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目覚めの予感

 二人きりの部屋、レイナはベッドに腰掛け綾太を見つめている。目のやり場がなくて、綾太は窓際に立った。


「窓から、離れて」


 ふいの言葉に振り向くと、レイナの泣きそうな顔があった。


「あのさ、使い方、教えてよ」


 慌てて窓から離れる。間がもたなくて王に貰ったオートの拳銃を、レイナに手渡した綾太だった。


「私……」


 銃を受け取ったレイナが俯く、サラサラの髪がパラリと落ちるのに綾太の胸はキュンとなる。


「今度はさ、俺が守ってあげるから」


 その声に顔を上げるレイナ、吸い込まれそうなブルーの瞳。小さく頷くとレイナはマガジンを外しスライドを引く、チェンバー内に弾が無いのを確認すると、マガジンを装填して綾太に手渡す。


「人指を伸ばしたままグリップを持つの、スライドを引くとチェンバーに初弾が装填される。後はトリガーを引くだけ。まだ人差し指は伸ばしたまま、撃つ時だけトリガーに掛けて。そうしないと、自分の足を撃つから……戦闘が終わったら、直ぐにハンマーを戻しセーフティを掛けるのを忘れないで」


 綾太の手に自分の手を添え、小さな声でゆっくりとレイナは説明した。触れた指先が微かに震えてるのが分かる、それは二人に共通していた。それよりも綾太は、この状況の中でも心が落ち着いているのに違和感を感じた。


 自問すると答えは簡単だった。それはレイナの優しく可愛い声、聞いてるだけで全てが癒されていく事が不思議だった。


「分かった、案外簡単だね」


 肩が触れる距離は更に緊張を解す。本当は危険なレクチャーなのにレイナの温もりが、見えない力となり綾太の内側から湧き出した。今度は自分の番だと思うと練習にも熱が入り暫くすると、なんとなく感じは掴めた。


「あのさ、何かさ、いい匂いだね」


 言いたい事、聞きたい事なんて山ほどあったが、口から出た言葉なんてそんなコトだった。


「綾太の方がいい匂い……」


 少し俯いたレイナは頬を染めた。


「えっ、俺? 昨日も風呂に入ってないし」


 赤い顔で慌てて自分の臭いを嗅ぐ綾太。


「とってもいい匂い」


 レイナが顔を近付けるだけで、綾太の心拍は天に昇った。


「あのさ、レイナ」


「えっ?」


 綾太が自分の名前を呼んだ、レイナの心臓は鷲掴みにされる。


「レイナの、歌が聞きたい」


 呟いた綾太に、すっと立ち上がるレイナは胸の前で両手を握る。少し俯くと、歌が小川の様に穏やかに流れ出し、やがて大河となる。


 声が狭い部屋を反射する、数えきれない音の光が綾太に降り注ぐ。それはあの少女たちの歌、メロディがレイナの全身から溢れ出す。


 全身の鳥肌と、打ちのめされる慟哭にも似た衝動、綾太は聞いた気がした……神の歌を。


「何なのこの歌?」


 霧子の手からタバコが床に落ちる、聴覚以外からも体に飛び込む歌に金縛りに合う。


「何て美しい声、何て、メロディ……」


 体の震えが止まらない真理子は、その震えが破滅的感動だと気付くのに時間を要した。王や白、趙は言葉さえ発せなくて、体の奥からの衝撃に耐えるしか出来ない。


「声の色、音の色、全部、鮮やかに見える、これがレイナの歌……」


 全身の毛を逆立たせたトイチは、目を見開き言葉を失う。ホテルからかなり離れているのに、その歌声はアーニャにも届く。


「レイナの歌、嬉しそう……きっと、綾太に歌ってるんだろうな」


 距離が感動という破壊力の威力を弱めたが、反対に薄められた感動は優しくアーニャを包み込み、索敵の任務さえ曖昧にした。


 言葉さえ失った綾太の前で、レイナは歌う。やがて片方の腕が空に向けて伸びる、それは見えない何かに触れようとしているみたいに、しなやかに……もう片方手も空に向かうと、歌はクライマックスに入った。


