信頼
「そんなに旨いか?」
テーブルの上で舌鮃のムニエルに顔を突っ込んで必至に食べるトイチに、少し笑いながら王が言った。
「おいしいね! オイラ初めて」
顔を上げたトイチは、ソースでベタベタだった。真理子がそっと拭いてやる、アーニャも細かく切ったフランスパンを凄い勢いで突いていた。
「そんなに慌てなくても沢山あるわよ」
優しい笑顔を真理子が向ける。
「ねぇ、それも食べたい」
顔を上げたアーニャが皿の上を見て笑う、小さな丸い目が三日月みたいな形になる。
「それは……」
困った表情の真理子。
「これ食ったら共食いだぞ」
笑いながら鶏のから揚げを食べる王。
「げー、そうなの」
「アーニャちゃんは、違うの食べなさいね」
丸い目を更に丸くしたアーニャに、また真理子が優しく微笑んだ。レイナはナイフとフォークが上手く使えず、ステーキを前にして俯いていた。
「俺も苦手なんだ」
横に座った綾太が肉を食べやすく切ってやる。ふいに触れたレイナの手は、柔らかくて小さくて綾太は胸に痛みが走るのを感じた。レイナは頬を真っ赤にし、フォークで一つずつ食べる。
「美味しい?」
綾太の笑顔に、レイナは小さな声で頷く。
「うん」
「まいったな」
呆れた様に王が苦笑いする。ふと周囲を見回したアーニャは皆の穏やかな笑顔に、また経験した事のない胸の痛みを感じた。組織の中での食事といえば、暗くて狭い籠の中に放り投げられる無機質な食べ物。それを一人で食べる、味なんてどうでもいい、死なない為に生きる為にだけの栄養摂取だった。
でもここにいる人間は、会話し笑い食べている。自分でもなんだか気持が軽くなり、お腹の奥の辺りから何かが湧き出してくるのが分かった。
レイナもアーニャと同じだった。食べ物が(美味しい)と初めて感じていた、そして胸のドキドキは横に座る綾太の笑顔だと分かっていても、どうしていいか分からずに上げようとしても顔は俯いた。
食事が終ると、トイチが丸々としたお腹をさすった。
「状況は厳しくなるかもね、ナンバーズが複数で動きだした形跡があるんだ」
レイナの目が光を放つが、一瞬不安な顔を浮かべた綾太を見るとにその光は穏やかに消え、そして俯き聞こえない位の小さな声で呟く。
「綾太は、私が守るから」
「それは男のセリフなんだがなぁ」
照れた様に綾太が呟く。
「アタシ、索敵に出る」
テーブルの上のアーニャは、急に羽根をバタバタさせた。
「お前ぇ~さっき定時連絡してたよぉなぁ?」
トイチが流し目で、アーニャの頭に前足を置く。
「偽の情報よっ」
アーニャがフンって顔で振り払う。
「何で偽の情報を流す必要があるんだぁ?」
トイチが振り払われた足をまた置く。
「組織はアタシが寝返ったって知らない、そのほうがこっちには有利でしょ!」
頭から湯気を出し、アーニャはまた振り払う。
「トイチちゃん、信じてあげて」
アーニャを手に乗せ真理子が頬ずりする、アーニャも真理子の頬に自分の頬を合わせる。
「逃げるなよぉ」
ヒゲをピンと立て、トイチがニヤリと笑う。
「ふんっ」
アーニャはプイとする、真理子が窓を開けてやると大空に飛び出した。
「大きな鳥さんとかに気を付けるのよ!」
真理子がその背中に叫ぶ、何だか嬉しくてアーニャは宙返りをした。その索敵機能をフル回転しながら、疑問がアーニャの脳裏を駆け巡る。自分は今、何をしているんだろうと。
でも、この気持ちよさ、この心が解き放たれた様な快感、風や空気の匂いがこんなに素晴らしいって思えた事など一度もなかった。
「まさか……」
刹那アーニャの索敵機能にレッドアラームが鳴った、同時に衝撃が体を通過する。
「何でこんな所に居る?」
「001……」
同じ索敵型ナンバーズのCY001《ダブルオー、ワン》その姿は鷹であり鋭い爪はアーニャの体を激しく掴んでいた。
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「トイチ、アーニャが連絡してたって何時だよ?」
綾太が思い起こしても、そんな様子は見えなかった。
「オイラ達は体の中に通信機が無機質融合されてるんだ」
トイチが耳をピクピクさせる。
「電源どうすんだよ。まさか乾電池って言う訳じゃないだろうな?」
綾太はトイチを抱き上げ、体を触わりまくった。
「くすぐったいよ。そんな訳ないだろ、生体電流さ」
体をくねらせ、トイチが笑った。
「そんな……可哀そう」
綾太からトイチを抱き取り、泣きそうな顔の真理子が抱き締める。
「そんな顔しないでよ、別に痛くないから」
真理子の顔を見上げ、トイチがその頬を撫ぜた。
「ほんと?」
「うん」
その時トイチのパソコンがアラームを鳴らす、真理子の腕から降りたトイチが画面を開く。
「WD018と019が、来た」
トイチの声が微かに震えた、レイナのブルーの瞳が夕暮れの太陽を吸収したかの様に煌めく。
「何なんだそれ?」
綾太がパソコンを覗き込む。
