35話 剣聖と竜騎士の落ちて行く日々7
俺の顔がなくなった。
比喩ではなくマジで消えた。
鏡を見ながらのっぺりとなった顔に触れる。
『へのへのもへ』と黒い文字らしきものが書かれているだけ。
高いあの鼻、強気なあの眼、形の良い眉に血色の良かった唇、何もかもが消えた。
ただ、不思議なことに匂いは嗅げるし、食事だってできる。
眼だって瞼も眼球にも触れないが、確かにそこにはあるのだ。
これが俺の顔、ふざけんな!
「ううううううっ、こんなのあんまりビッチ。やっと結婚できたのに、ずっと不幸続き。やっぱりアキトと結ばれるべきだったビッチ」
「てめぇ! 今さらなに言ってやがるゲス!」
「だって、ライを選んでからずっとこんなのばかりビッチ!」
「はっ、じゃあ頭下げてあいつに結婚してもらえゲス。できても二番目のどうでもいい女扱いだろうけどな、ゲス」
この女、頭にウジでも湧いてんのか。
裏切った挙げ句に殺そうとした相手が、全てを許して結婚するなんてありえねぇだろ。
よほどの馬鹿か、そういう趣味の奴しかいねぇよ。
だいたいその顔で、どうやっててめぇがジュリエッタと証明する気だ。
もはや以前とは別人なんだぞ。
くそっ、今までの呪いで一番凶悪だ。
ミッチャンとか言ったか、また一人殺さなければならないやつができた。
ドアを開けてノルンが入室する。
「少しは落ち着きましたか」
「んなわけねぇだろ! この顔を見ろゲス!」
「ぶふっ、ごめんなさい。悪気はないの」
「仕方がないわよねー、その顔だものウホッ」
「てめぇは黙ってろゲス」
ベッドで寛ぐエマを睨む。
だが、睨みが効いていないのか飄々とした態度を崩さない。
それどころか俺の顔を見て腹を抱えて笑い始めた。
くそ、くそくそくそくそっ!
「とにかく二人とも冷静に。クルナグル師範として、ビルナスの王室に報告書を送りました。これで問題なく国には戻れるでしょう」
「あ、報告書だぁ? そんなの送っても、向こうはこっちの顔が分かんねぇゲス」
「簡単ですよ。顔の模様をそのまま手紙に……ふぅ、ちょっと外で気分転換してきますね」
ノルンは外へと走って行く。
しばらくして大笑いする声が聞こえた。
最悪だ。
何もかもが。
全てが狂ったのは、パーティーに加入してから。
違うな。アキトと出会ってからだ。
あいつは俺の疫病神だった。
運を吸い取ってやがる。
そう、まるで復讐をするかのように。
ざけんな、そりゃあ逆恨みだろうが。
俺はてめぇの好きだった女を寝取っただけ。
殺そうとしたのはジュリエッタだ。
俺はほとんど無関係なんだよ。
頼むから許してくれよ。
ハッ、俺は今、なんて考えた?
あのアキトに許しを求めただと。
冗談じゃない。あいつは足手まといの腰抜け鈍感野郎だ。
あんな奴に下げる頭なんか持ち合わせてねぇよ。
「幸せになりたいだけなのに、ビッチ……」
「俺がしてやるゲス。だからまずは本来の姿を取り戻さねぇとなゲス」
「元に戻ったら、本当に幸せにしてくれるビッチ?」
「俺が嘘をつかねぇのはよく知ってるだろゲス」
「うん。四天王を殺してアキトも殺すビッチ」
そうそう、それでいい。
ちゃんと調教できてるじゃねぇか。
お前はもう俺なしでは生きて行けねぇんだよ。
「で、これからどうするゲス」
「一度故郷の村に戻るビッチ。ライを両親に紹介したいビッチ」
「このタイミングだと、アキトもいるんじゃねぇかゲス。つーか、てめぇがやったことをバラされてる可能性があるだろゲス」
「だから急いで帰るビッチ。村の皆がアキトに騙される前に、私が真実を話してあの一家を村から追い出すビッチ」
そりゃあいい。
そうなればさぞスカッとするだろうな。
◇
「どうして!? どうして村に入れないビッチ!??」
ジュリエッタの故郷に到着した。
したのだが、見えない壁が立ち塞がりこれ以上先へ進むことができなかった。
俺も触れてみるが確かにそこには壁がある。
「退いて、魔法で破壊するウホッ」
フレイムカノンが壁へと直撃する。
しかし、壁はエマの炎を弾いてしまった。
なんなんだこれは。
「そうか、守護岩さまだビッチ」
「なんだそれゲス」
「村の神様ビッチ。邪なるものを退ける聖なる岩だビッチ」
「うそ、ジュリエッタやライはともかく私もウホッ!?」
「そんな……剣聖なのに。どうして守護岩さま!?」
これじゃあ村には入れねぇ。
諦めるしかねぇか。
ちっ、無駄なことに時間を使っちまったぜ。
俺はそこでふと、村から何者かが歩いてきているのに気が付く。
黒いコートを身に纏い、光を反射する濡れ羽色の長髪。
作り物のような端正な顔立ちの男が、スマートな足取りで結界を通り抜けた。
「おい、そこのてめぇ。村のものかゲス」
「……これは予期せぬ出会いだ。ビルナスの英雄とこのような場所で顔を合わせるとは」
あ?
