テラルのモットー 人生難しいことは、考えない!
「はい、それを腰に巻いてよ。・・・うん、それでいいわ」
「聞きたいのだが、これは飛ぶ前に行うものではないのか?」
声変わりしたユドリアム王子の声が耳元でする。同じくらいだった背も完全に抜かれて長身の格好良い青年になっている。
今は飛行しながら命綱を着けている最中である。ユドリアム王子の意見は最もなのだが、今はそれどころではない。
「緊急事態だから仕方がないの。・・・最後に私の腰に腕回して」
「え?」
テラルの言葉にユドリアム王子はあからさまに戸惑いの色を浮かべる。直接顔は見れないがその声だけで大体わかってしまうぐらいだった。
「そんなふうに服掴まれたって安定しないわよ。ほら」
テラルは騎乗帯の取っ手から手を放し、後ろ手でユドリアム王子の手を掴むと腰へまわした。そうやってもどこか落ち着かない腕にテラルは眉を寄せた。
「ぎゅっとして。もっと速く飛ぶから耐えられなくなるよ」
テラルが半ば脅すように警告すると腕が強く回された。手早く命綱や器具を点検すると完了の合図を笛で仲間に送る。
フォアロを中心に上空に五頭頭、下に十五頭、左右前後に計十頭の竜が飛翔していた。ユドリアム王子を護るための陣形であるらしく、これを知らないテラルは最初は戸惑った。
竜がこれほど一斉に飛翔してる光景を見るのは初めてで異様ではあったが圧巻の一言に尽きるものだった。人の手がなければ成すことのなかったであろう、この光景。隊列を組み、人間を背に乗せ、笛の音を響き合わせながら飛ぶ。先頭を行くのはカナルを乗せたテーラだ。相変わらずの安定した飛行には嘆息してしまう。
『マハの一族の郷に降下』
カナルの笛が空を響かせ、使い手と使い竜にそれぞれ伝えられる。
「聞いたわね、フォアロ。この速度を維持しつつ、陣形を保ちながら目標へ」
使い手たちの了解の音が鳴る。テラルも力強く短い調子の音を吹き鳴らし、カナルへ伝える。
辺境地域に入り、しばらくすると小さな集落が地上に見える。今はマハの一族は竜使いの一族の郷に避難しているため誰もいない。そのことが上空から見てもよくわかった。
先頭のテーラが降下し始めるとそれに続いて一斉に竜たちが角度を変える。
『テラルは合図を送るまで降りない』
カナルのぎりぎりに送られた命令にテラルは「はあ?」と舌打ちしつつ、慌ててフォアロに伝えようとした。
「ああ、フォアロ!」
『わかっている。無用だ』
フォアロはテラルの言葉を遮ってそう言うとその場で翼の角度を変えて留まった。
テラルはなんとも微妙な気持ちになり、眉を寄せた。最後まで言わせて欲しいといういじけた気分になる。
フォアロより上にいる竜たちも同様にその場に留まり、合図を待っている。下にいた竜たちが降り立ち、その使い手たちが地上に降りると辺りを警戒しに人の陣形を作る。驚くほど迅速な行動だった。訓練を積んだ者たちのようで余計なものがない。竜たちも警戒を解いておらず、上体を上げたままだ。そこで降下の許可が下り、フォアロは竜たちの中央に着陸した。
「殿下!」
カナルがすぐさま駆け寄り、ユドリアム王子へ声をかける。テラルは命綱の留め具を外してユドリアム王子が降りられるようにした。男たちが手伝い、ユドリアム王子を地面へ降りたのを見届けると自分も降りようとした。
「・・・あれ」
身体中が動かない。全身の筋肉が硬直し、思うように動かない。さっきから身体が重いとは思っていたがここまで硬直しているとは気づいていなかった。今までよりも箍を外して戦った代償なのだろう。
「ご飯食べたいのに食べれないよ」
