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逃避行と新しい名前

 バイトから戻ると、トイチがパソコンの前に座っていた。前足と尻尾でキーボードを器用に操り、画面は見た事もない映像と文字が物凄いスピードで動いていた。


「お帰り」


 パソコンの画面に向いたままの言葉だが、綾太は自然と笑顔になる。帰ってから誰か? 居る……そんな事、今まで無かったから。


「お前、パソコン出来るのか?」


 呟いた綾太がトイチに近付いた。


「それが仕事だからね」


 トイチは手? を止めないで背中で言う。突然、お湯の沸く音がして綾太が振り向く。


「トイチが沸かしたのか?」


「そうだよ。お茶もコーヒーも無いから、お湯でいい?」


 振り向いたトイチのヒゲが、嬉しそうに揺れた。


「俺はカップ麺か……それより、何してんの?」


 苦笑いの綾太が火を止めトイチの小さな背中に近付く、どうやってコンロのツマミを回したのかとボンやり考えながら。


「情報収集」


「何の?」


「組織さ」


 嫌な予感が綾太を襲う、顔は蒼白となり小刻みに体が震えが来る。こういう場合トイチは組織に追われていて、綾太自身も巻き込まれるってのが話の相場だから。


「何て顔してんの?」


 振り向いたトイチがニヤリと笑って、前足で顔を洗う。


「だって、お前……」


「確かに奴らはおいらを捜してる。怖いのかい? 巻き込まれたって思ってる?」


「……違うのか?」


 図星ってネオンが綾太の頭の上で点灯する、耳の奥ではピンポーンって電子音が鳴る。でもそれは半分の正解でしかなく、本音は少し違っていた。


「大丈夫だから」


 欠伸しながらのトイチ表情はとても穏やかで、綾太は何故か気持ちの落ち着きを感じた。


「今日は外に出なかったか?」


 綾太はトイチの肩のマークをマジマジと見た。


「出ないよ」


「そうか……」


 大きな溜息に、トイチはまたニヤリと笑った。


「オイラを誰だって思ってるの。綾太は命の恩人だ、危険にさらすなんてヘマなマネはしないから安心してよ」


「でも、ネットから足が付いたら?」


「だから監視してんのさ。心配無いよ、ヨーロッパや中国、インドや北米の個人サーバーを経由して場所も数十秒おきに変えてるし。それに奴らのシステムはオイラ熟知してるよ、穴も沢山仕込んでおいたからね」


「それって、初めから逃げ出すつもりだったってこと?」


「察しがいいね、そうだよ」


 トイチの言葉が胸に響く、誰だって逃げ出したくなる衝動は存在する。


「腹減ったろ、メシにしようぜ」


 話題を変えたくてトイチを抱き上げ、テーブルに乗せ缶詰を皿に出す。


「缶詰なんて作った奴の顔が見たい、猫には絶対に開けられないよ」


 トイチは皿に顔を突っ込んで食べ、綾太はまたそれを嬉しそうに見ていた。コンロのツマミは回せるだろ、と思いながら。そしてもう一つ思った事がある、出来るならこの小さな猫を守ってあげたいと。


 何故か幸せな気分が綾太を包む、会話のある食事。そんな小さなモノなのに、心が豊かになったみたいに感じた。


「でもさ、綾太の言う事、本当だったよ」


 食事の後、毛繕いしながらトイチが言う。


「何だよ?」


「WX017の事さ、確かに形跡がある」


「でもさ、あれは何してたんだろ?」


 走馬灯みたいに綾太の脳裏に波止場での出来事が蘇る。


「処分さ、レッドマークの」


「それって戦闘専門の?」


「ああ、不良品だけどね」


「人だったぞ」


 トイチの言葉が綾太の気に障り、声が少し大きくなる。


「人だよ……けど、厳密に言えばデザイナーヒューマン。おいらだって、デザイナーキャットさ」


 伏せ目がちのトイチ、声のトーンは明らかに落ちていた。


「何なんだよ……それ?」


 トイチに対する強め言葉への後悔が胸を締め付ける。


「バイオテクノロジー、遺伝子操作、無機質融合……人が創った、命さ」


 座ったトイチは長い尻尾をゆっくりと振った。


「そんな、出来るはずない」

 

 血の気が引いた綾太の顔は蒼白になる。


「オイラ、綾太の目の前にいるよ」


 見つめるトイチの瞳は何故か綾太を救う様に思えた。


「そう、なんだな」


 受け入れるのは簡単だった、目の前のトイチを抱き締めればいいだけの事だから。目の前に現実に居るトイチが、頼もしくて嬉しくて更に綾太は強く抱き締める。


「苦しいよぉ」


 抱き締められてトイチは嬉しそうな声を出す、そっと力を緩める綾太。


「ごめん。それとさ、トイチみたいな猫とかさ、犬とか他にもいるの?」


「色々な動物いるよ、鳥類から爬虫類までね」


「皆、喋るの?」


「基本的にはね、コミュニケーションは必須事項だから」


「はは、そうか」


 前に見た喋る動物の映画を思い出し苦笑いした。確かに動物は喋らないけど、否、単に人間が理解できないだけなんだろうと、トイチを見て改めて思った……違う国同士の人が、お互いの言葉が通じないのと同じ様に。