 声が世界を突き抜けた瞬間、歌は終わった。静寂さえ、余韻の中では衝動に同化する……ずっと、ずっと聞いていたい、と。


_____________



「どうしたのさ、猫?」


 パソコンに向かい、尻尾を忙しなく動かすトイチの背中に霧子が声を掛ける。歌の衝撃から解放されるのには、全員がかなりの時間を要した。


 返事もしないで必至で考え続けるが頭の中はネガティブ方にばかり引きずられ、考えが絡み合うばかりで結論に辿り着けない。痺れを切らした霧子は、トイチの顔を覗き込む。


「おい、猫ってば」


「猫って言うなよ、オイラはトイチだ」


 振り返るトイチは、眉間に皺を寄せヒゲをピンピン揺らす。


「尻尾、膨らんでるよ。何かあったのかい?」


「何でもないよ……」


 慌てて尻尾を隠し、トイチは言葉を濁す。


「トイチちゃん、悪い事なの?」


 心配そうに真理子が覗き込む。


「……うん」


 真っ直ぐ見詰め返せないトイチに真理子が優しく微笑む。


「驚かないわ、言って」


「多分、ナラシンハが来る」


 トイチは更に尻尾を膨らませた。


「神にも悪魔にも人にも獣にも、家の外でも中でも、どんな武器にでも殺されない力を得た魔族のヒラニヤカシプを倒す為、ヒンドゥー教の神ヴィシュヌは、ライオンの頭を持つ獣神ナラシンハに化身した……ナラシンハは待ち伏せにより、素手でヒラニヤカシプを切り裂いて倒した」


 呪文の様に、一気に霧子が呟く。


「その神話通りなら、魔物はレイナの方だね」


 膨らんでいたトイチの尻尾は、空気が抜けた様に萎んだ。


「レイナちゃんは魔物なんかじゃないわ」


 真理子の震えるのは声だけじゃなく、体も小刻みに震えた。


「そいつはレイナより強いのかい?」


 霧子の真剣な視線は、トイチに向けられた。


「普通のレイナだったら、負けるはずはないんだけど」


 視線を合わせないトイチ、その声は深く沈み普通って言葉だけがが余韻を残す。


「ねえ、猫。レイナに力を取り戻させる為のキーは、やっぱあのグズグズ男かい?」


 タバコを咥え、煙を龍みたいに鼻から噴き出す霧子。


「多分、そうだと思う。出会ってレイナは変わったんだから、綾太なら……」


 煙が目に沁みてだけじゃなく、トイチは目に違和感を持った。


「綾太……優しすぎるから、レイナちゃんに戦えなんて言えないよ……きっと」


 小さく溜息を付き、真理子が呟く。


「そうだね、綾太の奴は優しいもんね」


 脳裏の綾太は照れた表情でトイチに微笑んでいた。


「悠長な言ってる場合じゃないだろ?」


 タバコの灰を空き缶に落とし、霧子が目を吊り上げる。


「ねえ、真理子。皆と一緒に逃げて」


 急に立ち上がり、トイチが真理子の膝に乗った。


「だめよ、トイチちゃん」


 優しく頭を撫ぜるられたトイチは、その後の言葉に詰まった。


「あんたは残るつもりなの?」


 タバコを揉み消した霧子が、柄にもない優しい声で言う。


「オイラとレイナが残るよ、奥の手があるからね」


「あってもダメ」


 優しくトイチの背中を撫ぜる真理子。その穏やかな瞳はトイチの心を惑わせる、何故人間は、否、真理子はこんなふうに考えられるのだろう、どうして自分以外の人を大切に思えるのだろうと。


