1.異物混入 参
不思議な家だ。
俺はこんな奇妙な家に入ったことはない。
外観こそ見慣れた洋館だが、中は土足禁止で靴を脱がなければならない。靴下で家の中をうろつくというのも初めての経験の上に内装は実に質素。リビングでは畳、というこの国の伝統的な絨毯が敷かれて変わった匂いがする。
あと、魔術師の館のくせに電化製品が多いのも印象的だ。
東雲はこの国でもかなり伝統ある一族と聞いていたが、どうやら魔術師の伝統を捨てて快適さを取り入れる先進的な一族に入るのだろう。
先ほどの戦闘の後の正午すぎ。
俺は東雲の屋敷に招かれたが、顔をしかめずにはいられなかった。
魔術というのは歴史だ。移ろいゆく世俗から離れて伝統を研鑽し、新たな境地へとたどり着く。それが常識のはずだが・・・。この一族にはそのプライドがないらしい。
「はい、お茶。寝るところは客間が腐るほどあるから好きなところ使って」
畳に座っていると、憮然とした表情で東雲が筒のようなティーカップを丸いテーブルの上に置いて、俺の前に彼女も座った。
「ああ、ありがとう」
東雲連珠。腰まで長い黒髪に、ちょっとつり上がった目が印象的だ。あまり人の外見に関心を持ったことはないが、オリエンタルな美人といってもいいのかもしれない。
さっきの一戦で汚れてしまった服、学生制服という学校に通うためのフォーマルウエアをしきりと気にしていた。今は着替えて、ブラウスにジーンズというヤツを着ている。
そういえば、俺の服はどうやらこの国では目立つらしく、やたらとじろじろ見られたので暗示魔術をかけて紛れていたが、彼女のような服を着た方が良いのだろうか。
出されたお茶を一口飲むと、紅茶ではなかった。
苦いくて渋い。
「で、さ。お師匠様があなたをここに寄越したってわけよね?」
俺がよく分からない飲み物に驚いていると、ちょっと笑いながら彼女が聞いてくる。
「そうだ。接触忌避指定赤神の助言でな」
「あのお師匠様が接触忌避指定?」
東雲は切れ長の目を見開いて驚いていた。
「知らないのか?」
「え、ええ・・・お師匠様って三流の魔術師だったはずよ。同姓同名かしら?」
どうやら東雲は赤神朱夏という災害を知らないらしい。
結社に属していないことは事前に調べていたが、それにしてもお粗末きわまりない。
あのブラッドに師事されていてそれを知らないということは、暴走一歩手前の大魔術の横で寝ているようなものだ。
この左目を呪われた俺でもあの化け物と相対したときには怖気が走った。
「あんな化け物が世の中に二人もいたら世界が終わるよ」
「はぁ・・・まあ化け物みたいに怖いのはわかるけど・・・まあいいわ。それよりもあなたの左目よ。申し訳ないんだけどそれの解呪なんて私にはできないわよ」
時間が止まった。
「いや、そんな馬鹿な」
震えるように言った俺の言葉を彼女は首を傾げながら返す。
「馬鹿なといわれてもねぇ・・・。だって私の魔術はさっきも見たでしょ?」
確かに見た。
あれは―――。
「ボードゲームの一種か?」
「そうよ。私の魔術は空間をボードゲームに見立てて対象の位置をかえるだけよ。連珠、という昔のゲームなんだけどね」
それだけのように聞こえるが、そんな魔術ではない。
俺の直感でそう思う。
強いて言うなら、彼女の魔術をより単純化して、あるいは制限をつけているようにも・・・。
それに、ブラッドの助言のこともある。あの化け物が師事している弟子がただボードゲームのような遊戯の魔術だけとは考えにくい。
「納得いかない?」
俺が考え込んでいると彼女がじっと俺を見ながらそう聞いた。
「何か隠していると思っている」
「そう。勝手に思ってればいいわよ。お師匠様に寄越されたっていうなら弟子の私はしばらくあなたの面倒はみるつもりよ。―――ただし」
彼女はするどく俺を見つめて間をためる。
何を要求されるか、俺は姿勢を正す。
「なんだ?」
「お金。生活費よ、生活費。こっちもボランティアじゃないんだからさ」
なるほど。
金か。確かに金はいる。
俺は腰の革袋から数枚のコインを取り出して彼女に渡した。
「これで足りるか?」
「―――はい? 何これ?」
手の中にあるコインを眺めながらビックリしたように聞いてくる。
何か不味かったか? 間違いなく金のはず。
「何って、金だが?」
「いや、あなたがどこの時代からタイムスリップしてきたかわからないけど―――現代で金貨は通貨じゃないのよ!」
「そうなのか? ソリドゥス金貨ならどこでも使えると聞いていたんだが・・・」
「一体、いつの話よ!」
「俺の家ではいつもこれで支払いをしている。ローマ帝国が鋳造した由緒ある貨幣だぞ」
東雲はふらふらと頭に手をあてた。
「先が不安になってきた」
「ムッ。ならいらないということか?」
俺が不満げに目を向けると彼女は手を振って苦笑する。
「いやいや、これはこれで換金すれば問題ないわよ。たださぁ・・・あなた、自分の屋敷から出たことないでしょ?」
「それが魔術師だ。自らの内奥を昇華させることで研鑽する魔術の家系だからな」
「自慢気に言わないでよ。世間知らずってこと」
東雲は俺を馬鹿にするためにここに連れてきたのだろうか?
さすがの俺も腹が立つぞ。
レーウィング家はこれでも伝統ある魔術師の家系だ。
伝統あらばこそ、世俗に汚れず己が世界を構築する。
このような科学の汚れにまみれた最果ての土地に好き好んで来るものか。
「ニャー」
俺が腹立たしげに彼女を見ているよこで黒猫が近づいて鳴く。
「君の使い魔か?」
「あら、よくわかったわね、世間知らずさん」
「馬鹿にするな。魔道では君の血筋よりも濃い。霊脈のつながりなど一瞬だ」
「ならば問題ないな」
猫が渋い声でしゃべった。
知性を有する使い魔か。三流魔術師にお似合いだ。
使い魔という存在は魔術師のサポート。
つまり、サポートされなければ霊脈も管理できないということだ。
力ある魔術師は使い魔にこのような重要な役割を担わせることはない。それだけ異変の察知が遅くなる。
「シノ、さっきはご苦労様」
「主よ、気を抜くのは早いぞ」
「なに? 藪から棒に」
「―――侵入者だ。霊脈の基点を探っている」
東雲はシノと呼ばれた使い魔をキョトンと見つめた。
「―――はい?」
彼女の間抜けな声が屋敷に小さく響く。
それ見たことか。使い魔に管理を投げているからそんな顔をするんだ。
なんとなく小気味よくなって俺は吹き出しそうになった。