 

 そっとテーブルの上に置くと、トイチはパソコンのある机にジャンプした。


「これを見て」


 画面には見たこともない文字や数字の羅列があった。


「見たけど……」


 唖然とした顔でトイチを見る綾太。


「暗号化してるんだ、これで分かるだろ」


 日本語で文字が浮かぶ、それは綾太にも簡単に理解出来た。


『男、二十歳前後、痩せ型、身長170㎝、体重60kg……』


 そして最後のモンタージュには、見覚えがある童顔があった。


「これって……組織からの?」


 血が凍った、全身を震えが超高速で通過する。


「オイラも追われてるけど、綾太も指名手配って訳だね」


 後ろ脚で耳の後ろを掻くトイチの落ち着いた声が、綾太を更に不安にする。


「ど、どう、すれば……警察に」


「信じてもらえると思う? 騒げば一日ぐらい保護してもらえるかもしれないけど、警察署を出たら待ってるよ、奴ら」


「そう、かもしれない」


 人生で何度かある目の前が真っ暗になる瞬間。脳裏を最悪の事態がフルマラソンする。震える声、手や背中には汗が滲み出る。映画なんかでよくあるパターン、謎の組織に拉致され、壁に十字に吊られゴウモンされる姿が脳裏でワルツを踊る。


 でも、その瞬間は長続きしない。トイチが暗闇から、そっと手を指し伸ばした。


「よかったね綾太、オイラが居て。顔が青いけど、大丈夫?」


「えっ、ああ、何ともないよ」


 綾太に向き直りトイチはニッコリ笑った、その微笑みが綾太を救う。


「暫く身を隠す事になるけど」


「ああ、仕事もバイトだし」


「どうしたの?」

 

 綾太の沈む表情は、事態以外にも理由がある様に見えた。


「今の生活に、何の未練も執着もない……それって、寂しい事なのかな?」


「そうかもね」


「未来に何の目的も無い……」

 

 更に沈む綾太の声。


「未来が分からないなんて、最高じゃない」


 ヒゲをピンと立てたトイチが、また笑顔で見詰める。


「えっ?……」


「つまんないよ、分かってる未来なんてさ」


「そう、だね」


 立ち止まった背中を、そっと押された気分だった。話すこと、自分の気持ちを聞いてもらう事、そんなやりとりが綾太を浄化した。


「明日、色々道具が届くよ。出発は明日の夕方、綾太、自動車持ってるかい?」


「持ってないけど」


「そう、よかった。自動車も昼には届くよ」


「自動車まで買ったのか、住民票とか印鑑証明とかは?」


「裏技は使う為にあるんだ」


 トイチは、またヒゲをピンピン動かす。


「お金は?」


「電子マネーさ、実態は無いんだ。ちょっと細工すれば何でも買えるよ」


「兵器なんだろ? それってただの詐欺師じゃない?」


「まぁね、そんなとこ」


 尻尾を振り、平気な顔で言うトイチ。


「あいつ……017、追ってくるの?」


 最大の疑問が綾太の口から零れる。


「まさか、素人相手にナンバーズは来ないよ。精々普通の始末屋だから安心して」


「安心って……始末屋って、殺し屋さんなんだろ?」


 綾太は涙目になる。


「そうだよ、だからぁそんな顔しないの。ウィザード級やグル級のハッカーなんか、オイラの前では素人同然なんだよ。組織の奴らだって、綾太にオイラが付いてるなんて知らないしね」


 凍りつく綾太の背中を叩いたトイチは、ケタケタと笑った。つられて笑う綾太の顔は、微妙に引きつっていた。


_________________



 次の日、朝から綾太は目を点にした。テントにシュラフといったキャンプ道具に始まり、見た事もない型のノートパソコン、その他にもスタンガンや映画などで見た事のある耳に掛ける通信装置まであった。届いたパソコンをイジリながら、嬉しそうなトイチ。


「それ、高いんだろ?」


「えへへ、マニアなら泣いて喜ぶね。野外でも単体でネットに接続出来る特殊な型だよ、スペックも注文時に格段にスープアップしてるし、なんたってCPUは第七世代だし、OSは組織が開発したバージョンⅦなんだよ」


 得意そうに笑うトイチの顔に、昨日眠れずに震え続けた自分が可笑しくなる。


「そう、所でこの後どうすんの?」


「夜逃げの支度さ、最低限の荷物にしてよ。宝物なら仕方ないけどね、それとココにはもう戻らないから」


 パソコンの話に食い付いてこない綾太に、少しつまらなそうにトイチは尻尾を振りながら言った。言われて見て初めて綾太は気付く、宝物なんて自分には何も無い事を。改めて三年あまり暮らした部屋を見渡す。


