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目撃と出逢い

 胸の内側まで入って来る透き通る声。穏やかで優しくて溢れるα波が全身の血液まで浄化し、例え様のない安息が包み込む。音と色彩、五感を代表する二つの感覚が、その境界さえ曖昧にして押し寄せる。


 癒されるという言葉を口に出すのを躊躇う穏やかなメロディが、光の粒となり周囲に降り注ぐ。


 どんな自然の音も、どんな楽器でも出せないであろう歌声の形容は、たった一つの言葉で表すなら多分……”奇跡”。


 初夏の夕暮れの波止場、相沢綾太は微かな潮風と海に沈む夕日の中で、波止場で歌う女の唯一の観客だった。


 女はその美しい歌とは不釣り合いな迷彩の戦闘ズボンにジャングルブーツ、カーキ色のタンクトップを着ていた。


 背中まである髪は夕日に金色に輝き、絵画の様な髪全体のウエーブが時間の流れを曖昧にさせ、その長い前髪で目元は見えない。筋の通った鼻、小さな口元はその歌声を更に引き立たせる。


 ただひとつだけ左肩にあるタトゥーが、全てを否定しているみたいにも見えた。それは純白の肌に金色の横を向いた髑髏、その髑髏は柄の長い銀色の大鎌か斧みたいなモノを担いでいた。


 倉庫の屋根でバイトのペンキ塗りの手を止めたまま、他のバイト仲間が帰るのにさえ気付かずにいた綾太は歌声に包まれ、その髑髏をぼんやり見続けた……時間の経つのも忘れて。太陽が水平線に沈み周囲がオレンジ色に染まる頃、女の歌は静かに終わった。


「帰る、か」


 呟いた綾太は道具を片付け始める。道具の入った袋を背負うと、波止場には似つかない乾いた”パンッ”って音が至近距離で耳を通過した。


「何だ?」


 屋根の端まで行き見下ろすと、数人の男が女を取り囲んでいた。男達はサングラスでその表情を隠していたが、何故か人の気配が感じられなかった。やがて男達は構えていた銃を乱射する、綾太の背筋に氷が押し付けられ心臓が収縮する。


 脳裏には真っ赤な血飛沫に染まる女が投影されるが、現実に視野に映るのは次々と倒れる男達だった。


「どう言う、事だ……」


 背中の氷は更に温度を下げる、女はまるで猫の様な身軽さで宙を舞った。そしてワルツでも踊る様に男達の間をすり抜け、その度に命を失った”元人間”が地面に倒れた。


 綾太は腰から下に力が入らずに、その場に座り込む。銃声はすぐに波の音に変わり、太陽はまだ惜しむ様に周囲にオレンジの空間を引きずっていた。


 ふいの物音、振り返った綾太が見たのは返り血を浴びた女だった。その手には銀色の銃があり、その銃口は綾太の額に照準していた。近くで見る女の髪は絹の様な煌めきを放ち、太陽光が弱くても輝を失うどころかその輝度を増す。


 そして、その美しい色は亜麻色、否、琥珀色に近いのかもしれない。


 一瞬の風が女の前髪をかき上げる。その瞳は深い切れ長で、純白の強膜とコントラストをなすブルーの虹彩は周囲が濃く、中心に向けて次第に薄い色になり、瞳孔は濃紺で神秘の宝石の様に光を放ち、綾太の身体の自由を奪う。


 見覚えのあるその美しいブルーは、綾太の記憶の中でそっとページをめくる。それは昔に見たエジプトの宝物図鑑に載っていた聖なる石……ラピスラズリの聖なる青だった。


 女は足音も無く近付く。至近距離になるに連れ、その容姿は少女と淑女が織り交ざり美しさの観念を根本から覆す。


 手が届きそうなくらい近くになると、ブルーの瞳は左右で色の濃さが違って見える。そして、薄い色の瞳から一筋の涙が流れていた。


 綾太は瞬時に悟る、見てしまった者の運命を。


「……歌……綺麗だった」


 呟く言葉は歌への讃辞と容姿の形容。刹那の瞬間、綾太が言えた最後の言葉だった。


「えっ……」


 女は口元の端だけを微かに歪めた。笑ってる様にも見え、何か喋ってる様にも見えた。前髪はもうその氷の瞳を隠し、その本当の意味を彼方へと押しやった。


 女は、引き金を引いた。耳元を弾丸が霞める、微かに硝煙と血の匂い。銃声が鼓膜を響かせる、強く閉じた目に痛みが走り、生きている事を認識させる。そして目を開けると女の姿は無かった。


 抜けた腰のせいもあり、その場で仰向けに倒れた綾太は放心状態のまま、ただ時間を費やした。


_________________ 



 事件から数日経っても死の恐怖は眠る事を困難にしたが、その恐怖も睡魔が曖昧にして夢と現実の狭間が記憶を薄れさせた。だが、衝撃の出来事をまるで白昼夢の様に曖昧にしたのは、事件が一切報道される事はなかったからだった。


