34話 僕は故郷へと帰還する2
ふわふわする意識の中で、妙にリアルな感触を見つける。
それはモフモフしてるけど、軽く噛むとこりこりしていた。
「あん……んっ!」
「おいひい」
あむあむ。
良い匂いがして甘い、気がする。
「いけ、ません、アキト、んんっ!」
「ふわぁ?」
目が覚めて、今まで何を口に入れていたのかが目に入った。
柔らかいアマネのうさ耳。
腕の中では荒い息づかいのアマネが、潤んだ目で見上げていた。
その姿を見て思わずムラムラしてしまう。
「パパ~、釣りに行くなの!」
「どわぁっ!?」
勢いよく扉を開けられたことで、僕はベッドから転げ落ちてしまった。
「大丈夫ですか、アキト!?」
「うん……いちゃいちゃはお預けだね」
「ふふっ、そうですね」
「なの?」
エミリは小首を傾げる。
◇
村から少し離れた場所に渓流がある。
そこでは川魚や蟹が生息し、村人が暇つぶしや小腹を埋める為に度々利用されている。
エミリは父さんの指示通り、餌を付けた針を狙ったポイントに投げた。
「魚は臆病だ。人の姿を見ただけで岩の隙間に身を隠してしまう。だから流れを見ながら遠くに投げ、餌が魚の近くに来るようにするんだ」
「へ~、なの。ジィジやけに詳しいなの」
「そりゃあそうだ。だてに数十年釣りをしてないぞ。だははは」
父さんの機嫌がすこぶる良い。
孫に褒められて有頂天、といったところだろう。
実際、父さんの腕前は村でも指折りだ。
「アマネは釣りはできるよね」
「はい。村でもときどきしていましたので。でも向こうより流れが速いですね」
「渓流だからね」
僕は釣りはせず、岩をひっくり返していた。
岩の下から拳サイズの蟹が現れる。
それを捕まえ籠の中へと放り込んだ。
あ、大物を見つけた!
手の平よりも大きい蟹だ。
そいつは一目散に横走りで逃げるも、僕の足で軽く踏みつけられて捕まってしまう。
これは食べ応えがありそうだからエミリにあげよう。
「お、お義父さんは、あの、アキトの幼い頃はどんな感じだったんですか」
「遠慮しなくいていいぞ。堂々とお義父さんと呼んでくれ。そうだなぁ、こいつは人の前では大人しいくせに、一人になると妙に落ち着きがないんだ。意外にやんちゃだったな」
「あ~、確かにそうですね」
覚えがあるのかアマネは納得したように頷く。
そうなの?
人見知りするしずっと大人しいと思うけど。
エミリもどうして頷いているの??
僕は籠を川原に置き、焚き火の準備をする。
しかし、上手く火が付かない。
「エミリ、火を付けてくれないか」
「うん、なの」
小さな挙動で一瞬にして火を付けてしまう。
僕らには見慣れた光景だが、父さんには衝撃的だったようだ。
しばし目を点にしてからエミリをべた褒めする。
「エミリちゃんは魔法使いだったのか! こりゃあ大物になるな!」
「ジィジには負けるなの」
「だはははっ、身体の大きさのことじゃないぞ」
「そうなの?」
村では魔法使いは片手で数えるほどしかいない。
都では腐るほどいるけど、ここでは貴重な存在だ。
可愛い女の子で魔法使い、父さんが一番喜びそうな孫だ。
褒められてエミリも頬をピンクに染め、はねっ毛をぴょこぴょこする。
「ぜんぜん釣れないなの」
「ジィジが分けてやろう」
「やったー」
おいおい、甘やかしすぎじゃないか。
僕の時は「一匹でも釣らないと晩飯は抜きだ」なんて抜かしていたのに。
あの頃の父さんはどこへ?