テラルは悲痛な表情を浮かべて呟いた。ユドリアム王子を救助してからテラルの頭の中は美味しいご飯でいっぱいだったのだ。特に温かい汁物をお腹いっぱい食べようと思っていたのだ。このままでは箸も握れない。これはまさに地獄の所業である。
そんなことを考えていると涙が出てきた。
『テラル?』
「美味しいご飯が食べたいよー!」
テラルの叫びに仲間たち全員が呆れの眼差しでこちらを見る。さらに泣いているので仲間たちは若干引き気味である。
『・・・・・・』
フォアロだけでなく、全ての竜たちが呆然とその少女を見つめていた。食い意地を張りすぎだ。
「食べたいのに身体が動かないし。このままじゃ箸が握れない!あのピリッと辛い唐辛子のやつ食べたいー!」
「わかったよ!俺が手伝うから!」
カナルが恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして遮る。テラルはむくれてカナルを睨みつけた。
「嫌だ。兄者ついでに説教するでしょ」
「自覚があるなら最初からするな!それについでとか言うなよ!本題だ、本題!」
その兄妹のやりとりを微笑ましく見守る仲間たちであった。
班ごとに火を熾し、朝食兼昼食を取った。一つの大仕事が終わったことでどこかみんな安堵の表情を浮かべている。男たちは笑いながら食事をしたり、その場で眠り込んだりと思い思いに過ごしていた。
「兄者、あれがいい。あれが食べたい」
「あれってどれだよ」
「あの白い・・・、何あれ?」
テラルは簡易鍋で煮詰められている白い立方体の食べ物が欲しいと訴えた。身体が思うように動かせず、カナルに食べさせてもらっている次第である。カナルは先程からぶつぶつ文句を言っているがそのわりには食べ易いように切り分け、熱いのを冷ましてからゆっくり食べさせてくれる。
「豆腐だ。王城でもよく食べたぞ」
隣にいるユドリアム王子があつあつの汁物を美味そうに食べている。温かい食べ物が嬉しいらしく、さっきから何度もお代わりして食べている。
「王城では冷めたものばかりだった。これほど温かいものを食べるのは久しい」
そう言って子どものように嬉々として食べ始める。
(喋り方がなんかすごい)
真似しようとしても永遠にできないだろうなあ、と思ってユドリアム王子を見ているとカナルが「はい」と言って匙に乗った豆腐を差し出してきた。
「兄者が優しいー!珍しいー!」
「・・・これ以上何か言うなら手伝わないよ」
カナルが低い声で言ってきたのでテラルは笑って誤魔化す。カナルに甘えて豆腐とやらを食べるとすぐに口の中で崩れて驚く。
「王城では甘い豆腐もあった。杏仁豆腐というもので私は杏仁豆腐が好物なのだ」
「あ、甘い豆腐!食べてみたい!」
こんな柔らかい豆腐がさらに甘くなっているなら尚更食べてみたい。世界には未だ知らない美味しいものが溢れているのだなあ、と目をきらきらさせているとユドリアム王子はふっと笑った。
(わあ!)
笑い方までお上品である。テラルは豆腐の次にユドリアム王子の観察をするのもいいなと頭の隅で考える。これを口にすればカナルから何を言われるかされるかわからない。
ツキバとクルトは既に眠り込んでいる。自分よりも長くユドリアム王子を捜していたのだ。疲れて当然だ。しかし、さっきまでこの二人の存在を忘れていたのだが。
朝食兼昼食を食べ終え、全員昼寝を取り始める。使い竜たちをその間に警戒に当たらせているためこの間にゆっくりと睡眠をとることができるのだ。久しぶりのゆっくりとした睡眠をテラルは貪った。
どれくらいそうして眠っていただろうか。ふと足音がして目が覚めた。男たちは全員眠っている。気のせいかと疑問に思っていると隣にいるはずのユドリアム王子がいないことに気づいた。
(え、うそ!)