「ちょっと話してくる」


 霧子は立ち上がり、大きく息を吐き出すと背中を向けた。


「誰と?」


「お姫様だよ」


 キョトンとしたトイチに、霧子は吐き捨てるみたいに言った。


_______________



「俺、姫の側に行きたいんだけどな」


 屋上で周囲を警戒しながら、趙は暗闇に話し掛ける。


「お前、まだ言ってるのか?」


 タバコに火を付け、呆れ顔の王。


「火、敵に見つかりますよ」


 落ち着いた声の趙に、慌てて火を消す王は咳払いした。


「とにかく、あの女は違うんだ」


「どう違うんです?」


 初めて見る趙の真剣な眼差し、王は少し笑顔になった。


「何度も言うが、あいつは琥珀のディーバだ。女神でも天使でもない、まして普通の女なんかじゃない」


「俺、彼女が化け物みたいな大男と闘ってるのは見ました。でも遠目で、なんか実感なくて、近くで見た彼女は本当に美しくて、俺、完全に一目惚です」


 趙は完全に恋愛の対象として、レイナを見ていた。


「でもな、レイナはお前なんか見ていない」


 王の言葉が趙の切れかけた琴線に触れる。もしレイナが誰も見ていないなら、こんなに胸が苦しくないのにと握った拳に力が入る。


「でも俺……」


「綾太……あいつはいい奴だよ、優柔不断ではっきりしないけどな。優しい奴なんだ、こんな俺でもあいつと居たら、まともに暮らしたいって思える。あいつとずっと一緒にいたら、俺はこんなに落ちぶれなかっただろうな」


 地面に座った王は、立てかけてある対戦車ライフルに目を落とす。


「俺は……」


 言葉を詰まらせる趙。


「どんなに欲しくても、手の届かないモノもある。その時、どうするかで人間の価値は決まるもんさ」


「王、あんたに手の届かないモノなんてあるんですか?」


 王の言葉に趙は小さく俯く。


「あるさ、誰にだってある」


 王の見詰めた先は、遥か遠くに霞んでいた。


_________________



「お邪魔だった?」


 霧子が部屋に入ると、二人は黙ったまま寄り添っていた。


「べっ、別に」


 慌てて離れる綾太。


「綾太、ちょっと外してくれる。その娘に話があるの」


 レイナのブルーの瞳が突き刺さる、胸に痛みを感じた霧子は思わず視線を逸らす。


「分かりました」


 部屋を出た綾太を見送ると、霧子はベッドに座るレイナの反対側のソファーに腰を下ろしタバコに火を点ける、微かに手が震えるのが自分にも分かった。レイナは黙ったまま、霧子から視線を外さない。


「何が目的なの?」


 自分では声を出したと思っていても、声は小さく掠れる。


「目的?……」


 その声は森林の空気みたいに透き通り、とても可愛かった。


「そう、目的」


「……分からない」


 視線を落とすレイナ、琥珀色の髪はパラリと落ちる。


「綾太と一緒に居たいんでしょ? 訳の分からない化け物が迫ってるのよ。あなたしか戦えない、それは分かってるわよね」


 レイナがとても小さく見えた、目前の俯く女に霧子は心を掻き乱された。数々の伝説は霧子自身の耳にも届いていた、そして常識を逸脱した回復力を目の当たりにして琥珀のディーバ存在を確かに認識した。


 その存在感が大きいだけに、今のレイナとのギャップが思考の演算を停滞させる。


「一緒に居たい……」


 即答だった、顔を上げたレイナの瞳は間接照明が無くても輝く。


「なら戦って」


 霧子の言葉が広い部屋に響く、レイナはまた俯くと沈黙の海に沈む。暫くその小さな姿を見詰めていた霧子は、腕を組み直すと静かに話し出す。


「戦いを綾太に見られ、嫌われるのが怖いのね。でもそれじゃあ綾太は死ぬよ、それでもいいの?」


 レイナの身体が小刻みに震えた、握りしめた拳がその震えに激しく連動する。


「時間は無いよ、早く答えを出すことね」


 震え続けるレイナを見ないで、霧子は部屋を出て行った。


________________



「ねえ、綾太」


 廊下に座り込む綾太にトイチが声を掛けた、尻尾をすぼめ耳は垂れている。


「分かってるんだけどね」


 顔を向けた綾太は、笑ってはいたが泣きそうにも見えた。


「ナラシンハが来る、人間と獣を融合させた恐ろしい奴なんだ。あいつらは、今までとは違う、人間の思考が無いからね、目的は一つ……殺戮だけ」


 聞いたことの無い、悲しそうなトイチの沈む声。


「皆、死ぬのかな……」


 力の入らない綾太の声が、長い廊下に落ちた。


「多分、レイナと綾太以外はね」


「どうして俺とレイナだけ……でも、殺戮の獣に見分けが付くのかな?」


 背中を浮かせた綾太は、改めて疑問に包まれる。


「組織はどんな犠牲を出してもデータを手に入れるさ、データ無くしてはモノは造れないからね……奴らには一種の安全装置が付いている、制御するのは難しいからね。多分、脳内の自爆装置みたいなもので、綾太やレイナを殺す一歩手前で作動させるんじゃないかな。オイラ達はそのまま、殺されるだろうけど」