「戦闘特化型だよ、018はパワーと身体能力を特化しているんだ。装甲皮膚は直撃弾にも耐え、格闘戦に長ける。019は重火器を無機質融合し、支援戦闘型だけど近接戦闘でもMBT並みの戦闘力があるんだ、生きてる戦車みたいなもんだよ」
トイチの耳が、心なしかダラッと下がる。
「全く、とんでもないな」
違う世界が王の前に突然現れる。綾太は現実との区別が付かずに、ただ唖然とした。
「二体で一個中隊の戦闘力に匹敵するんだ」
心なしかトイチの背中が小さく見えた。
「こっちにはレイナがいるんだぜ」
腕組みした王が鋭い視線を向ける。
「だめよ、レイナちゃんは女の子なのよ」
真理子が後からレイナを抱き締める、その温もりにレイナの胸はキュンとなる。
「それに、アーニャが捕まった」
トイチの低いトーンの声の訳はそれだけじゃないと、王はその後ろ姿に思った。
「助けに行かなきゃ」
綾太が肩を落とすトイチを揺らす。
「罠だよ。誘い込み、街中を避ければ戦闘が出来るからね」
「それだけじゃないだろ、トイチ?……」
トイチの言葉に、王が鋭い目を向ける。
「何言ってんだよ王ちゃん」
驚いた様な綾太の顔。
「俺も裏の世界の住人だ、キナ臭い話しには鼻が利くんだ」
王の目がまた鋭くなる。
「そうだよ、オイラが裏切った事を知らせたんだ」
トイチが耳を垂らす。
「何で、どうして?」
体を震わせた綾太が、トイチを揺さぶった。
「アーニャを犠牲にして組織の動きを分析するんだ。レイナがこっちに付いたんで、システムの防壁が高くなった。アーニャの裏切りで緊急システムの変更がある、そのゴタゴタに乗じて防壁を潜り抜けられたよ」
俯いたまま、トイチが呟く。
「アーニャは仲間だろ?」
綾太は穏やかに声を掛けた。
「オイラは綾太を守るって決めた。その為なら王や真理子だって犠牲にするさ」
振り向いたトイチの赤い瞳は、微かに潤んでいた。
「そんな事して俺が喜ぶと思う?」
穏やかで悲しそうな綾太の声がトイチの胸に突き刺さる。
「オイラは、オイラは、最も確実な作戦を……」
トイチの声は掠れた。
「ここは戦場じゃないんだ、仲間を犠牲にするなんて止めようよ」
小さくなるトイチを抱き上げ、顔の近くに持って来て綾太が優しく言った。
「でも……」
「他に作戦なんて幾らでもあるよ、トイチならきっと大丈夫だから」
「そんな事言ったって」
「俺は信じてる」
「えっ?……」
トイチの胸に電気が走る、俯き暫く考えてそっと顔を上げた。
「それじゃ、どうすればいい。アーニャを助けるには?」
穏やかな声の綾太は、ゆっくりとトイチを床に下ろした。
「まだ組織には連行されてないはずだよ、奴らの目的は綾太だから。場所は特定出来る」
「そんじゃ行くか」
王は自動小銃を取り、上着を羽織った。
「王、あなたも行ってくれるの?」
真理子が嬉しそうに言う。
「俺が雀の為に行って悪いか?」
少し赤面した様に王は背中を向ける。
「ありがとう」
「スーツがシワになるだろ」
その背中に真理子が抱き付くと、照れた王が振り解いた。
「よし、行こう」
綾太も立ち上がった。
「だめ」
「アーニャを助けなきゃね」
泣きそうに眉を下げレイナが立ち塞がる、真っ直ぐに笑顔を見せる綾太。
「あんたも行くんだろ、レイナ?」
「私はここで綾太を守る」
王の問いに、鋭い瞳を向けるレイナの声には凄味があった。
「レイナが来てくれたら心強いんだがな」
「うん、行く」
微笑みながら綾太は言葉を掛ける、笑顔で即答したレイナに王は少しコケた。
「通信機、おいらが誘導するから」
荷物の中から耳に掛けられる通信機を、綾太や王そしてレイナに渡すとトイチはテーブルで背を向けた。
「トイチ、気にするなよ。さっき言ってくれた事、嬉しかった」
その背中に綾太が声を掛ける。
「早く行けよ」
耳を下げ、背中を向けたままトイチは小さく呟いた。そして綾太達が部屋を出て行こうとした時、トイチが叫んだ。
「待って、018達の動きがロストした」
「だからどうした?」
王が振り返る。
「綾太が行くのは危険だ、分かるだろレイナ」
敵の狙いは綾太の確保であり、それは分かっている事だった。
「うん……」
トイチが足元で懇願する様に言う、小さく頷くレイナ。
「王とレイナに行ってもらう、綾太は残って」
「何だって、俺も行くよ」
トイチは振り向き、綾太は身を乗り出す。
「待ってて」
綾太の前に立ちレイナは真っ直ぐに見た、その輝く瞳と優しい声は綾太を困惑させる。
「でも……」
「綾太、留守番だ。飛んで火に入るなんて茶番だぜ」
王は綾太の肩を叩く、綾太はドッカとソファーに沈んだ。
「時間合わせが必要かもしれない、レイナに時計を」
「えっ、ああ……」
トイチの言葉に綾太が自分のデジタル時計を渡す、頬を染め腕に巻こうとするが細い手首には大き過ぎた。
「これ、私の方がサイズ合うよ」
「これがいい」
真理子が自分の時計を渡そうとすると、少し微笑んでレイナは綾太の時計を撫ぜた。
「だってさ」
王が苦笑いする、綾太も何だか照れ臭くて頭を掻いた。