中2・3月(前)
「甘糟は、マシュマロって感じだよな」
今まさに開かんと教室の扉に手を掛けた状態で、私はそのまま固まった。
私、甘糟千奈津は今ちょうど、男女別の体育が終わって着替えを済ませ教室に戻ってきたところ。
うちの学校では、女子は鍵のかかる更衣室、男子は自分の教室で着替える決まりになっている。
これってさ、女子に配慮しているようで、意外としていないよね。女子だって、男子の着替え中に遭遇しちゃったら当然気まずいじゃない? 自分の教室に戻るのに、男子の着替えが終わっているか、いちいち確かめないといけないんだもん。正直、面倒くさい。男子にも専用の更衣室を準備すべきだと思うんだよね。まあ、美和ちゃんに言わせれば、地方のしがない公立の中学校にそこまでの設備を期待してはいけないんだそうだけど。
あ、話が逸れた。
体育の後、一緒にトイレに行った佐々木ちゃんが急に"女の子の必需品"を切らしたと言うので、教室に予備のあった私は一人で戻ってきたんだ。さっと取って渡しに戻るつもりで、教室の前のドアが開いているのを見て「男子の着替え終わってるんだな」って思って、手近な方の、閉まっていた後ろのドアから入ろうとしたんだけど……。
教室の中から自分の名前が聞こえてきて、思わず動きが止まってしまった。
何だろう。悪口とかじゃなさそうだけど(ホッ)、話題に挙げられてる所に入って行くのって、ちょっと勇気要るなあ。
逡巡している間に、さっきとは別の男子の声が聞こえてきた。
「ああ、そんな感じー。なあ、樫木もそう思うだろ?」
え、伊織くん?
わ、どうしよう。なんかこれって盗み聞きみたいになってない? 内容が全然分からないままだけど!
「ああ、うん……マシュマロ……そうなのかな……」
躊躇いがちに、伊織くんがそう答える。
一体これ、何の話なんだろう。首を捻っていると、後ろから肩を叩かれた。
「何してんの、千奈津?」
「わあ!」
びっくりした。美和ちゃんだった。
「開けるの、遠慮してたの?」
しょうがないな~という顔の美和ちゃんの横には、佐々木ちゃんが立っていた。
「千奈っちゃん、あれ、他の子が持ってた。わざわざ取りに行ってくれてありがとね」
「あ、ううん、それなら良かった」
私はほっと息を吐く。
教室前の廊下には、着替えを終えた女子達が続々と帰って来ていた。
「おーい、男子の着替え、終わったー? 開けるよー?」
室内に声を掛けながら、美和ちゃんがガラガラとドアを開けた。やっぱり着替えは終わっていたみたいで、一箇所に集まっていた男子達は雑談を止めてばらけていく。
「汗くさーい」
美和ちゃんが顔を顰めて教室中の窓を開けて回った。うん、まだ肌寒い3月とはいえ体育の後だからね、仕方ないよね。私も着替えの入ったバッグを机に置いて、換気するのを手伝おうと、窓際に向かう。
そんな時でも私の目は勝手に伊織くんを見つけてしまった。
「伊織くん」
手を振りながらへにゃりと笑った顔は、我ながらしまりが無かったかもしれない。
だからかな。
伊織くんと目が合った気がしたのに、スイと視線を逸らされた。
そんな事を伊織くんにされたのが初めてだったので、私は思いっきり動揺してしまう。
な、何? なんで?
伊織くんが意味もなくそんな態度取る訳が無いし……。私の表情、そこまでだらしなかったかな。弛みきってた? 変顔だった?
それとももしかして私、知らないうちに何かやっちゃってた──!?