悲鳴が出そうになるのを慌てて抑える。人だけでなく竜も気づかなかったのかとフォアロを見ると、意味深な視線を送ってくるフォアロと目が合った。
フォアロはしばらくこちらを見ていたがふと違う方向へ視線を向けた。その方向は川上へ向けられている。テラルは身体が動くことを確認すると歩き出した。
この川を上ると滝がある。天を穿つように聳える岩壁から無数の水流が流れ出し、深い泉を作っている。その泉から流れ出す綺麗な水をマハの一族は使っている。川の周りは夏になれば草木がわずかに伸びる。今は冬なのでどこも雪で白く、お陰でユドリアム王子らしき足跡がはっきりと残されていた。
「ユド!」
泉の前で佇むユドリアム王子の後姿を見て声をかけると彼はこちらを振り向いた。
「起きたのか、テラル」
名前を呼んでもらえたことが嬉しくて弾むような足取りになる。勢いよくユドリアム王子の隣に並ぶと雪が跳ねた。
薄汚れているが立派な服を着込んでいる。その服の所々に血糊が着いていた。カナルから聞いたのだが切り傷程度で大きな怪我は殆どなかったらしい。この血糊は返り血なのだろう。テラルにも自分か殺した相手かわからない血糊が服に染み込んでいる。
「私は・・・」
ユドリアム王子が物思いに沈んだような声音で呟いた。
「なぜ生きているのだろうか」
その言葉にテラルは驚いて目を見開いた。ユドリアム王子は自分の服に着いた血糊をそっと撫でてまた呟く。
「私は兵に人を殺せと命じておきながらいざ自分の番になったとき殺すのを躊躇い、そしてできなかった。私を守るために多くの者が死に妹と弟を守れず、父上と母上を奪われてしまった。・・・あのとき、逃げるべきは私ではなく、父上と母上であったはず。それをお守りするのが私の役目だ。こんなにも不甲斐ない王族などあってはならぬというのに」
ユドリアム王子はぎゅっと目を瞑って唇を噛んだ。テラルは何も言えず、その言葉を聞いているしかない。ユドリアム王子がどんな目に遭い、傷ついてきたのか、それはわからない。それはその人自身にしかわからないことだ。
何も言えず、テラルが目を伏せているとすっとユドリアム王子の左手がこちらへ伸びてきて驚いた。その手は怪我をしている右肩をなぞった。今は包帯をまかれているが、その指の感触はわかる。どうすればよいかわからず戸惑っているとユドリアム王子は深い闇に包まれた瞳でこちらを見た。
「女の者にこんな酷い傷をさせてしまった。背中にも怪我をしていただろう」
「・・・うん、大したことないよ。私たち丈夫な身体だから」
テラルが極めて明るい声で言うとユドリアム王子は複雑そうな笑みを浮かべ、「そういうことではないのだが」とぼやいた。
ユドリアム王子は目を伏せ、テラルの右肩に手を置いたまま口を開いた。
「妹も弟も奪われ、これから何をしていけばよいのかわかなぬ。なぜ生きているのか。生きている意味などあるのか・・・?」
テラルは眉を寄せてユドリアム王子を見上げた。
確かにその通りではあるが、そんな難しいことを考えたことはなかった。十秒ほどそれについて考えてみるがちっとも糸口が見えそうにない。
「ユドは考えすぎだよ」
とうとう我慢ができなくなってテラルは言った。その言葉にユドリアム王子は「え」と声をあげる。
「あのねー、なんで生きてるんだろうとか、なんで生きたいって思うんだろうとか、わからなくて当たり前でしょ」
テラルはユドリアム王子を見上げ、にいっと笑った。
「生きたいと思うことの何が悪いの?人間なんだから生きたいと思うのは当然でしょう!それにね、答えなんて出されたらむかーしっからそんなことばっかり考えてる人たちが怒っちゃうよ。そういう人たちって長い時間かけて考えてるんでしょ。二十年も生きていない坊ちゃんに答えなんて出されちゃ、たまったもんじゃないでしょ」