「要領が分かってきました」
アマネは着々と釣果をあげている。
籠ビクの中にはすでに五匹いた。
誰かが食べ損ねることはなさそうだ。
汚れを擦り落とした蟹を鍋に入れて塩ゆでにする。
魚は夕食になるので、ここでは調理しない。
「一匹、釣れたなの」
「やったな! さすが我が孫だ!」
……やっぱり甘やかしすぎな気がする。
エミリが変に調子にのらないといいけど。
「がぉおおおおおおおっ!!」
咆哮が森を震わせる。
エミリは口をぽかんと開けて固まり、アマネは竿を投げ捨て槍を握って構えた。
「大丈夫だよ。あれは定時報告みたいなものだから」
「定時報告、ですか?」
「あそこを見て。生き物がいるだろ」
「……ドラゴン??」
山から突き出した崖に、ブラックドラゴンよりも大きなドラゴンがいた。
あれは古竜。
正統種の中で上位に位置するエルダードラゴンだ。
くすんだ表皮に雄々しい体躯、風になびかせる薄紫のたてがみ。
知性を感じさせる目は、恐れよりも崇拝の念を抱かせるに十分な存在感だ。
「昔からこの土地に住んでいるんだ。ちょうどお昼になると、ああやって鳴いて知らせてくれる」
「かっこいい、なの」
うん。あの誇り高き孤高の竜は僕も好きだ。
人を襲うドラゴンは好きじゃないけど彼だけは昔から違った。
この村が平和なのも、彼が凶悪な魔物を威嚇し追い払っているからだ。
「名前はあるのですか」
「えーと、普通にエルダーって呼んでるかな。もちろん近づく人はいないから、直接そう呼んだことはないけど」
「地上にはあのような穏やかで大きなドラゴンもいるのですね」
あ、アマネ、竿が流されてるよ。
「おかえり。釣果はどうだったのかしら」
「おう。大漁だ」
帰宅した僕らを母さんが笑顔で迎えてくれる。
すでに夕食の準備を始めていて、アマネは慌てて手伝いを申し出た。
「いいのよ。可愛いお嫁さんはじっとしてて」
「ですが」
「でもそれだと、逆に気を遣わせちゃうかしら。だったら裏の畑から野菜をとってきてもらえる?」
「はい」
アマネはすぐさま裏の畑へと向かう。
「良い子だね。アキトには勿体ないくらいだ」
「ひどいな」
「聞かないつもりだったけど、やっぱり気になったから聞くことにするわ。ジュリエッタはどうしたの」
僕は椅子に座り一息つく。
父さんもエミリを椅子に座らせ、籠ビクを持って母さんの隣に移動した。
無言だけど父さんも気にしているはずだ。
「フラれたよ」
「そう、それは残念ね」
え、それだけ?
聞いておいてそれはないんじゃないかな。
でもまぁ、親からすれば当人の問題だし、聞くだけ聞いてみたって感じなのかも。
「あたしが心配したのは、あんたがあの子を手ひどく振ったんじゃないかってことだけよ。ウチのアキトが迷惑かけてないか心配してたんだ」
「少し前はそうだったけど、今は逆かな」
「わけわかんないこと言ってないで、あんたもお父さんを手伝いなさい」
父さんは黙々と魚の処理をしている。
先に話を振ってきたのはそっちなのに。
相変わらず母さんは理不尽だな。
「エミリも手伝うなの~」
「あらあらまぁまぁ、可愛いお手伝いさんが来ちゃいましたね。アキトは向こうに行ってなさい」
「理不尽……」
戻ってきたアマネも交えて台所は楽しげだ。
僕は四人の姿をぼーっと眺める。
奈落に戻ると、二人とはまたしばらく会えなくなるな。
ちょっぴり寂しい。
「そうだわ、守護岩さまへアキトが戻ったことをご報告しないと」
「……だったな」
守護岩の名を聞いた父さんは、緊張した面持ちとなった。
「守護岩とは?」
「村の神様のことよ。私達が大切にしている神聖な岩ね」
「私もその神様にお会いすることは」
「もちろん構わないわよ。貴方はもう一族の一員なんだから。そうね、明日にでも旦那に案内させるわ」
「ありがとうございます」
父さんは「アキトも連れて行く」とだけ呟いた。