日常
白と趙を組織の掛り付けの医者に連れて行くと、真理子よりちょっと年上だろうが明らか色気で勝る女医の結城霧子は別に驚きもしないで言った。
「惜しいね、あと一時間遅かったら世の中のゴミが減ったのに」
王でさえ女医の霧子には何も言えないと見え、愛想笑いを浮かべていた。
「よろしくお願いします」
真理子は深々と頭を下げる。
「そこの娘」
霧子はフレームレスの眼鏡の奥から見据えたが、WX017は黙ったまま曖昧な瞳で霧子を見返す。
「不思議な瞳」
霧子はその深いブルーの瞳に今までに無い感覚を覚えた、それは修羅場も知り尽くした霧子にさえ想像出来ない不思議な感覚だった。身も凍るような冷たい瞳なのに、その奥底には何かがあると確かに感じた。
「真理子の頼みなら仕方ない、そこに寝かせて」
椅子から立ち上がると、霧子は白達の治療に掛った。
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治療を見守り、白達の無事を確認すると取り敢えず一行はホテルに入った。
「スィートなんて初めてだ」
大きなソファーに腰から沈んだ綾太が、腹の底から溜息を付く。
「霧子先生、さすがだ」
立ったまま、タバコを咥える王が呟く。
「手術と言うより、修理だね」
トイチが前足で顔を洗う、その前足は真理子が手当てした包帯が大きな蝶結びになっている。確かにそのメス捌きと処置はモノを修理しているみたいにも見えた。
看護師の代わりに王や真理子に的確に指示し、素人が見ても分かる難解な手術を簡単に済ませた。
「何者なの?」
「天才医師、女ブラックジャックさ」
綾太の問いに王は苦笑いする、確かにそうだなと綾太も笑った。
真理子はWX017と一緒にベッドに腰掛けていた。
「名前、どう呼べばいいかな?」
「なんでもいい……」
真理子の問いに俯いたまま、小さな声で答える。
「綾太、何か考えてあげなよ。番号じゃ可哀そうでしょ」
振られた綾太は慌てた。部屋の照明の下で見たWX017は、少しは落ち着いた今でも胸を圧迫し続けていたから。
「俺っ?」
「綾太がいいでんしょ?」
真理子の言葉にWX017は小さく俯いた。
「そっ、そうだな、017、レイ、イチ、ナナ……レイナなんてどう?」
明らかに動揺する綾太、冷や汗が滝の様に流れる。
「それじゃ、オイラと同じだよ」
呆れ顔のトイチは、包帯の蝶結びを口と片方の前足で器用に結び直す。
「好きな女の名前でも付けてやったらどうだ?」
王がちゃかす。その瞬間WX017の瞳が獣の光を放ち、王を見据えた。百戦錬磨の王でさえ、次の言葉が出なくて背筋には氷に押し付けられた。周囲の雰囲気に焦った綾太は、安直な名前を後悔して口籠る。
「ごめん、あの、もう少し考えさせて」
「あなたはどうなの?」
真理子が優しく肩を抱く。
「綾太がくれた名前……レイナがいい」
瞳の閃光は消え小さな声で答えた、頬は薄らと赤味が差している。また俯くと前髪がパラリと落ち、少し離れていてもその柔らかな音が聞こえた気がした綾太だった。トイチも王もポカンと口を開け、揃って目をテンにしていた。
「それじゃレイナちゃん、洋服買いに行こうか」
立ち上がった真理子がレイナの手を引いた。レイナの着ているのは戦闘服で、返り血も付いていたから。
「綾太、も」
聞こえないぐらい小さな声でレイナが呟く。
「えっ、俺も?」
ポカンとする綾太。
「姫様のご指名よ」
真理子は埴輪みたいな顔の綾太の肩をポンと叩く。
「大丈夫か追っ手は?」
真剣な顔の王がトイチに聞く。
「今のところは大丈夫。それにレイナがいるから、もう恐れるモノは無いよ。むしろ恐れてるのは組織の方さ」
「全力で来るな」
王は戦いの厳しさを予想した。
「来ても死体の山が増えるだけさ。それと、レイナにジョークは通じないよ。誤魔化す暇も無くあの世だからね……分かった?」
トイチの言葉に頷く王は、さっきの蒼い瞳の恐怖が蘇えり背筋を凍らせた。
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試着室から出てきたレイナに、綾太はあんぐり口を開けた。そのスタイルはモデルも顔負けで、店員も溜息を付いていた。真理子が選んだ純白に淡いピンクのボーダーの入ったワンピースは胸の所が大きく開き、清楚さと艶を同時に醸し出していた。
