覚醒
(何故、自爆させなかった?)
018は最大望遠で見た、腕組みしたままの姿勢で立つ019に聞く。
(二体に対する017の動きに、キレが戻っていた)
019は口元だけで笑った。
(対象確保は、最優先事項だぞ)
(見たいんだろ、本当の017を?)
018の質問に019はニヤリと笑った。
(ああ、あいつの実力はあんなモノじゃない)
018の脳裏には、琥珀色に輝く髪と深いブルーの瞳が蜃気楼みたいに映っていた。
________________
爆発音に気付き、真理子達が屋上に走って来た。突然視界に飛び込むのは、地面に血塗れで転がる王と趙だった。
「王っ! 趙!」
開く瞳孔のまま真理子が叫ぶ。綾太と距離を保ち正対するナラシンハを白がショツトガンで連続射撃撃、一瞬の隙が出来ると霧子が駆け寄り二人の様子を見た。
「今の所は生きてるよ!」
その声に真理子は膝から崩れ落ちたが、その視界の隅には綾太に襲い掛かる化け物が飛び込む。
「綾太っあぁぁ!」
長い叫び声が夜空を切り裂く。鋭い爪が届く瞬間、化け物が横方向に吹っ飛んだ。瞬きして状況を把握しようとする真理子の目には、今度は髪を振り乱したレイナが映る。肩で息をする姿は、真理子にさえ分かる……苦戦しているのが。
「レイナ……」
唖然と呟く綾太には、初めて見るレイナの姿が映る。泣きそうな顔、乱れた髪、微かに震える身体、その全てはディーバではないレイナの姿だった。間髪入れずナラシンハの攻撃、まともに受けたレイナが屋上の固い地面を転がる。
立ち上がろうとする所に強烈な蹴りが襲う、クロスさせた両腕で受けるが力を受け止める事は出来ずに後方へ吹き飛ばされた。
「さっきのレイナじゃない、また逆戻りだ」
「えっ、どう言う事?」
何時の間にか隣に居るトイチに、視線を起き上らないレイナに固定したまま真理子が呟く。
「さっき戻ったんだ、一瞬ね」
背中の傷の痛みが、トイチの顔を歪めた。
「トイチちゃん、背中!」
慌てて真理子がブラウスを裂き、トイチの背中に巻いた。
「おいらは大丈夫さ、それより」
顔を歪め、トイチは立ち上がるレイナを見た。ヨロヨロと立つと、足を引きずり綾太の元にゆっくりと歩き出すレイナ。綾太は両腕で抱き抱えようとするが、左後方からナラシンハが迫る。
「綾太さん伏せてっ!」
声と同時にレイナを庇い地面に転がる、レイナの優しい匂いと古いコンクリートの臭いが同時に鼻孔を刺激した。白の連射は、あっという間に全弾を撃ち尽くす。散弾がナラシンハの頭部に集中し、片目から血を流すと少し後ずさる。
電光石火、ショットシェルを装填した白はその後を追う。真理子が綾太とレイナに駆け寄る、そっとアーニャを手渡した綾太はレイナの肩を支えた。
「アーニャちゃん!」
「アタシ、まだ生きてるから……」
大粒の涙を流す真理子に、アーニャは力なく笑った。
(トイチ、二体が接近中、使うなら今しかないよ)
(そうみたいだね)
アーニャからの秘匿通信に、トイチは立ち上がり白の足元に走った。
「あと二体来る。起爆後五秒で爆発するから、アーニャを上空に放り投げて。最低十メートルだよ」
撃ち続ける白の肩に飛び乗り、耳元で囁く。
「分かりました」
表情を変えないで、白は小さく頷いた。
_________________
「レイナ……」
言葉の続かないのは、折れそうな細い肩と乱れていても綺麗な髪、そして微かに震えるレイナの身体の温かさだった。
「綾太を守る、から……」
振り向いたレイナの顔との距離は僅か数センチ。息が掛るくらいの距離でぎこちなく笑うと、濡れたブルーの瞳に自分の顔が写る。
「もういいよっ!」
思わず抱き締める、簡単に腕が一周するのはその背中の細さ。そしてレイナの胸のドキドキが、スーツを通して綾太に伝わった。
