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御厨マリノは逃げ続けていた。
追手が何者かはわからない。だが、それが『妖かし』である自分の存在が原因であることはハッキリしている。
以前、陰陽師らしき者たちに囚われそうになったことがある。その中に妹である御厨ミラノの姿もあった。理由はマリノにもわからないが、ミラノには猫の妖かしが取り憑き、彼女はそのことで陰陽師らしき者たちに相談をしたのだろう。しかし、今回、自分を追いかけているのはそれとは違う者たちだ。
マリノが生命を落とし、『妖かし』として甦ったのは6年前の13歳の時のことだ。3歳年下である妹のミラノはいつもマリノのあとをついてきた。子供の頃に父親を亡くし、ロシア人と日本人のハーフである音楽家の母は仕事で家に居ることはほとんど無かった。マリノたち姉妹は祖母に育てられた。クウォーターであるマリノは子供の頃から周囲に馴染むのは苦手だった。そんな事情もあってマリノにとって家族は特別な存在だった。おそらくミラノにとってもマリノは一番身近な存在だっただろう。
妹のミラノは動物アレルギーだった。子供の頃、観光農園に行ってそれが発覚して以来、家族はミラノに動物を近づけないように気をつけるようになった。
ずっと犬や猫を飼いたいと思っていたマリノにとって、それは悲しい出来事だったが、それでも妹のことは好きだった。
ある時、近所の駄菓子屋で子猫を飼っていることを知り、マリノはそこに頻繁に通うようになった。もちろんミラノには内緒だった。帰宅する前にはしっかりとその衣服についた猫の毛を粘着テープで取り、そのうえで帰宅後はすぐに着替えてミラノに影響が出ないようにした。だが、姉のことを大好きだったミラノはすぐにそのマリノの行動に気づいた。
放課後、いつものように駄菓子屋に行くと、直後にマリノが姿を現した。そして、すぐにマリノの抱く子猫に触りたがった。最初は近づけないようにしていたが、ちょっと目をはなした隙にミラノはついにその子猫を抱き上げた。
もしかしたらアレルギーが治っているのかもしれない。そんな希望的な思いがマリノの中にもあった。だが、ミラノの身体に異変が起こるのに時間はかからなかった。すぐに目を痒そうにこすりはじめ、大きくクシャミをしはじめる。その辛い様子を見て、急いでミラノの手から猫を取り上げようとするが、ミラノはそれを嫌がって背を向ける。それでもミラノのクシャミは収まらない。何度も何度も大きくクシャミを繰り返し、そのたびにその身体が大きく揺れる。
(危ない)
マリノがそう思った瞬間、ミラノが足を踏み外した。その小さな身体が子猫を抱いたまま、川へと落ちていく。
それを追って、マリノは躊躇なく川へ飛び込んだ。
助けられるという自信はあった。昔から運動神経は良いほうで、小学生の時には校内の水泳大会で優勝したこともあった。だが、ここ数日続いていた雨のせいで川はいつもよりも増水し、流れも予想以上に早かった。どんどんミラノが流されていく。しかも、身体に衣服や草などもからんでくる。それでもマリノは必死になって身体を動かした。
なんとかミラノに追いつき、その身体を川岸まで運ぶことが出来たのは運が良かったとしか言えないだろう。だが、マリノに出来たのはそこまでだった。
ホッとした瞬間、一気に身体が動かなくなる。
ふと気づくと、目の前にあの子猫が流されていくのが見えた。
(ごめんね、ごめんね)
助けてあげたかった。でも、もうその力は残っていなかった。次第に意識が遠のいていく。
気づいた時、マリノは川岸の浅瀬にぼんやりと座り込んでいた。
夕陽が落ちていくのが見える。
(生きている? 違う……これは)
自分が今までと違う存在になったことをマリノはすぐに理解した。自分は一度死んだのだ。そして、ハッキリとした原因はわからないが、再びこの世に甦ったのだ。
そっと胸に手を当てる。
自分のものとは違う小さな魂が自らの中に存在している。
小さな声が聞こえた気がした。
あの子猫だ。子猫の魂が自分の中で一つになっている。
(そっか……私……化物になったんだ)
それを理解し、力が抜けていく。
生き返ったこと以上に、意外に冷静でいる自分に驚いていた。