テラルのポンポン拍子に出る言葉にユドリアム王子はぽかーんといった様子である。テラルはそんなことを気づかずに続ける。
「もし答えがあったとしても、それって人によって違うと思う。熊がそんなことを考えてると思う?生きるので精一杯で思いもよらないでしょうよ。考えてたらいつの間にか逆に死んじゃってるわよ、きっと」
ふふっとテラルが笑うとユドリアム王子はつられたように笑った。その顔にはさっきのような暗い影はない。
「テラルは私が持っていないものを随分と持っているな。羨ましい」
「難しいことは考えないの。私は今度のご飯について考えるのが一番いいと思うけど!」
テラルが自信満々に宣言するとユドリアム王子は破顔した。笑われた意味がよくわからなかったが、まあいいかとテラルも笑った。
「ユドがこれから自信がなくて、不安で、怖くなっても私がずうっと傍にいる。ユドが何者になっても私が追いかけるから」
それを聞いてユドリアム王子は何かを思い出したかのように微笑んだ。
「そうだな。こうして迎えに来てくれた。・・・もうあのときからいささか経つな。テラルは十七歳か」
ユドリアム王子は身体の前で腕を組み、テラルを上から下まで眺めた。何をされているのかわからず、目をぱちくりさせているとユドリアム王子は謎の笑み浮かべただけで何も答えなかった。
「所帯は持ったのか?」
どこかで聞いたような質問をされて、急にテラルの機嫌が急降下した。むっとテラルが睨むと面白そうにしているユドリアム王子と目が合う。
「偵察組になるために頑張ってたの。一年遅れたんだから!母様と喧嘩までして!ユドが責任とってよ!」
「え、ええ!ちょっと、いや、それは・・・!」
テラルが脅すとユドリアム王子は初めてフォアロの背中に乗った以上の声をあげた。何をそんなに驚いてるのだろうと訝しげに見つめているとユドリアム王子は頬を赤らめた。
(今の会話に恥ずかしがる要素あったかな・・・)
自分の言葉を回想してもそんな言葉を見当たらない。ぐるぐるとその場で回っているとユドリアム王子の「構わないが」という小さな声が聞こえてきたのでぴたりと止まった。
「え、ホント!・・・じゃあ、杏仁豆腐!」
「・・・え?」
「え、じゃないよ!杏仁豆腐が食べたいの!それくらいいいでしょ。杏仁豆腐をいつかご馳走して」
ユドリアム王子の拍子抜けしたような顔にテラルは「おーい」と言って目の前で手を振る。ユドリアム王子は神妙な表情で「大丈夫だ」と言った。
「わかった。杏仁豆腐で」
「やった!これで杏仁豆腐が食べれる」
うきうきしているとユドリアム王子が苦笑しながらテラルの手をとった。スキップをしそうなテラルをいさめながら元の場所へ二人は歩く。
「あ、兄者!」
元の場所へ戻るとなぜか仁王立ちをするカナルがいた。確認しなくてもわかるほどなぜか怒っている。ユドリアム王子を見てもその様子は変わらない。
(怒っている理由が心当たりありすぎてわからない!え、え!)
そんなことを頭の中でぐるぐる思案しているとカナルの怒鳴り声が響いた。
「テラル!持ち出し禁止のスペンサー銃をどうして持ってる!しかも、殿下と何をしていた!他にも言いたいことがあるが・・・、父さんの五時間沈黙説教行きだ!」
「いやああ!やめてやめて!父様と二人っきりで沈黙を五時間耐えないといけないなんて、絶対に嫌だ!」
カナルの怒鳴り声とテラルの悲鳴に仲間たちが声をあげて笑う。竜たちもぶるっと可笑しげに鼻を鳴らした。
ユドリアム王子の救出は成功したが、テラルのその先は前途多難なようだ。