「次が来るよっ! 女医さんは王達を隅に! 真理子っ下がって!」
トイチの叫びに、霧子はブツブツ言いながら王と趙を引きずる。真理子はアーニャを抱き締め、ヨロヨロと王達の側に行った。白は相変わらず撃ち続けるが、次第にナラシンハはその弾道を読み始める。
空を撃つ感覚に白が唇を噛むと、経験した事のない強い殺気に包まれる。左右の手摺りの上では二体のナラシンハが、光の無い目で様子を伺っていたのだ。
白はその二体に交互にショットガンを放つが、一瞬にして二体は消えると綾太とレイナの目前に迫る。
レイナは綾太を突き飛ばすと、左の一体に回し蹴りを見舞う。が、その足を簡単に受け止めると反対に捩じり上げた。小さな悲鳴が綾太の胸を刺す、叫ぼうにも喉の奥は生唾を受け付けずに枯れ果てていた。
「右だっ!」
トイチの叫びに脚を捻られた体制のままのレイナは、身体を浮かせて右の一体の牙を辛うじて避けた。次の動きは足を取った一体がレイナを振りまわし始める、遠心力は加速する毎に自由を奪い始める。
「あんたでも無理なのか?……」
声にならない声で呟く白は、苦戦するレイナの姿に全身の力が抜けた。
「カウントはオイラがっ!」
前足を踏ん張り、トイチは風圧にヒゲをなびかせる。
「……」
白は無言のまま頷くと、残る一体を連射で牽制し続けた。レイナは振り回されながら考えていた。何故身体が思い通りに動かないのか、何故力が抜けるのか……回転の度に、一瞬綾太の顔が見える。
その顔はレイナ自身が悲しくなる程に情けない顔で、こんな状態でも胸がキュンとなった。
ふいに霧子の声がレイナの脳裏に木霊する。
(早く答えを出す事ね……それじゃあ綾太、死ぬわね)
背筋が凍る、全身を震えが駆け抜ける。
次の瞬間、今度は綾太の声がした。
(今度はさ、俺が守るよ――綺麗だった……歌――レイナ、いい匂いだね――すごく似合うよ)
身体の震えが止まる、持たれてない片方の足でナラシンハの側頭部に強烈な蹴りを入れた。
宙を舞い、フワリと着地するともう一体が背後に迫る。振り向き様に、肘を叩き込むとカウンターの威力でナラシンハは後方へ吹き飛んだ。
「えっ?」
白がその動きに感嘆の声を上げたが、トイチはチッと舌打ちした。束の間の攻勢、レイナが綾太に視線を移した瞬間、また綾太の声が炸裂した。
(もうやめろっ! 近付くなっ!)
とたんに力の抜けるレイナはガクッと膝を付くと、白の攻撃していた手負いのナラシンハが猛然と突進し、そのタックルに簡単に吹き飛んで地面に叩き付けられた。
「何なの、まるでシーソーじゃない!」
霧子がその変わり様を嘆く声を上げる。
「レイナちゃんは戦ってるのよっ! 自分自身とっ!」
血の出る様な真理子の叫びは、霧子を黙らせ綾太の胸を貫通した。
「くそうっ!」
駆け寄る綾太が、なんとか起き上ったレイナにスローモーションで見えた。フッとレイナの意識が飛びそうになる、背景が斜めから地面に落ちた。
態勢を立て直した二体に、手負いの一体が加わり、じわりと倒れ込むレイナとの距離を埋める。
「今だっ!」
トイチはEMPのスイッチを押すとナラシンハの真中に掛け込む、白は真理子からアーニャを掴み取ると夜空に投げ、その動作と連動してトイチの襟首を掴みEMPを剥ぎ取るとそのまま空に投げた。
「うっそ!」
空中で叫ぶトイチに、アーニャが薄目を開けた。
「あんた、飛べたっけ?」
二人が放物線の頂点に来た時、EMPが炸裂した。
途端に苦しみ悶え出す三体、トイチは空中で叫ぶ。
「白っ! レイナのティソナで頭を撃って! 至近距離でねっ!」
直ぐにレイナからティソナを取ると、白は一体の頭を撃つ。初めは片手で撃ったが、反動で白の丸太の様な腕が思い切り後ろに持っていかれる。