「綾太……どう?」
聞き取れないくらいの小さな声、レイナは俯き加減だった。
「いい、すごくいい」
赤面した綾太が口ごもる、しかし頭の隅ではトイチの言葉が過る(作られた人間、デザイナーヒューマン)そしてレイナの完璧なプロポーションは、黄金比率で見る者を圧倒するが、照れた様に俯く仕草の方が綾太は可愛いと思った。
「参ったわね。見てこのウエスト折れそう、しかもバストも大きさ形もカンペキ、脚だってまるでバービーね」
スタイル抜群の真理子さえ呆れる。
「綾太は、どんなのが、好き?」
レイナはまた小さな声で綾太に聞く。
「俺っ? そうだな細見のジーンズに、やっぱ白のTシャツかな」
レイナはすぐに真理子に頼んだ、苦笑いした真理子がサイズを選ぶ。綾太は不思議な感覚に包まれていた。闇の世界からも恐れられる琥珀のディーバと呼ばれる女が、目の前で洋服を着替え、頬を染めてる。
人ではないとトイチは言った、眉一つ動かさず破滅的戦闘をする姿を確かに見た。でもレイナは自分と一緒に逃げたいと言った、そして俯き頬を染める……。
混乱する頭、つい何日か前の平凡で退屈な日常。現実と夢が交差し、思考は放棄したいと前頭葉に訴える。今、トイチがいて王や真理子がいて、目の前にレイナがいる。
胸のドキドキは答えなんて必要ないと呟く、そしてまた試着室から出てきたレイナに綾太の胸は激しく揺れた。
細見のジーンズはその細いウエストと形の完璧なヒップを誇張し、白いTシャツに微かに透けるブラが綾太の脈拍を上昇させた。ヒールの低いサンダルを履くと、身長は綾太よりもかなり低い位で、プロポーションから想像するよりも小柄だった。
何より後ろで括った髪と前髪を分けて覗かせたブルーの瞳は、綾太にど真ん中のストレートを投げ込む。しかし、それはインパクトの瞬間に僅かに曲がり微妙に芯を外した。
「すごく、可愛い」
妙に焦りながらの綾太の言葉に俯いたレイナは、また頬を染めた。
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「丸腰で大丈夫か?」
残して行った銃を見て、王がトイチに聞く。
「まさか昼間に街の真ん中でドンパチはしないよ、それに丸腰でもレイナに敵う奴なんていないしね」
パソコンをいじる手? を止め、トイチが笑う。
「あんなに華奢なのにか?」
「容姿に惑わされちゃだめだよ、レイナはあんたらの言う琥珀のディーバなんだからね」
不思議そうな顔をする王に、トイチが少し声を落とす。
「でもな、あの外見はどう見ても普通の女だ、丸腰なら格闘家や戦闘のプロには勝てそうには見えないけどな」
「確かに見えないね。でも格闘家も戦闘のプロも所詮対人技なんだよね、レイナは超越してるから……人を」
疑心に包まれる王に、解説した様なトイチの言葉が被さる。確かにレイナの戦闘は完全に人の領域を超えていた、肩に積る寒気を振り払う為に王は話題を変える。
「見た事も無い銃だな」
銃を手に取り王は溜息を付く、見かけよりずっと重く冷たさは生唾を飲ませた。グリップには金色の髑髏に銀色のハルバート、その紋章は王でさえ恐怖を抱かせる。
「細見の方がデュランダル、弾頭はタングステンで軍用の防弾ベストなんて紙みたいに貫通するよ。ゴツイのがティソナ、弾頭は特殊爆裂弾、装甲車両でも破壊出来るんだ。まぁ、小型ミサイル並みの破壊力だね」
またパソコンをいじりながらトイチが答える。
「だから体が破裂したのか、物騒なシロモノだ。それにしても素材は何だ? ステンレスにしちゃあピカピカだな」
「二つとも超硬度特殊合金なんだ。バレルなんて半永久的だし、フルオートでも撃てる、装弾数はティソナが九発、デュランダルなんて二十六発もあるんだ。命中精度はレイナが使えば神様の領域さ」
「それで重いのか。トイチ、お前詳しいな」
少し照れた様にトイチの名前を呼ぶ王、振り向いたトイチがヒゲをピンピンさせて言う。
「初めて名前を呼んでくれたね」
「ああ、そうだな。それよりディーバしゃなかったレイナだけど、前からあんなだったのか」
また少し照れたみたいに王が言う。
「違うよ、レイナにはあんな人間みたいな感情は無かったよ。おいらも驚いているんだ、アイツは生まれてから戦闘訓練以外は受けてないから。それに話したのも初めてだよ、組織の中でずっと一緒に居たのにね……それにあんな瞳じゃなかったはずだ、もっと暗くて光の無い人形みたいな瞳だった」