 トイチの言葉に綾太は愕然とした、大切な誰かの死が確実に迫る現実が胸を引き裂く。


「そうだ、俺、行くよ、それしかない」


 駆け巡る血液が、綾太を立ち上がらせる。


「前にも言ったろ、もう遅いんだ。余計なモノ見過ぎたからね、王や真理子達は」


「どうすればいいんだ……」


 目前が漆黒覆われ、いくら目を見開いても光は見えない。頭を抱え、膝を付くしか綾太には出来なかった。


「レイナ次第なんだ」

 

 トイチの言葉に綾太は更にうずくまった。耳を垂らし背中を丸めトイチはその場を後にした、何度も何度も振り返りながら。


__________________



 音も無くドアが開き、レイナが部屋に入って来た。


「レイナちゃん」


 駆け寄った真理子を微かに見て、レイナはスーツケースの前に立つ。


「稼働時間は?」


 小さな声でスーツケースの上で丸くなるトイチに聞く。そのブルーの瞳には、琥珀のディーバの煌めきが蘇っていた。


「バックアップ電源が無いからね、フルで十分」


 ピョンとスーツケースから飛び降りたトイチが、僅かに尻尾を膨らませた。黙ったまま頷くと、ケースの底から銀色のリングを取り出す。それを両手首、そして首に装着した。


 左手首を触った瞬間、一瞬の閃光が炸裂する。思わず目を閉じた真理子が、ゆっくりと目を開くと、純白に輝くスーツを身にまとったレイナがいた。


 それはエナメルの様に光を反射し、ウエットスーツみたいに身体の線を映し出す。腰には二本の短剣みたいなものが下がり、ミディアムヒールのブーツから、か細い指先までスーツは覆っていた。


 そして左肩には、輝く髑髏の紋章があった。


「戦闘スーツさ。銃弾や砲弾の直撃に耐えるのは無論、あらゆる物理的攻撃をも防御出来る。後方支援が無いから、時間制限付きだけどね」


「顔はどうすんのさ、女の命だよ」


 咥えたタバコを小刻みに揺らし、霧子が言う。


「首のリング、あそこから電界バリヤーを放出するんだ。ヘルメットだと、超高速戦闘では、視界の妨げになるからね」


 トイチの説明に、真理子の中に霧子が言った悪魔の姿が浮かんだ。


「美しい……」


 部屋に入ってきた趙の目が、ハート型になる。


「目のやり場に困るな」


 体の線は何も身に付けて無い様に艶めかしく、王は顔を赤らめた。


「男どもは……」


 呆れる霧子の視線の先には、背中を向け赤面する白がいた。最後に来た綾太だけは、悲しそうな視線をトイチに向ける。


「あれ、何なんだ?」


「戦闘スーツさ」


 足元のトイチが心配そうに見上げる。


「そうか」


 沈む声で俯く綾太に気付いたレイナが、スーツの着装を解く。純白のスーツは一瞬の煙の様に消え、元の姿のレイナが伏せ目がちに視線を逸らせた。


「こんなんで大丈夫なの?」


 大きく煙を吐き、霧子が溜息を付く。


「あんまり大丈夫じゃないですね。レイナの目、さっきまでの凄みが失せてる」


 王はレイナの瞳に、輝きが無いのに気付く。


「心配いりませんよ、姫様のガードは俺に任せて下さい」


 何か言おうとした綾太を押しのけて、趙がズイと前へ出る。レイナは身を翻し、綾太の後ろに隠れた。


「体制変更だね、とにかく、戦闘が始まったら綾太をレイナの目の届かない場所へ」


 王の足元からトイチが囁いた。


「それしかなさそうだな」


 レイナの様子を見ながら、王も小さく頷いた。


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