 でも、振り返っても思い出は少ない。ただ、引っ越しの日のココロのトキメキだけは微かに残っていた。


「さぁて、片付けるか」


 部屋の入口の沢山の荷物を前に、大きな溜息で言った綾太だった。


 荷造りしながら考えるのは、遠足にでも行く気分が包んだ事。それは口喧しく指示するトイチに、笑顔で従ううちに更に強くなった。本当は殺し屋に狙われて命が掛っているのに、不思議とそんな事が頭から切り離されていった。


「軽かい?」


 昼頃届いた車は、中古みたいだが綺麗な白い軽ワゴンだった。


「まぁね、一番多い車種と色だよ。程度のいい奴って言ってたから結構綺麗だね」


 車を確認したトイチが、ウインクする。


「まさか本当に」


 何故か全ての出来事が、夢みたいだと綾太はココロで呟く。


「落ち着いたら、好きな車を買ってあげるからね」


 綾太の顔が元気を無くしたみたいに見えたトイチは、足にまとわり付く。


「別にいいよ。それより、準備完了です指揮官殿」

 

 トイチを抱き上げた綾太は、ニッコリ笑った。


_________________



 夕暮れにアパートを出て、スタンドで給油しながら助手席のトイチに聞いた。


「どこに行けばいい?」


「そうだね、まず東に行こう。高速はダメだよ、一般道で」


「へいへい」


 パソコンに向かったままで、顔を向けもしないトイチに綾太は苦笑いする。


「子猫と旅行ですか?」


 窓を拭いてた店員の女の子がトイチ見ていた、慌ててパソコンから引き離し後ろの席に放り投げた。


「何すんだよぉ」


「えっ?」


 トイチの声に、驚く顔の女の子。


「あっ、あのっ、コラ、トイチ、触っちゃダメだろ」


「トイチ、可愛い名前ですね」

 

 前に来ようとするトイチの肩のマークを、撫でるフリで隠す。


「こいつ、パソコンとか好きで」

 

 愛想笑いの綾太の顔が引きつる。スタンドを出ると、後ろの席からトイチがノソノソと前に来る。


「投げないでよぉ」


「ごめん、つい」


「三時間程走って、それから晩御飯だよ」

 

 パソコンに向かうと、トイチはまた操作を始める。


「奴ら、動いてる?」


 その小さな横顔に綾太は心配の元を聞く、ピンピン動くヒゲが頼もしく感じる。


「ああ、丁度三時間後にアパートに来るよ」


 その言葉はかなり背筋を冷たくさせた。


「ならずっと走ろうよ」


「大丈夫だよ、すべて計算ずくだから」


 トイチの声には自信が溢れていた。太陽が西の空をオレンジ色に染めるが、夕闇の寂しさだって助手席のトイチが和らげてくれるみたいだった。途中コンビニで食べ物を買い、海岸が見える丘でテントを張った。勿論、トイチの指示で。


「なあ、もっと先に行こうよ」


 食事が喉を通らない綾太をよそにトイチは、まだ弁当の蓋に出された缶詰に頭を突っ込んで必至で食べている……少しづつ移動しながら。


「ここで、いいんだよ」


 顔を上げたトイチは、例によってヒゲをツナだらけにして笑う。


「だって……」


「仕方ないなぁ」 


 胃の辺りが痛くて食事の進まない綾太は弁当を置き、トイチは前足で顔を拭くとパソコンのスイッチを入れた。


「説明しよう、綾太が胃潰瘍になる前にね。ここ見て」


 画面には綾太のデータが表示されていた。


「俺のデータ」


「市役所のデータベースにあるこのデータが、綾太という人間を示す全てだよ。綾太、もう後戻りは出来ない、助かるには他の人間になるしかないんだ」


「意味がよく分からないけど?」


「つまり、一人の人間はこんなデータでしか無い。だから新しいデータを作る、それだけで綾太は別の人間になれる」


「出来るの?」


「簡単さ、綾太の全てのデータは他の小さな街のデータベースにコピーする。苗字、何がいい?」


「別に何でも」


「何でもって、好きな女優とか俳優とかで無いの?」


 呆れた様にトイチが尻尾を振る、暫く考えた綾太はポツリと言った。


「山下……」


「平凡だね」


「小学校の時、好きだった子」


 赤面する綾太。


「名前は?」


「真貴子、って関係あるのかよ」


 更に赤くなる綾太に、トイチは目を細めた。


「ふぅん。一応、生年月日も月を変えるよ」


「任せる」


 誕生日なんて自分でも忘れていたから、別に何も感じなかった。トイチはピコピコとパソコンを操作すると、綾太に向き直った。


「これで山下綾太の誕生だ。ちなみに元の綾太は消えるんだ、生死も分からずにね」


 この瞬間、生まれ変わったという実感は無かった。しかし現実的には、新しい人間が誕生し古い人間が消えた。


「なんかさ……いい気分」


「そうさ、何度だってやり直しは出来るんだよ」


 尻尾を振ったトイチが、チョコンと膝の上に座って笑顔を向けた。


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