京都太秦・三柱鳥居の謎
蚕の社は、京都市の中心部から西寄りに位置する太秦にある。正式名称は木嶋坐天照御魂神社、通称木嶋神社。蚕の社というのは本来、木嶋神社の本殿に向かって右にある蚕養神社のことを指すが、地元では木嶋神社そのものを蚕の社と呼んでいる。奈良時代に養蚕・機織・製陶の技術をもってこの地一帯に勢力を誇った秦氏一族とゆかりの深い神社である。ここで有名なのが、鳥居を三角形平面に三基組み合わせた形状を持つ三柱鳥居だ。
鳥居といっても、三柱鳥居は神社の入り口ではなく、本殿に向かって左の一段低い場所にある。ここは「元糺の池」という神池で、下鴨神社の足つけ神事と同様、水によるお清めが行われていたとされるが、近年は湧き水が枯れたままになっている。神社の由緒によると、もともと蚕の社で行われていた潔斎の神事が下鴨神社に移って足つけ神事になったらしい。
私はまず本殿にお参りをし、それから石段を降りて三柱鳥居を拝んだ。前に柵がしてあって、鳥居そのものには近づけない。それにしても奇怪なフォルムである。ミステリアスであると同時に、遊び心をも感じさせる。一基の鳥居であれば入ると出るの二方向しかないが、三基合わせると、どこに向かってどこへ出たらよいやらわからなくなってしまう、あるいは入ったまま滞留する、出られなくなってしまうような錯覚すらおぼえる。いったいこの形にはどんな意味があるのだろう。
由緒書きには三柱鳥居の説明として「一説には」と断ったうえで、「景教(キリスト教の一派ネストル教一三〇〇年前に日本に伝わる)の遺物ではないか」と、渡来系の秦氏一族がキリスト教徒である可能性をほのめかしている。
私はいま一度、本殿にのぼり、三柱鳥居を見下ろした。すると鳥居全体の形が、一瞬「秦」の字に見えた。
――そうか。
本殿からの角度だと、遠近法上、鳥居上部の横に渡された笠木と島木、そして貫が、奥から正面に向かって末広がりになり、鳥居が「秦」の字に見えたのだ。
――三柱鳥居は、秦氏が勢力を誇示するために秦の字をかたどって造ったオブジェであり、モニュメントである。
私は千三百年ものあいだ謎とされてきた鳥居の秘密を、一気に解き明かした、そんな軽快な心持ちで、蚕の社をあとにした。