肩や肘の関節が悲鳴を上げるが、お構い無しに撃つ。ナラシンハの頭部は、二発目で火花を発し、脳漿を地面にぶちまけた。白は両腕で構え直すと、残り二体を始末した。
「終わった、の?」
ヘナヘナと腰から地面に落ちた霧子が特大の溜息を付く。落下中のトイチは、必至のアーニャのおかげでなんとか着陸した。尻尾の先を咥えられていたので、その先ッポを気にしながらトイチは綾太の側に駆け寄る。
「もう一体残ってる、奥の手はもう無いよ」
「そうか……」
立ち上がった綾太は、倒れているレイナを抱き起こした。目を閉じるレイナの長い睫毛が、胸を激しく揺する。何も出来ない自分に、怒りを超えて情けなさが覆いかぶさった。
「こいつで最後だなっ!」
突然白がティソナを連射したが、衝撃で照準が定まらない。最後の一体は、他の三体と比べても一回りも大きく、動きは更に俊敏で簡単に白の射撃をかわした。
「ウソだろ……」
目を見開いたトイチは、その胸のエンブレムに身を凍らせた。それはレイナと同じ金色の髑髏に、銀のハルバートだった。
「あのエンブレム、レイナだけじゃなかったの?」
同じようにアーニャも身を固まらせる。
「そうだよ、唯一無二のはずなんだ」
目を凝らして見ても、トイチの視野にはレイナと同じエンブレムがあった。
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(101も003も進化してる、見事な連携だ)
018はトイチ達の戦闘に感嘆した。
(まさか、017と同じエンブレムが存在するとはな)
普通に呟いた019だったが、内心は穏やかでは無かった。
(そうだな、我々さえ知らされてなかった)
018も胸騒ぎに包まれる。
(奴は制御信号を受け付けない)
(我々も行くしかない、対象と017確保が今回のミッションだからな)
019の言葉に被せる018。
(奴は手強い)
(017程じゃないさ)
また019の言葉に被せた018は、胸騒ぎも収まり肩の関節を鳴らした。
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白は強烈な脳振頭で、意識を失う。真理子達にも何が起こったのか理解出来ず、ほんの一瞬の出来事だった。綾太はそっとレイナを寝かせると、腰に差していた銃を抜きスライドを後退させ初弾を装填した。
「そんなモノ役に立たないぞっ!」
叫んだトイチが駆け寄ろうとするが、最後のナラシンハはその動きを睨み付けるだけで抑制する。金縛りの様に動けない、動こうにも手足に力が入らずトイチは油汗を流し続けた。
「どうしたのよっ!」
アーニァもその一言を最後に、動けなくなる。真理子や霧子も、圧倒的な威圧感に声さえ出す事が出来ず全身の激しい震えに身を任せるしか出来なかった。
最後のナラシンハは他の個体と同じ様な目をしていたが、他が光を吸収していたの対し銀色に鈍く光を放つ。綾太は両手で銃を構え、近付くナラシンハに銃弾を発射した。至近距離なのに銃弾は的を外れる、と言うより簡単に避けられた。
丸太の様な腕が綾太を吹き飛ばす、鼻孔に血の臭いで満たされる。口の中も血の味で充満される、腰から下が無くなる感覚にその場に倒れ込む。巨大な足が掠れる目前に迫る、震動が耳の奥で木霊した。
あと一歩、それで踏みつぶされ内臓が飛び出す。綾太の脳はそんな事を考えると、活動を停止させようと力を抜いた。
「避けろっ!」
懐かしく感じるトイチの声が走って来る映像と交差する、瞬間に爪に切り裂かれる姿が飛び込む。血の逆流は、血圧を上昇させ綾太は力の限り叫ぶと前向きに倒れた。
「やぁめろっおっ!」