綾太は気分転換に河原に座り、少年野球を見ていた。


 ふいに草むらに、みかん箱くらいの段ボール箱を見付ける。その薄汚れた段ボールには見た事も無い文字が書かれていた。暫く見てると、段ボールは時々小刻みに動いた。


「何か入ってるのか?」


 綾太は近づくとゆっくり蓋を開ける、恐る恐る覗きこむと中には猫が入っていた。まだ子猫なのかその身体はあまり大きくなく、全身銀色の毛はシルクの様に柔らかそうだった。


 手足と尻尾、耳の先だけが薄い茶色で、小さな肩にはあの女と同じマークがあった。


「この、マーク……」


 声と脚がが震えた。あの女の肩のタトゥー、瞬間に恐怖が蘇るが不思議と猫はとても愛らしく、叫び出しそうなココロをそっと後から支えた。


 手を差し出すと、指先をちょっと臭って小さく鳴いた。抱き上げた綾太は顔の前で猫を見た。その瞳は燃える様な深紅で、まだ高い太陽が肩のマークを輝かせた。


「誰かのイタズラか? こんなもん書かれて」


 恐怖心穏やかに離れ、背中をさすると猫はグルグルと鼻を鳴らす。


「いけね、時間だ」


 バイトの時間を思い出し、綾太はそっと猫を箱に戻す。


「ごめんな、アパートだから飼えないんだ」


 少し後ろ髪引かれる様な気分だったが、綾太は立ち上がるとその場所を後にした。土手の上まで来ると、もう一度振り返る。すると、子供達が箱に群がり川の方へ持って行くのが見えた。


「クソガキ共め」


 呟いた綾太は土手を駆け降りた。


「流れろ!」


「沈むぞっ!」


 かなり急な流れに、ダンボールは回転しながら流れる。


「生きてんだぞ」


 腰まで水に入り、綾太は箱を取り上げた。


「いいじゃん」


「おもしろいしさ」


 子供達の目には微かな怒りが見える。


「お前ならどうする、箱に入れられて川に流されたら」


 綾太が子供達に振り向き、強めの視線で睨む。


「そんな訳ない」


「俺達は人間だぞ」


 捨て台詞で子供達は走り去る。


「まったく……」


 溜息交じりにトレーナーを脱ぎ、濡れた猫を拭いた。猫は綾太を見上げ小さな鳴き声を上げた。綾太は鉄橋の下の誰にも見つからない場所に箱を置くと、その中にトレーナーを敷き呟いた。


「もうガキンチョに捕まるなよ」


 綾太は街外れの大きな工場でアルバイトをしていた。高校は出たがやりたい事が見つからず、今は生活の為にフリーターとして働いている。この前の事件の時は、バイト仲間の急用で代打仕事だったのだ。


 いつもの単調な仕事の中、気になるのは猫の事だった。夜中前に仕事を終えると、コンビニで猫の餌の缶詰を買い、早足で鉄橋の下に向かった。


 しかし、その場所にはあの段ボールは無く、遠い街灯の光に目が慣れた時には愕然となる光景が綾太を襲った。地面に残る焦げ跡、それはまだ新しくて胸を激しく揺さぶる。


 慌てて周囲を捜す、草が顔に当たってもお構い無しに必死に掻き分けるが、燃え残っていたのは段ボールとトレーナーの破片だけだった。


「逃げたよな……」


 呟くと泣きそうな顔で範囲を広げ草むらを捜した、しかしかなりの時間を費やしても猫は見つからなかった。諦めは後悔とリンクして、綾太は無言のままトボトボとアパートに帰った。


 明かりを点けて洗面所に行くと真っ黒の手や、汚れたTシャツ、そして情けない顔が鏡に写る。こんなボロアパートだし、一人暮らしだし、猫一匹ぐらい飼ってやればと後悔が具体化して綾太を覆った。


