1.異物混入 壱
「連珠~! 数学の宿題教えてぇ」
と、朝の教室の席にたどり着くと途端に友人のサツキが泣きつくように飛んできた。小柄な体とくりくりした目、髪は規則すれすれの明るい茶色を肩の辺りまで伸ばしている。私の友人の一人で、理数系の教科が苦手。お菓子作りが得意で時たまお菓子を配っている。
家庭的。私が男ならこんな子を彼女にするだろうな、っていう感じの子だ。
「いいよ。ちょっと待って」
私は笑顔を振りまいて鞄からノートを取り出す。
「東雲様! 俺にもご寵愛を!」
後ろからもノートを要求する声が聞こえてくる。振りむくとスポーツマンの爽やかな笑みを浮かべつつ手を合わせて拝むようなポーズ。陶冶秋雨、名前は古風だけど中身は比較的単純で熱血馬鹿といってもいい。
「順番にね」
ノートをサツキに渡して私は彼女たちと普通の会話を楽しんだ。
ああ、なんて平和なんだろう。
私はいわゆる優等生で、こうして授業の宿題をせがまれることもある。
それに不平なんて存在しない。
だって私にとって学校の宿題なんてものは楽すぎるのだ。
別に自慢なんてものはない。
想像してみてほしい。私が自由時間の大半を古めかしく小難しい魔術書を読んでいる。魔術書というのは荒唐無稽で理解しろってのが無理な代物だ。考えるな、感じろっていうのを率先して取り入れた本とでもいうのかな。
理論の飛躍なんて朝飯前、合理的で筋道立てて答えを導き出す数学や理科といった教科と月とすっぽんぐらいの違いがある。
ま、それも魔法、魔術だなんてものが通常の人間の理解を超えているわけなのだから仕方ない。
お師匠様曰く。
科学が世界の法則を利用して現象を操作する学問で、
魔法は世界を凌駕する自我で現象を操作する学問。
と単純明快に教えてくれた。繰り返してしまうけどやっぱり考えるな、感じろの学問だ。
そんなむちゃくちゃな学問を私が学んでいるんだから筋道を立ててくれる学校の教科なんて新聞のクロスワードパズルを解くみたいな気分で楽しくできるってわけだ。
私の中で、魔術、魔法というのは厄介かつ消えてしまえばいいのにと思っている節があるのでこういった普通の学校生活が楽しくって仕方がない。
ビバスクールライフ。
あ、そういえば説明不足だったけど私のお師匠様は赤神 朱夏っていう人で、世間的にはていうのは語弊がだいぶあるけど、三流の魔術師だ。神出鬼没で半年ぐらいに一度、一週間ほど滞在して色々と教えてくれる。本拠地は日本の港町で何かしているらしいけどよく知らない。魔術師としては尊敬できるけど人間としては・・・・・・ちょっとと思うので寂しさを感じることも少ない。ものすごく怖いのだ。
まあ、魔術なんて衰退している学問を死ぬ気で学んでいる人たちはどこか壊れている。魔術師っていう人たちはどうしてか自分勝手で話が通じにくい。
でも、今住んでいる町を離れなければそんな魔術師にも会わずに済む。
魔術師という人種は霊脈を研究の基点にするから縄張り意識が強い。おいそれと他の魔術師の縄張りに侵入すると殺す、殺されるが当たり前になるので基本的には侵入しないのだ。
ほんと、殺す殺されるなんて殺伐としたルールなんて嫌になる。
一生私はこの町から離れない。できれば屋敷から出たくない。
ビバ引きこもり。
両親が貯金を食いつぶす通帳を眺めて戦々恐々とする日々がなくなればいいのに。
地縛霊みたいに土地に縛られて乙女の青春を無為に過ごす娘の気持ちに早く気がついてほしい。
「誰だあれ?」「なにあの人、コスプレ?」「どれどれ」
私が将来について真剣に悩みつつサツキたちがノートを写すのを見ていると、教室の窓の方が騒がしくなってくる。
「どうしたんだろ?」
首を上げてサツキが可愛らしい顔をこくん、と傾けながら私に聞く。
私に聞かれても答えなんて持ち合わせていない。
「見に行こうぜ」
すっかり興味を移した湯治がにやにや嬉しそうに私たちを誘いながら既に立ち上がっていた
―――ぞわり、とうなじの毛が逆立つ。
あ、まずい。これはまずい。
背中に毛虫を入れられた不快感とでも言うのか。いや毛虫よりも百足ぐらいに質が悪い。
そして、これを感じているのはどうやら私だけ。
何かの錯覚であればいいのだけど、虫の知らせという昔のことわざは笑い話ではない。それはれっきとした魔術なのだ。
私は焦る気持ちを抑えつつ、人垣ができている窓のそばからその景色を見た。
校庭。校舎から眺めることができるのは土色のグラウンドと校舎につながる遊歩道。
その遊歩道を通学途中の学生に混じって歩いている黒い人物がいた。
アニメのコスプレのように黒いローブを着込み、すらりとした体つきをすっぽり覆っていた。
男の子。それは見て分かる。
悠然と歩く姿はこの世界の異物なのにどうやら近くの人は気にしていない様子だ。
その男の子は優雅な歩きを止めて、首を上げる。
そして、目が合った。
燃えるような目つき。
意思の籠もった片目の瞳は鋭利で、真っ直ぐに私を射貫く。
それよりもなお私を圧倒するのは彼の左目。そこだけが真っ黒い奈落のような眼帯で覆われていた。
ああ、だめだ。
あれはだめなものだ。グツグツと煮えたぎるようにその左目から何かが漏れている。
ぐっと私は出そうになる嗚咽をこらえた。
胃の中からひっくり返りそうになる嘔吐感を抑えて、足を踏ん張る。
一旦気がつけば、私につながっている霊脈が彼を異物だと認識し、自分の中から吐き出せと私に警告する。
異物。私の中の世界とは異なる者。
あれは異物という名の―――魔術師だ。