唾と血を吐き散らし叫んだ声に、倒れていたレイナの身体が反応する。目を閉じたまま電光石火で飛び起きると、ナラシンハに猛烈な蹴りを見舞う。片腕で受けるが、勢いでかなり後ろまで吹き飛んだ。
両手を下げたままレイナは少しづつ近付く。心なしかナラシンハは後ずさるが、直ぐに突進した。繰り出す超速の爪や牙を受け流すレイナ、その振り乱した髪で表情は見えないが真理子に悪寒を走らせる。
しかし、明らかにスピードの上がり出したナラシンハに、レイナは動きが劣り出す。
「押され始めた、限界だよ」
動かなくなったトイチに、応急手当をしながら泣きそうな顔で霧子は呟く。
「レイナはまだ大丈夫だよ」
地面に転がるアーニャが、虫の息で言う。
「ああ、まだ、覚醒、してないよ」
片目を開けたトイチが、途切れる言葉を絞り出す。
「大丈夫なの、レイナちゃん?」
抱き抱えた真理子が、トイチを擦る。
「なんとかね……今までのレイナには、何も無かった。それであれだけ強いんだから、もし何かを手に入れられたのなら、覚醒するよ……最強のフレイアに。でもそれは、綾太にしか、出来ない」
声を絞ると、トイチはまた目を閉じた。
「トイチちゃん!」
真理子はジュウイチを抱き締めた、フレイアの意味なんて解らないままに。
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ついにナラシンハのスピードが勝った、体を捻り渾身の裏拳がレイナに炸裂する。短い悲鳴、レイナは地面に倒れかける、地面に付く瞬間に今度は蹴りが腹部を直撃した。レイナのスーツが衝撃を緩和するが、全体に走る火花は稼働限界を現す。
(スーツは限界だな、これ以上は防御維持は難しい)
018は最大加速でナラシンハに向かうと、背後からパンチを見舞うが簡単に避けられた。
「何っ!」
振り向き様、回し蹴りが018を吹き飛ばす。
(後退しろ、近接戦闘は奴に分がある)
019は全身の武器を一気にナラシンハに向ける。超小型ミサイルが着弾すると、大口径マシンガンを叩きこみ、間髪入れずに距離を詰めた。至近距離なら、ナラシンハの装甲を撃ち抜けると読んだ。
しかし、接近は賭けだった。爆煙の中から飛び出したナラシンハは、一気に距離を詰めカウンターで019を切り裂いた。装甲スーツは紙みたいに切り裂かれ、血とオイルが飛び散る。
「019!」
叫んで突進する018は、振り向き様の牙に片腕を食い千切られた。
「今度は何なのよ!」
その激しく血生臭い戦闘は、霧子の精神を豪快に圧迫する。あまりの凄惨さに真理子は抱き締めたトイチを、更に強く抱いた。
「苦しいよ、あいつ等も敵だったけど可哀そうな事をしたね」
「大丈夫なの、トイチちゃん?」
抱き締められた勢いで、目を覚ましたトイチが解説する。
「ナンバーズじゃ歯が立たない、あのエンブレムは本物みたいだ」
最後のナラシンハの実力に、トイチは心底恐ろしさを感じた。
意識が彼方より戻って来る。綾太は強く頭を振り瞬きを繰り返すと、倒れているレイナが目に飛び込む。這って傍に行き抱き起こす、レイナは薄目を開けた。輝くブルーの瞳からは宝石の様な涙、口元は微かに動くが声は聞き取れない。
背後の猛烈な殺気は終わりの予感を確信に変えた。綾太の目からも涙が滝の様に溢れる、無に近いココロからは言葉が自然と零れた。
「ごめんね、レイナ。俺と出会わなければ、こんな目に合わないで済んだのにね。でもね、俺ね、レイナに逢えてよかった……」
ナラシンハの鋭い爪が背後から綾太に迫る、見開いた目を両手で覆い真理子の悲鳴が夜空を駆け巡った。
「嫌っあっああ!」
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綾太は真理子の側に居た、状況が分からずに周囲を見回した。少し前にレイナの後ろ姿があった、瞬間レイナのスーツの着装が解けた。