 自分だって施設で育った、あの猫と同じに捨てられたのにと涙が頬を伝った。


__________________



 ふいにドアをノックする音がした。急いでタオルで涙を拭い玄関のドアを開けると、そこにはあの猫が少し首を傾げて見上げていた。


「お前……無事だったんんだな」


 呟くと、綾太の目からは大粒の涙が零れた。 


「泣いてるの?」


「へっ……??」


 確かに猫が喋った、小さな男の子みたいなソプラノで。本当に驚いた時は言葉が出ない、綾太は唖然と立ち尽くした。


「入るよ」


 猫は綾太の脚をすり抜け、勝手に部屋に入った


「お前、何なんだ?」


 スローモーションで振り向く綾太は、テーブルの上に座る猫に目を見開いた。


「おいらは兵器さ」


「平気って、大丈夫、だって、こと?」


 猫の瞳は炎の様に煌めいた、言葉の途切れる綾太。


「イントネーションが変。それに字が違うよ。兵器、つまりウェポンだよ」


 猫は後ろ脚で耳の後ろを掻く。


「兵器って猫じゃないか」


 気付かぬうちに対等に喋る綾太。


「猫だけど兵器なの」


「兵器って、背中からミサイルが出たり目から怪光線が出たり」


 貧困なボキャブラリーの綾太に、猫は大きな欠伸をする。


「そんな訳ないだろ、おいらは作戦通信特化型だよ」


「そう、なんだ」


 訳は分かってない綾太だった。


「理解、してないなよね」


 猫はニヤリと笑う、ヒゲがピンピン動く。


「まあ、それより食べる?」


 話はコロッと音を立てて変わり、買ってあった缶詰を小さな皿に出す綾太。


「猫のエサかぁ」


 出された餌を頭から突っ込んで食べる猫、その様子を頬杖を付き綾太は目を細めて見ていた。不思議な感覚に包まれてはいたが、必死で餌を食べる猫にそれは薄められた。


 猫が生きていてくれた……それだけで、綾太はこの摩訶不思議な状況を穏やかに受け入れらた。


「名前、何?」


「あんたは?」


「綾太、お前は?」


「無いよ、あるのは形式番号、WC101《ワンゼロワン》だよ」


 皿に頭を突っ込んだまま、面倒そうに猫は答える。


「トイレみたいだな……ワンゼロワン?……ヒャクイチか……なんか語呂がなぁ……ジュウイチ……じゃなくて……そうだ”トイチ”。この前テレビでやってた金融ドラマで見た、なんか語呂いいし」


 自分だけ悦に入り、嬉しそうな綾太。


「意味、分かってんのぉ? まあ、それだけ急成長するって意味にとれば……」


 猫は呆れた様に尻尾を振った。


「どう、いいでしょ?」


 嬉しそうな綾太の笑顔に、猫は諦めた様に首を項垂れた。


「まぁ、好きに呼んでよ。それより、綾太……」


 顔を上げたトイチは少し伏せ目がちに綾太を見る、ツナがヒゲからポトリと落ちる。


「いいよ、どうせそのつもりだった。好きなだけ居ろよ」


 綾太は優しい笑顔をトイチに向けた、その肩のマークに胸の奥深くで戸惑いを感じながらも。



 随分前に貰ったフルーツバスケットにタオルを敷いて、ベッドの横に置いた。風呂に入り簡単な食事をして、綾太はベッドに入る。


「どうだい寝心地?」


「まあまあだね」


 トイチは尻尾を抱え丸くなる。聞きたい事なんて初詣の参拝客ぐらいあったが、その中でもベストテン上位に入る質問をした。


「どうしてココに来たんだ?」


「助けてくれたからね、おいら泳げないから」


「まさか恩返し?」


「そういう所」


「そう、なんだ……」


 なんとなく嬉しくて、綾太は本題の質問をする。


「その肩のマーク、何なんだ? トイチのマークは黒だけど」


「意味かい? それとも色の理由?」


 目を閉じ、丸まったままトイチは眠そうな声を出す。


「そうだな、両方」


 腕枕の綾太が笑う。


「安穏な奴だね、まあいいや。これは部隊エンブレムだよ、身体のどこか一部に付いてるんだ。色はその能力を示すんだよ。黒は作戦通信、赤は戦闘、黄色は索敵、緑は防御」


「金の髑髏に銀の斧は?」


 綾太の言葉にトイチは飛び起きた。尻尾は膨らみ丸い目を見開く、微かに体が震えている。


「まさか、見たの?」


「ああ」


「嘘だ」


「嘘なもんか」


「綾太……金の髑髏、銀のハルバート、それはWX017《ゼロワンセブン》のエンブレムだよ」


「ハルバート?」


「まあ、槍の一種ポールウェポンさ。槍の穂先に斧頭と大鎌、反対側にもピックと呼ばれるカギ爪があって多くの使い方が出来る武器さ。そんな事より綾太……見て、生き残った者はいないんだよ……一応、容姿を言ってみて」


 顔を上げたトイチが綾太を見据える、言葉尻を揺らし炎の様な瞳で。


「二十歳前後の女の子……うーんもっと若いかもしれないけど、あと、琥珀色の髪、青い瞳、銀色の銃……天使の歌声かな」


 脳裏の女を綾太は語った。


「……奇跡だ」


 トイチは、その赤いまん丸の目を更に見開く。耳は微かに震え、その振動でヒゲも小刻みに揺れていた。 


「何が?」


 人事みたいな綾太は暢気な顔で言う。


「綾太が生きてる事さ」


「そうなの、か?」


「どうりでおいらがココに引き寄せられた訳だ」


 また人事みたいな綾太の様子に溜息を付き、また寝転ぶとトイチは毛布に包まり丸くなる。


「それって良いことなのかよ?」


「ああ、多分ね……でも、二度目は無いよ」


 トイチの言葉が、不自然に綾太の耳から胸へと引っ掛かった。

 


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