、妊娠したと言っていた。
比較的長くかかった方だ。
しかしそれは性格が生真面目で、夫婦になっても慎重な付き合いをしていたからだ。手を握るのに一年かかったくらいなんだ。遅くても納得できる。
けど、ウチは違う。
妻とはまぁ、その、盛んにやっていた。
早く子供が欲しかったというのもあり、回数はかなり多い。
なのに未だ授からないなんて。
もしかして妻は、などと脳裏に考えがよぎる。
すぐに俺はそれを振り払って消した。
俺に原因があるかもしれない。愛すべき妻を疑うなんてどうかしている。
せめて一人だけでも、一人だけでも子供ができれば。
この際、贅沢は言わない。後を継いでくれる子供がウチに来てくれればそれでいい。
お互いの心が修復不可能なくらい離れてしまうより百倍マシだ。
コトン。
妻がカップをテーブルに置く。
俺は静かに立ち上がった。
「守護岩さまへお祈りをしてくる」
「もう一年以上お願いをしているのに、どうしてなのかしら」
「悲観するな。きっと元気な子供を授かるはずだ」
「……そうね」
疲れた様子の妻を見て、ひどく心が落ち込む。
愛のある行為がただの作業へと落ちるのは、夫婦にとって精神をがりがり削られるような感覚だ。
辛い。二人の時間が。
俺は家を出て守護岩さまへと向かう。
「どうか、どうか俺達に子供を授けてください」
俺は守護岩さまの前で、地面に額がつくほど頭を垂れる。
だんだんとこれはただの岩なのでは、との疑念が生まれていた。
すがりつく価値なんて本当はないのでは。
これに子供を授ける力なんてない。
「――頼む、あんたを信じたいんだ。神様なんだろ」
おぎゃぁ、おぎゃぁ。
赤ん坊のような泣き声を聞き、俺は勢いよく顔を上げた。
赤子? こんな森の奥に?
どこからだ。どこから聞こえる?
ふらふらと周囲を歩き、聞き耳を立てた。
鳴き声はずっと絶え間なく聞こえていた。
遠いような近いような、不思議な声の響き方だ。
地面から?
赤ん坊の声は確かに地面から届いていた。
俺はすぐに素手で地面を掘り始めるが、はっと手を止めた。
よく考えろ。
地面の下に赤ん坊がいるなんておかしいじゃないか。
とうとう幻聴を聞くようになったのか。
「……それとも下に行く道がどこかに?」
俺は辺りを調べ、地下に繋がっていそうな場所を探す。
全て空振りに終わったところで、俺はまだ探していないソレに目がいった。
守護岩さま……まさか。
岩の後ろを探り、ほんの僅かだが隙間があることに気が付いた。
横に押せば動くかもしれない。
「ふんっ、うぐぐぐぐ」
重い。だが、赤ん坊の声がより鮮明に聞こえる。
ここで正解なんだ。
ず、ずずずずず。
岩が横にずれ、その後ろから下へと続く階段が現れる。
一歩ずつ階段を降りる。
「なんだここは……こんな場所があるなんて聞いたことがない」
俺達の村が古代人の末裔であることに関係するのだろうか。
考えてみれば守護岩さまを、なぜ崇めるようになったのか詳しい経緯を知らない。
エルダーと守護岩さまの関係もそうだ。
この村には謎が多い。
階段を下りきり、俺はまぶしさに目を細めた。
そこは円筒形の空間になっていて、不思議なことに天井からは日光とさほど変わらない光が降り注いでいた。
その中心には、棺のような奇妙な金属の塊が鎮座していた。
声の発生源もそこからだ。
恐る恐る中をのぞき込む。
「……赤ん坊?」
そこには一糸まとわぬ赤子がいた。
元気に泣き声を上げ、時々足をばたばたさせている。
俺は迷うことなく赤ん坊を抱き上げた。
「ふぇ?」
「よしよし、もう大丈夫だぞ」
大きな目が、俺をはっきりと映す。
するときゃきゃと笑い始めるではないか。
この瞬間、俺はこの子に心を奪われた。
「親はいないのか?」
「あう~」
「だったら俺達のところへ来るか」
「あう?」
ぺちぺちと俺の頬を叩く。
こいつ、散々泣いていたくせにころっと機嫌を直しやがった。
赤ん坊を抱きかかえながら、金属の箱を確認する。
この子が何者か分かるようなものを探したのだ。
「アキト……?」
箱の表面にナイフで刻んだような文字があった。
古代文字ではなく現代の文字。
「よし、お前はアキトだ!」
「だぁ~?」
俺はアキトを高々と持ち上げてやった。
◇
それからアキトはすくすくと育った。
妻は初日こそ否定的だったが、二日目にはすっかりアキトの虜になっていた。
村長を初めとした村の住人には、遠方の森に捨てられていた子供を拾ったと説明した。
連中は守護岩さまが絡むと感情的になる。
もし真実を話せば、神に直接触れた罪で俺は罰を受け、アキトは神の子として祭り上げられ俺達から引き離されるだろう。
だから全てを秘密にすることにした。
アキトの出所は俺と妻だけが知っていればいいのだ。
幸いなことに村の連中は養子であることを伏せてくれた。
俺達夫婦が子供ができなくて悩んでいるのを知っていたからだろう。
おかげで打ち明けるタイミングは、俺達が決めることができた。
「父さん、母さん、行ってきます」
「ノルン先生のところ? 気をつけてね」
「うん」
家を飛び出したアキトを夫婦で見送る。
最近やってきたクルナグルの剣士から指導を受けているらしい。
俺はあいつが冒険者になると言い出さないか不安だ。
優しくて良い子だが、外で魔物と戦えるほど強くはない。
外の世界は過酷だと聞く。
きっとあの子では生き抜くことはできない。
――いや、あの子は特別だ。
もしかしたら俺の想像を超える何かを成し遂げるかもしれないな。
ふっ、単なる親馬鹿なのかもな。つい期待してしまう。
「貴方、アキトのことを心配しているの?」
「少しな。あいつはいつかこの村を出るかもしれない」
「活発ですものね。貴方に似て」
「俺はもうちょいはつらつとしていたと思うが……」
「あの事はいつ伝えるつもりなの?」
「もう少し大きくなってからだ。今はまだその時じゃない」
「そうね。あの子は繊細だから」
俺達夫婦は長期を覚悟していた。
たとえ血は繋がらなくとも、注いだ愛情は本物だと理解してもらう為に。
あの子は俺達の子だ。
誰がなんと言おうとヴァルバート家の子供。
彼が真実を受け止められる歳になるまで待つんだ。
◆
「――お前は冒険者になると村を飛び出し、今の今まで真実を伝えられずにいた。遅くなってすまない」
話し終えた父さんは僕に深く頭を下げた。
「アキト」
「大丈夫だよ」
僕は二人から愛情を沢山もらった。
真実には驚いたけど、話を聞いて腑に落ちた。
たぶん早くに伝えられても、僕には理解できなかっただろう。
到底納得もできなかったはずだ。
むしろ今が一番のタイミングだった。
結婚し、親として生きる覚悟を持った今が。
「頭を上げてよ父さん。僕は感謝こそすれど恨むなんて感情はないよ」
「まだ父さんと呼んでくれるのか」
「あはは、父さんは父さんだろ」
「うううっ」
僕と父さんは抱き合った。
年を取ったね。
以前より少し小さく感じるよ。
今までありがとう。父さん。