なんだこいつ??
俺達を知っているのか。
微笑みを浮かべる男性は軽く一礼した。
「自己紹介が遅れたね。私はレイン、君達のことは部下から聞き及んでいる。個人的に背後関係も調べさせているので、それなりに状況は把握しているつもりだ」
「はぁ?」
「私のアキトを殺そうとしたようだね」
「――ぎっ!?」
レインは刹那に俺の右腕を切り飛ばした。
鮮血が舞い、俺の腕が槍ごと地面に落ちる。
焼けるような激痛に地面を転がった。
「ライ!?」
「彼は度が過ぎたお人好しだからね。力があるのにそれを行使しない。昔からの悪い癖だ。まったくこのようなゴミを生かしておくとは、良くも悪くもアキトと言ったところか」
「この! ライをよくもビッチ!」
ジュリエッタが聖剣を抜き放ち斬りかかる。
が、剣は薄い黒手袋をはめた手で止められた。
「アキトの幼なじみ、だったか。剣聖のクラスを有し、ビルナスの英雄として取り立てられた逸材と報告を受けている。しかしながら……目を見張るような物はないな。もしや幼なじみはなにかの間違いで、アキトのペットかなにかだったか?」
「ペット!?」
「このようなゴミを私に処分させるなど、アキトには困った物だ」
「動け! どうしてビッチ!?」
奴に掴まれた聖剣はぴくりとも動かない。
剣聖のジュリエッタが本気で力を込めているにもかかわらず。
俺はなんとか這いずって荷物からハイポーションを取り出した。
今ならまだ腕も癒着する。
くそっ、なんなんだあの化け物。
おい、エマ、ぼーっとしてねぇで俺を助けろ!
「ぎゃぁぁああああああっ!!」
「もう一本」
ざくっ。
いつのまにかジュリエッタはうつ伏せに倒れ、背中に腰を下ろす奴は剣で指を一本ずつ切り落としていた。
「心地の良い悲鳴。私は君の才を見誤っていたよ。ジュリエッタ、君は逸材だ。甚振られてこそ輝く悲しみの剣聖だ」
「いやだぁ、もうやめてビッチ! ゆるして!」
「興が乗ってきたぞ。ゴミと言ったことは訂正しよう、君は最上級のゴミだ」
よし、ハイポーションを掴んだ。
後は腕まで行って……。
ざしゅ。俺の太ももにすさまじい激痛が走る。
「こそこそ何をしている。それはハイポーション? そうか、腕をくっつけようとしているのか。諦めが悪いのは嫌いじゃない」
「ぎゃぁぁああああああっ!?」
どこからともなく無数の槍が真上に出現し、俺の腹へとぶっささる。
「君も良い声で鳴く。ゴラリオスの甘さには少々思うところがあったが、これならば納得だ。なんと甚振り甲斐のあるゴミか」
「ごぼっ、でめ゛ぇ……」
「だが、私のアキトを狙った罪は重い。ここで死んでもらう」
片手剣が高く振り上げられる。
ぎゃぉおおおおおおおおおっ!
遠くから空気を震わせるような咆哮が響いた。
「奴か……場所とタイミングが悪すぎる。今はまだその時ではない」
「待、て」
「楽しかったぞビルナスの英雄。ははははっ」
レインはコートを翻し、歩き去って行った。
やべぇ、死にそうだ。
俺はエマの足に手を伸ばす。
「ひっ!?」
「ハイ、ポーション、をのませろ」
「そ、そうね、ウホッ!」
なんとか傷口を塞ぎ腕をくっつけることができた。
そして、俺達は村に入ることなく王都へと帰還することに。