声のトーンを下げてトイチが言う、少し耳が垂れる。その脳裏には眩しい程に輝くレイナの瞳が、記憶と反比例していた。
「人形か……」
確かにレイナの容姿は完ぺきで、人形、言葉通り人の(完璧に美しい)形が形容には一番当てはまる。
「お前さんは普通だな?」
王はトイチの首を傾げる姿に微笑み掛ける。
「オイラはパソコン訓練が多かったからね、ネットは社会と繋がってるから」
後ろ脚で耳の後ろを掻くトイチ、その仕草は猫なんだけどなと王は苦笑いする。
「そうか……綾太とは?」
「命の恩人さ。それに、おいらの為に泣いてくれた」
振り向いたトイチが、まっすぐ王を見た。
「昔からそういう奴なんだよ」
小さい頃から素直で優しかった綾太を思い出し、王も微笑んだ。
「トイチ達の組織、正体は何なんだ? シノギをしてるって訳でもなさそうだしな」
少し間を開け、王が真剣な眼差しを向ける。
「オイラ達ナンバーズは言わば実験体だよ、組織の目的は……兵士の生産さ」
その恐ろしい内容とは反比例するトイチの可愛い声。そのギャップが恐ろしさを増大させ、王の声を揺さぶった。
「まさか、レイナもお前も造られたって言うのか?」
「そうだよ」
簡単に肯定するトイチ、さっきの人形と言う言葉が蘇る。人為的に造られたと言うのなら、完全無欠の容姿や強大な戦闘力だって理解の許容範囲に収まる。もっとも王の理解の範疇では成層圏を完全に突き抜けてはいるが……。
「完全に超えちゃってるな」
「マフィアのあんたの台詞かい」
王は怒りにも似た感情を鋭い眼に込め、トイチが深紅の目で見返す。
「裏の世界では稀に怪物が現れる。そいつぁな、突然現れメチャクチャに暴れると勝手に自滅して行くんだ」
虚ろな目つきの王は、遠い闇に呟く。
「裏の世界の怪物は所詮人間だよ……でもレイナは違う、本物の怪物なんだ」
少し俯きトイチが王を見る、王の胸に”本物”って言葉が不快な粘度で貼り付く。
「琥珀のディーバは幻だと思ってた、すぐに消えて無くなると思ってた……だが、レイナは実在している」
「だから?」
「さぁな、綾太に聞けよ」
王は綾太の笑顔を思い出す。
「そうだね」
トイチの脳裏には同じように笑顔の綾太がいた。
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「どういう訳だ?」
スーツの男が、白衣の男に説明を求める。
「現在、分析中です」
白衣の男は怪訝な顔をする。
「017も失敗だったって事か?」
スーツの男が葉巻を咥えた。
「データは取れています」
「そうだな……我々に必要なのはデータだ、ナンバーズに執着は無い。だからこそ、回収してデータの収集が必要だ」
「はっ、しかしリスクが大きいのでは?」
「承知の上だ、なにせ我々の作った最強の戦闘マシンだからな」
「018《ゼロ、ワン、エイト》と019《ゼロ、ワン、ナイン》の使用許可を」
「分かった」
二つのナンバーズは組織の中でも最強クラスで、勿論マークは赤だった。
「ところで、CY003はどうした?」
「現在、潜伏先のホテルを監視しています」
「そうか」
スーツの男は大きな窓から外の景色を見渡し、後ろ手をを組んだ。組んだ手が微かに震えている様に見えた白衣の男は、生唾を飲み込んだ。
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「さてと、出かけてくるよ」
パソコンの電源を落とし、トイチが背伸びとブルブルをする。
「どこに?」
唖然と呟く王の問いに、トイチがドアの前で振り返る。
「目障りな監視を捕まえて来る。向こう建物、上の方の窓に居るよ」
「向こうの窓って、十階建てだぞ?」
「オイラは猫だよ」
トイチは尻尾を膨らますとピョンとノブに飛び付きドアを開け、後ろ脚でパタンと閉めた。
「お見事」
呆れた様に王は呟いた。
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トイチが雀を咥えて部屋に戻って来ると、綾太達も帰って来ていた。
「腹減ってるのか?」
綾太は缶詰を買って無い事を思い出す、雀を床に置き前足で押さえるとトイチが苦笑いした。