「レイナっ! スーツがっ!」
綾太の声にレイナが振り向く、涙には濡れていたがブルーの瞳は輝いていた。そして、ぎこちなく笑うと、ナラシンハに向き直る。
レイナの足元の空気が次第に渦を巻く、それは風圧を伴い次第に大きくなる。今度はナラシンハが動けない、その様子を銀色の目で睨む。
光が炸裂すると、綾太や真理子は目を逸らした。光が治まり、暗さに目が慣れるとレイナの異変に気付いた真理子が憑かれたみたいに呟く。
「レイナちゃんの髪が銀色に……いえ、あの輝きは、そう、真珠……」
その髪は、漆黒の闇を眩しく煌めくパールの輝きで照らした。ほのかな風にも真珠色に輝く髪は僅かな光で微妙に光を変え、星屑みたいな銀の雫が零れる。
「綺麗、だ……」
唖然と呟く綾太。
「あれ、あんな姿知らないよ、トイチ?!」
その美しさに驚き、アーニャは目を見開くトイチを激しく揺すった。
「したんだ……覚醒」
ポカンと口を開けたトイチの毛が逆立つ、人間ならきっと全身鳥肌だっただろう。
「覚醒と言うより、あれは降臨。なんて綺麗なの……まるで、天使」
霧子もまた目を見開き、その美しさにココロを奪われた。
「天使……」
呟く綾太の目には確かに見えた、レイナの背中に光り輝く純白の羽根が。
「見たか?」
「ああ」
019が倒れたまま唖然と呟き、腕を押さえ朦朧とする018もそれ以外の言葉を失った。
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レイナはゆっくりと左腕のリングを触る、一瞬の煌めきに包まれるとスーツを着装した。
「そんな、活動限界のはずだ、もうエネルギーは残って無いはずなんだ」
トイチは愕然とする。十分はとうに超え、装着はチャージ無しでは物理的に不可能なはずだった。ナラシンハはその様子に大きく雄叫びを上げると、正面から突進する。前にも増して超速の動きのはずなのに、レイナは簡単にかわした。
行き過ぎたナラシンハは超速で方向転換、態勢を立て直す。が、レイナはその目前に立っていた。瞬時に後ろに飛び退くが、着地と同時にレイナの蹴りが腹部に炸裂し、そのまま更に後方に吹き飛ばされる。
地面を転がりながらも態勢を戻すが、経験した事の無い違和感がナラシンハを襲った。それは、驚きであり激痛だった。
小さく呻くと最大限に爪を伸ばす、通常の五倍の長さまで伸びた爪は寸前でかわしたとしても、スピードを限界まで上げれば直撃可能とナラシンハは思考した。
銀色の長大な爪を構え、下半身の全神経を昇華させる。各関節、全筋肉をアドレナリンで満たすと烈火の突進をした。風さえ追い越す超高速、動いた後に空気が掻き乱された。
(速い!)
トイチが心で叫ぶコンマ何秒かも追い越すその速さを、レイナは宙に飛び簡単にかわす。ナラシンハの見開いた銀の目は、宙を舞うレイナを追うがその速さは眼球の追従を許さなかった。
超高速はブレーキに難を示す、スピードを殺し方向転換した瞬間に後頭部にレイナの回し蹴りが直撃した。
脳幹の激震は意識さえ飛ばしそうになり、初めて味わう敵以外の血の味と臭いがナラシンハを包んだ。そのまま地面に倒れるが、脳は機能停止を免れ僅かコンマ何秒かで驚異的回復力を見せる。
立ち上がると湯気でも出ている様に埃が舞う。ナラシンハは更に全身の筋肉を最高潮に緊張させると、肩や肘、膝や爪先、背中や腹部から鋭い剣みたいな突起物を出した。
それは虫の羽音の様な嫌な音を発生する、そう、あのブーンと言う音だった。
「何なのあれ?」
アーニャは顔を真っ赤にして、目前の状況をトイチに問う。
「多分、高周波ブレードさ。何でも切れるよ、あれだけ体中にあれば触れる事は難しいだろうね……普通の奴には」