*****
「美和ちゃあん……」
自分が一体何をやらかしてしまったのか思い出そうと数時間考え込んだ挙句、結局私が泣きついた相手は無二の親友、美和ちゃんだった。
時間はもう放課後になっていた。うう、どうしよう。体育の後の授業内容、ほとんど何も覚えていないよ……。
「なに、千奈津、どうした?」
美和ちゃんと私は通学鞄を抱えて、教室の窓際の席を陣取った。日差しがあったかい。ホームルームが終わった途端、伊織くんを含む部活組と急ぎの用事のある帰宅組が出て行ったので、教室に残っているのは数人だ。
「なんか私、分かんないんだけど、伊織くんに避けられているような気がする……」
半泣きで相談すると、
「またまたぁ。バレンタインからずっといい雰囲気だったじゃない。何よ、喧嘩でもしたの?」
と、軽く流された。
バレンタインに手作りクッキーを伊織くんに渡した後、教室で待っていてくれた美和ちゃんと手を取り合って喜んだのは、確かにいい思い出なんだけど。
「そういう訳じゃない……けど」
両想いになっても、喧嘩するほど一緒にいないし。
相変わらず伊織くんは部活で忙しいから、会えるのは教室でだけだもん。
「さっきだってあんた達、普通に帰りの挨拶していたじゃない?」
「……うん」
「じゃあ気にし過ぎだよ。千奈津はもっと自信持つべきだと思うよ? あんた達、端から見てたら普通の仲良しカップルにしか見えないから」
そうかな。
そうなのかな。
……そうだったらいいな。
美和ちゃんが自分の鞄からファッション誌を取り出す。
「ほら、最新号でも見たら。気分変わるかもよ?」
「ありがとう……」
美和ちゃんの鞄は軽い。それは教科書のほとんどを学校に置きっぱなしにしているからだ。いわゆる置き勉ってやつ。なんでも美和ちゃんは、予習復習無しでも授業で一回聞けば大抵の内容は理解出来るそうなのだ。
それで時々学校に雑誌を持って来てくれたりする。
それと言うのも、私達はお気に入りの雑誌を交互に買ってシェアしているから。ピ○レモンとかニ○ラとかセ○ンティーンとか、読みたい雑誌はたくさんあるけど、お小遣いは有限。そんな一般的な中学生女子にとっての苦肉の策だ。
美和ちゃんのスマートな鞄を見て、いいなあ羨ましいなあ、とも思うけど、要領の悪い私には真似出来そうもない。私は教科書・ノートがないと宿題がこなせないから、重くても毎日自宅に持って帰るしかない。だから私の鞄はいつもパンパン。腕の筋肉だけが発達しそうで怖い。
力こぶとか出来ちゃったらどうしよう、と自分の腕の肉をそっとつまんでみる。その動きは目敏い美和ちゃんに見つかり、問答無用で二の腕を掴まれた。
「なあに千奈津。体型でも気にしてるの? まったくあんたはちっこくて可愛いわね! うわあ、フニフニで気持ちい〜」
「身長低いのは関係無いから! てゆーか美和ちゃん、揉まないで……」
痛いとかくすぐったいとかではなくても、同性に嬉々として揉まれると贅肉が余っているようで辛い。さすがに、たゆんたゆんな振り袖、とまではいかない(ハズだ)けど。
筋肉ムキムキでも困るし、贅肉ブヨブヨでも困る。女の子は複雑なのだ。
「そんな気にする事無いのに〜。千奈津は"The・女の子"って感じがいいんだよ」
「私は美和ちゃんこそカッコいいと思うよ?」
美和ちゃんのシュッとしたモデル体型は、密かに私の憧れだ。まあ私の身長はこれ以上伸びなそうだから、無い物ねだりだって事は分かっているんだ。
「褒めてもらっても何も出ないけどね」
私と美和ちゃんは笑い合って、雑誌のページを捲る。可愛い服、お洒落な小物、流行りそうなコーディネート。そんな記事を眺めてワイワイ言っているうちに、私の気持ちはだいぶ上向きになっていった。
そう。あの一瞬、伊織くんに視線を逸らされたって感じたのは、私の気の所為だったのかもしれない。目が合ったって思ったのは私だけで、伊織くんは私に気が付いていなかったとかさ。恥ずかしいけど、そういうことって時々あるよね。
美和ちゃんに言われた通り、私はもう少し自信を持つべきなのかも。だって、私と伊織くんは、もう嘘彼でも嘘彼女でもないんだから。
バレンタインに伊織くんは私のチョコだけを待っていてくれた。私も自分の気持ちを伝えられた。
今度こそ名実ともにちゃんとしたカレカノになった! って言っていいはず……だよね?
そりゃ目に見えるような進展はないけど。
ででデート、とかも一回もしてないけど。
……あれ、どうしよう。つらつら考えていたらちょっぴり不安になってきたぞ。
「そういえばさ、一時期"マシュマロ女子"って流行ったよね。あれって今どうなってるんだろうね」
美和ちゃんが気になるページに折り目を付けながら何気無く言った。
「……マシュマロ……?」
「ほら、お洒落でぽっちゃりな女性。芸能人で言うと、柳○可奈子みたいな? 結局癒し系って事なのかな〜」
体育の後、漏れ聞いてしまった男子達の会話の内容を思い出す。私のことをマシュマロだと思うか、って問いに伊織くんは、うん、って答えていたような……。
て、あれ、それってつまり…………。
私、伊織くんに、ぽっちゃり認定されてたって事──⁉︎