「こいつはCY003《ダブルオースリー》、索敵型のナンバーズだよ。おいら達を見張ってたんだ」
確かに胸元には黄色い小さな髑髏のマークが入っていた。
「WC101、何故アタシを始末しない?」
雀は小さな女の子みたいな声で言う。
「やっぱ、喋るんだ……」
トイチには聞いていたが、目の当たりにすると綾太は溜息に包まれる。
「可愛い、トイチちゃん手をどけて」
真理子が慌てて歩み寄り、そっと手に乗せ微笑んだ。
「私は真理子、あなたは?」
「聞いたろ、CY003だ」
怒った様なCY003、でも声は可愛かった。
「真理ネェ、名前付けてやったら」
綾太が笑顔で言う。
「そうねぇ……女の子みたいだから、アーニャなんてどう」
「名前なんて不要だ」
羽根をバタバタさせてCY003が喚く。
「嫌なのか?」
それまでずっと綾太に寄り添うみたいに傍に居たレイナが、近付いて睨む。
「いっ、いい……それで」
そのブルーの瞳に脅え、アーニャは声を震わせた。
「でもレイナ、その格好?」
トイチはレイナの格好に、ヒゲを震わせ目を丸くする。
「別嬪は得だよな」
王も初めて見た時は心底驚いた。これが伝説の殺し屋、琥珀のディーバなのかと。
「どう? トイチ」
レイナがトイチを怪しい瞳で見る。一瞬、冗談で(似合わないかも)と心で呟くと、次の瞬間、脳裏に八つ裂きにされて体がバラバラになった姿が浮かび身震いする。横目で見た王も、同じように身震いしていた。でも、実際にレイナは可憐で美しかった。
「きっ、綺麗だ、綾太の好みなの?」
「うん」
焦る言葉に急にレイナは俯く、横顔の口元は緩み微笑んでいる様に見えた。
「何なの、WX017がこんな……」
驚きを隠せないアーニャは、小さな丸い瞳を大きく見開く。
「その番号で私を呼ぶな、私はレイナだ」
また急にレイナの瞳が強烈な光を放つ。
「分かったよ、レイナ」
怯える様にアーニャは小さく丸まった。
「レイナ、あんまり脅かすなよ」
「はい」
綾太の声にレイナは素直に可愛く返事する。俯きがちに綾太に寄り添い優しく微笑む、その表情は汚れの無い子供みたいに愛らしい。
レイナの様子にアーニャは信じられないという表情でまた目を丸くし、トイチは全身の毛を逆立たせ震えていた。レイナの笑顔は女神の微笑みだったが、それはトイチの中では”ブルーローズ”に出会ったのと同義だった。
「どうした?」
トイチの様子に、王が声を掛けたが震えは止まらない。
「おかしいぞお前」
綾太が抱き上げると、不思議に落ち着いたトイチだった。
「何でもないよ」
照れたトイチは、ヒゲをゆっくりとピンピン動かした。
「アーニャ、居たければここにいていいのよ。嫌なら帰っても構わないし」
微笑みながら真理子が、アーニャの羽根をそっと指で撫ぜる。
「ダメだよ帰すなんて、組織にオイラ達の情報が漏れる」
少し落ち着きを取り戻したトイチが、尻尾を膨らませヒゲをピクピク動かした。
「別にいいじゃないか、アーニャの好きにさせてやれよ」
綾太も真理子の手の中で小さくなるアーニャに微笑んだ。
「それならアーニャ。オイラ達の仲間になるかい? 索敵要員を捜してるんだ」
真理子の足元で、トイチが尻尾を振る。
「アタシはナンバーズ最高の……」
「何だと?」
アーニャの言葉の途中でまたレイナが睨む、アーニャは更に小さくなる。
「嫌なら焼き鳥だぞ、オイラ腹減ってるんだ」
トイチも舌舐め釣りする。
「ダメよ、トイチちゃん。こんなに可愛いのに」
真理子の頬ずりはアーニャにとっても初めての経験で、その優しさと温かさはアーニャの胸をキュンとさせた。振り向くとレイナは、また穏やかな表情で綾太の傍に寄り添う。経験した事の無い感覚がアーニャを包み込み、自然と言葉が零れた。
「……まあ、いいけど」
「決まりだね」
トイチが綾太の肩にジャンプした、すかさずレイナが睨む。
「でも、アタシのこと信じられるの? 組織に内通するかもしれないのよ」
真理子の手の中で、アーニャは俯いた。
「それはアーニャ次第さ。真理ネェの事、見ろよ」
綾太が微笑む。アーニャが見上げると、そこには限りなく優しい真理子の顔があり、その優しい表情はアーニャを穏やかに包み込む。だが、そんな安らかな感覚に違和感を覚えながらもトイチの方を向き不思議そうに呟いた。
「何でだろう……」と。