言葉の最後は笑いながらのトイチ、今のレイナなら何の問題も無いと安定した深層心理ががっちり支えていた。
「レイナ……笑ってる」
その微笑みは優しさと慈愛に満ち、超速機動戦闘をしてる姿と大きなギャップとなり綾太を取り込む。
「まるで、神様の戦いだね」
同じ考えが霧子の思考でも演算され、それは真理子とて同じ方向だったが若干ニュアンスが違っていた。
「全てが綾太の為、あなたの為にレイナちゃんは変わったのよ……この幸せ者、大事にしてあげなさい」
微笑んだ真理子が綾太を突く、その笑顔に綾太は戸惑う。まだ、戦闘も終わって無いし、相手はあんな恐ろしい武器まで出してきた、何故真理子は笑顔になれるのか? 綾太は女という生き物が今更ながら不思議でならなかった。
「心配無いよ、レイナは勝つから」
「そうよ、ビッグシップに乗った気分でいたらいいの」
トイチが綾太の膝に乗り笑って顔を見上げる、羽ばたいたアーニャも笑っている。
「お前達まで……」
自分以外は皆、レイナを信じている。でも綾太の深層は不安と恐怖が今だ支配する、それは何故なのか、遠くレイナの背中を見つめながら祈るしか出来なかった――どうか、無事でと。
「安心した、その顔……本気になったのね」
綾太のあやふやで不安定な顔色に、真理子が笑う。
「何なんだよ」
「女には分かるのよ……綾太、何も難しい事なんて無いの。ただ……嬉しさと辛さ、楽しみや痛み、そんな日々に隣に居るだけでいいの。肩の力を抜いて、普通に、自然に、それだけでいい……よかったね、レイナちゃん」
言葉の最後は優しくレイナに向けられる。真理子が呟くと同時にレイナは腰の両側、短剣みたいなモノを手に取る。それを繋ぎ合わせると、背丈程の棒状に伸びた。
一度振ると先が大鎌になり、返すとその反対側に鋭い斧が出現する、突くと先端から輝く槍の穂先が出た。そして肩に担ぐと、鎌や斧の反対側にピックの様な突起物が出現した。
「肩のマークと同じだ」
呟いた綾太に、トイチが補足説明する。
「そう、あれがエンブレムの元。レイナの最強武器、アルムタートだよ。ゾロアスター教の女神の名前。アヴェスター語で『不滅』を意味するんだ」
上段に構えたアルムタートを徐々に回転させるレイナ、その度に金や銀の煌めく雫が周囲に飛散する。
「あれがアルムタート、見れたのは光栄だな」
なんとか起き上った019は、ニヤリと笑う。
「あれと闘ってみたかった」
千切れた腕を拾い、018が苦痛に顔を歪める。
「そうか。あれと闘った者がどうなるか、もう直ぐ分かる」
自分の言葉に背筋を凍らせ019は目を見開いた、018もレイナの輝く姿に期待にも似た複雑な気持ちで視線を集中させた。
ジリジリと距離を詰める両者、お互いの武器が闇夜に光る。そして、沈黙を破り先にナラシンハが動く。全身の剣を身体を複雑に回転させる事で、全方位に防御と攻撃を仕掛ける。
レイナは低めに構えると防御姿勢を取る。剣とアルムタートの鎌がぶつかり、赤い火花と銀の雫が煌めく。
鎌や斧、槍やピック、レイナはアルムタートの全ての箇所で剣の攻撃を受け止める。その動きは、まるでダンスを踊るように軽やかだった。
「高周波ブレードに切れないモノなんて無いんじゃないの?」
小さな目を点にしたアーニャが、あんぐりと口を開ける。
「理論上ではね」
溜息交じりのトイチ。
「じゃあアルムタート、何で出来てんのよ?」
「確か、何かの超硬合金だと聞いてたけど……多分、違うね。あれはレイナの強い強い――気持ちなんだと思う」
「気持ちね。それなら、なんとなく分かるな」
頷くアーニァに真理子もそうだねと、ココロで呟いた。綾太には真理子の言葉が蘇る(あなたの為にレイナは変わったのよ……)言葉にするのは照れ臭いが、高揚するココロがドキドキを加速させた。
時間の観念と、体力の消耗、気力と集中力の低下など両者には関係無い様に見えた。
「あんな動きを続けられるなんて、いつも何食べてるの?」
恐怖や緊張が不思議と解けた霧子が、大きな溜息を付く。
「……何だ、レイナの髪、それにあの動き」
意識を取り戻した王が唖然とする。
「そうですね、神々しい」
王の少し前に意識を取り戻していた白が、地面に胡坐をかいたまま頬を緩める。
「あんた達、やっとお目醒め?」
霧子が二人に振り向く。
「趙は?」
周囲に綾太や真理子を確認した王が、趙だけ居ない事に気付く。
「あそこ、まだ寝てる。ややこしくなるから、まだ起こさないでね」
「えっ、あっ、はい」
霧子の言葉に頷く王だったが、皆の顔を見回しても平然としてる事に何より驚く。ほんの少し前までの、死さえ意識した緊迫感が微塵も無いのだ。
「あれがレイナの本来の姿。否、覚醒進化した姿かな」
一人だけ取り残された王に、トイチが近付き説明した。
「そうか、綾太の奴……」
パズルには、簡単にピースがはまった。
__________________
焦りはナラシンハの方に出る。通じない攻撃、しかし相手は防御はしても攻撃は仕掛けて来ない。プライド――そんなモノが音を立て崩れる。脳の奥がキナ臭くなると、視野の片隅の綾太に気付く。
持てる全ての力を開放する、ナラシンハの周囲を火花と疾風が駆け巡る。渾身の一撃はレイナを通り過ぎ、綾太に向けられた。見守る全員の血が凍った瞬間、綾太の前にはレイナが立ち塞がった。
レイナの周囲の空気が煌めく、アルムタートを目視不可能なスピードで一閃した。煌めく星屑は眩い金色や銀色の爆裂となり、ナラシンハのは綾太の前を通り過ぎると、噴水の様に血を撒き散らし脳天から二つに割れ砕け散った。
「終わったのか……」
王の呟きに白が頷き、霧子がタバコに火を点けた。真理子はアーニャを抱き締め声を殺してすすり泣く。
「泣かないで真理子、終わったんだから」
必至でアーニャが慰める。
綾太は自分からレイナに近付くと、黙ったまま抱き締める。直立のままレイナは瞳を見開く。経験した事の無い感覚がレイナを洪水みたいに包む、胸のドキドキの苦しさに息さえ出来ず、小刻みに身体が震える。
「レイナ。お節介かもしれないけど、綾太の背中に手を回しなよ……きっと落ち着くから」
トイチは決死の覚悟でレイナに呟く、一歩間違えたらアルムタートで微塵切りにされそうだから……。レイナはトイチの言う通りに、そっと綾太の背中に手を回す。
さっきまでのドキドキが霧のように晴れる、安心感と幸福感が押し寄せる。レイナの髪は金銀の星屑を零し、元の琥珀色にゆっくりと戻りスーツの装着がそっと解けた。
その穏やかな変化は心理の描写を見てる者に分からせる――それは見守る各自の笑顔が象徴していた。
やがて指の力が抜け、アルムタートが地面に落ちる。その音にトイチが全身の毛を逆立たせると、アーニャが飛んで来て耳を引っ張り連れて行く。
「何ぁにすんだよぉ」
「お邪魔でしょ、本気でミンチになりたいの?」
「連中、どうした?」
王が辺りに居なくなった018と019の行方を白に聞く。
「さっき逃げて行きましたよ、追いますか」
白はその逃げた方向に視線を流す。
「いや、いい、神様の命令でも追うのはゴメンだ。それより趙を……」
趙に視線を戻すと、霧子と真理子が手当てに当たっていた。振り向いた真理子が優しい笑顔で趙の無事を示す。
「ふっうー……」
とてつもない大きな溜息は安堵の証し。王は自然な微笑みで、まだ抱き合う綾太とレイナの後ろ姿を見詰めた。
やがてゆっくりと夜が明け、二人のシルエットが眩しい光に包まれた。




